名画の楽しみ方

原型の年と、彫った年——十九世紀アメリカの彫刻

年の欄が二つに分かれ、後半に彫られた年、あるいは鋳造された年と添えられる。差は一年から四十二年まで開く。作者の死後に鋳た例もある。一体に何人が関わったかを読みたい。番号の枝が、五つある一点も含まれる。

合唱を率いる若きソポクレス
ジョン・タルボット・ドナヒュー《合唱を率いる若きソポクレス》メトロポリタン美術館蔵

年の欄が、二つに割れる

彫刻を九点、記録の欄で並べてみる。

年の欄が、二つに分かれている件が八つある。

前半が一つの年、後半がもう一つの年。

そのあいだに、区切りの記号が入る。

後半には、こういう語が添えられる。

彫られたのは、この年。

あるいは、鋳られたのは、この年。

つまり、前半は原型の年である。

彫刻家は、まず粘土や石膏で形を作る。

そこから、大理石を彫るか、青銅を鋳る。

その二つの作業のあいだに、時間が空く。

差が、一年から四十二年まで

八点の二つの年の差を並べてみる。

一年。一年。二年。七年。

九年。十二年。そして四十二年。

いちばん短い一年は、注文が決まっていた場合だろう。

原型を作り、すぐ彫る。

いちばん長い四十二年は、事情が違う。

作者は、その途中で世を去っている。

つまり、死後に鋳造された。

原型が残っていれば、いつでも作れる。

前の回の記事で、版が残れば後から摺れる話を書いた。

彫刻でも、同じことが起きる。

原型が残るかぎり、複製は作り続けられる。

合唱を率いる若きソポクレス
ジョン・タルボット・ドナヒュー《合唱を率いる若きソポクレス》1885年に原型、1927年に鋳造。館の記録では、青銅。縦234.3センチ、横134.6センチ、奥行き82.6センチ。番号は27.65。メトロポリタン美術館蔵。ジョン・タルボット・ドナヒュー《合唱を率いる若きソポクレス》メトロポリタン美術館蔵

白黒の写真で写される。

九点でいちばん大きい一点である。

高さは二メートルを超える。

若い男が、裸で立つ。

体をやや右へひねる。

左脚を前に出し、右脚で支える。

右腕を高く上げ、指を開く。

左腕は横へ伸ばす。

その腕に、竪琴を抱える。

竪琴は、二本の角のような形をしている。

髪は短く巻き、顔は上を向く。

台座は低く、四角い。

死後の鋳造という問題

いま見た一点は、作者の死後に鋳られている。

作者が、鋳造の仕上がりを見ていない。

つまり、最終的な形を決めたのは別の人である。

館の記録は、鋳造した人の名を書かない。

作者の欄には、原型を作った人の名だけがある。

前の回の記事で、修復した人が作者の欄に入る例を見た。

あちらは、名が書かれていた。

こちらは、書かれていない。

同じ館でも、扱いが違う。

そして、この差は大きい。

青銅の質感も、表面の処理も、鋳造の工程で決まる。

その工程を担った人の名が、記録にない。

大理石は彫り、青銅は鋳る

九点の技法の欄を並べてみる。

大理石が四点、青銅が四点、石灰岩が一点。

そして、年の欄の後半の語が対応している。

大理石と石灰岩には、彫られた、とある。

青銅には、鋳られた、とある。

材料が違えば、作る動作が違う。

石は削り、金属は流し込む。

館は、その差を語で書き分けている。

一語の違いだが、工程がまるで違う。

前の回の記事で、技法の欄が作り方を示す例を何度も見た。

年の欄でも、同じことが起きている。

チャールズ・ローリング・エリオットの浮彫
チャールズ・キャルヴァリー《チャールズ・ローリング・エリオットの浮彫》1867年に原型、1868年に彫刻。館の記録では、大理石。縦35.6センチ、横30.5センチ。番号は04.38.1。メトロポリタン美術館蔵。チャールズ・カルヴァリー《チャールズ・ローリング・エリオットの浮彫》メトロポリタン美術館蔵

