絵は、まだ動いている——ライダーのひび割れ
乾かないうちに塗り重ね、蝋まで混ぜたと伝えられる月夜の海は、完成から百年を経た今も変化を続けている。深いひび割れは劣化の記録であり、同時に描き方の記録でもある。金の革に描いた夕景まで、隠者の画家ライダーの八点を読む。

乾いた泥のように、画面が割れている
一枚の小さな絵から始めたい。

縦29.2センチ、横30.5センチ。ほぼ正方形の、小さな板絵である。
夜の海が描かれている。空の大半を、厚い雲のかたまりが占める。
雲の切れ間に、月が白く光る。海は暗く、大きくうねっている。
手前を一艘の帆船が走る。帆は黒い。ほとんど影絵である。
月と、黒い帆と、うねる海。それだけの画面である。
小ささも、この画家らしい。両の手のひらに載るほどである。
その小さな画面に、夜の海の全部が入っている。
細部はない。船具も、人影も、波頭のしぶきも描かれない。
夜の海を思い出すときの、記憶の像。それに近い絵である。
だが目を近づけると、別のものが見えてくる。
画面全体に、ひびが走っているのである。
細いひびではない。深く、幅のあるひびである。
絵の具の層が島のように割れ、縁が持ち上がりかけている。
日照りで干上がった泥の地面。そう言いたくなる表面である。
絵の具は厚い。小さな板の上に、幾層も積み重なっている。
その厚みごと、画面は割れている。
ひびは空を横切り、月を横切り、黒い帆をも横切る。
ひびの一本一本は、誰も引いていない線である。
画家が描いた線と、時間が引いた線。
この画面には、二種類の線が走っている。
描かれた夜の像と、割れた絵の具の層。
ふたつのものが、一枚の画面に重なって見えている。
この絵は、なぜこんな姿になったのか。
それが、このコラムの主題である。
「おそらく蝋も」——記録が言い淀む
作品の記録とは、本来、確定した事実を並べる欄である。
作者、題、制作年、材料。どれも一行で済むはずのものだ。
ところがライダーでは、その一行が揺れる。
所蔵館の記録は、この絵の技法をこう記している。
油彩、おそらく蝋も併用、板。
「おそらく」という言葉が、技法欄に入り込んでいる。
美術館の記録は、ふつう材料を言い切る。油彩・画布、と。
だがこの絵については、言い切れない。
何が混ぜられているのか、所蔵館にも確定できないのである。
蝋は、絵の具の艶や質感を変えるために使われることがある。
だが油と蝋とでは、固まり方がまるで違う。
その混在が、のちに画面へ何をもたらすか。答えはあとで見る。
制作年の欄も「1870〜90年」と記される。20年の幅がある。
いつ描き始められ、いつ手が離れたのか。それも決められない。
技法も、年代も、確定できない。
一枚の絵の履歴が、これほど曖昧な画家はめずらしい。
記録の歯切れの悪さそのものが、この画家の入口になる。
捕鯨の港町から来た画家
アルバート・ピンカム・ライダー。
1847年、マサチューセッツ州ニューベッドフォードに生まれた。
捕鯨で栄えた港の町である。少年の目は、海と船を覚えた。
沖へ出ていく帆船。霧の朝の岸壁。月の出の水平線。
のちに繰り返し描かれる光景は、この町の記憶と重なっている。
やがてニューヨークに移り住み、1917年に世を去った。
大都会に暮らしながら、画壇の華やかさからは距離を置いた。
隠者のような画家。そう評されることの多い人である。
題材は海と月夜、そして文学や物語の場面に絞られていった。
残された作品の数は、多くないと言われる。
暮らしぶりは、極端に無頓着だったと伝えられる。
財産にも、身なりにも、関心が薄かったという。
部屋はごみと古紙と絵で埋まっていたと伝えられる。
注文や納期より、自分の納得を優先する画家だったのだろう。
そして絵を売り急がず、何年も画架の上に置き続けた。
乾かないうちに、その上からまた塗った。
油や蝋、ときにはろうそくの脂まで混ぜたと伝えられる。
同じ画面を、飽きずに何年も見つめ続ける。
その時間の使い方が、そのまま絵の具の層になっていった。
画家の関心は、目の前の画面の光にしかなかったのだろう。
その絵の具が十年後にどうなるかは、考えの外にあった。
金の革に、夕暮れを置く
若い頃の仕事に、風変わりな二点がある。

