モネ《積みわら》の解説——なぜ同じ麦の山を何枚も描いたのか
モネ《積みわら》の解説。同じ麦の山を季節と時刻を変えて描いた連作で、シカゴ美術館が6点を所蔵する。館の記録では山の高さは4.5メートルから6メートル。なぜ何枚も描いたのか、山が一つの絵と二つの絵で何が違うのかを、館の記録と画面から読む。

クロード・モネが1890年から1891年にかけて描いた連作である。同じ麦の山を、季節と時刻を変えて何枚も描いた。シカゴ美術館はこの連作をまとめて所蔵し、当サイトではそのうち6点を公開している。館の解説は、同館の所蔵を世界最大のまとまりと記す。

《積みわら》はどこで見られるか
シカゴ美術館である。当サイトで公開している6点は、すべて同館の所蔵になる。
館の記録では、6点とも2026年10月17日の時点で展示中とされ、243番の展示室に置かれている。
6点が同じ部屋に並ぶ。連作を見るには、これ以上ない条件である。
ただし展示の有無と部屋番号は入れ替わる。訪ねる前に、館の記録で確かめるとよい。
日本を巡回したこともある
館の展覧会歴によれば、《積みわら》と題された1点が、1985年から1986年にかけて日本を回っている。
東京の西武美術館が1985年10月18日から12月17日まで展示した。出品番号は57とある。
続いて福岡市美術館が1986年1月5日から2月2日まで、京都市美術館が同年3月4日から4月13日まで展示したと記録される。
同館の印象派の収集品をまとめて紹介する展示だった。以後、この6点がそろって日本へ来た記録は館の展覧会歴に無い。
何を積んだ山なのか
麦の山である。館が付けている題がそう記している。
館の解説では、山は高さ4.5メートルから6メートルほどあった。画家の農家のすぐ外に立っていたという。
場所はジヴェルニーである。館の画家紹介は、パリの北西にあるこの村に家を買ったあと、画家が積みわらと睡蓮を描いたと記す。
高さは人の背丈の3倍前後になる。絵の中で山が大きく見えるのは、構図の誇張ではない。
同じ紹介は、画家が戸外で直接描き、のちにアトリエで手を入れることもあったと述べる。この連作も、その描き方の上にある。
かつては干し草と呼ばれていた
いまの館の題は麦だが、昔からそう呼ばれていたわけではない。館の展覧会歴に、呼び名の移り変わりが残っている。
1910年にシカゴ美術館で開かれたパーマー夫人の収集品展では、1点が「冬の干し草の山」という題で出ている。
1915年にミネアポリスの美術館で開かれた開館記念展でも、別の1点が「干し草の山」として出ている。
館はいま、これを麦の山と記録する。干し草ではない。
日本語の《積みわら》という題は、どちらとも決めずに済む言い方になっている。英語圏で長く干し草と呼ばれてきたことの名残でもある。
館の解説は、画家にとってこの山が糧と生存の象徴だったと述べる。これは館の見解である。
なぜ同じ山を何枚も描いたのか
光が移るからである。
館の解説は、画家が1890年と1891年を通じて、野では複数のイーゼルを同時に立てて描いたと記す。
光が変われば、描きかけのカンヴァスを置いて別のカンヴァスへ移る。そういう描き方になる。
そのうえで館は、画家がアトリエに戻って画面の色の釣り合いを整えたとも書く。
だから連作は、その場かぎりの記録ではない。野で得た色を、あとから手を入れて仕上げている。
主題を固定すると、残りが光として見える
同じ山を6回描いても、形はほとんど変わらない。変わるのは色と明るさだけである。
これが連作の仕掛けになっている。主題を動かさないから、画面に残る違いがすべて光の違いとして読める。
6点の署名を見ると、年記はいずれも91で揃う。館の銘記欄にそう記録されている。
制作年は1890年から1891年とされる。署名だけが1891年で揃うのは、仕上げがその年に及んだこととつじつまが合う。
連作は全部で何点あるのか
館の記録には書かれていない。
館が記すのは、1891年5月に15点を一室へ並べたことと、同館の所蔵が世界最大のまとまりであることだけである。
当サイトが公開しているのは、そのシカゴ美術館の所蔵から6点である。連作のすべてではない。
点数を一つに決める記述は、ここで参照した館の記録には無い。数が気になるときは、まず所蔵館の記録にあたるのが確実である。

