画家を知る

輪郭が、溶けていく——ジョージ・イネスの四十年

1861年の虹ははっきり描かれ、1891年の花は輪郭を失う。ジョージ・イネスの四十年で、輪郭が溶けていく過程をたどる。八点を年代順に並べ、断定を避けながら変化の記述を試みる。材料の記録にも触れる。大画面と小品の使い分けも見ておきたい。

デラウェア・ウォーター・ギャップ
ジョージ・イネス《デラウェア・ウォーター・ギャップ》メトロポリタン美術館蔵

虹が、はっきり描かれている

一枚の絵から始めたい。

デラウェア・ウォーター・ギャップ
ジョージ・イネス《デラウェア・ウォーター・ギャップ》1861年。油彩・画布。縦91.4センチ、横127.6センチ。メトロポリタン美術館蔵。ジョージ・イネス《デラウェア・ウォーター・ギャップ》メトロポリタン美術館蔵

横長の画面である。縦91.4センチ、横127.6センチ。

画面の中央を、川が奥へ伸びる。水面は明るく、対岸の緑を映す。

その上に、虹が架かる。左の丘から立ち上がり、画面の上部で雲に消える。

赤、橙、黄の帯がはっきり分かれている。

空は厚い雲に覆われる。灰色と褐色が混ざり、右上に明るい切れ間がある。

手前の岸は緑の草地で、牛が数頭いる。

奥には山が連なり、輪郭がはっきり見える。

細部が、描き分けられている

描写の密度を確かめたい。木の葉は塊ごとに描かれ、明るい面と暗い面が分かれる。

岸の岩には、割れ目と苔が描かれる。

牛は小さいが、体の向きと色が判別できる。

つまり、対象の輪郭がはっきりしている。

三十年後の一点

同じ画家の、遅い時期の作を見たい。

春の花、ニュージャージー州モンクレア
ジョージ・イネス《春の花、ニュージャージー州モンクレア》1891年ごろ。画布に油彩とクレヨンまたは木炭。縦73.7センチ、横114.9センチ。メトロポリタン美術館蔵。ジョージ・イネス《春の花、ニュージャージー州モンクレア》メトロポリタン美術館蔵

同じ画家の作である。しかし、見え方がまるで違う。

画面の下半分は、明るい緑の草地である。上半分は、淡い青灰色の空と木立である。

中央に白い花の木が二本。輪郭はぼやけ、絵具が霞のように広がる。

左に小さな家が見える。壁の線は溶け、形だけが残る。

草地に人物が一人。白い衣で、輪郭は数筆である。

つまり、対象の輪郭が失われている。

問い——輪郭は、なぜ溶けたのか

ここで問いを立てたい。1861年の画面には、はっきりした輪郭があった。

1891年の画面には、それがない。

三十年のあいだに何が起きたのか。技術か、思想か、材料か。

当サイトにはジョージ・イネスの作品が22点公開されている。

制作年順に並べて確かめたい。

大画面の一点

まず、中間の時期を見たい。

平和と豊穣
ジョージ・イネス《平和と豊穣》1865年。油彩・画布。縦197.2センチ、横285.4センチ。メトロポリタン美術館蔵。ジョージ・イネス《平和と豊穣》メトロポリタン美術館蔵

大きい。縦197.2センチ、横285.4センチ。横幅は二メートル八十を超える。

画面の左に、大きな木が二本立つ。葉が塊になって重なる。

その右に、平らな畑が広がる。刈り入れの済んだ地面が褐色に見える。

畑には人が数人。腰をかがめ、作業をしている。

奥には低い丘が横たわり、その上に空が広がる。

空は黄土色と灰色で、雲が横に流れる。上部に青が覗く。

題名が、時代を示している

題名にも触れておきたい。「平和と豊穣」である。

制作年は1865年。アメリカの南北戦争が終わった年にあたる。

つまり、戦後の平和を主題にしたと考えられる。

ただし、画面に戦争の痕跡は描かれていない。刈り入れの済んだ畑と、働く人がいるだけである。

題名と画面を突き合わせて初めて、意味が読める。

光が、画面を統一する

技法にも触れたい。この画面では、すべての色が黄土色を帯びている。

木も、畑も、空も、同じ色調に染まる。

つまり、光の色が画面全体を統一している。

夕方の光を選ぶと、この効果が出やすい。

黒い木立と、金色の空

十年後の一点を見たい。

マサチューセッツ州メドフィールドの夕暮れ
ジョージ・イネス《マサチューセッツ州メドフィールドの夕暮れ》1875年。油彩・画布。縦96.5センチ、横160.3センチ。メトロポリタン美術館蔵。ジョージ・イネス《マサチューセッツ州メドフィールドの夕暮れ》メトロポリタン美術館蔵

横長の画面である。縦96.5センチ、横160.3センチ。

空が黄金色に輝く。上部は橙、下へ行くほど明るい。

その手前に、木立が黒く立つ。葉の塊が、影として見える。

右に枯れた木が一本。細い枝が空へ伸びる。

地面は暗く、道が右へ曲がって消える。

左奥に建物が小さく見える。屋根の形だけが分かる。

逆光という選択

光の位置を考えたい。この画面では、光源が奥にある。

つまり逆光である。手前のものは影になり、輪郭だけが残る。

細部は見えない。かわりに、形の輪郭が強く出る。

逆光を選ぶことは、細部を描かない選択でもある。

輪郭が溶ける過程は、この選択から始まっている。

イタリアで描いた一点

場所の幅も見ておきたい。

バルベリーニ荘の松林
ジョージ・イネス《バルベリーニ荘の松林》1876年。油彩・画布。縦200センチ、横301センチ。メトロポリタン美術館蔵。ジョージ・イネス《バルベリーニ荘の松林》メトロポリタン美術館蔵

これも大画面である。縦200センチ、横301センチ。

中央に、傘のような形の松が並ぶ。幹は細く高く、上部だけに枝が広がる。

地中海地域の松である。イタリアで描かれた。

その手前に、低い茂みと岩がある。人物が二人、小さく描かれる。

奥は平原で、霞んでいる。空は淡い黄土色で、雲がわずかに見える。

つまり、遠景がほとんど溶けている。

遠景から、溶け始める

変化の順序を考えたい。この一点では、近景の松は形がはっきりしている。

しかし遠景の平原は、色の帯になっている。

つまり、遠くから輪郭が失われていく。

これは空気遠近法の延長でもある。ただし、その度合いが強い。

紙の作品

材料の幅も見ておきたい。

ティヴォリのオリーヴの木
ジョージ・イネス《ティヴォリのオリーヴの木》1873年。色繊維入りの青い織紙にグワッシュ、水彩、黒鉛。縦17.8センチ、横31.4センチ。メトロポリタン美術館蔵。ジョージ・イネス《ティヴォリのオリーヴの木》メトロポリタン美術館蔵

小さな紙である。縦17.8センチ、横31.4センチ。

丘の斜面が、画面の左から右へ下る。

その上にオリーヴの木が数本。灰緑色の葉が、丸い塊になって並ぶ。

木の下に白い岩が散る。

奥には平原が広がり、区画された畑が細かく見える。

空は白く、紙の色に近い。

つまり、紙の色をそのまま空として使っている。

紙の色を、残す

技法を確かめたい。この紙は青みを帯びている。

その上にグワッシュで明るい部分を置き、黒鉛で線を加える。

紙の色は、そのまま中間の明るさとして働く。

同じ方法は、別のコラムでも扱った。

旅先の記録では、この方法が効率的である。