画家を知る

壁だったものが、九枚になる——ベルナルディーノ・ルイーニ

十六世紀の壁画が、寸法のばらばらな九枚として残っている。夫婦の物語を九場面に割り、緑の風景の中に人を点として置いた。部屋を失った絵の見方を考える。寸法のばらつきは、窓や扉のあった壁の記憶である。額に入った壁を、順に見る。

ディアナに祈るプロクリス
ベルナルディーノ・ルイーニ《ディアナに祈るプロクリス》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

壁だったものが、九枚になっている

一枚の大きな絵から始めたい。

ディアナに祈るプロクリス
ベルナルディーノ・ルイーニ《ディアナに祈るプロクリス》1520〜22年ごろ。フレスコ。縦228.6センチ、横140.3センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ベルナルディーノ・ルイーニ《ディアナに祈るプロクリス》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

縦が二メートル三十センチ近くある。

人の背丈より高い。

草の生えた土手の上に、女性が膝をついている。

黄土色の衣をまとい、上体をやや右へ向ける。

手には輪のようなものを持っている。

背後は岩と木立で、空は白く抜けている。

左の隅に、赤い衣の小さな人物が立つ。

画面全体が、うすい膜をかけたように褪せている。

これは絵具の性質による。

壁に描かれた絵だからである。

フレスコという技法

館の記録は、技法をフレスコとしている。

フレスコは、壁に塗った漆喰が乾く前に描く方法である。

顔料を水で溶き、生乾きの面に置く。

漆喰が固まるとき、顔料も一緒に固定される。

絵具の層が薄いため、色は明るく、そして淡い。

油絵のような厚みは出ない。

いったん乾けば、描き直しがきかない。

だから、その日に塗る範囲を決めて描く。

一日分の区画をつないで、大きな面を仕上げる。

計画性が要る技法である。

失敗すれば、漆喰ごと削り落とすことになる。

九枚の寸法が、そろっていない

九枚の寸法を並べると、規則がない。

縦は144センチから228センチまで幅がある。

横も103センチから150センチまでばらつく。

連作でありながら、大きさが違う。

これは、もともと壁の絵だったことを示している。

壁の絵は、部屋の形に合わせて描かれる。

窓の脇は細くなり、扉の上は横長になる。

建物の都合が、そのまま画面の形になる。

九枚の寸法のばらつきは、部屋の記憶である。

いま額に入って並んでいるが、もとは連続した面だった。

誰が描いたか

ベルナルディーノ・ルイーニは、北イタリアの画家である。

ミラノとその周辺で働いた。

生年は一四八〇年代とされ、没年は一五三二年である。

レオナルドの影響を受けた画家として語られることが多い。

顔の輪郭をぼかす描き方に、その痕跡がある。

ただし、ルイーニはレオナルドの弟子ではない。

同じ土地で仕事をし、作風を取り入れた画家である。

当サイトでは、
金地から、顔へでも、この人の板絵に触れた。

板絵と壁画の両方を手がけた画家だった。

物語は、どこから来たか

九枚は、ひとつの物語を扱っている。

ケファロスとプロクリスという夫婦の話である。

古代ローマの詩人が書き残した変身の物語に出てくる。

筋はおおむねこうである。

狩人ケファロスは、妻プロクリスを深く愛していた。

しかし女神に見初められ、妻の貞節を疑うようになる。

姿を変えて妻を試し、心を乱してしまう。

妻は森へ去り、やがて和解する。

その後、狩りの最中に、夫は誤って妻を投げ槍で射てしまう。

悲劇である。

九枚は、この筋のいくつかの場面を選んでいる。

木のそばで、何かを埋める人

二枚目を見たい。

宝石を隠すケファロス
ベルナルディーノ・ルイーニ《宝石を隠すケファロス》1520〜22年ごろ。フレスコ。縦221.6センチ、横150.2センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ベルナルディーノ・ルイーニ《宝石を隠すケファロス》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