山が一つの絵と、二つの絵がある
館の題は、山が一つのものと二つのものを書き分けている。当サイトの6点では、一つが3点、二つが3点である。
目を引くのは寸法である。この二つが、別々の大きさのカンヴァスにきれいに分かれている。
館の記録から横幅を並べるとこうなる。山が一つの3点は、92.3センチ、92.5センチ、93センチ。
山が二つの3点は、100.4センチ、100.5センチ、101センチである。縦はどちらも60センチから66センチの間に収まる。
つまり、山を二つ入れる画面のほうが8センチほど横に長い。6点の記録を並べるかぎり、この分かれ方に例外は無い。
画家が意図してカンヴァスを選び分けたのかどうかは、館の記録には書かれていない。ただ、結果としてそう分かれている。
縦の長さがほぼ同じで横だけ伸びる。山が増えたぶん、横へ場所を足したように見える。
雪・雪解け・日没——6点を並べて読む
夏と秋の2点は、同じ二つの山を同じ位置から見ている
《積みわら(夏の終わり)》と《積みわら、日の終わり、秋》は、山の並びが同じである。
右に大きい山、中央左に小さい山。どちらも円錐の笠を載せた形で立つ。
奥には木立が横に連なり、その向こうに低い丘が霞む。木立の切れ目には、小さな屋根と壁がのぞく。
違うのは光である。夏の終わりのほうは、空が上で灰緑、地平の近くで淡い黄と桃に変わる。
地面は桃・青・薄紫・黄の細かい斜めの筆で埋まる。影は左から右へ流れている。
秋のほうは、空が橙と桃に染まり、上端だけが水色に抜ける。影はほとんど見えない。
日が沈みかけて、光が真横から弱く当たっている。同じ野が、こうも違う色になる。
館の解説は、秋の眺めではほぼすべて、円錐の頂が地平線を破って空へ食い込むと書く。この2点も確かにそうなっている。
冬の3点は、山を一つだけ画面に置く

《積みわら(雪の効果、曇りの日)》は、雪の野に山が一つ立つ。山は画面の左寄りにある。
頂は、奥に横たわる青い木立の帯の中に収まっている。空へは出ていない。
空の中ほどには、曇り越しの太陽が淡い黄の円としてにじむ。輪郭はぼけ、まぶしさは無い。
右奥には村の屋根がいくつか並び、雪をかぶっている。野の広さが、そこで初めて分かる。
館の解説は、連作の中核をなす冬の眺めの多くでは、山が丘と野の帯に包まれて見えると書く。この絵はその通りになっている。

季節の添え書きが無い《積みわら》は、雪が解けかけた野を描く。白い面に、土の色が斑に出ている。
山は中央寄りで、さきの絵より大きく見える。より近い位置から描いたことが分かる。
空は一面の灰色で、太陽の位置も分からない。奥には裸木の列と青い丘が横に連なる。
山の表面には、雪が白く残る部分と、藁の褐色が出ている部分が混じる。解けかけているのは地面だけではない。

《積みわら(雪解け、日没)》は、この《積みわら》とほとんど同じ画面である。
山の位置も大きさも、奥の木立の高さも、ほぼ重なる。地面に土の斑が出ているところまで同じである。
違うのは空だけで、こちらは黄と桃に染まっている。
そして山は逆光になり、細部の消えた赤褐色の塊になる。昼の絵では見えていた藁の表情が、ここでは沈む。
この2点を並べると、連作が何をしているかが一度で分かる。構図を動かさずに、光だけを入れ替えている。
同じ場所に立ち、同じ山を見て、時刻だけを変える。それを絵の数だけ繰り返した仕事である。
日没と雪が重なる1点