四角い大理石の板である。

その面に、男性の横顔が浮き彫りされる。

顔は右を向く。

額は広く、頭頂の髪が薄い。

側頭の髪は、後ろへ流れる。

顎から胸へ、長い髭が垂れる。

髭は幾筋にも分かれ、うねる。

首もとに、襟の折り返しが見える。

肩から下は、なだらかに切れる。

背景は平らで、何もない。

彫りは浅く、影で形が読める。

右下に、小さな署名が刻まれる。

彫刻家本人が、寄贈している

いま見た一点の出所の行には、こうある。

彫刻家からの寄贈、ある人を通じて。

つまり、作った本人が館に贈っている。

そして、九点のうち二点が同じ経路である。

番号も連番だ。

作られたのは1867年と1869年。

寄贈は1904年である。

三十五年後に、自分の作品を館に贈った。

前の回の記事で、作った本人が寄贈する例を見た。

家具の会社の経営者と、硝子の収集家である。

彫刻家でも、同じことが起きている。

自作を館に残したいという意思だろう。

館の記録は、その意思を書かない。

リトル・アイダ
チャールズ・キャルヴァリー《リトル・アイダ》1869年に原型、1881年に彫刻。館の記録では、大理石。縦43.2センチ、横33センチ。番号は04.38.2。メトロポリタン美術館蔵。チャールズ・カルヴァリー《リトル・アイダ》メトロポリタン美術館蔵

四角い大理石の板である。

その面に、少女の横顔が浮き彫りされる。

顔は右を向く。

頭に、大きな布を巻く。

布は上でふくらみ、後ろへ広がる。

布の縁に、小さな花が付く。

耳に、丸い飾りが下がる。

首に、玉を連ねた飾りが二重に回る。

肩から下は、なだらかに切れる。

彫りは浅く、輪郭が柔らかい。

左下に、小さな署名が刻まれる。

前の一点と、同じ形式の浮彫である。

同じ形式が、二度作られる

いま見た二点は、同じ人が作った浮彫である。

大きさは違うが、作りは同じだ。

四角い板に、横顔を彫る。

背景は平らに残す。

左下か右下に署名を入れる。

つまり、決まった形式がある。

肖像の浮彫は、注文で作られる。

同じ形式で作れば、値段も決めやすい。

前の回の記事で、規格と反復について何度も書いてきた。

彫刻でも、同じことが起きている。

そして、二点の原型の年は二年しか離れていない。

彫られた年は、十三年離れている。

つまり、原型を作ってから注文を待った可能性がある。

番号の枝が、五つある一点

九点のうち一点は、番号の末尾に小文字が並ぶ。

aからeまで、五つである。

つまり、五つの部品からなる。

彫刻は、一つの石から彫り出すことが多い。

しかし、台座や付属の部分が別にあれば、分けて数える。

館は、その部品ごとに枝番を与えている。

前の回の記事で、甲冑や三所物の枝番について何度も書いた。

分けられるものは、分けて数える。

彫刻でも、同じ原則が働いている。

そして、写真には一体しか写らない。

五つのうち、どれが写っているかは分からない。

瀕死のメキシコの娘
トマス・クロフォード《瀕死のメキシコの娘》1846年までに原型、1848年に彫刻。館の記録では、大理石。縦51.4センチ、横138.4センチ、奥行き49.5センチ。番号は97.13.2。メトロポリタン美術館蔵。トーマス・クロフォード《瀕死のメキシコの娘》メトロポリタン美術館蔵

