画家を知る

ロンドンへ行かなかった肖像画家——ヘンリー・レイバーン

十八世紀の英国で、肖像の注文はロンドンに集まった。それでもエディンバラに留まり、地元の顔を描き続けた画家がいる。赤い軍服の塗り方、子どもの手、幅のある制作年。九点で、その仕事の質を確かめる。地方に残るという選択が、何を可能にしたかを考えたい。

ジョン・テイトと孫
ヘンリー・レイバーン《ジョン・テイトと孫》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

老人と、子どもの手

一枚の肖像から始めたい。

ジョン・テイトと孫
ヘンリー・レイバーン《ジョン・テイトと孫》1793年ごろ。1800年ごろに加筆。油彩・画布。縦126センチ、横100センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ヘンリー・レイバーン《ジョン・テイトと孫》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

老人が、木の椅子に腰かけている。

黒い上着に、白い襟巻きを高く巻く。

髪は白く、耳の上で膨らむ。

顔は正面をやや外し、口元がゆるむ。

右手を膝の上に置く。

その手が、金色の丸いものをつまんでいる。

懐中時計だろう。

椅子の右に、白い衣の幼い子が立つ。

子は右腕を上げ、時計へ手を伸ばす。

背後には、大きな木と夕暮れの空がある。

二つの年が、記録されている

館の記録には、二つの年が書かれている。

一七九三年ごろ、そして一八〇〇年ごろの加筆。

つまり、七年後に手が加えられている。

何が加えられたのか。

記録には書かれていない。

推測するなら、子どもの部分だろう。

孫が生まれてから、後で描き足すことはよくある。

そう考えると、画面の左右で筆の調子が違うことにも説明がつく。

ただし、これは推測である。

描いた人について

ヘンリー・レイバーンは、一七五六年に生まれた。

スコットランドの、エディンバラ近郊の出身である。

一八二三年に、エディンバラで没した。

若いころ、金細工師の徒弟だったと伝えられる。

その後、肖像画に転じた。

一七八〇年代にイタリアへ渡り、数年を過ごしている。

帰国後、エディンバラで肖像画家として働いた。

生涯のほとんどを、その町で過ごしている。

ロンドンへ行かなかった画家

当時の英国で、画家の中心地はロンドンだった。

大きな注文も、展覧会も、そこにある。

多くの画家が、ロンドンを目指した。

レイバーンは、そうしなかった。

エディンバラにとどまり、地元の注文を受け続けた。

そのため、作品はスコットランドの人々の肖像が中心になる。

法律家、軍人、地主、その家族。

九点の顔ぶれも、その範囲に収まっている。

赤い上着の軍人

二点目は、色が強い。

フランシス・ジェームズ・スコット大佐
ヘンリー・レイバーン《フランシス・ジェームズ・スコット大佐》1796年から1811年の間。油彩・画布。縦128センチ、横102センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ヘンリー・レイバーン《フランシス・ジェームズ・スコット大佐》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

男が、腰に手を当てて立つ。

上着は鮮やかな赤である。

胸には金の飾り紐が並ぶ。

肩には、房のついた飾りが載る。

腰には、金の帯留めのついた帯を巻く。

膝下は淡い色で、左手に手袋を握る。

背後は暗い緑と褐色で、雲が渦を巻く。

顔は正面を向き、口を結ぶ。

画面の中で、赤だけが強い。

赤を、どう塗るか

軍服の赤は、肖像画の見せ場である。

平らに塗れば、紙のように見える。

そこで、明暗を細かく作る。

胸の高い部分は明るい朱に寄る。

袖の内側や脇は、深い臙脂に沈む。

その間に、無数の中間の調子がある。

さらに、金の飾りが上に載る。

赤の上に黄と白の線を置くと、金属に見える。

赤と金の組み合わせは、当時の軍人像の定番である。

制作年に幅がある

この一枚の年代は、一七九六年から一八一一年とされる。

十五年の幅がある。

つまり、確定していない。

理由はいくつか考えられる。

軍服の形から時期を絞れるが、幅が残る。

人物の年齢からも推定できるが、正確ではない。

そして、記録が残っていない。

館は、その幅をそのまま記載している。

分からないことを、幅として書く。

二人の子ども

三点目は、子どもの肖像である。

ビニングの子どもたち
ヘンリー・レイバーン《ビニングの子どもたち》おそらく1811年ごろ。油彩・画布。縦128.8センチ、横102.7センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ヘンリー・レイバーン《ビニングの子どもたち》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

