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顔で、紙を埋める——勝川春英

大判の紙の半分を、役者の顔が占める。額の皺、への字の口、見開いた目。似せることより、崩すことに寄っていく九点を並べた。悪役の顔と、細判に戻ったあとの仕事まで追うと、大首絵という型の幅が見えてくる。版元の企画としての役者絵という前提も、あわせて確かめたい。

三代目坂東彦三郎の菅原道真、「菅原伝授手習鑑」より
勝川春英《三代目坂東彦三郎の菅原道真、「菅原伝授手習鑑」より》メトロポリタン美術館蔵

顔が、紙の半分を占める

一枚の役者絵から始めたい。

三代目坂東彦三郎の菅原道真、「菅原伝授手習鑑」より
勝川春英《三代目坂東彦三郎の菅原道真、「菅原伝授手習鑑」より》1800年ごろ。木版多色摺。縦38.7センチ、横26センチ。メトロポリタン美術館蔵。ヘンリー・L・フィリップス遺贈、1939年。勝川春英《三代目坂東彦三郎の菅原道真、「菅原伝授手習鑑」より》メトロポリタン美術館蔵

灰色の背景に、男の顔が大きく描かれている。

胸から上だけである。

顔の縦幅が、画面の三分の一近くを占める。

髪は高く結い上げ、後ろへ大きく張り出す。

額には、丸い形の飾りのようなものが三つ並ぶ。

眉は太く、左右で角度が違う。

右の眉が吊り上がり、左の眉が下がる。

目は細く、瞳が中央に寄る。

口は小さく、赤く塗られる。

衣は黒く、襟元に紐が見える。

そして、画面の左下から斜めに、金茶の板のようなものが差し込まれる。

その端を、指が支えている。

大首絵という型

この型を、大首絵と呼ぶ。

胸から上を、紙いっぱいに描く。

役者絵では、一七九〇年前後から盛んになった。

背景を描かず、顔だけを見せる。

当サイトでは、
十か月で消えた絵師でも同じ型を扱った。

写楽の大首絵は一七九四年である。

この一枚は、一八〇〇年ごろとされる。

つまり、写楽より後の作にあたる。

型が定着したあとの、落ち着いた大首絵である。

描いた人について

勝川春英は、一七六二年に生まれ、一八一九年に没した。

美術館の記録も、その生没年を記す。

勝川派の絵師である。

師は勝川春章とされる。

当サイトの
勝川派という工房でも、その一門を扱った。

前回は、兄弟子の春好と並べて九点を見た。

細判の中の役者がそれである。

今回は、春英一人の作を九点並べる。

同じ絵師の仕事を、まとまった数で見るためである。

手だけが、下に見える

この一枚では、体がほとんど描かれない。

見えるのは、黒い衣の肩と、左下の指だけである。

その指が、斜めの板を支えている。

板は舞台の道具だろう。

顔以外の情報が、指一本と板だけに絞られている。

大首絵の割り切りが、ここに出ている。

体を描けば、顔が小さくなる。

だから、体を切る。

代わりに、手を一つだけ残す。

その手が、動作の手がかりになる。

崩し方の幅

春英の顔には、崩しがある。

眉の左右が非対称である。

目が寄り、鼻が短く描かれる。

口は小さく、顎が張る。

これは、写実ではない。

役柄の性格を、顔の造作で示している。

同時に、その役者の似顔でもある。

似せることと、崩すこと。

その二つを同時にやるのが、役者絵の難しさである。

額の飾り

この一枚の額には、丸い形が三つ並んでいる。

これは化粧、あるいは冠の一部だろう。

役柄は、学問の神として祀られた人物とされる。

その姿を、舞台の扮装で描いている。

見る人は、この扮装で誰の役かが分かる。

顔だけの絵でも、扮装が場面を示す。

背景を省ける理由の一つが、ここにある。

細判に戻る

二点目からは、判型が変わる。

二代目中村仲蔵の斧定九郎、「仮名手本忠臣蔵」より
勝川春英《二代目中村仲蔵の斧定九郎、「仮名手本忠臣蔵」より》1795年(寛政七年)五月。木版多色摺。縦32.1センチ、横13.8センチ。メトロポリタン美術館蔵。ジョゼフ・ピュリツァー遺贈による購入、1918年。勝川春英《二代目中村仲蔵の斧定九郎、「仮名手本忠臣蔵」より》メトロポリタン美術館蔵