横に長い画面である。縦25.7センチ、横70.5センチ。
高さの三倍近い横幅。帯のような画面である。
そして支持体は画布ではない。金箔押しの革である。
金地の上に、油絵の具で夕景が描かれている。
浜辺に低い家が並ぶ。水際には舟が引き上げられている。
空は夕暮れの色。絵の具の薄いところから、金の地が透ける。
夕闇の迫る入り江に、灯りは見えない。
家々は黒い塊になり、空の残照だけが金地と響き合う。
題は《密輸者の入り江》。人気のない浜が、密事の舞台めいて見える。
とはいえ、物語を説明する細部は描かれていない。
夕闇と静けさだけが、この題を支えている。
橋の向こうに、金の空

こちらも金箔押しの革である。縦25.4センチ、横67.9センチ。
石のアーチ橋が、暗い水面をまたぐ。空には夕日の名残がある。
橋は影となり、アーチの形だけが残照の中に浮かぶ。
昼と夜の境の、短い時間が選ばれている。
この横長の形と金の下地は、装飾のための仕事と考えられる。
室内を飾るパネルや衝立。そうした注文に応えたものだろう。
装飾の仕事にも、ライダーは夕暮れと闇を持ち込んだ。
金の輝きは、飾りではなく、沈む日の光として使われている。
支持体が何であれ、関心はいつも、光と闇の境目にあった。
そして画面は、ここからしだいに夜へと向かっていく。
問い——なぜ、これほど割れるのか
ここで問いを立てたい。
ライダーの絵は、なぜどれも深いひびに覆われているのか。
百年以上前の油絵に、ひびはつきものである。
だがライダーのひびは、程度が違う。
古い絵にふつう見られるのは、網の目のような細かい亀裂である。
ライダーの画面は、地割れのように深く、塊ごと分かれている。
しかも一枚だけの話ではない。多くの作品が、同じ姿をしている。
答えは、描き方そのものにある。
油絵の具は、表面から先に乾いていく。
下の層が乾かないうちに塗り重ねると、乾く速さがずれる。
上の皮膜が先に固まり、下の層があとから縮んで動く。
固まった皮膜は引っ張られ、耐えきれずに裂ける。
さらに、性質の違う層は、たがいに完全には密着しない。
上の層だけがずれ、時間をかけて垂れることも起きる。
ライダーは何年も、乾かない絵の上に塗り重ねた。
しかも油や蝋など、乾き方の違う材料を混ぜたと伝えられる。
材料の科学が画家に共有されるのは、のちの時代の話である。
彼は目の前の効果だけを頼りに、混ぜていったのだろう。
不安定な層の上に、また不安定な層が載る。
ひび割れは事故ではない。この描き方の、必然の結果だった。
言いかえれば、ひびは描き方の写しである。
塗り重ねの年月が長い絵ほど、画面は深く割れていく。
ひびを読めば、塗りの歴史が読める。
この視点を持って、ほかの作品を見ていきたい。
月の下の、小さな舟

縦29.2センチ、横30.5センチ。《月光の海》と同じ寸法の板である。
ライダーはこの小さな板を、夜の海の定型として使ったのだろう。
月が雲の間に浮かび、海面に光の道が落ちる。
その光の中を、帆を上げた小さな舟が進んでいく。
舟は波に持ち上げられ、月光の道を横切ろうとしている。
空も海も、少ない色でまとめられている。
月の白だけが、画面の芯として光る。
題は《海の労働者たち》。ユゴーの小説と同じ題である。
海に生きる者の労苦を描いた文学。少年期の港の記憶。
そのふたつが、月夜の画面のうえで溶け合っている。
夜の水辺を描いた画家は、同じ時代のほかにもいた。
ホイッスラーのノクターンである。
大西洋の両側で、同じころ、夜の水面が絵になっていた。
だがホイッスラーの夜が霧のように静かなのに対し、こちらの夜はうねる。
波は厚い絵の具の起伏そのものとして、画面に刻まれている。
空が、擦られ、また塗られて