二人の子が、屋外の岩に腰かける。

いずれも、深い赤の上下を着る。

襟は白く、大きく広がる。

左の子は身を乗り出し、右の子の肩に手を置く。

右の子は、正面を向いて座る。

足元には、帽子と道具が置かれる。

背後には木と、明るい雲の空がある。

空は白と黄土で、絵の上半分を占める。

明るい空を、背後に置く

九点のうち、屋外の背景は五点ある。

いずれも、空が明るい。

とくに人物の頭の後ろが明るくなる。

こうすると、輪郭が背景から離れる。

暗い背景を使う方法もある。

しかしレイバーンは、明るい空をよく使う。

そして、その空を厚い絵具で速く塗る。

雲の形は曖昧で、筆の跡が残る。

背景は、人物を立てるための面である。

筆の跡を、消さない

レイバーンの絵の特徴の一つが、筆致である。

衣や背景に、筆の跡がそのまま残る。

面を平らに磨き上げない。

とくに袖や裾では、絵具の帯がはっきり見える。

顔だけは、比較的なめらかである。

つまり、部位によって仕上げを変えている。

見せたい場所を丁寧に、それ以外は速く。

この配分が、絵に呼吸を作る。

下描きをしない、と伝えられる

レイバーンの制作については、逸話がある。

下描きをせず、直接筆で描き始めたという話である。

伝記に記されているとされるが、同時代の一次記録ではない。

つまり、伝聞である。

ただし、絵を見ると、そう言いたくなる。

輪郭線が見えず、面の重なりで形ができている。

顔の輪郭も、背景の色との境目で決まる。

線ではなく、面で描く画家である。

英国の肖像画の中で

十八世紀後半の英国では、肖像画が最も需要のある分野だった。

ロンドンには、名の知られた画家が何人もいた。

その様式については、当サイトの
注文帳を、埋めていくで書いた。

レイバーンは、その系譜の外にいたわけではない。

構図も、寸法も、道具立ても共有している。

違うのは、筆の速さと、面で描く方法である。

そして、拠点が北にあったことである。

同じ型を、別の土地で使い続けた画家である。

三人を、横に並べる

四点目は、群像である。

ジョン・ジョンストン、ベティ・ジョンストン、ウェダーバーン嬢
ヘンリー・レイバーン《ジョン・ジョンストン、ベティ・ジョンストン、ウェダーバーン嬢》1790〜95年ごろ。油彩・画布。縦101.5センチ、横120センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ヘンリー・レイバーン《ジョン・ジョンストン、ベティ・ジョンストン、ウェダーバーン嬢》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