縦32.1センチ、横13.8センチ。

細判である。

男が一人、前かがみで立っている。

背には、大きな束のようなものを負う。

蓑だろうか、あるいは藁の束だろう。

その毛先が、全身から放射状に突き出している。

腰には刀を差し、袴は格子柄である。

足は草鞋をはく。

上部には、梅の枝が垂れる。

背景は灰色で、下は黄土である。

悪役を、どう描くか

この役柄は、芝居の中で人を襲う人物である。

つまり、悪役である。

顔は横を向き、口をゆがめる。

眉は寄り、目が細くなる。

体は前かがみで、重心が低い。

悪役の型として、こうした姿勢が使われた。

正義の役は、胸を張り、足を広げる。

悪役は、身を屈め、横を向く。

姿勢だけで、立場が分かるようになっている。

船頭の姿

三点目は、水の上である。

二代目市川高麗蔵、艜船の上に立つ船頭
勝川春英《二代目市川高麗蔵、艜船の上に立つ船頭》1793年ごろ。木版多色摺。縦32.4センチ、横14.3センチ。メトロポリタン美術館蔵。勝川春英《二代目市川高麗蔵、艜船の上に立つ船頭》メトロポリタン美術館蔵

男が、長い棹を持って立つ。

体はまっすぐで、頭に白い布を巻く。

上半身には、赤と白の縞の衣を掛ける。

下は裾をからげ、脚が出ている。

足元は、板の上である。

背後には、水と土手が見える。

灰色の空に、白い線が入る。

雨だろうか、あるいは風の表現かもしれない。

棹が画面を縦に貫いている。

縦の線を、一本入れる

この一枚の構図を見たい。

細判は、縦に細長い。

そこへ、縦の線を一本通す。

棹である。

すると、画面が安定する。

同時に、人物の姿勢も決まる。

棹を持つ手の位置で、体の傾きが示される。

道具は、物語のためだけではない。

構図のためにも使われる。

桜の下に立つ女方

四点目は、女方である。

四代目岩井半四郎、桜の木の下に立つ女
勝川春英《四代目岩井半四郎、桜の木の下に立つ女》1792年ごろ。木版多色摺。縦32.4センチ、横14.3センチ。メトロポリタン美術館蔵。勝川春英《四代目岩井半四郎、桜の木の下に立つ女》メトロポリタン美術館蔵

女の姿の役者が、正面をやや外して立つ。

衣は淡い紅と白で、大きな丸文が散る。

裾は長く、床に広がる。

帯は縞で、前で結ばれる。

頭には、平たい笠を載せる。

上部には、桜の枝が右から垂れる。

花は薄紅で、点として描かれる。

背景の中ほどには、水平の線が並ぶ。

土手か、水面だろう。

桜という徴

桜は、季節を示す徴である。

春の芝居であることが、それで分かる。

浮世絵では、こうした小道具が場面の説明を担う。

背景を描き込まなくても、季節と場所が伝わる。

安い判型では、この省略が効く。

色版を増やさずに、情報を足せるからである。

九点を見ると、梅、桜、雪、竹垣が使われている。

いずれも、季節と場所の徴である。

鏡を覗く

五点目は、動作がある。

手鏡に映る姿を見る遊女
勝川春英《手鏡に映る姿を見る遊女》1787年ごろ。木版多色摺。縦30.3センチ、横13.5センチ。メトロポリタン美術館蔵。勝川春英《手鏡に映る姿を見る遊女》メトロポリタン美術館蔵