画面の中央に、太い木が一本立つ。

その根元で、男が片膝をついている。

右手を上げ、何かを掲げている。

足元には、壺のようなものが置かれる。

背後の丘には、小さな人物が数人歩いている。

奥へ行くほど、人物は小さく、色は薄くなる。

遠くの木立は、青みがかった灰色である。

近くの草は、緑と黄が混じる。

遠近を、色の温度で示している。

近くは暖かく、遠くは冷たい。

この扱いは、当時の風景画の基本だった。

建物が主役になる一枚

三枚目は、人物が小さい。

ディアナの神殿のケファロスとパン
ベルナルディーノ・ルイーニ《ディアナの神殿のケファロスとパン》1520〜22年ごろ。フレスコ。縦226センチ、横103.5センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ベルナルディーノ・ルイーニ《ディアナの神殿のケファロスとパン》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

上半分に、大きな建物が描かれている。

柱が並び、切妻の屋根が載る。

扉は赤く、壁には橙と白の区画がある。

古代の神殿を、当時の感覚で描いたものである。

正面の壁に、文字が入っている。

その前に、二人の人物が立つ。

一人は裸に近い姿で、腕を広げている。

下半分は水辺で、石組みの溝が見える。

建物と水面が、上下に分かれている。

縦長の画面を、二段に使う構成である。

窓と窓の間の細い壁に描かれた、と考えると納得がいく。

建築の描き方

この建物の描き方を、もう少し見たい。

柱の間隔は等しく、屋根の傾きも左右で対称である。

奥行きは、側面の柱の並びで示される。

線は、消失点へ向かって収束している。

つまり、遠近法にもとづいて作図されている。

当時の北イタリアでは、この作図法が普及していた。

建築を正しく描けることは、画家の技量の証しだった。

壁画では、とくに効く。

実際の壁に、部屋の続きを描き足すことができるからである。

見る人は、壁の向こうに空間があるように感じる。

装飾でありながら、部屋を広げる仕掛けでもある。

色が褪せている、ということ

九枚とも、色が淡い。

もとから淡かったのか、褪せたのか。

その両方だと考えるのが妥当である。

フレスコは、そもそも彩度が高くない。

加えて、五百年の間に表面が擦れ、洗われている。

壁から剥がされて移されると、さらに調子が変わる。

いま見えている色は、当初の色そのものではない。

とくに青は失われやすい。

空が白く抜けているのも、そのためかもしれない。

断定はできないが、可能性として書いておく。

見えている色を、そのまま当時の色として語らない。

壁の絵が、館に来るまで

壁画は、動かせない絵である。

にもかかわらず、美術館には壁画が収蔵されている。

漆喰の層ごと剥がし、別の支持体に移す技術があるからである。

十八世紀から十九世紀にかけて、この技術は広く使われた。

建物が壊されるとき、絵だけを救う目的で行われた。

一方で、売るために剥がされた例もある。

剥がされた絵は、部屋を失う。

上下の続き、隣の場面、天井との関係。

そうした文脈が、まとめて失われる。

九枚が別々の額に入っているのは、その結果である。

失われたものを、頭の中で補いながら見ることになる。

部屋を想像してみる

九枚から、もとの部屋を想像してみたい。

縦二メートル以上の面が、複数ある。

つまり、天井の高い部屋である。

細長い面と、横に広い面が混在する。

窓や扉があった証拠になる。

物語の順に並べるなら、部屋を一周する形になる。

見る人は、壁沿いに歩きながら筋を追う。

そういう体験のために作られた絵である。

一枚ずつ額で見るのとは、まるで違う。

歩く速度が、絵の速度になる。

いまはその速度が、失われている。

狩りの場面

四枚目は、動きが激しい。

狩りで罰せられるケファロス
ベルナルディーノ・ルイーニ《狩りで罰せられるケファロス》1520〜22年ごろ。フレスコ。縦211.4センチ、横110.3センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ベルナルディーノ・ルイーニ《狩りで罰せられるケファロス》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