九点の中で、これだけが横長である。

左に、白い衣の若い女性が座る。

中央に、白い帽子の年配の女性。

右に、赤茶の上着の男が座る。

三人は、長椅子に並んでいる。

中央の女性は、膝に開いた紙を置く。

左の女性は、そちらへ顔を向ける。

右の男は、正面をやや外して座る。

背後には木立と、明るい空がある。

横長の画面を、どう使うか

横長の画面では、人物を横に並べる。

しかし、均等に並べると単調になる。

そこで、顔の高さに差をつける。

この一枚では、中央の女性が最も高い。

左右の二人は、それより低い。

つまり、山の形に近い並びである。

そして、三人の視線が中央へ集まる。

左の女性は右を、右の男は左をわずかに向く。

視線と高さの両方で、中央がまとめられている。

白い衣の描き分け

三人のうち、二人が白い衣を着ている。

しかし、白の質が違う。

左の若い女性の白は、明るく、青みを帯びる。

中央の年配の女性の白は、黄みを帯びる。

そして、中央の人物は黒い上衣を重ねる。

白を並べるときは、微妙に色を変える。

同じ白では、二人が同じ人に見えてしまう。

肖像画では、この描き分けが要る。

馬と並ぶ軍人

五点目は、九点で最も大きい。

パトリック・ミラー大尉
ヘンリー・レイバーン《パトリック・ミラー大尉》1788〜89年、のちに改変。油彩・画布。縦167.2センチ、横132.8センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ヘンリー・レイバーン《パトリック・ミラー大尉》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

縦が167センチある。

若い男が、馬の脇に立つ。

上着は深い赤茶で、白い飾り紐が並ぶ。

腰には、桃色の帯を巻く。

膝下は淡い黄で、黒い長靴をはく。

右手には、羽根飾りのついた帽子を持つ。

左手は、馬の背に置かれる。

馬は暗い茶で、頭を左へ向ける。

背後には木立と、赤みを帯びた空がある。

「のちに改変」という記録

この一枚にも、注記がある。

のちに改変された、とある。

そして、改変の年は不明とされる。

何が変えられたのかも、記録にない。

肖像画では、こうした改変が起きる。

軍服の階級が変われば、飾りを描き直す。

人物の立場が変われば、背景を替える。

あるいは、後年の所有者が手を入れることもある。

いま見えている絵は、その積み重ねの結果である。

記録が、幅と注記だらけである

九点の年代欄を並べてみたい。

一七八八〜八九年、のちに改変。

一七九〇〜九五年ごろ。

一七九三年ごろ、一八〇〇年ごろ加筆。

一七九四年ごろ。

一七九〇〜一八〇〇年ごろ。

一七九六〜一八一一年。

一八〇〇年ごろ。

一八〇五年。

おそらく一八一一年ごろ。

確定しているのは、一点だけである。

なぜ年代が定まらないか

理由は、記録の残り方にある。

肖像画には、署名も年記も入らないことが多い。

注文の記録が残っていれば、年が分かる。

しかし、多くは失われている。

そこで、服装、髪型、人物の年齢から推定する。

いずれも幅を生む手がかりである。

さらに、後年の加筆があれば、話は複雑になる。

一枚の絵に、複数の時期が混ざるからである。

馬を、脇に置く

軍人の肖像に馬を添えるのは、古い型である。

騎馬像なら、権威の表明になる。

しかし馬に乗せると、人物が高くなり、顔が遠ざかる。

そこで、馬を脇に立たせ、人は地上に置く。

こうすれば、顔を近くで見せられる。

同時に、馬の存在で身分も示せる。

この一枚は、その折衷の形である。

馬は暗く塗られ、輪郭だけが見える。

主役はあくまで人である。

手袋と、帽子

九点の持ち物を確かめておきたい。

手袋、帽子、書物、紙、時計。

いずれも小さな品である。

肖像画では、手を遊ばせないために持ち物が要る。

そして、その品が人物の性格を示す。

時計は几帳面さ、書物は教養、手袋は外出。

もっとも、深読みは禁物である。

工房に置かれた小道具を使い回すこともある。

繰り返し現れる品は、たいてい型である。

黄色い衣の女性

六点目は、色が明るい。

ジョージ・ヒル夫人
ヘンリー・レイバーン《ジョージ・ヒル夫人》1790〜1800年ごろ。油彩・画布。縦96.9センチ、横76.6センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ヘンリー・レイバーン《ジョージ・ヒル夫人》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