女性が、右手に丸い鏡を持つ。

鏡の面には、顔が映っている。

本人の顔は、鏡の向こう側にある。

つまり、実物の顔は隠れ、映った顔だけが見える。

左手は、頭上の布を押さえる。

衣は白地に薄紅で、裾が後ろへ長く引く。

背後には、格子の入った障子がある。

床には、水の流れらしき線が見える。

鏡という仕掛け

鏡に顔を映す構図は、浮世絵でよく使われた。

理由は二つある。

一つは、正面と背面を同時に見せられること。

体は後ろ向きでも、顔は鏡で見える。

もう一つは、見る行為そのものを描けることである。

自分を見る人を、こちらが見ている。

視線が二重になる。

小さな画面で、これだけの仕掛けが組まれている。

障子と、格子の線

この一枚の背景には、格子が描かれている。

細い縦の線と横の線が、規則正しく並ぶ。

障子か、建具の一部だろう。

格子を描くのは、彫師にとって手間である。

線が細く、等間隔でなければならない。

一本でも曲がれば、目立つ。

にもかかわらず、格子は繰り返し描かれた。

理由は、人物の曲線と対比になるからである。

直線の背景の前に、曲線の体を置く。

その対比が、姿勢を際立たせる。

扇を持つ女方

六点目は、年が特定されている。

三代目瀬川菊之丞、扇を持って立つ女
勝川春英《三代目瀬川菊之丞、扇を持って立つ女》1788年(天明八年)十二月。木版多色摺。縦32.7センチ、横14.1センチ。メトロポリタン美術館蔵。勝川春英《三代目瀬川菊之丞、扇を持って立つ女》メトロポリタン美術館蔵

女の姿の役者が、右を向いて立つ。

胸の前で、開いた扇を持つ。

扇には、赤い模様が入る。

衣は赤地に白い丸文が並ぶ。

その上に、薄い色の上衣を重ねる。

裾は大きく広がり、床を覆う。

頭には、布を巻く。

背後には、竹垣と壁が見える。

九点の中で、最も色が濃い一枚である。

年月まで分かる理由

この一枚には、天明八年十二月という年月が記録されている。

芝居の興行と結びついているためである。

役者の名と役名が分かれば、どの舞台かが特定できる。

そこから、上演の月が決まる。

つまり、役者絵の年代は演劇の記録に支えられている。

九点のうち、月まで分かるのは三点である。

残りは「〜年ごろ」という推定である。

推定と確定を、記録は書き分けている。

裃を着た侍

七点目は、装束が派手である。

大谷広八、華やかな裃の侍
勝川春英《大谷広八、華やかな裃の侍》1790年十二月。木版多色摺。縦29.4センチ、横14.3センチ。メトロポリタン美術館蔵。なお画像の右側には、撮影時の濃度見本が写り込んでいる。勝川春英《大谷広八、華やかな裃の侍》メトロポリタン美術館蔵

男が、両手を腰に当てて立つ。

肩の張った上衣を着る。

これを裃と呼ぶ。

肩の部分が、水平に大きく張り出す。

その面に、幾何学的な文様が入る。

袴には、花の文様が散る。

腰には刀を二本差す。

背後には、竹垣と梅の枝がある。

足を広げ、正面を向いている。

肩を、四角く描く

裃の肩は、絵にすると効果が大きい。

水平の直線が、画面に入るからである。

細判は縦長なので、横の線が不足しがちである。

そこへ、肩の直線が加わる。

そして、そこに文様を置ける。

つまり、装束が構図の要素になっている。

役者絵で裃姿がよく描かれるのは、その効きのよさもあるだろう。

見得を切る場面でも、肩の張りが強調される。

女方の顔の描き分け

九点のうち、女方は三点ある。

その三点の顔を見比べたい。

桜の下の一枚は、顎が丸く、目尻が下がる。

鏡を覗く一枚は、面長で、鼻筋が長い。

扇を持つ一枚は、頬に丸みがあり、口が小さい。

いずれも女の姿だが、顔立ちが違う。

つまり、演じている役者ごとに描き分けている。

女方を美人として一様に描く方法もある。

春英は、そちらを取らない。

誰が演じているかを、顔で示している。

傘の下の男

八点目は、雪である。

四代目松本幸四郎、傘をさして歩く男
勝川春英《四代目松本幸四郎、傘をさして歩く男》1796年ごろ。木版多色摺。縦31.4センチ、横13.7センチ。メトロポリタン美術館蔵。ロジャーズ基金、1914年購入。勝川春英《四代目松本幸四郎、傘をさして歩く男》メトロポリタン美術館蔵