横長の大理石である。

若い女性が、横たわる。

上体をやや起こし、右腕を頭の後ろへ回す。

顔は上を向き、目を閉じる。

髪は長く、後ろへ広がる。

頭に、細い羽根の飾りを付ける。

胸に、左手を当てる。

腰から下に、布が掛かる。

布の襞が、細かく刻まれる。

足は伸ばされ、爪先が見える。

下の台は、平らな石である。

前半の年に、までにとある

いま見た一点の年の欄の前半は、こう書かれている。

1846年までに。

つまり、その年より前に原型ができていた。

いつできたかは分からない。

分かるのは、上限だけである。

前の回の記事で、下限だけを書く年の欄を見た。

こちらは、上限だけを書いている。

なぜ、上限が分かるのか。

その年の展覧会か、記録に載ったのだろう。

館は、根拠を書かない。

書かれるのは、までに、という一語だけである。

一語で、留保の方向が示されている。

森の中の子どもたち
トマス・クロフォード《森の中の子どもたち》1850年ごろに原型、1851年に彫刻。館の記録では、大理石。縦43.2センチ、横124.5センチ、奥行き85.1センチ。番号は94.9.4。メトロポリタン美術館蔵。トーマス・クロフォード《森の中の子どもたち》メトロポリタン美術館蔵

横長の大理石である。

二人の子どもが、寄り添って横たわる。

奥の一人は仰向けで、顔を上へ向ける。

手前の一人は、その胸に頭をあずける。

どちらも目を閉じる。

衣は薄く、体の線が透ける。

衣の襞が、細かく彫られる。

足もとに、落ち葉らしい形が散る。

台の正面に、文字が刻まれる。

台は、褐色の石で作られる。

大理石と台で、色が分かれる。

台の石が、別の材料である

いま見た一点では、白い大理石が褐色の台に載る。

しかし、技法の欄には大理石とだけある。

台の材料は書かれていない。

台が作品の一部かどうか、判断が分かれるのだろう。

前の回の記事で、額や箱の扱いについて何度も書いてきた。

支えの部分をどこまで数えるか。

彫刻でも、同じ問題がある。

寸法の欄の数字も、台を含んでいるのか分からない。

高さ43.2センチは、大理石だけの高さに見える。

しかし、書かれていない。

書かれていないことは、判断できない。

年が一つしかない一点

九点のうち一点だけ、年の欄が一つである。

1853年、とだけある。

彫られた年も、鋳られた年も書かれていない。

なぜ、この一点だけ違うのか。

原型と鋳造が同じ年だったのかもしれない。

あるいは、分からないのかもしれない。

館は、書かない。

八点で二つの年を書いているのだから、一点だけ書かないのは目立つ。

前の回の記事で、揃わない記録について何度も書いてきた。

揃っていないことに気づくには、並べるしかない。

ダニエル・ウェブスター
トマス・ボール《ダニエル・ウェブスター》1853年。館の記録では、青銅。縦75.6センチ、横35.6センチ、奥行き27.9センチ。番号は69.219.2。メトロポリタン美術館蔵。トマス・ボール《ダニエル・ウェブスター》メトロポリタン美術館蔵

白黒の写真で写される。

男性が、立ち姿で表される。

体は正面を向き、顔もこちらを向く。

髪は後ろへ撫でつけられる。

眉が濃く、目が窪む。

上着の前を開き、右手を胸に差し入れる。

左手は、下へ垂らす。

その手の先に、丸いものを持つ。

左足のわきに、布を掛けた台がある。

台の上に、本らしいものが積まれる。

台座は低く、四角い。

高さは七十五センチほど。

小さな彫刻が、一点ある

九点の大きさを並べてみる。

いちばん大きいのが、縦234.3センチ。

いちばん小さいのが、縦8.3センチ。

二十八倍の差がある。

小さい一点は、手のひらに載る。

そして、それも青銅で鋳られている。

年の欄には、1853年、その後に鋳造とある。

つまり、いつ鋳たか分からない。

原型の年だけが分かっている。

前の回の記事で、上限だけ、下限だけを書く年の欄を見た。

こちらは、下限だけである。

その後、という一語で示されている。

握り合う二つの手
ハリエット・グッドヒュー・ホズマー《握り合う二つの手》1853年に原型、その後に鋳造。館の記録では、青銅。縦8.3センチ、横21センチ、奥行き10.8センチ。番号は1986.52。メトロポリタン美術館蔵。ハリエット・ホズマー《握り合う二つの手》メトロポリタン美術館蔵

