画家を知る

静けさを捨てて、肖像へ——ニコラース・マースの二つの経歴

レンブラントに学び、台所の静けさを描いた画家は、ある時期から一転して華やかな肖像画家になった。この転向は堕落か、それとも適応か。オランダ黄金時代の絵画市場の現実を、同じ画家の七点に走る大きな落差から読み解く。

本を前にまどろむ老女
ニコラース・マース《本を前にまどろむ老女》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

眠る人の前に、開かれた書物が

一枚の絵から始めたい。

本を前にまどろむ老女
ニコラース・マース《本を前にまどろむ老女》1655年ごろ。油彩・画布。縦82.2センチ、横67センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ニコラース・マース《本を前にまどろむ老女》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

薄暗い部屋に、老女がひとり座っている。

赤い布を掛けたテーブルの上に、大きな書物が開かれている。堂々とした判型からみて、聖書だろう。

老女は頬杖をついたまま、眠っている。読みかけのページの上に、片方の手がまだ置かれている。

肘で体の重みを支える、不安定な姿勢である。この格好のまま、長くは眠れまい。

目を覚ますまでの、短い眠り。それを承知で見るから、静けさがいっそう貴重に感じられる。

白い頭巾と襟だけが、闇の中で明るい。顔は手のひらに沈み、目は閉じられている。

明るいのは顔と手と書物のまわりだけで、部屋の隅は闇に溶けている。

見る者の目は、書物から顔へ、そして背後の壁へと、ゆっくり導かれていく。

眠りに落ちる直前まで、文字を追っていたはずだ。読書と居眠りの、ちょうど境目。

その一瞬の静けさを、画家は大きな画面に定着させた。

テーブル掛けの赤は、暗い画面の中でほとんど唯一の強い色である。

冷えた部屋の空気の中で、この赤だけが眠りを下から温めているように見える。

聖書を毎日読むことは、この人の長年の習慣だったのだろう。

疲れた体が、習慣の途中で眠りに負けた。それだけのことが、一枚の絵になっている。

当時のオランダ絵画では、居眠りは怠惰への戒めとして描かれることも多かった。

だがこの絵の空気は、説教よりも、いたわりに近いように思われる。

眠る人を笑うのではなく、眠る人の傍らに静かに立つ。そういう距離の取り方である。

縦82.2センチ。人の暮らしの何気ない一場面としては、ずいぶん立派な寸法である。

壁に、鍵束が掛かっている

細部を見たい。老女の背後の壁に、鍵束が掛かっている。

家の戸締まりや蔵の管理を担う者のしるしだろう。眠っていても、この人には守るべき家がある。

この家の日々が誰の手で回っているか。鍵束は、ひとことも使わずにそれを語っている。

居眠りをとがめる絵ではない。長い勤めの合間の、束の間の休息として描かれている。

所蔵館の記録によれば、署名はこの鍵束の上に記されている。「N. MAES」。

家を預かる者のしるしのすぐ上に、自分の名を置く。画家の小さな機知と読むこともできるだろう。

ニコラース・マース。1634年、オランダのドルトレヒトに生まれた画家である。

この絵は1655年ごろの作。画家はまだ二十歳をすこし過ぎたばかりだった。

なお所蔵館の来歴記録によれば、この絵は19世紀初めのパリで競売に掛けられている。

オランダの一室の眠りが、百五十年ほどのちのパリで値を付けられていたことになる。

若い手が、老いた人の眠りをここまで深く描いた。その若さは、どこで鍛えられたのか。

この画家は、レンブラントの教室から来た

マースは十代の終わりごろ、故郷ドルトレヒトを離れてアムステルダムに出た。

当時のアムステルダムは、交易で栄える大都市であり、絵画の一大市場でもあった。

マースは1640年代の末から50年ごろにかけて、レンブラントの工房で学んだと伝えられる。

その修業の跡を、はっきり示す一枚がある。

ハガルとイシュマエルを去らせるアブラハム
ニコラース・マース《ハガルとイシュマエルを去らせるアブラハム》1653年。油彩・画布。縦87.6センチ、横69.9センチ。メトロポリタン美術館蔵。ニコラース・マース《ハガルとイシュマエルを去らせるアブラハム》メトロポリタン美術館蔵