女性が、椅子に腰かけている。

衣は淡い黄で、胸元が大きく開く。

腰から下は、青い布が掛かる。

髪は縮れ、額の両側で膨らむ。

顔は正面をやや外し、こちらを見る。

両手を膝の上で組む。

背後は暗いが、右上に橙色の空が見える。

夕暮れの光が、雲に当たっている。

夕暮れの空を、繰り返す

九点のうち、四点に夕暮れの空が描かれている。

橙と黄が、雲の下側を染める。

これは、レイバーンの絵によく出る背景である。

理由は、明暗の対比だろう。

暗い人物の背後に、明るい帯を置く。

すると、輪郭が浮き上がる。

そして、画面に温かみが加わる。

同じ空を繰り返し使う。

工房の型として、決まっていたのだろう。

寸法の規格

九点の寸法を整理したい。

縦126センチ前後が四点。

縦96センチと76センチが各一点。

縦101センチの横長が一点。

そして、縦167センチが一点。

つまり、縦126センチ前後が標準である。

これは、膝から上を描く形式に合う大きさである。

英国の肖像画では、こうした規格が定着していた。

寸法によって、値段も決まっていた。

顔の光

レイバーンの顔の描き方には、特徴がある。

光が、額と鼻梁と頬骨に強く当たる。

そして、目の周りが影になる。

つまり、上から強い光を当てた状態である。

工房の窓の位置が、そのまま出ているのだろう。

この照明は、顔の骨格をはっきり見せる。

一方で、影の中の目は読みにくくなる。

そのぶん、人物が思案しているように見える。

照明の設定が、印象を作っている。

白い衣の女性

七点目は、別の館の所蔵である。

リチャード・アレクサンダー・オズワルド夫人
ヘンリー・レイバーン《リチャード・アレクサンダー・オズワルド夫人》1794年ごろ。油彩・画布。縦123.2センチ、横103.8センチ。メトロポリタン美術館蔵。1980年寄贈。ヘンリー・レイバーン《リチャード・アレクサンダー・オズワルド夫人》メトロポリタン美術館蔵

女性が、屋外で椅子に腰かける。

白い衣で、腰に橙色の帯を締める。

髪は上でまとめ、白い布を巻く。

両手を膝の上に置き、紙のようなものを持つ。

顔は左を向き、目を伏せる。

背後には、大きな木の幹が二本立つ。

その間から、夕暮れの空が見える。

九点の中で、最も静かな一枚である。

木の幹を、背後に置く

この一枚では、木の幹が背景の主役である。

太い幹が二本、画面を縦に区切る。

その間の隙間から、空が覗く。

つまり、背景に縦の線が入る。

人物の姿勢は、やや斜めである。

縦の幹と、斜めの体。

その対比が、画面に緊張を作る。

背景を平らに塗るより、構図が締まる。

半身の肖像

八点目は、九点で最も小さい。

ウィリアム・フォーサイス
ヘンリー・レイバーン《ウィリアム・フォーサイス》1800年ごろ。油彩・画布。縦76.2センチ、横63.2センチ。メトロポリタン美術館蔵。アーサー・H・ハーン寄贈、1896年。ヘンリー・レイバーン《ウィリアム・フォーサイス》メトロポリタン美術館蔵

男の上半身だけが描かれる。

黒い上着に、白い襟巻き。

髪は薄く、額が広い。

顔は正面を向き、こちらを見る。

頬は赤みを帯び、鼻の先も赤い。

背景は暗い褐色で、何も描かれない。

顔以外の情報が、ほとんどない。

そのぶん、顔の描写に目が行く。

小さい肖像の役割

半身の肖像は、値段が安い。

画布も小さく、描く時間も短い。

だから、注文の敷居が低くなる。

法律家、商人、医師。

そうした層が、こうした肖像を注文した。

一方、膝から上の大きな肖像は、より高い層のものである。

九点の寸法の差は、注文主の層の差でもある。

肖像画の商売については、当サイトの
肖像画という商売でも書いた。

赤い法服の人

九点目は、色が強い。

ウィリアム・ロバートソン、ロード・ロバートソン
ヘンリー・レイバーン《ウィリアム・ロバートソン、ロード・ロバートソン》1805年。油彩・画布。縦125.7センチ、横99.7センチ。メトロポリタン美術館蔵。メアリー・スティルマン・ハークネス遺贈、1950年。ヘンリー・レイバーン《ウィリアム・ロバートソン、ロード・ロバートソン》メトロポリタン美術館蔵