右手前に、男が立っている。

腕を大きく振り上げ、棒のようなものを握る。

左には、女性が二人立ち、その足元に人が横たわる。

横たわる人物は、裸に近い。

丘の上には、走る人影が小さく描かれる。

木立は縦に並び、画面を上下に区切る。

上げた腕の角度が、画面に斜めの線を作る。

その斜めが、静かな風景に緊張を与えている。

一人だけが激しく動き、あとは止まっている。

対比の作り方が、明快である。

断片としての一枚

五枚目は、他と様子が違う。

ケファロスの投げ槍に射られたプロクリス
ベルナルディーノ・ルイーニ《ケファロスの投げ槍に射られたプロクリス》1520〜22年ごろ。フレスコ。縦144.1センチ、横123.2センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ベルナルディーノ・ルイーニ《ケファロスの投げ槍に射られたプロクリス》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

縦が144センチと、九枚の中でいちばん低い。

横幅に対して、縦が短い。

画面の中央に、女性が一人立つ。

両腕を左右に広げ、こちらを見ている。

黄土色の衣が、体の線に沿って落ちる。

背後は丘と木立で、右手前に岩がある。

題にある投げ槍は、画面に見えない。

つまり、これは場面の一部が切り取られた状態だと考えられる。

上下、あるいは左右が失われている。

寸法が他と違うのは、その証拠になる。

館の題は、もとの場面にもとづいて付けられている。

顔の描き方

この一枚は、顔がよく見える。

九枚の中でも、人物が大きく描かれている。

輪郭はぼかされ、影がやわらかい。

目尻から頬へ、灰色の階調が続く。

鼻筋の左右で、明暗が入れ替わる。

この扱いが、レオナルドの影響と呼ばれる部分である。

線で区切らず、明暗の移りで形を作る。

ただし、ルイーニの顔は、より穏やかである。

謎めいた表情にはならない。

表情を薄くして、静けさを残す。

そこが、この画家の持ち味だと考えている。

森の中の男

六枚目は、縦長の画面である。

ケファロスとニンフたち
ベルナルディーノ・ルイーニ《ケファロスとニンフたち》1520〜22年ごろ。フレスコ。縦228センチ、横124.5センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ベルナルディーノ・ルイーニ《ケファロスとニンフたち》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