小さな青銅である。

二つの手が、握り合っている。

上の手は大きく、指が太い。

袖口が、手首を覆う。

下の手は小さく、指が細い。

こちらの袖口には、細かい襞がある。

二つの手は、指を絡めずに重なる。

上の手が、下の手を包む。

金属の表面は、褐色に光る。

指の関節の皺まで、細かく作られる。

台座はなく、手だけが置かれる。

九点でいちばん小さい一点である。

部分だけを、彫刻にする

いま見た一点は、手だけを表している。

顔も、体もない。

前の回の記事で、部分が単独で一件になる例を何度も見た。

甲冑の補強板、肖像の断片。

いずれも、全体から切り離されたものだった。

こちらは、最初から部分として作られている。

二人の手を型に取り、鋳たのだろう。

つまり、記念のための品である。

館の記録は、その事情を書かない。

題に二人の名があるだけだ。

名を知らなければ、ただの手になる。

敷居にて
イーディス・ウッドマン・バロウズ《敷居にて》1912年に原型、1919年から1920年に彫刻。館の記録では、着色した石灰岩。縦158.8センチ、横36.8センチ、奥行き40.6センチ。番号は20.76。メトロポリタン美術館蔵。イーディス・ウッドマン・バロウズ《敷居にて》メトロポリタン美術館蔵

白黒の写真で写される。

若い女性が、裸で立つ。

体は正面を向き、顔はやや右を向く。

右手を胸の前に上げる。

左腕は、体に沿って下ろす。

髪は短く、後ろでまとめられる。

腰から下に、布が背後へ流れる。

布は脚の後ろに回り、台まで届く。

脚はまっすぐで、爪先が前を向く。

台は薄く、四角い。

石の面は、なめらかに磨かれる。

技法の欄には、着色した石灰岩とある。

石に色を付ける

いま見た一点の技法の欄には、着色した、とある。

つまり、石の上に色が置かれている。

白い石を、白いまま使うとは限らない。

古代の彫刻にも、彩色されたものがあった。

館の記録は、どの色かを書かない。

そして、写真は白黒である。

だから、色はまったく分からない。

技法の欄が着色を告げ、画像がそれを見せない。

前の回の記事で、同じ食い違いを何度も見てきた。

記録と画像は、いつも補い合うわけではない。

補い合えないことも、しばしばある。

アブラハム・デ・ペイスター大佐
ジョージ・エドウィン・ビッセル《アブラハム・デ・ペイスター大佐》1893年に原型、1902年までに鋳造。館の記録では、青銅。縦69.9センチ、横34.3センチ、奥行き42.5センチ。番号は06.983。メトロポリタン美術館蔵。ジョージ・エドウィン・ビッセル《アブラハム・デ・ペイスター大佐》メトロポリタン美術館蔵

