裏に書かれ、いまは見えない——19世紀アメリカの肖像九点
裏面、もはや見えない。九点の銘記の欄には、この但し書きが並ぶ。裏打ちの作業で覆われた文字は、いまでは作業前に撮られた写真の中にだけ残っている。写真という技術が、消えかけた言葉を助けた例を読みたい。記録にだけ残る一行を追いたい。

裏に書かれ、いまは見えない
肖像画を九点、銘記の欄で並べてみる。
九点とも、絵の裏に文字が書かれていた。
書かれていた、と過去の形で言うしかない。
いまは見えないからである。
館の欄には、こう入る。
裏面、もはや見えない、と。
そのあとに、括弧で但し書きが続く。
学芸の記録に写真がある、と。
つまり、文字は写真の中にだけ残っている。
なぜ、見えなくなったのか
理由は、たいてい裏打ちである。
古い布は、時間がたつと弱る。
糸が切れ、たるみ、絵具が落ちる。
そこで、裏に新しい布を貼る。
貼れば、絵は安定する。
しかし、裏の文字は隠れる。
新しい布と接着剤の下になる。
もう読めない。
九点のうち何点かは、この経緯をたどったはずだ。
裏という、もう一つの面
絵には、表と裏がある。
見るのは表だけである。
しかし、物としては両面ある。
裏には、支持体の姿がそのまま出る。
布の織り目。
板の木目。
釘の跡。
そして、書き込み。
裏は、絵の履歴が集まる場所だ。
いつ、誰の手を経たか。
どんな修理を受けたか。
それが、裏に積み重なる。
だから、館は裏も記録する。
貼る前に、撮っておく
裏打ちをする前に、館は裏面を撮影する。
これは、いまでは当たり前の手順だ。
作業前の状態を、必ず記録に残す。
その写真が、いま唯一の証拠になっている。
九点の欄が但し書きを付けるのは、そのためだ。
写真がどこにあるかまで書いてある。
学芸の記録の中の、この番号の書類にある、と。
読む人が、次に当たる場所を示している。

縦長の画面に、幼い子供が立つ。
赤褐色の格子の上着を着る。
下は灰色の長い袴である。
黒い靴を履く。
右手を高く上げ、細い鞭を持つ。
左手に、赤い紐を握る。
紐の先は、足もとの玩具につながる。
玩具は、車の付いた馬の形をしている。
背後は緑の斜面で、道が下る。
奥に、白い家と木立が見える。
空は淡く、雲が薄い。
写真が広まる前の、顔の残し方
十九世紀の前半、写真はまだ高価だった。
町に写真師がいるとも限らない。
顔を残したければ、絵に頼るしかない。
そこで、巡回する画家が働いた。
一人あたり、数日で仕上げる。
値段は、大きさと手間で決まる。
裕福でなくても、頼める額だった。
だから、こういう肖像が大量に残っている。
上手いものも、そうでないものもある。
九点は、そのうちの九点である。
上手さではなく、書式が似ていることに意味がある。
追悼のために、描かれた絵
この一点の裏には、事情が書かれていた。
誰のために描かれたか。
そして、描かれた子がいつ亡くなったか。
三歳と十か月であった、と齢まで記される。
つまり、これは追悼のための絵である。
亡くなったあとに、記憶をたどって描かれた。
こういう絵は、当時のアメリカに多い。
写真が普及する前の話だ。
顔を残す方法が、絵しかなかった。
裏に書く理由が、そこにある
追悼の絵の裏に、事情を書くのはなぜか。
表には書けないからだろう。
表に亡くなった日を書けば、絵の性格が変わる。
生きている姿として掛けたい。
しかし、事情は残したい。
その両方を満たすのが、裏である。
見えないが、消えない。
家族だけが知っている場所に、書いておく。
三人称と、一人称
裏の文字の主語を、数えてみる。
誰それによって描かれた、が四点。
私が描いた、に近い形が一点。
主語のない書き方が四点。
三人称が多い。
つまり、書いた人は自分を外から見ている。
画家が自分で書いたとしても、三人称にする。
これは、当時の書式だったのだろう。
署名は一人称でも、裏の記録は三人称。
同じ人が、書く場所によって言い方を変えている。
誰が、いつ書いたのか
裏の文字を書いたのは、誰か。
画家自身のこともある。
家族のこともある。
九点の中には、画家の名が三人称で書かれた例がある。
誰それによって描かれた、という言い方だ。
これは、画家本人の書き方ではなさそうだ。
一方、私が描いた、と書く例もある。
言い回しから、書いた人の見当がつく。
館は、そこまでは断定しない。