左に、赤紫の上衣の男が立つ。

右手を前に伸ばしている。

足には編み上げの履物をはく。

右手前の草の上に、人が横たわる。

奥の丘には城のような建物が見える。

木は画面の右上に大きく枝を広げる。

男の伸ばした手が、横たわる人へ向かう。

その方向が、絵を読む順序を決めている。

まず立つ人、次に手、そして倒れた人。

視線の順路が、はっきり作られている。

風景が主で、人物が従

九枚を通して、風景の面積が大きい。

人物は、画面の三分の一も占めないことが多い。

丘、木立、空、水辺。

これらが画面の大半である。

物語画としては、珍しい配分である。

ふつうは人物を大きく描き、場面を強調する。

ここでは逆になっている。

理由の一つは、装飾としての役割だろう。

部屋の壁に、緑の風景が広がる。

見る人は、庭に囲まれたように感じる。

物語は、その風景の中に点として置かれている。

木の描き方

木の描写に注目したい。

幹は細く、まっすぐ立つ。

枝は上のほうで急に広がる。

葉は、小さな点を集めて表す。

一枚ずつ描かれてはいない。

遠くの木は、輪郭がぼやけ、緑が灰に寄る。

近くの木は、幹の陰影まで描かれる。

この差の付け方が、奥行きを作っている。

フレスコは修正がきかない。

だから、遠近の順に描く手順が決まっていた。

奥から手前へ、薄い色から濃い色へ。

草花という細部

画面の下端に、小さな草花が描かれている。

九枚とも、ほぼ共通している。

三つ葉、細長い葉、赤い小花。

丁寧に、一株ずつ描き分けられている。

風景全体が大まかなのに、足元だけが細かい。

これには理由がある。

壁画の下端は、見る人の目に近い。

近くで見られる部分だから、細かく描く。

上のほうは、離れて見られる。

だから、粗くてよい。

見る距離に応じて、描き込みを変えている。

遠景の小さな人たち

九枚の遠景には、小さな人物が散らばる。

歩く人、走る人、腕を上げる人。

いずれも数センチの大きさである。

顔は描かれず、輪郭と色だけで示される。

こうした小さな人物には、二つの役割がある。

一つは、距離を示すこと。

人の大きさを知っているから、遠さが分かる。

もう一つは、物語の別の瞬間を示すことである。

同じ画面に、前の場面と後の場面が同居する。

中世から続く、時間の描き方である。

九枚の中でも、この手が使われている。

衣の色は、三色しかない

人物の衣の色を数えてみたい。

黄土、赤紫、白。

ほぼこの三色である。

緑の風景の中で、この三色はよく目立つ。

フレスコで使える顔料は、限られていた。

石灰に耐える顔料でなければ、変色してしまう。

土から作る黄と赤は、その条件に合う。

だから壁画には、土の色が多い。

技法の制約が、画面の色を決めている。

制約の中で、目立つ配置を考える。

九枚の人物が見つけやすいのは、その工夫の結果である。

一つの部屋に、九場面

物語を九つに割る、という判断について考えたい。

祈り、隠す、神殿、狩り、射る、ニンフ、絶望、災難、一角獣。

館の題を並べると、こうなる。

筋を追うには、多すぎるとも言える。

しかし、部屋を一周する装飾としては、ちょうどよい。

歩きながら、次々と場面が現れる。

一場面ずつ立ち止まる必要はない。

全体として、ひとつの物語の気配があればよい。

壁画の物語は、そういう読まれ方をする。

書物のように、一行ずつ追うものではない。

走る男と、木の上の人

七枚目は、動きの向きが明快である。

ケファロスの絶望
ベルナルディーノ・ルイーニ《ケファロスの絶望》1520〜22年ごろ。フレスコ。縦181.9センチ、横118.4センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ベルナルディーノ・ルイーニ《ケファロスの絶望》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

画面の下に、二人の男がいる。

左の男は前かがみで、腕を前へ出す。

右の男は、両手を広げてそれを受け止める形になる。

二人の脚が、大きく開いている。

走ってきて、急に止まった姿勢に見える。

画面の上、木の枝の高さに、小さな人物が立つ。

両腕を上げ、こちらを向いている。

木の上に人がいる、という不思議な配置である。

これも、別の瞬間を同じ画面に入れた例だろう。

大きな木が、画面の中央で二つの出来事を分けている。

犬が走る丘

八枚目には、動物が見える。

ケファロスの災難
ベルナルディーノ・ルイーニ《ケファロスの災難》1520〜22年ごろ。フレスコ。縦176.2センチ、横107.3センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ベルナルディーノ・ルイーニ《ケファロスの災難》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

手前に、男と女が向かい合う。

男は右手を上げ、女は左手を上げる。

話している、あるいは言い争っている姿である。

背後の丘には、動物が何頭も走っている。

犬のように見える。

丘の稜線に沿って、点々と散らばる。

物語では、猟犬が重要な役を担う。

女神から贈られた犬の話が伝わっている。

館の題は、この場面を災難と呼ぶ。

何が起きているかは、絵だけでは決めがたい。

伝えられる筋と、館の題を手がかりにするほかない。

一角獣のいる場面

九枚目は、静かである。

プロクリスと一角獣
ベルナルディーノ・ルイーニ《プロクリスと一角獣》1520〜22年ごろ。フレスコ。縦228.6センチ、横108センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ベルナルディーノ・ルイーニ《プロクリスと一角獣》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