旧約聖書の一場面である。

アブラハムが、女奴隷ハガルとその息子イシュマエルを、家から去らせようとしている。

赤い衣のアブラハムが戸口の前に立つ。ハガルは顔を覆って泣いている。

小さな息子は旅支度を整え、傍らには犬が寄り添う。屋外の光の下、別れの朝の重い空気が満ちる。

犬だけが、いつもの朝と変わらない様子で付き従っているように見える。

送り出す者も、送り出される者も、つらい。その感情のもつれを、画面は正面から受け止めている。

深い影と、そこから浮かび上がる赤い衣。人物の心の動きを、光の演出で語る組み立て。

いずれも師レンブラントの流儀である。1653年、二十歳前後の作。

工房の弟子は、師の主題と手法をなぞりながら腕を磨くのが通例だったと考えられる。

この聖書画は、その修業の成果をそのまま形にしたような一枚である。

聖書の物語を、感情の劇として描く。若いマースは、師の道をまっすぐ歩いているように見える。

その師の晩年はレンブラント晩年の顔で書いた。

問い——なぜ、経歴が二つあるのか

ここで問いを立てたい。

マースの画業をたどると、まるで別人のような二つの時代が現れる。

1650年代。ドルトレヒトに戻ったマースは、静かな家庭の情景を描き続けた。

台所で働く女中。レースを編む母親。そして、書物の前でまどろむ老女。

影の深い小さな部屋で、名もない人々が日々の仕事をしている。そういう絵である。

ところが1660年代の後半から、作風が一変する。

華やかなフランス風の装いをまとった、上流市民の肖像。流れる髪、光る布、優雅な身ぶり。

影の中の家庭画から、輝く肖像画へ。同じ画家の仕事とは思えないほどの転回である。

二つの時代は、主題だけでなく、光の質も、画面の性格もまるで違う。

しかも転回のあと、マースが以前の作風に戻ることはなかった。

若い日の作風を、なぜ捨てたのか。捨てたことは、この画家の弱さなのか。

今回並べる七点は、1653年から1676年までの二十三年間に収まる。

所蔵はメトロポリタン美術館と、ワシントンのナショナル・ギャラリーである。

この七点の画像を年代の順に並べて、考えてみたい。

りんごの皮が、途切れずに垂れて

まず、最初の経歴から見ていく。

りんごの皮をむく若い女
ニコラース・マース《りんごの皮をむく若い女》1655年ごろ。油彩・板。縦54.6センチ、横45.7センチ。メトロポリタン美術館蔵。ニコラース・マース《りんごの皮をむく若い女》メトロポリタン美術館蔵

赤い胴着に白い前掛けの若い女が、うつむいて、りんごの皮をむいている。

むきかけの皮が、手から細く垂れ下がる。途切れさせないように、ゆっくりと刃を回しているのだろう。

テーブルには東洋風の織物が掛けられ、りんごを盛った籠が載る。足元には桶が置かれている。

東洋風の織物は、当時のオランダの豊かさのしるしでもある。

海の交易で運ばれてきた品が、台所のテーブルにまで届いていた。

窓から光が差し込み、女の額と手元を静かに照らす。

うつむいた顔に、りんごを見つめる目のほかは何もない。口は閉じられ、体は動きを止めている。

赤い胴着は、まどろむ老女の絵のテーブル掛けと同じように、画面の芯になる色である。

劇的な事件は、何も起きていない。台所の、ありふれた午後の数分である。

それでも目が離せないのは、女の集中が画面全体を張りつめさせているからだ。

籠のりんごは、これから順にむかれていくのだろう。絵は、仕事の途中のひとこまを選んでいる。

皮を落とさずにむき切れるかどうか。それだけのことが、見る側のささやかな緊張になる。

皮が切れるまで、この静けさは続く。見る側も、思わず息をひそめることになる。

窓の光が、日々の仕事を照らす

聖書の英雄ではなく、名もない家の仕事。マースはそこに、描くに値するものを見いだした。

光の扱いは、明らかに師譲りである。

だが照らされるのは預言者の顔ではなく、りんごの皮と白い前掛けだ。

工房で身につけた劇の技術を、日常の側へ持ち出す。1650年代のマースの新しさは、そこにあった。

この時期のマースの家庭画には、女性の仕事を主題にしたものが目立つ。

台所仕事、編み物、子守、そして読書。家の中の営みが、敬意をこめて描かれている。

こうした市民の日常を描く絵は、のちに風俗画と呼ばれるようになる。

画面は縦54.6センチ。市民の家の壁に掛けるのに、ちょうどよい大きさである。

家庭画は、ふつうの家の居間を飾るための絵だった。主題も寸法も、暮らしの側にある。

台所を描いた絵が、台所のある家に掛かる。絵と暮らしの距離が、これほど近い時代は珍しい。

レース枕の上で、手が止まらない

もう一枚、家庭画の時代の代表を見たい。

レース編みの女
ニコラース・マース《レース編みの女》1656年ごろ。油彩・画布。縦45.1センチ、横52.7センチ。メトロポリタン美術館蔵。ニコラース・マース《レース編みの女》メトロポリタン美術館蔵