縦長の画面に、若い男性が座る。
黒い上着に、大きな襟が開く。
内側に、淡黄の胴着が見える。
首元に、白い布を高く巻く。
顔はこちらを向き、口を結ぶ。
髪は黒く、額の上で巻く。
右手を、椅子の肘掛けに置く。
指が長く、はっきり描かれる。
背景は暗い青灰で、平らである。
顔の周りだけが、わずかに明るい。
椅子の背が、右下に見える。
書式が、そろっている意味
九点の裏の書式は、よく似ている。
名、齢、町、画家の名、年。
順序も、ほぼ同じである。
画家どうしに面識があったとは限らない。
それでも、書式が似る。
なぜか。
必要な情報が同じだからだろう。
誰の顔で、いつ、誰が描いたか。
そこだけ押さえれば、あとで困らない。
必要が、形を決める。
館の欄も、結局そこに落ち着いている。
二百年隔てて、同じ項目が並んでいる。
六行に、全部書く
いま見た一点の裏には、六行の文字があった。
名。
齢。
描かれた、という語。
画家の名。
町の名。
年。
つまり、いま館が欄に書くことと同じである。
十九世紀のアメリカの画家が、自分で書いた。
書式は、誰かに教わったのだろうか。
それとも、必要から自然にそうなったのか。
分からない。
ただ、同じ書式が何人もの画家に共通している。
巡回する画家たちの、書式
九点の画家のうち、五人は巡回していた。
町から町へ移り、注文を受ける。
数日で仕上げ、次へ行く。
そういう働き方をしていた。
だから、絵に町の名を書く。
どこで描いたかが、あとで分かるようにするためだ。
自分の仕事の記録でもある。
何年に、どこで、誰を描いたか。
裏の文字は、帳簿の代わりでもあった。
道具を持つ、という肖像
九点のうち一点は、測量の器具を持っている。
もう一点は、本を持つ。
さらに一点は、扇を持つ。
持ち物は、その人の仕事や立場を示す。
言葉で書かなくても、伝わる。
つまり、持ち物は文字の代わりである。
裏に書かれた文字と、表に描かれた持ち物。
二つは、同じ働きをしている。
どちらも、この人が誰かを言っている。
一つは見える形で、一つは見えない形で。
医師の絵と、測量の道具
九点のうち二点は、同じ画家の手である。
同じ年に、同じ町で描かれた。
一点は男性、一点は女性。
夫婦だろうと考えられている。
裏には、どちらも同じ書式の文字があった。
名、齢、町、画家の名、年。
齢は、三十九と四十六。
七つ違いである。

縦長の画面に、男性が座る。
黒い上着に、黒い襟飾りを結ぶ。
首元に、白い襟が立つ。
髪は薄く、額が広い。
顔はこちらを向き、目が大きい。
両手で、黄色い道具を持つ。
道具は三脚の上に載る。
上に、円い盤と細い腕が付く。
測量に使う器具だろう。
背後の左に、緑の木がある。
右奥に、明るい空が開く。