左に、赤茶の衣の女性が立つ。

右手を前へ差し出している。

右には、白い獣が首を下げている。

角が一本、前へ突き出している。

一角獣である。

足元には、赤い小花の咲く草が広がる。

背景は低い丘と、細い木。

一角獣は、伝説上の獣である。

清らかな人にだけ近づく、という言い伝えがある。

この場面は、物語の筋には直接出てこない。

装飾として、あるいは寓意として加えられたと考えられる。

物語と、飾りの境目

九枚のうち、いくつかは筋に対応する。

しかし、対応が曖昧なものもある。

一角獣の場面が、その代表である。

壁画の連作では、これはよくあることだ。

筋を厳密に追うより、雰囲気をそろえるほうが優先される。

部屋の装飾だからである。

見る人は、細かい対応を確かめない。

美しい風景と、物語らしい場面があればよい。

そのぶん、後世の解釈は難しくなる。

館の題も、研究の積み重ねの上に付けられている。

題は、確定した事実ではなく、有力な読みだと考えたい。

貞節という主題

この物語が選ばれた理由も考えたい。

ケファロスとプロクリスの話は、夫婦の信頼をめぐる話である。

疑い、試し、悲劇に至る。

つまり、教訓として読める。

婚礼の調度や、新居の装飾に使われる主題には、この型が多い。

新しい家庭に向けた、戒めと祝いを兼ねる。

一角獣が加わるのも、その線で理解できる。

清らかさの徴として使われる獣だからである。

ただし、この読みも推測である。

注文の記録が残っていない以上、確定はできない。

一日分の区画を探す

フレスコには、一日分の区画がある。

漆喰を塗った範囲を、その日のうちに描き上げる。

翌日は、隣に新しい漆喰を塗る。

継ぎ目は、うっすらと線になって残ることがある。

九枚の画像を拡大すると、そうした線が見える箇所がある。

人物の輪郭に沿って、継ぎ目が走ることが多い。

顔だけを先に仕上げ、翌日に背景を続ける。

そういう手順が読み取れる。

制作の跡が、絵の表面に残っている。

油絵では、ここまではっきりとは残らない。

画面の下端をそろえる

九枚を並べるとき、下端に注目したい。

どの絵も、手前の地面が画面の下いっぱいまで来る。

そして、そこに草花が描かれる。

つまり、絵の下端が床に近い高さだったことになる。

見る人の足元から、絵の地面が続いていく。

壁画では、この処理がよく使われる。

部屋の床と、絵の中の地面をつなげるのである。

つながって見えると、空間が広がる。

九枚が別々になった今でも、下端の作りは共通している。

もとの部屋での高さが、ここから推測できる。

五百年後の状態

九枚の表面には、傷みがある。

擦れて色が薄くなった部分。

漆喰が欠けた部分。

移送の際に生じたと思われる亀裂。

これらは、隠されていない。

修復で埋めた箇所も、注意して見れば分かる。

現代の修復は、埋めた部分を分かるようにする方針が主流である。

遠目には自然に見え、近くで見れば区別がつく。

作品の履歴を消さない、という考え方である。

九枚を見るときは、傷みも含めて見たい。

傷みは、この絵が壁だった時間の証拠である。

額に入った壁

最後に、いまの姿について書いておく。

九枚は、額に入って美術館に掛かっている。

もとの壁からは切り離されている。

上下左右の続きも失われている。

それでも、九枚が同じ館にまとまって残った。

散逸していれば、物語の連なりは読めなかった。

まとまって残ったこと自体が、幸運である。

当サイトでは、九枚をひと続きの画像として並べられる。

もとの部屋の順序は分からない。

しかし、九枚を横に並べて見比べることはできる。

壁の前を歩く代わりに、画面を送っていく。

九枚を、順に見る

見方をひとつ提案したい。

九枚の空を、順に見比べてほしい。

どれも白く、雲が薄い。

高さも、ほぼ同じ位置にある。

つまり、九枚の地平線がそろっている。

これは、壁に並べたときに景色が続くための工夫である。

一枚ずつ切り離された今も、その設計は残っている。

九枚を横に並べると、丘が続いて見える。

物語を追う前に、まず風景として見てほしい。

壁一面の緑の中に、人が点として置かれている。

それが、この連作のもとの姿だったはずである。

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