男が、椅子に深く腰かける。

赤い法服を着ている。

服には、白い縁飾りが入る。

首元には、白い帯が二本垂れる。

頭には、白い巻き毛の鬘をかぶる。

右手は椅子の肘に、左手は膝に置かれる。

顔は正面をやや外し、目はこちらへ向く。

背景は暗く、何も描かれない。

赤い服が、画面の大半を占める。

鬘という装い

この人物は、白い巻き毛の鬘をかぶっている。

九点の中で、鬘をつけているのはこの一人だけである。

十八世紀の後半、日常の鬘は廃れていった。

しかし、法廷など特定の場では残った。

つまり、この鬘は職務上の装いである。

流行ではなく、制度に属する。

肖像を見るとき、髪型は年代の手がかりになる。

同時に、制度に属する装いは、年代の手がかりにならない。

その区別が要る。

法服という装い

この人物は、法律に関わる立場にある。

赤い法服と白い鬘が、それを示す。

英国とスコットランドの法廷では、こうした装いが用いられた。

つまり、職業が服装で分かる。

肖像画では、この記号が重要になる。

顔だけでは、その人の立場は伝わらない。

装いが、社会の中の位置を語る。

九点の装いを見比べると、職業と身分の幅が見える。

九人の顔ぶれ

九点に描かれた人々を整理したい。

法律家、軍人が二人、実業家。

そして、女性が三人、子どもが三人。

つまり、地方都市の有力な家々の顔ぶれである。

首都の宮廷や貴族ではない。

エディンバラという町の、その時代の層である。

一人の画家が、その町の人々を描き続けた。

九点は、その記録の一部である。

一つの町を描き続ける

同じ町にとどまることには、利点がある。

注文が紹介で連鎖する。

一つの家を描けば、親戚が続く。

そして、同じ人物を年を経てまた描くこともある。

移動しないぶん、関係が深くなる。

一方で、仕事の幅は限られる。

宮廷や、国際的な注文は来ない。

レイバーンの評価が、後年まで地方の画家とされたのは、その事情もある。

死後の評価

レイバーンは、晩年に英国の美術団体の会員となった。

そして、王の肖像画家に任じられたとも伝えられる。

つまり、生前に一定の評価は得ていた。

その後、十九世紀を通じて評価は続いた。

とくに、米国の収集家に好まれた。

九点のうち三点が米国の館にあるのも、その流れによる。

一八九六年、一九五〇年、一九八〇年の受け入れである。

八十年以上にわたって、少しずつ集まっている。

画布の張り直し

古い油彩画の多くは、裏打ちがされている。

もとの画布が弱ると、新しい布を裏に貼る。

これを裏打ちと呼ぶ。

熱と圧力をかけるため、絵具の表面がわずかに平らになる。

筆致の盛り上がりが、押しつぶされることもある。

九点のいくつかにも、その処置がされている可能性が高い。

館の記録には、技法の欄までは書かれていない。

いま見えている絵肌は、修復の履歴を含んでいる。

額の縁が写り込む

九点のうち三点は、額の縁が画像に写り込んでいる。

金色の細い枠が、四辺に見える。

つまり、額に入れたまま撮影されている。

残る六点は、画面だけが写る。

撮影の方針が、館によって違うためだろう。

額は、作品の一部ではない。

しかし、飾られた状態を示す情報でもある。

写っている場合は、そこも見ておきたい。

九点を、順に見る

見方を提案して、終わりたい。

九点の頬を、順に見比べてほしい。

いずれも、頬に赤みが差している。

とくに、鼻の脇と頬骨の上である。

その赤は、肌の色に混ぜられていない。

上から薄く重ねられている。

だから、下の色が透けて見える。

この重ね方が、血の通った肌に見える理由である。

顔の輪郭でも、目の描写でもない。

頬の赤の置き方に、この画家の腕がある。

離れて見て、そのあと近づいて見てほしい。

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