男が、大きな傘をさして歩く。

傘は開いた状態で、骨の線が放射状に描かれる。

顔は傘の下から覗く。

衣は幾重にも重なり、裾が長い。

腰には、小さな包みが下がる。

足元は高い下駄である。

背後には、竹垣と木の枝がある。

上部の空は灰色で、白い点が散る。

雪だろう。

傘を、どう配置するか

傘は、画面の上部を大きく占める。

そのぶん、顔が下がる。

顔を見せたいなら、傘は邪魔になる。

そこで、傘を後ろへ倒す。

すると、顔の前が空く。

九点のうち、笠と傘が出てくるのは三点である。

いずれも、後ろへ傾けて顔を出している。

道具に顔を譲らない。

これは、役者絵の基本の作法である。

三枚続きの一組

九点目は、三枚が並ぶ。

背に籠を負う農夫姿の役者
勝川春英《背に籠を負う農夫姿の役者》1793年ごろ。細判三枚続き。木版多色摺。一枚あたり縦31.4センチ、横14センチ。メトロポリタン美術館蔵。勝川春英《背に籠を負う農夫姿の役者》メトロポリタン美術館蔵

細判が三枚、横に並べて台紙に貼られている。

左の一枚には、籠を背負う男が立つ。

中央には、緑の羽織の男。

右には、紫の衣の若い男。

三枚とも、上部に桜の枝がある。

背景の帯の色も揃っている。

つまり、並べると一つの場面になる。

細判は、こうして組んで売られることもあった。

一枚ずつ買い足せる仕組みである。

続き絵の作り方

三枚続きには、工夫がある。

各枚を単独でも見られるようにする。

同時に、並べたときに景色がつながるようにする。

この一組では、背景の帯と桜の枝がその役目を果たす。

人物は、それぞれ別の方向を向く。

左は右を向き、中央は正面、右は左を向く。

つまり、両端が内側を向く。

視線が中央へ集まる配置である。

三枚を並べたときに、まとまって見える。

判型と値段

九点の判型を整理したい。

大首絵の一点だけが、大判である。

縦38.7センチ、横26センチ。

残る八点は、細判か、その組物である。

縦30〜32センチ、横13〜14センチ。

紙の面積でいえば、大判は細判の二枚分以上ある。

つまり、値段も違う。

役者絵の主流は、安い細判だった。

大判の大首絵は、その中の贅沢な商品である。

台紙に貼るということ

この三枚は、台紙に貼られた状態で公開されている。

紙の縁が、三か所で見える。

つまり、もとは別々の紙である。

貼った人は、後世の所蔵者か、館だろう。

三枚を一組として保管するための処置である。

一方で、貼ってしまうと裏が見えなくなる。

裏の書き込みや印は、確認できない。

保存と情報の間で、判断が要る作業である。

館の記録は、三枚続きであることを明記している。

十年の変化

九点の年代を並べてみたい。

一七八七年ごろ、八八年、九〇年。

九二年ごろ、九三年ごろが二点、九五年、九六年ごろ。

そして一八〇〇年ごろ。

つまり、十三年ほどに散っている。

初期の作は、色が淡く、線が細い。

後年の作は、色が濃く、線が太い。

大首絵の一点は、その最後にあたる。

一人の絵師の変化が、九点で追える。

色数の増え方

初期の細判と、後年の作を比べたい。

一七八七年ごろの一枚は、色が四、五色である。

白、薄紅、灰、黒、そして黄土。

一七九〇年前後の作では、赤と緑が加わる。

そして大首絵では、黒の面積が大きくなる。

色数が増えれば、版木も増える。

つまり、費用が上がる。

浮世絵の色数は、時期と商品の格を映している。

九点の色を数えると、その変化が見える。

落款を見る

九点には、いずれも署名がある。

春英画、と読める字である。

その形は、年代によって少しずつ違う。

初期は細く、後年は太い。

署名の形から年代を推定する研究もある。

さらに、版元の印や改印が押される。

改印は、出版の許可を示す。

寛政の改革の後、この印が使われるようになった。