縦50.8センチ、横61センチ。1900年ごろの作である。
大きな黒い雲が、画面の上半分を覆う。
その下を、帆を張った船が傾きながら進む。
空をよく見ると、色がまだらである。
塗っては擦り、掻き取り、また塗る。その痕跡が層になって残る。
雲そのものが、描き直しの堆積でできている。
まだらな空は、仕上げ損ないの跡ではない。
むしろ、この絵の重い空気そのものになっている。
ライダーは空の形を、一度では決めなかった。
納得のいく重さの雲になるまで、描き直し続けたのだろう。
1900年ごろといえば、画家は五十代である。
海と船の主題は、生涯を通して手放されなかった。
題は《雲の下》。この画家の画業を要約するような題である。
黒い雲の下を、それでも船は進んでいく。
白い馬のいる、静かな昼

意外な一枚かもしれない。月も海も、ここにはない。
農場の白い馬と荷車。かたわらで馬具が繕われている。
1870年代、まだ若いライダーが選んだ画題である。
白い馬の体には、やわらかい光がまわる。
画面はまだ明るく、昼の空気が流れている。
穏やかな農村の情景から、この画家は出発した。
所蔵館の記録によれば、画面の右下に署名がある。
所蔵記録には、画商や収集家の名が連なっている。
1917年、ニューヨークの収集家の手に渡ったとも記される。
画家が世を去ったのと、同じ年である。
主題も筆致も、後年の夜の絵とはまるで違う。
だが画面を満たす静けさは、すでにこの頃からある。
同じ時代のアメリカには、風景を心の像へ寄せる画家たちがいた。
輪郭が溶けるイネスも、その一人である。
ライダーはやがて、その道をさらに奥へ、夜の側へと進む。
完成の日付が、決められない

暗い木立の間に、二人の人物が立つ。
二人の姿は小さく、うねる木々の影に包まれている。
題はシェイクスピア劇の森と同じ名である。
現実の森ではなく、物語の中の森が描かれている。
所蔵館の記録は、制作年をこう記す。
「1888〜97年(?)、1908年(?)に加筆」。
疑問符がふたつ。制作と加筆の間には、十年以上の隔たりがある。
一度は仕上げたはずの絵にも、また手を入れたらしいのである。
そのとき何を直したのかは、記録からは分からない。
ただ、直したらしいという痕跡だけが残っている。
こうした書き方は、ライダーの記録ではめずらしくない。
年代に幅があり、疑問符がつき、加筆の注が添えられる。
ライダーにとって、絵に完成の日はなかった。
画架の上にある限り、絵は描かれている途中だった。
楽劇の興奮を、そのまま夜へ