縦長の画面に、女性が座る。
黒い服を着る。
肩に、白く大きな襟飾りを広げる。
襟飾りには、細かい襞が寄る。
頭に、白い帽子をかぶる。
帽子の縁に、灰色の飾りが並ぶ。
首に、細い鎖を掛ける。
両手で、黄色い表紙の本を持つ。
背後の右に、水面と丘が見える。
空は淡い青である。
顔は正面を向き、目が強い。
寸法が、そろっている
いま見た二点は、寸法が同じである。
縦76.2センチ、横63.5センチ。
つまり、同じ大きさの布を二枚使った。
対にして掛けるための絵だからだ。
夫婦の肖像は、対で注文されることが多い。
向き合うように、左右に掛ける。
だから、大きさを揃える必要がある。
裏の文字も、同じ書式で書かれた。
対であることは、寸法と書式の両方に出ている。
誰の妻か、と書く
九点のうち一点の裏には、名と町だけがあった。
夫の頭文字を付けた形で、名が書かれる。
つまり、誰それ夫人、という書き方だ。
本人の名は書かれていない。
これは、当時の習慣である。
館は、題に、おそらく、と付けている。
裏の文字だけでは、本人と確定できないからだ。
同じ名の人が複数いる可能性がある。
だから、留保する。

縦長の板に、女性が座る。
淡い灰緑の服を着る。
胸元が広く開き、白い飾りが重なる。
腰に、細い帯を締める。
頭に、白い帽子をかぶる。
帽子の上に、桃色の飾りが立つ。
首に、金の鎖と丸い飾りが下がる。
右手を、椅子の背に置く。
左手に、黒い団扇を持つ。
背景は暗い赤で、平らである。
椅子の背に、渦巻きの飾りが見える。
二種類のインクが、並ぶ
九点のうち一点は、二人の手が並んでいた。
同じ行に、名と年が書かれている。
ところが、インクの色が違う。
字の癖も違う。
つまり、名を書いた人と、年を書いた人が別である。
年は十一年ほどあとのものだ。
誰かが、あとから年を書き足したのだろう。
館は、その違いをそのまま記録した。
同じ行、違うインク、違う手。

縦長の画面に、女性が立つ。
赤褐色の服を着る。
裾が広がり、床まで届く。
袖口に、白い襞が重なる。
頭に、白く大きな飾りを付ける。
飾りは高く盛り上がる。
右手に、黒い扇を持つ。
左手を胸の前に置く。
背後の左に、木と鳥が描かれる。
鳥は赤と灰色で、枝に止まる。
左下に、花を挿した壺がある。
飾り枠は、何を真似たか
裏に描かれた飾り枠は、何かを真似ている。
証書の枠かもしれない。
墓碑の枠かもしれない。
いずれも、大事な文字を囲む形式である。
囲むことで、その文字が特別だと示す。
裏に書かれた名は、家にとって特別だった。
だから、枠で囲んだ。
見えなくても、形式は守る。
形式を守ることで、書いた内容が重くなる。
書く人は、そこを分かっていた。
枠飾りの中に、書く
九点のうち一点は、裏の書き方が凝っている。
文字の周りに、飾り枠が描かれていた。
つまり、ただ書いたのではない。
装飾を施している。
裏は見えない場所である。
それでも、飾りを描いた。
見えない場所を飾るのは、なぜか。
たぶん、その絵を大切に思ったからだ。
あるいは、書くこと自体を仕事と考えたか。

縦長の画面に、若い女性が座る。
灰青の服を着る。
肩に、桃色の細い布を掛ける。
胸元に、白く大きな襟飾りが広がる。
襟飾りに、細かい刺繍が入る。
髪は黒く、耳の上で巻く。
背後の右に、水辺の風景が見える。
赤い屋根の建物と、船が並ぶ。
画面の周りに、緑の枠が描かれる。
枠の中に、花や貝の飾りが並ぶ。
上に、鳥が二羽向き合う。
額の裏にも、書き込みがある
いま見た一点には、もう一つ文字がある。
額の裏に、鉛筆の書き込みがある。
別の画家の名が書かれている。
しかも、疑問符が付いている。
つまり、書いた人も自信がなかった。
館は、その疑問符まで写す。
そして、作者の欄には裏の文字にある名を入れる。
額の書き込みは採らない。
二つの情報のうち、確からしいほうを選んでいる。
二歳半の子の、肖像
九点のうち一点は、幼い子の絵である。
裏には、名と齢と月が書かれていた。
二歳半、と齢が細かい。
幼い子は、月単位で変わる。
だから、年だけでは足りない。
半年の差が、姿を変える。
書いた人は、そこを分かっていた。
齢の書き方の細かさが、そのまま気持ちを表している。