小さな印が、年代を絞る手がかりになる。

顔の似せ方の限界

細判の顔は、二センチほどしかない。

その中で、誰かを分からせる必要がある。

線は数本しか引けない。

眉、目、鼻、口。

そこで、衣の紋が助けになる。

役者ごとに決まった紋がある。

紋を見れば、顔が小さくても分かる。

九点の衣の紋を探してみてほしい。

丸に三つの菱、七つの雁金など、形がそれぞれ違う。

大首絵に至る道

大首絵は、この問題への一つの答えである。

顔を大きくすれば、線を増やせる。

眉の太さ、目尻の皺、口元の力み。

似顔の情報量が、一気に増える。

そのぶん、紙が大きくなり、値も上がる。

つまり、大首絵は似顔の要求から生まれた形式でもある。

一七九〇年前後に流行したのは、偶然ではないだろう。

役者の顔を、もっと近くで見たい。

その需要が、判型を変えた。

春英の位置

春英は、勝川派の後期を支えた絵師である。

師の春章が一七九二年に没している。

その後、一門の仕事を引き継いだ一人とされる。

同じ時期に、写楽が現れ、消えた。

そして、歌川派が台頭してくる。

つまり、役者絵の主導権が移っていく時期である。

九点は、その転換期の仕事にあたる。

古い型と新しい型が、同じ絵師の中で並んでいる。

摺りの状態

九点の色の残り方には、差がある。

赤が鮮やかなもの、褪せて茶に寄ったもの。

紙の地が白いもの、黄ばんだもの。

とくに紅系の色は、光に弱い。

同じ年の作でも、保管の条件で色が変わる。

いま見えている色は、二百年余りの結果である。

刷り上がりの色ではない。

九点を見比べるときは、この差を頭に置きたい。

色の濃さを、そのまま絵師の意図と受け取らない。

相撲絵と武者絵

春英の仕事は、役者絵だけではない。

相撲取りを描いた絵や、武者絵も残る。

絵本の挿絵も手がけたと伝えられる。

一門が続くには、仕事の幅が要る。

芝居の興行がない時期にも、収入が必要だからである。

役者絵は、季節と興行に左右される商品である。

だから、別の主題で補う。

今回の九点は役者絵に絞ったが、それが全部ではない。

背景の帯という約束

九点の背景を、もう一度見てほしい。

上に灰色や薄墨の帯、下に黄土や薄緑の帯。

その境目が、水平の線になる。

これが、舞台の床と背景を示す最小限の表現である。

建物も、書き割りも描かれない。

帯二本だけで、場所が成立している。

色数を抑えるための工夫でもある。

そして、人物の輪郭がよく見える。

安い商品の制約から生まれた、明快な画面である。

一九一八年の一括購入

九点のうち六点は、同じ年に館へ入っている。

一九一八年、ある遺贈基金による購入である。

前回の記事で扱った春好・春英の九点も、同じ基金だった。

つまり、まとまった浮世絵の一群が、一度に収蔵されている。

残る三点は、一九一四年と一九三九年の受け入れである。

収集家の手元にあった束が、館へ移る。

その動きが、いまの陳列を作っている。

一枚ずつ買い集めたのではない。

九点を、順に見る

最後に、見方を提案したい。

九点を、顔の大きさで並べてみてほしい。

いちばん小さい顔は、一センチ半ほどしかない。

いちばん大きい顔は、十センチを超える。

同じ絵師が、この幅で顔を描いている。

小さい顔は、線を減らし、紋で補う。

大きい顔は、線を増やし、崩しを効かせる。

顔の大きさが変われば、方法が変わる。

その対応を確かめるのが、九点を並べる意味である。

まず大首絵を見て、そのあと細判の顔を見る。

同じ人が描いたとは、すぐには思えないだろう。

しかし、崩す場所はどれも同じである。

眉と、口の端である。

そこだけを追って、九点を見送ってほしい。

二百年前の舞台の一瞬が、そこに残っている。

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