月夜の岸辺である。うねる木々。騎馬の英雄。水の中の乙女たち。
馬上の英雄は、水辺から呼びかける乙女たちを見下ろしている。
ワーグナーの楽劇に基づく主題である。
物語の一場面というより、物語の記憶の像に近い。
オペラを聴いた夜、興奮のまま夜通し描き始めたと伝えられる。
月は雲間から、岸辺と川面を照らす。
空も木も水も、同じ大きなうねりに巻き込まれている。
木々は炎のようにうねり、雲は渦を巻く。
風の描写ではない。風もないのに、木々は身をよじっている。
音楽の高揚が、そのまま筆の運動になったかのようである。
所蔵記録によれば、1891年までには最初の所有者の手にあった。
その後カナダの収集家に渡り、1946年に所蔵館が購入している。
画家の存命中から、この絵は収集家の間を渡っていた。
求める人は、早くからいたのである。
制作年は1888〜91年。この絵にも、数年の幅がある。
一夜の興奮で始まった絵さえ、仕上げには年月がかかった。
美術館は止めたい、絵は動きたい
ライダーの絵は、修復家にとって最難関の部類とされる。
深いひび割れ。画面の暗色化。乾ききらない層の垂れ。
不安定な層構造は、百年を経た今もなお動くとされる。
修復には、難しい判断がつきまとう。
どこまでが劣化で、どこからが画家の意図した表面なのか。
ライダーの場合、その線引きがとりわけ難しいとされる。
美術館は温度と湿度を保ち、変化を止めようとする。
だが絵は、描かれたときの材料の性質のまま、変わろうとする。
止めたい側と、動きたい側。
額の中で、その綱引きが静かに続いている。
展示室の絵は、止まって見える。
だが保存の現場では、いまも動く相手として扱われている。
興味深いのは、受け手の側の歴史である。
この深いひび割れは、欠陥として退けられてこなかった。
むしろ「ライダーらしさ」として受け取られてきた。
夢のような風景に走る亀裂は、絵の一部になったのである。
最も多く贋作された画家
もうひとつ、ライダーには不名誉な記録がある。
没後、アメリカで最も多く贋作された画家の一人と言われるのである。
理由は皮肉なものだった。
構図は単純である。船と月と雲。形の数が少ない。
表面は荒れている。細部の技巧を問われない。
真似やすい、と見えたのだろう。
だが本物の表面は、何年もかけた層の重なりから生まれた。
短時間で作った荒れとは、構造が違う。
何十年ぶんの乾燥と収縮は、一晩では再現できない。
真贋の判定では、ひびの入り方や層の重なりが手がかりになるとされる。
ひびこそが、偽造しにくい署名だったのである。
皮肉は、もうひとつある。
贋作の多さは、需要の多さの裏返しである。
死後のライダーが、それほど強く求められたということでもある。
なお、当サイトが扱うのは、美術館が所蔵し調査を経た作品である。
ここに並べた図版は、いずれも所蔵館の記録を持っている。
1913年、若い世代のまなざし
晩年に、ひとつの出来事があった。
1913年、ニューヨークでアーモリー・ショーが開かれた。
ヨーロッパの前衛美術をアメリカに紹介した、歴史的な展覧会である。
老いたライダーは、そこに招待展示された。
会場には、ヨーロッパの新しい絵が並んでいた。
その中で、この隠者の夜の絵は、古びて見えなかったのだろう。
新しい絵画を求める若い世代が、ライダーを先駆と仰いだのである。
見たままを写すのではなく、形を単純にし、心の像を描く。
その道を、ライダーは独りで、誰よりも早く歩いていた。
独りで塗り重ねた歳月が、新しさとして見出されたのである。
見立て——絵は、いまも描かれている途中
当サイトの見立てを述べたい。
ライダーの絵は「完成品」ではない。
ゆっくり進行中の、出来事である。
彼は完成の日付を決めなかった。何年でも塗り重ねた。
そして手を離れたあとも、絵の具の化学変化が続いた。
ひび割れも、垂れも、暗色化も、その続きである。
修復の理想は、絵を「元の姿」へ戻すことだと語られる。
だがライダーの「元の姿」とは、いつの姿のことなのか。
描き始めた日か。手放した日か。加筆を終えた日か。
どの一日を選んでも、ほかの日々の絵ではなくなってしまう。
ふつう、作品の変化は損失として数えられる。
だがライダーの場合、変化は作品の性格そのものである。
つまりこの絵には、画家の死後の時間まで含まれている。
絵にとっての時間は、画家の死で止まらなかったのである。
だからこの画家の前では、「いつの絵か」という問いが揺らぐ。
答えは一つの年ではなく、経過した時間の全体になる。
美術館が変化を止めようとし、絵が変わり続けようとする。
その静かなせめぎ合いの現在地が、いま目の前にある。
ひびの網目を、読む
最後に、もういちど《月光の海》に戻りたい。
小さな板の上の、月と黒い帆。そして、全面を覆うひび。
拡大画像で、そのひびの網目をたどってみてほしい。
ひびは劣化の記録である。同時に、描き方の記録でもある。
どこに厚く塗り重ねたか。どこで層と層が争ったか。
網目は、その履歴を地図のように示している。
月と黒い帆は、百年前と同じ夜の中にある。
だがそれを載せた絵の具は、今夜も少しずつ動いている。
そしてその網目は、来年にはわずかに変わっているかもしれない。
完成を拒んだ画家の絵は、いまも完成を拒み続けている。
その表面を見つめることは、絵の時間に立ち会うことである。


