美術史・技法

モネはなぜ、同じ麦の山を二十五回描いたのか——連作という発明

同じ畑の同じ山を、光を変えて描き分ける。麦の山からロンドンの霧、そして睡蓮まで。モネの連作を「対象を固定して条件だけを動かす実験」として読み直し、制作年が完成年ではないことまでたどる。

積みわら(日没、雪の効果)
クロード・モネ《積みわら(日没、雪の効果)》シカゴ美術館蔵

同じ山が、二度ある

畑に、麦を積み上げた山がひとつ立っている。それだけの絵である。

積みわら
灰色がかった空、青い樹列、雪の残る地面。山の斜面には、赤褐色と青紫と白が短い筆で並べて置かれている。クロード・モネ《積みわら》シカゴ美術館蔵

背景には裸の木立が横一列に並び、その向こうに青い丘が見える。空は薄い灰紫。地面は雪をかぶり、青と桃色の斑で埋まっている。

人はいない。物語もない。ここまでは、当サイトで何度か扱ってきた「何も起きていない絵」の系列である。

ところが、同じ画家が同じ場所で描いた別の一枚を並べると、話が変わってくる。

積みわら(日没、雪の効果)
同じ畑、同じ冬。ただし空はオレンジと黄に燃え、雪は桃色に染まり、影は長く青く伸びている。山は二つある。クロード・モネ《積みわら(日没、雪の効果)》シカゴ美術館蔵

制作年はどちらも1890年から91年。場所はフランス北部、ジヴェルニーの村はずれの畑である。

一方は曇りの日中、もう一方は日没。それだけの違いで、画面はまったく別のものになっている。

このとき画家クロード・モネがやっていたことを、この記事では追いかけたい。同じものを何度も描く、という奇妙な仕事である。

何が違うのかを、数えてみる

二枚を見比べて、違いを具体的に拾ってみる。

まず、山の数が違う。最初の一枚は一つ、二枚目は大小二つ。立ち位置を変えているので、画面に入る山の数が変わっている。

次に、空である。曇りの一枚は上端まで灰紫で、明るさの変化がほとんどない。日没の一枚は上端が黄、下へ行くほどオレンジから桃色へ移る。

三つ目に、影。曇りでは山の足元がぼんやり滲むだけだが、日没では長い青の帯が右手前へ伸びている。

四つ目に、地面の色。同じ雪なのに、片方は青と白、もう片方は桃色と藤色である。夕日を受けた雪は、実際にこう見える。

そして五つ目、輪郭の強さ。曇りの一枚では山と背景の境がはっきりしているが、日没の一枚では山の縁が空に溶けかけている。

つまり変わっているのは、対象ではなく条件である。積まれた麦は動いていない。動いたのは光のほうだ。

対象を固定して、条件だけを変える。これは実験のやり方に近い。絵画の制作としては、かなり変わった態度である。

筆は、どう動いているか

拡大して、絵具の置き方を見ておきたい。ここに、この連作の方法が出ている。

山の斜面は、一色で塗られていない。赤褐色、青紫、白、緑がかった灰。短い筆の跡が、隣り合わせに並べて置かれている。

混ぜてから塗るのではなく、混ざらないまま並べる。少し離れて見ると、目のほうで混ざって一つの色に見える。

黒はほとんど使われていない。影の部分は、青や紫を重ねて暗くしている。

これは印象派の画家たちが共有していた方法である。影を「暗い色」ではなく「別の色」として扱う。

そしてもう一つ、下の層を完全には隠さない。乾いた絵具の上に、擦りつけるように次の色を置く。

その結果、画面の表面が細かく波打つ。光の当たり方で、絵そのものが少し違って見えるようになる。

ポール=ゴルフィルの岩、ベル=イル
《ポール=ゴルフィルの岩、ベル=イル》1886年。連作以前の一枚。筆は太く、形はまだ塊として捉えられている。クロード・モネ《ポール=ゴルフィルの岩、ベル=イル》シカゴ美術館蔵

四年前のこの海の絵と比べると、変化が分かる。岩は岩として、量感を持って描かれている。

麦の山の連作では、その量感が少しずつ後退していく。かわりに前へ出てくるのが、表面の色の震えである。

五十歳の画家が、畑にいた

この二枚が描かれたとき、モネは五十歳である。若い実験家ではない。

彼が仲間と最初の共同展を開いたのは1874年。そこに出した一枚の題名から、印象派という呼び名が生まれた。

以後、批判と苦境の時期が長く続く。売れない年月があり、家族を抱えて転居を重ねてもいる。

ジヴェルニーに移ったのは1883年、四十代の初めだった。当初は借家である。

そして1890年、彼はその家を買い取る。麦の山を描きはじめたのは、ちょうどその年の秋にあたる。

長い不安定の末に、ようやく土地に腰を据えた画家が、家のすぐ外にある畑を主題に選んだ。この符合は覚えておいてよい。

遠くへ出かけなくてよい。天気が変わったらすぐ戻れる。連作という方法は、この生活の条件があってはじめて成立する。

戸外で描くための道具

もうひとつ、時代の条件にも触れておきたい。屋外で油彩を描くことは、それほど古い習慣ではない。

十九世紀の半ばまで、絵具は画家が自分で練るものだった。持ち運べる形にはなっていない。

金属のチューブに絵具を詰める方法が普及したのは十九世紀の後半である。これで、絵具は屋外へ持ち出せるものになった。

同じ頃、鉄道が郊外まで伸びた。画家は都市を離れ、日帰りで自然の中へ行けるようになる。

折りたたみの画架、日除けの傘、持ち運びの箱。道具が揃って、はじめて「外で描く」ことが日常の作業になった。

もっとも、冬の畑は快適な職場ではない。手がかじかみ、雪が降り、光は数十分で変わる。

彼が複数の画布を同時に扱ったのは、美学上の選択であると同時に、時間との競争でもあった。一枚に粘っていると、その日の光が終わってしまう。

そもそも、これは「積みわら」ではない

日本語では長く「積みわら」と呼ばれてきた連作である。ただ、描かれているのは藁ではない。

刈り取った小麦を、穂のついたまま畑に積み上げたものである。所蔵館の題名も《Stack of Wheat》——小麦の山、となっている。

なぜ積むのか。脱穀は冬のあいだに少しずつ行われたため、それまで畑に置いて保存する必要があった。

雨をしのげるように上を尖らせ、内側を乾いた状態に保つ。農作業の道具であり、収穫の貯金でもある。

高さは人の背丈の二倍から三倍ほどになる。絵の中の山が思ったより大きいのは、そのためである。

英語の Haystack という呼び名を経由するうちに、日本語では藁の山になった。呼び名だけが独り歩きした例である。

とはいえ、この誤解はモネの意図から遠くない。彼が描きたかったのは麦でも藁でもなく、その塊に当たる光だったからだ。

主題が何であるかは、この連作ではほとんど問題にならない。だからこそ、身近で、動かず、単純な形のものが選ばれている。