こちらは母親の絵である。

女はレース枕を手元に据え、編み物に没頭している。視線は針先から動かない。

レース編みは、当時のオランダ絵画で、女性の勤勉のしるしとしてよく描かれた主題である。

傍らの高い椅子には、幼児が座らされている。母の仕事が一段落するのを、待つほかない。

母のまなざしは子ではなく針先にある。それでも部屋全体は、子を中心に回っているように見える。

床には脱げた靴と器が転がる。直前までの小さな騒ぎを、想像させる散らかりである。

赤いテーブル掛けが、ここでも画面に一点の熱を加えている。

子守と手仕事が、同じ部屋で同時に進んでいく。家庭という場の実際が、そのまま絵になっている。

この絵は縦45.1センチ、横52.7センチ。今回の七点では珍しく、横に広い画面である。

母と子と散らかった床を、ひとつの部屋として横につなぐための選択だろう。

音はほとんど聞こえない。聞こえるとすれば、糸の擦れる音くらいだろう。

同じ主題を、同時代の画家たちも

こうした家庭の情景は、マースひとりの主題ではなかった。

同じ1650年代、デルフトのフェルメールも、室内で手仕事をする女たちを描いた。

ピーテル・デ・ホーホも、中庭や台所の母子を繰り返し描いている。

オランダの都市に暮らす市民の家庭生活が、絵の主題として買い手を持った時代である。

窓辺の光、手仕事への集中、物の静かな配置。三人の画面には、通い合うものが多い。

マースの家庭画は、その流れの早い位置にある。誰が誰に影響したかを、断定はできない。

同じ時代の空気の中で、並行して似た主題が育った。そう述べるにとどめたい。

ただ、複数の画家が同時に同じ主題へ向かったこと自体が、市場の存在を物語っている。

絵が日々の商品として売り買いされたからこそ、主題にも流行が生まれた。

絵は、注文と購買で動く。この当たり前の事実が、のちのマースの転回を解く鍵になる。

黒い服の婦人が、扇を手にして

転回の兆しを見せる一枚がある。

婦人の肖像
ニコラース・マース《婦人の肖像》1665〜70年ごろ。油彩・画布。縦111.8センチ、横89.5センチ。メトロポリタン美術館蔵。ニコラース・マース《婦人の肖像》メトロポリタン美術館蔵

黒い服の年配の婦人が、ゆったりと腰を下ろしている。手には扇。

黒い服は、当時のオランダ市民の格式ある装いである。

背後には重いカーテンが引かれ、その脇から風景がのぞいている。

カーテンと風景の覗きは、格式ある肖像画で好まれた舞台装置だった。

台所でも居間の片隅でもない。これは、注文主のためにしつらえられた肖像である。

家庭画の買い手は不特定の市民だが、肖像画は注文主がはっきりしている。

描く前から、絵の行き先が決まっている。画家にとって、これは大きな違いである。

縦111.8センチ。家庭画の倍ほどもある画面が、用途の違いをはっきり示している。

ただし、のちの華やかさと比べれば、この婦人の装いはまだ控えめである。

黒い服の沈んだ調子には、家庭画の時代の静けさが、まだ残っているようにも見える。

1665年から70年ごろの作と考えられている。二つの経歴をつなぐ、橋のような一枚である。

静かな家庭画の時代は、このころすでに終わりへ向かっていた。

真紅のビロードが、画面を占める

転回のあとの姿を見よう。

貴婦人の肖像
ニコラース・マース《貴婦人の肖像》1676年。油彩・画布。縦116センチ、横91センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ニコラース・マース《貴婦人の肖像》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

縦116センチ。今回の七点で、もっとも大きな画面である。

真紅のビロードのドレスが、画面の中央で豊かに光る。

白い袖が大きくふくらみ、長い髪がほどかれて肩に流れ落ちる。

背後には金色の垂れ布が掲げられ、その向こうに夕方の空と風景が開けている。

こうした装いは、フランス宮廷風の流行を映したものと考えられる。

現実の外出着というより、肖像のために選ばれた優雅な衣装だろう。

髪をほどいて流すのも、当時の肖像で好まれた理想化の演出と考えられる。

垂れ布の金、ドレスの赤、夕空の光。すべてが、モデルを高貴に見せる演出に奉仕している。

まどろむ老女の部屋を満たしていた深い影は、もうどこにもない。

所蔵館の記録によれば、画面右下に「NMaes 1676」の署名と年記がある。

1676年。あの居眠りの絵から、およそ二十年後の仕事である。

モデルの名は伝わっていない。来歴の記録では、かつて別の女性の名で競売に出たこともある。

名を失ってなお、この絵は装いの豪華さだけで、モデルの身分を雄弁に語り続けている。

金色の額縁ごと、写されている

同じ1676年の、もう一枚を見たい。

インヘナ・ロッテルダム(提督ヤコブ・ビンケスの婚約者)
ニコラース・マース《インヘナ・ロッテルダム(提督ヤコブ・ビンケスの婚約者)》1676年。油彩・画布。縦43.8センチ、横33センチ。メトロポリタン美術館蔵。ニコラース・マース《インヘナ・ロッテルダム(提督ヤコブ・ビンケスの婚約者)》メトロポリタン美術館蔵