縦長の画面に、幼い子が立つ。
縞の入った白い服を着る。
縞は青灰で、細く縦に走る。
裾は膝の下まで届く。
下に、白い袴が見える。
右手に、大きな麦藁帽子を持つ。
帽子に、青いリボンが付く。
左手を、黒い犬の頭に置く。
犬は座り、こちらを見る。
背後は緑の草地と木立である。
奥に、青い山が見える。
取る、という言葉
似姿を取る、という言い方は古い。
写す、という感覚に近い。
顔を紙や布に移し取る。
そういう考え方である。
やがて写真が現れ、同じ言葉が使われた。
写真を撮る、という言い方が今も残る。
つまり、絵と写真は同じ動詞を共有していた。
肖像画は、写真の前身として働いていたのだろう。
裏の文字の一語が、その連続を示している。
この似姿を、と書く
九点のうち一点の裏には、変わった言い方があった。
この似姿は、この年に取られた、と書かれる。
描かれた、ではない。
取られた、である。
肖像を、写し取るものと考えていたのだろう。
写真が広まる前の言い方である。
そして、綴りが一つ間違っている。
館は、その間違いもそのまま写す。
正しい形に直したりはしない。

縦長の画面に、幼い子が立つ。
黄色い服を着る。
袖が短く、腕が出る。
胸元が広く開く。
裾は膝の下まで届く。
右手に、細い紐を持つ。
紐の先は、犬の首につながる。
犬は白と褐色で、床に伏せる。
床は緑の敷物である。
背後の左に、木と風景が見える。
奥に、白い家と水面が光る。
間違いを、そのまま残す
綴りの間違いを直さないのは、なぜか。
直せば、書いた人の手つきが消えるからだ。
学のある人が書いたのか。
そうでない人が書いたのか。
綴りは、それを示す。
十九世紀のアメリカでは、綴りが揺れていた。
辞書はあったが、行き渡っていない。
書ける人が、聞こえたとおりに書く。
その揺れも、時代の姿である。
館は、揺れごと写す。
写真が、記録を救った
九点に共通するのは、写真の存在である。
裏打ちの前に撮っておいた一枚。
それがなければ、文字は消えていた。
館の記録には、何も書けなかった。
作者不詳、年代不明。
そうなっていた絵もあるだろう。
写真という技術が、文字を助けた。
絵を助けたのではない。
絵についての言葉を助けた。
見えないものを、記録に書く
いま、九点の裏面は見えない。
それでも、館の欄には内容が書かれている。
見えないものを書くのは、変な話に思える。
しかし、これは記録の本質でもある。
記録は、いまの姿だけを書くのではない。
かつてあった姿も書く。
失われた額。
失われた板。
見えなくなった文字。
それらを、あった、と書いておく。
括弧の中の、但し書き
九点の欄には、必ず但し書きがある。
もはや見えない、写真が記録にある。
この二つが、括弧の中に入る。
短いが、大事な情報だ。
読む人は、これで次にどうすべきか分かる。
現物を見に行っても、読めない。
学芸の記録に当たれば、読める。
道順が示されている。
前の回で、位置の記録が道順だと書いた。
こちらは、資料への道順である。
九点の齢を、並べておく
裏に書かれていた齢を、並べておく。
二歳半。三歳と十か月。
二十一。二十四。三十九。四十六。
残りの三点には、齢が書かれていない。
名と年、あるいは名と町だけである。
いちばん幼い二人は、幼い子の絵だ。
一人は、亡くなったあとに描かれた。
もう一人は、犬と一緒に立っている。
裏の文字がなければ、どちらの齢も分からなかった。
消える文字と、残る言葉
裏の文字は、絵を守るために消えた。
裏打ちをしなければ、絵のほうが傷んだ。
守るために、失われたものがある。
そういう選択が、修復にはつきまとう。
何かを残せば、何かが消える。
館ができるのは、消える前に写しておくことだけだ。
写しておけば、言葉としては残る。
物としては消えても、言葉は渡せる。
九点の欄は、その受け渡しの記録である。

