輪郭が、溶けていく——ジョージ・イネスの四十年
1861年の虹ははっきり描かれ、1891年の花は輪郭を失う。ジョージ・イネスの四十年で、輪郭が溶けていく過程をたどる。八点を年代順に並べ、断定を避けながら変化の記述を試みる。材料の記録にも触れる。大画面と小品の使い分けも見ておきたい。

虹が、はっきり描かれている
一枚の絵から始めたい。

横長の画面である。縦91.4センチ、横127.6センチ。
画面の中央を、川が奥へ伸びる。水面は明るく、対岸の緑を映す。
その上に、虹が架かる。左の丘から立ち上がり、画面の上部で雲に消える。
赤、橙、黄の帯がはっきり分かれている。
空は厚い雲に覆われる。灰色と褐色が混ざり、右上に明るい切れ間がある。
手前の岸は緑の草地で、牛が数頭いる。
奥には山が連なり、輪郭がはっきり見える。
細部が、描き分けられている
描写の密度を確かめたい。木の葉は塊ごとに描かれ、明るい面と暗い面が分かれる。
岸の岩には、割れ目と苔が描かれる。
牛は小さいが、体の向きと色が判別できる。
つまり、対象の輪郭がはっきりしている。
三十年後の一点
同じ画家の、遅い時期の作を見たい。

同じ画家の作である。しかし、見え方がまるで違う。
画面の下半分は、明るい緑の草地である。上半分は、淡い青灰色の空と木立である。
中央に白い花の木が二本。輪郭はぼやけ、絵具が霞のように広がる。
左に小さな家が見える。壁の線は溶け、形だけが残る。
草地に人物が一人。白い衣で、輪郭は数筆である。
つまり、対象の輪郭が失われている。
問い——輪郭は、なぜ溶けたのか
ここで問いを立てたい。1861年の画面には、はっきりした輪郭があった。
1891年の画面には、それがない。
三十年のあいだに何が起きたのか。技術か、思想か、材料か。
当サイトにはジョージ・イネスの作品が22点公開されている。
制作年順に並べて確かめたい。
大画面の一点
まず、中間の時期を見たい。

大きい。縦197.2センチ、横285.4センチ。横幅は二メートル八十を超える。
画面の左に、大きな木が二本立つ。葉が塊になって重なる。
その右に、平らな畑が広がる。刈り入れの済んだ地面が褐色に見える。
畑には人が数人。腰をかがめ、作業をしている。
奥には低い丘が横たわり、その上に空が広がる。
空は黄土色と灰色で、雲が横に流れる。上部に青が覗く。
題名が、時代を示している
題名にも触れておきたい。「平和と豊穣」である。
制作年は1865年。アメリカの南北戦争が終わった年にあたる。
つまり、戦後の平和を主題にしたと考えられる。
ただし、画面に戦争の痕跡は描かれていない。刈り入れの済んだ畑と、働く人がいるだけである。
題名と画面を突き合わせて初めて、意味が読める。
光が、画面を統一する
技法にも触れたい。この画面では、すべての色が黄土色を帯びている。
木も、畑も、空も、同じ色調に染まる。
つまり、光の色が画面全体を統一している。
夕方の光を選ぶと、この効果が出やすい。
黒い木立と、金色の空
十年後の一点を見たい。

横長の画面である。縦96.5センチ、横160.3センチ。
空が黄金色に輝く。上部は橙、下へ行くほど明るい。
その手前に、木立が黒く立つ。葉の塊が、影として見える。
右に枯れた木が一本。細い枝が空へ伸びる。
地面は暗く、道が右へ曲がって消える。
左奥に建物が小さく見える。屋根の形だけが分かる。
逆光という選択
光の位置を考えたい。この画面では、光源が奥にある。
つまり逆光である。手前のものは影になり、輪郭だけが残る。
細部は見えない。かわりに、形の輪郭が強く出る。
逆光を選ぶことは、細部を描かない選択でもある。
輪郭が溶ける過程は、この選択から始まっている。
イタリアで描いた一点
場所の幅も見ておきたい。

これも大画面である。縦200センチ、横301センチ。
中央に、傘のような形の松が並ぶ。幹は細く高く、上部だけに枝が広がる。
地中海地域の松である。イタリアで描かれた。
その手前に、低い茂みと岩がある。人物が二人、小さく描かれる。
奥は平原で、霞んでいる。空は淡い黄土色で、雲がわずかに見える。
つまり、遠景がほとんど溶けている。
遠景から、溶け始める
変化の順序を考えたい。この一点では、近景の松は形がはっきりしている。
しかし遠景の平原は、色の帯になっている。
つまり、遠くから輪郭が失われていく。
これは空気遠近法の延長でもある。ただし、その度合いが強い。
紙の作品
材料の幅も見ておきたい。

小さな紙である。縦17.8センチ、横31.4センチ。
丘の斜面が、画面の左から右へ下る。
その上にオリーヴの木が数本。灰緑色の葉が、丸い塊になって並ぶ。
木の下に白い岩が散る。
奥には平原が広がり、区画された畑が細かく見える。
空は白く、紙の色に近い。
つまり、紙の色をそのまま空として使っている。
紙の色を、残す
技法を確かめたい。この紙は青みを帯びている。
その上にグワッシュで明るい部分を置き、黒鉛で線を加える。
紙の色は、そのまま中間の明るさとして働く。
同じ方法は、別のコラムでも扱った。
旅先の記録では、この方法が効率的である。