楕円形にまとめられた、優美な小さい肖像である。

公開されている画像は、精緻な彫刻をほどこした金色の額縁ごと撮影されている。

彫りの深い額縁が、絵と一体の工芸品のように画面を囲む。

木彫に金を施した額縁だろう。絵を守る道具であると同時に、それ自体が見せるための品である。

当時の肖像画は、額縁も含めてひとつの品として仕立てられることがあった。

この一枚も、額縁まで含めた贈り物として作られたことがうかがえる。

当サイトでは、こうした場合も所蔵館の公開画像をそのまま掲載している。

額縁ごと見られることは、作品がどう扱われたかを知る、またとない手がかりになる。

婚約者の肖像という性格

描かれているのはインヘナ・ロッテルダム。1704年に没したと記録される女性である。

題名が示すとおり、提督ヤコブ・ビンケスの婚約者だった。

婚約にまつわる記念の肖像だろう。

縦43.8センチという小ぶりな画面は、身近に置いて眺めるための寸法と考えられる。

ビンケスは海の武人である。長い航海は、婚約者との時間をたびたび隔てただろう。

肖像画は、離れた場所で相手の面影を手元に保つための品でもあった。

海の武人の婚約者を、柔らかな楕円の中に、優雅な装いで描く。

マースが新しく獲得した顧客の世界が、この小さな画面に凝縮されている。

堕落か、適応か

さて、最初の問いに戻る。なぜ、この画家には二つの経歴があるのか。

若い日の静かな家庭画を惜しむ立場からは、この転回は転落に見えるかもしれない。

影の詩情を捨てて、注文主の見栄えに奉仕するようになった、と。

だが、画家の側から見れば話は違う。

オランダでは、絵は宮廷や教会だけの持ち物ではなかった。商人も職人も、家の壁に絵を掛けた。

その広い市場が多くの画家を養い、同時に激しい競争を生んだ。

17世紀オランダの絵画市場には、画家が多すぎたのである。風俗画の競争は、とりわけ激しかった。

画家たちは風景、静物、肖像と、それぞれ得意の分野に特化して生き残りを図った。

そして1660年代以降、優雅な装いの肖像への需要が伸びたと考えられている。

豊かになった市民たちが、自分と家族の姿を、貴族のような装いで残したがったのだろう。

レンブラント風の深い影の絵は、しだいに買い手を見つけにくくなっていた。

流行が変われば、買い手の目も変わる。画家は、その変化の中で生きるほかない。

マースは1673年ごろ、アムステルダムに移り住む。そして肖像画家として大きな成功を収めた。

作風の転換は、市場の変化に合わせた職業的な選択だった。そう見るのが自然だろう。

マース自身が何を思って筆を変えたのか、本人の言葉は残っていない。

残っているのは絵と年記だけである。だからこそ、作品を年代の順に並べることに意味がある。

肖像の市場はハルスの見える筆でも触れた。

絵の姿は、買い手が決める

画家は、絵を売って生きる職業人である。

家庭画が売れる間は家庭画を描き、肖像が求められれば肖像を描く。

その割り切りを堕落と呼ぶのは、絵を買わずに眺める後の時代の、勝手な注文だろう。

様式の転換を、画家の内面の変化だけで説明する必要はない。

同じことは、いつの時代の、どの分野の作り手にも起こっている。

売れる絵を描くことと、良い絵を描くことは、必ずしも矛盾しない。

むしろ、二つの時代のどちらでも高い水準を保ったことに、この画家の力量が表れている。

居眠りする老女の壁の鍵束も、真紅のドレスの光沢も、同じ手が描いたのである。

マースは1693年、アムステルダムで没した。肖像画家としての名声の中で迎えた晩年だった。

二つの時代を、並べて見る

美術館の壁では、この二つの時代の絵は、別の部屋に掛かることが多い。

だが公開画像であれば、二十年あまりを隔てた七点を、ひとつの画面に並べられる。

一枚だけを見れば、転回は見えない。並べたときに、初めて問いが立ち上がる。

まどろむ老女と、真紅の貴婦人を、試しに隣り合わせてみてほしい。

同じ署名を持つ二枚の絵の間に、ひとりの職業画家の決断が横たわっている。

絵の様式は、画家の才能だけでは決まらない。誰が絵を買うかが、絵の姿を変えていく。

マースの二つの経歴は、そのことを静かに教えてくれる。

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