画家を知る

輪郭のない花——オディロン・ルドン

ルドンの花瓶は、卓に載っていない。支える面を描かず、背景を曖昧にしたまま花を浮かべる。曖昧さは選ばれている。公開分に偏りがあることも含めて、九点で読み直したい。装飾として注文された縦長の対も見ておきたい。

花束
オディロン・ルドン《花束》メトロポリタン美術館蔵

花瓶が、卓に載っていない

一枚の絵から始めたい。

花束
オディロン・ルドン《花束》1900〜1905年ごろ。紙にパステル。縦80.3センチ、横64.1センチ。メトロポリタン美術館蔵。オディロン・ルドン《花束》メトロポリタン美術館蔵

縦長の画面である。縦80.3センチ、横64.1センチ。

中央に青い花瓶があり、そこから花が広がっている。

花の種類は多い。白、赤、桃色、黄、紫。菊、ひなげし、小さな野の花。

一つずつの花は明確な形を持っている。輪郭がはっきりしている。

しかし全体の配置は自由で、茎の位置が追えない。

花瓶は青く、表面に赤と桃色の模様が浮かぶ。

そして重要なのは、その下である。

卓の線がない。花瓶が何に載っているのか分からない。

背景は褐色から桃色へ移り、下方に紫の帯がある。

床とも壁とも読めない、曖昧な面である。

つまり空間が描かれていない。

パステルの粒も見ておきたい。

紙の目に粉が引っかかり、細かい点として残っている。

だから色が混ざりきらず、隣り合った色が並んで見える。

赤の隣に桃色、青の隣に紫。混色ではなく並置である。

離れて見ると、色が空気の中で溶けたように見える。

粉の絵具にしかできない効果である。

同じ効果を油彩で出すには、細かい筆触を重ねる必要がある。

支える面を、描かない

静物画では通常、卓の面が描かれる。

水平線が一本入るだけで、物は「置かれている」ことになる。

その線を消すと、物は宙に浮く。

この画家の花の絵では、その線がしばしば省かれている。

結果として、花瓶と花は現実の場所から切り離される。

主題は「卓上の花」ではなく、「花という現象」になる。

この扱いは、当時の詩や文学の傾向とも重なる。

19世紀末のフランスでは、目に見えるものの背後を示唆する表現が広まった。

象徴主義と呼ばれる傾向である。

具体的な場所や時刻を消し、暗示だけを残す。

絵から卓の線を消すことは、その方法の一つと言える。

ただし、画家本人がどう説明したかは公開記録では追えない。

ここでは絵から読めることに限って書いておく。

花という主題の位置

花の絵は、19世紀の美術の序列では下位に置かれていた。

歴史画、肖像、風景、静物。静物はその末尾である。

にもかかわらず、花の絵は売れた。

家庭に飾りやすく、主題の説明が要らない。

だから多くの画家が、生活のために花を描いた。

この画家の場合、事情は少し複雑である。

前半生は幻想的な主題で知られ、批評家に高く評価された。

後半生になって、花の絵が増える。

つまり評価の高い分野から、売れる分野へ移っている。

その移行を「妥協」と読むこともできる。

しかし絵の側を見ると、そう単純ではない。

花の絵の中でも、空間を消し、色を自由に選ぶ実験が続いている。

主題を変えても、方法は引き継がれている。

売れる主題の中で自分の方法を通す。それは妥協とは違う。

分野の序列については別のコラムで扱った。

材料も、複数を使い分けている

技法にも幅がある。

この一点はパステルである。紙に粉状の絵具を擦り付けて描く。

粉なので境目をぼかしやすい。背景の曖昧さと相性がよい。

当サイトが公開する作品では、油彩、テンペラ、パステルが混在している。

つまり材料を主題に応じて選んでいる。

制作年にも特徴がある。

公開されている13点のうち、大半が1900年以降である。

つまり五十代から七十代の仕事にあたる。

晩年になって花の絵が増えたことは、よく指摘される。

理由として、市場の需要が挙げられることが多い。

花の絵は売りやすく、生活を支える主題だった。

同時に、色を扱う楽しみが増したという説明もある。

問い——輪郭のない絵は、何を描いているのか

ここから本稿の問いに入りたい。

当サイトが公開するこの画家の作品は13点ある。

内容は、花の絵と、神話や寓意の主題に分かれる。

いずれも空間が曖昧で、輪郭が溶けている。

その曖昧さは、何のためにあるのか。

以下、確かめていきたい。

先に結論を書いておく。

曖昧さは能力の不足ではなく、選択である。

そして選択の理由には、装飾としての用途と、暗示という主題が関わっている。

公開されている作品には、偏りがある

先に一つ断っておきたい。

この画家は、前半生に木炭と石版画で知られた。

黒一色の作品群で、幻想的な主題を扱っている。

しかし当サイトの公開分には、その黒の作品が含まれていない。

公開されているのは、後半生の色のある作品だけである。

つまり本稿で扱えるのは、この画家の後半だけである。

公開作品の構成が、画家の印象を左右する例である。

晩年に色が増えた事情

色の変化について、もう少し書いておきたい。

前半生の作品は、木炭と石版による黒一色が中心だった。

後半生になって、パステルと油彩の色のある作品が増える。

理由として挙げられるのは、需要と体調と交友である。

装飾の注文が入り、色のある作品が求められた。

パステルは油彩より扱いが軽く、体への負担が小さい。

そして同時代の若い画家たちとの交流が、色の実験を促した面もある。

いずれも推測を含む説明である。

確かなのは、公開分13点のほとんどが色のある後半の作品だという事実である。

油彩でも、背景は曖昧である

花瓶の花(桃色の背景)
オディロン・ルドン《花瓶の花(桃色の背景)》1906年ごろ。油彩・画布。縦72.7センチ、横54センチ。メトロポリタン美術館蔵。オディロン・ルドン《花瓶の花(桃色の背景)》メトロポリタン美術館蔵

こちらは油彩である。

白い花瓶に、花が盛り上がっている。

赤、橙、黄、紫、白。細かい花が密に集まる。

花瓶は素焼きのような白で、表面に汚れの跡が見える。

そして背景は桃色である。上部が明るく、下部がやや暗い。

卓の線はここにもない。花瓶の下は影として少し暗いだけである。

つまりパステルの絵と同じ構成である。

材料を変えても、空間の扱いは変わらない。

花瓶の描き方にも注目したい。

白い花瓶には、汚れやひびのような跡が描き込まれている。

つまり器は具体的に描かれ、周囲は曖昧である。

一点だけ現実の物を置くと、画面全体が夢のように見える。

すべてを曖昧にすると、絵は霞になってしまう。

一つ確かなものを残す判断が、効いている。