白黒の写真で写される。

男性が、椅子に座る。

体はやや右を向き、顔もそちらを向く。

長い巻き毛の鬘をかぶる。

鬘は肩まで垂れる。

外套を羽織り、前を開く。

その下に、上着と胴着が見える。

右手を、杖の上に置く。

左手は、膝の上に置かれる。

脚は前へ投げ出される。

台座は不規則な形で、岩のように見える。

鋳造の年に、までにとある

いま見た一点の年の欄の後半は、こう書かれている。

1902年までに鋳造。

つまり、その年より前に鋳られている。

いつかは分からない。

なぜ上限が分かるのか。

館に入ったのが1906年である。

その前に、展示か記録があったのだろう。

前の回の記事で、上限と下限の書き方を何度か見てきた。

年の欄には、四つの書き方がある。

一年に定める。幅で挟む。上限だけ。下限だけ。

九点の中に、その四つがすべて現れる。

出所の行が、七つに分かれる

九点の出所の行を並べると、七つになる。

彫刻家からの寄贈が二点。

遺贈が二点。

基金による購入が三点。

そして、交換による購入と、寄贈を原資とした購入が一点ずつ。

受入の年は、1894年から1986年まで。

九十年以上の幅がある。

彫刻は、大きく、重い。

置き場所も、運ぶ手間もかかる。

だから、一点ずつ入ることが多い。

前の回の記事で、大きな屏風について同じことを書いた。

大きな品は、群にならない。

そして、九点のうち二点だけが同じ経路である。

彫刻家本人からの、二点である。

白黒の画像が、五点ある

九点のうち五点は、公開画像が白黒である。

受入の年を見ると、1894年から1927年に集中する。

一方、彩色の四点は、1894年、1896年、1920年、1986年。

つまり、受入の年と画像の色は対応していない。

撮り直されたかどうかの差である。

彫刻では、色の情報が絵画ほど重要でない。

大理石は白く、青銅は褐色である。

だから、白黒でも大きくは困らない。

ただし、着色した石灰岩の一点だけは別だ。

色が作品の一部なのに、写真では分からない。

前の回の記事で、同じ問題を何度も見てきた。

一つの原型から、何体できるか

青銅の彫刻は、同じ原型から複数作れる。

型を取り、金属を流し込む。

何体作ったかは、記録に書かれない。

館の記録には、番号を示す欄がない。

前の回の記事で、硝子の型番について書いた。

彫刻では、鋳造の番号を刻む習慣が後の時代に生まれる。

九点の年代では、まだ一般的でなかっただろう。

だから、同じ像が他館にもあるかもしれない。

そして、それを知る手だては記録の中にない。

館は、自分の持つ一体だけを記録する。

複製の総数は、記録の外にある。

浮彫と、丸彫り

九点を、形式で分けてみる。

浮彫が二点、丸彫りが七点。

浮彫は、板の面から形を浮き上がらせる。

丸彫りは、四方から見られる。

館の記録は、その区別を書かない。

寸法の欄を見れば、分かる。

浮彫の二点には、奥行きの数字がない。

縦と横だけである。

丸彫りの七点には、三つの数字がある。

つまり、数字の個数が形式を示している。

前の回の記事で、寸法の書き方が形を示す例を何度も見た。

書き方そのものが、情報を運んでいる。

原型は、残らない

九点の原型は、いずれも館にない。

粘土は乾けば割れ、石膏は割れやすい。

そして、大理石や青銅ができれば、役目が終わる。

だから、捨てられることが多い。

年の欄の前半は、その失われた原型の年である。

つまり、記録は残っていないものの年を書いている。

前の回の記事で、版が残らず紙だけが残る話を書いた。

彫刻でも、同じことが起きる。

作るための道具は残らず、作られたものだけが残る。

そして、記録だけが道具の存在を伝えている。

一体に、何人が関わったか

九点の作者の欄には、九つの名がある。

いずれも、原型を作った人である。

しかし、彫刻は一人では完成しない。

大理石を彫るには、点取りをする職人がいる。

原型に印を打ち、石に写す作業だ。

そして、粗く削る人と、仕上げる人がいる。

青銅なら、型を取る人、鋳る人、磨く人がいる。

その名は、どこにもない。

年の欄の後半は、その人たちの仕事の年である。

彫られた年、鋳られた年。

仕事の年は書かれ、仕事をした人の名は書かれない。

前の回の記事で、何度も同じことを書いてきた。

彫刻では、そのずれがとくにはっきりしている。

最後に、九点の主題をまとめておく。

肖像が四点、寓意や物語が三点、部分が一点、そして人物像が一点。

肖像の四点は、いずれも実在の人物である。

三点は男性、一点は少女。

彫刻の注文は、肖像から始まることが多い。

顔を残したいという求めが、まずある。

そして、物語や寓意の像は、飾るために作られる。

用途が違えば、大きさも違う。

肖像は小さく、物語の像は大きい。

九点の寸法が、その差を示している。

記録が原型の年を書くのは、それが作品の始まりだからだ。

彫られた年は、作品ができた年である。

どちらか一方では、履歴が半分しか残らない。

二つ書くから、あいだの時間が見えてくる。

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