《積みわら(日没、雪の効果)》は、冬でありながら山が二つある。
大きいほうが画面の中央で手前に迫り、小さいほうは左奥に離れて立つ。
ほかの5点より、山との距離が近い。胴の張り出しや頂の傾きまで見える位置にいる。
空は上が橙で、下へ下がるにつれて黄に変わる。雪の面は桃と青の短い筆で埋まる。
白い絵具はほとんど使われていない。白いはずの雪が、桃と青と薄紫だけで組み立てられている。
さきほどの冬の眺めという言い方には、多くは、という但し書きが付いていた。
この1点は例外にあたる。大きい山の頂は、地平線を越えて空へ出ている。
1891年5月、15点を一室に並べた
館の解説によれば、1891年5月、画家はパリのデュラン=リュエル画廊の小さな一室に、この連作15点を隣り合わせに掛けた。
館はこの展示を、批評の面でも商いの面でも前例のない成功だったと書く。
そして画家の経歴にとっても、フランス美術の歴史にとっても転機だったと位置づける。
1枚ずつ切り離して見せるのではなく、同じ主題の15枚を一室に並べた。連作は、並べて初めて意味を持つ。
当サイトの6点のうち3点は、館の展覧会歴にこの展示への出品が記録されている。
《積みわら(夏の終わり)》が出品番号1、《積みわら(雪の効果、曇りの日)》が9である。
《積みわら(日没、雪の効果)》は13にあたる。別の2点についても、出品した可能性があると注記される。確定とはされていない。
2年のうちにアメリカへ渡った
絵は早く売れた。館の来歴欄では、《積みわら(雪の効果、曇りの日)》が1891年5月9日に2,500フランで画商へ渡っている。
《積みわら(日没、雪の効果)》は同じ年の7月20日に3,200フランである。描き上がった年のうちに、画家の手を離れた。
《積みわら(夏の終わり)》のたどった道は、とりわけ速い。
館の来歴欄によれば、1891年5月9日に3,000フランで画商へ渡っている。6月26日にはボストンの収集家へ5,000フランで売れた。
ところが8月4日、この絵は画家の別の作品との交換で画商のもとへ戻る。そして同じ日のうちにシカゴへ売られた。
画商はパリの在庫をニューヨークへ送り、そこからアメリカの収集家に渡していた。6点の来歴欄には、その流れがくり返し現れる。
なぜ6点がシカゴに集まったのか
買い手がシカゴにいたからである。館の来歴欄をたどると、6点のうち4点がパーマー家に行き着く。
《積みわら(日没、雪の効果)》は、1892年2月29日にポッター・パーマーが1,300ドルで買っている。
《積みわら(夏の終わり)》も、さきの交換の日にこの人物が6,000フランで買った。
《積みわら、日の終わり、秋》も同じ人物の手に渡った。ただし館は、画商の帳簿のあいだに売却日の食い違いがあると注記している。
この絵はのちにアニー・スワン・コバーンの手に移り、1933年に遺贈で館へ入った。
《積みわら》はバーサ・オノレ・パーマーが所蔵し、家に伝わったあと、1983年に館が購入している。
残る2点のうち、《積みわら(雪の効果、曇りの日)》は1893年3月31日にマーティン・ライアソンが購入した。
館の来歴欄では1,500ドルとあり、1933年に遺贈で館へ入っている。《積みわら(雪解け、日没)》はサール夫妻からの寄贈である。
制作から数年のうちに、シカゴの収集家が次々に買っていった。その蓄積が、いまの6点になっている。
見るときのポイント
輪郭を探すと、線が無いことに気づく。山の縁は、短い筆を幾重にも重ねた結果として現れる。
縁の筆は毛羽立ち、背景の色と噛み合っている。だから山は、切り抜いて貼ったようには見えない。
影の色を見るのもよい。雪の上の影は灰色ではなく、青と桃でできている。
絵具の厚みも手がかりになる。《積みわら(夏の終わり)》では、山の胴で絵具が厚く盛り上がる。
その盛り上がりの隙間から、下に塗った色がのぞく。画面に近づける機会があれば、斜めから見るとよく分かる。
空の筆の向きも手がかりになる。6点とも、空は横へ流れる筆で塗られている。
雲の形はどこにも描かれていない。空は形ではなく、色の層として置かれている。
頂が地平線を越えるかどうかも見てほしい。越えていれば山は空を背負い、越えていなければ丘と野に包まれる。
同じ山でも、これだけで印象が変わる。6点を並べて見る値打ちは、そこにある。
最後に署名を見る。6点のうち右下に署名があるのは2点で、残る4点は左下である。館の銘記欄にそう記録されている。
どれから見るとよいか
まず《積みわら》と《積みわら(雪解け、日没)》を続けて見るとよい。構図がほぼ同じで、光だけが入れ替わる2点である。
次に《積みわら(夏の終わり)》と《積みわら、日の終わり、秋》へ移る。こちらも同じ関係にある。
そのうえで残り2点を見ると、季節と時刻の幅が一度につかめる。
館の解説は、この連作のあとに、ポプラ、ルーアン大聖堂、そして自邸の庭を描く連作が続いたと記す。
同じものを時刻ごとに描き分けるやり方は、ここから《睡蓮》まで伸びていく。
画家の歩み全体はモネの代表作と特徴にまとめた。あわせて読んでほしい。







