画家を知る

描きかけの仕上げ——ベルト・モリゾ

モリゾの絵では画布の地が見えている。薄い絵具、速い筆、白を白で塗らない選択。仕上げの基準を誰が決めるのかという問いから、家の中と庭に限られた主題までを九点で読む。家族の記録として残ったという条件も見ておきたい。

麦わら帽子の若い女
ベルト・モリゾ《麦わら帽子の若い女》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

画布の地が、見えている

一枚の絵から始めたい。

麦わら帽子の若い女
ベルト・モリゾ《麦わら帽子の若い女》1884年。油彩・画布。縦55.5センチ、横46.7センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ベルト・モリゾ《麦わら帽子の若い女》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

若い女性が横向きに描かれている。

白い上衣。襟が立ち、胸元に細い黒紐が下がる。

腰に水色の帯。袖はゆったりしている。

頭には白い麦わら帽子。縁が大きく波打ち、後ろに黒いリボンが垂れる。

帽子の縁には小さな花が付いている。

顔は右を向き、目は伏せがちである。頬に淡い赤みがある。

そして背景を見てほしい。

青と緑の筆が、斜めに走っている。

一様に塗られていない。筆の跡が並び、その隙間から下の色が見える。

さらに、画布の織り目が見える箇所がある。

つまり絵具が薄く、支持体が透けている。

筆の運びも見ておきたい。

背景の筆は、ほとんどが斜めの短い線である。

向きが揃っているため、面に流れが生まれる。

一方、人物の内側の筆は縦方向が多い。

つまり背景と人物で、筆の向きを変えている。

色ではなく筆の向きで、二つの領域を分けている。

これは薄塗りだからできることである。

厚く塗り重ねれば、筆の向きは埋もれて消えてしまう。

「描きかけ」に見える仕上げ

この画面を、未完成だと感じる人は多いだろう。

輪郭が確定していない。背景の形が読めない。

服の白も、塗り残しと塗った部分の区別が曖昧である。

しかし、これは完成作として展覧会に出された類の絵である。

つまり画家は、この状態を仕上げと考えていた。

19世紀後半、絵の仕上げの基準は揺れていた。

滑らかに塗り込め、筆の跡を消すのが従来の完成である。

対して印象派の画家たちは、筆の跡を残す仕上げを選んだ。

その中でも、この画家の絵はとくに軽い。

塗り重ねが少なく、画布の白が生きている。

当時の批評も、この点をめぐって分かれた。

軽やかで新鮮だと評価する声があった。

一方で、未完成だ、粗い、女性らしい繊細さの限界だという批判もあった。

後者の言い方には、当時の偏見が入り込んでいる。

同じ筆致が、男性の画家では「大胆」と評され、
女性の画家では「未熟」と評される例が少なくなかった。

評価の言葉が、作品より先に決まっていたことになる。

問い——軽い仕上げは、何を得るのか

ここから本稿の問いに入りたい。

当サイトが公開するこの画家の作品は13点ある。

制作年は1869年から1891年まで、二十年余りに及ぶ。

その全期間を通じて、絵具は薄い。

なぜこの仕上げを選んだのか。そして何が得られたのか。

以下、作品を並べて確かめていきたい。

先に結論を書いておく。

薄い絵具は、速さと明るさのための選択である。

そして取り消しができないぶん、一筆の判断が問われる。

仕上げの基準は、誰が決めるのか

仕上げの話を少し広げておきたい。

19世紀のフランスでは、官展の審査が絵の基準を決めていた。

そこで求められたのは、滑らかな仕上げと明確な輪郭である。

絵具の跡が見えることは、未完成の印と受け取られた。

つまり「完成」は技術ではなく、制度が決める概念だった。

印象派の画家たちが独立の展覧会を開いたのは、
その基準の外で作品を見せるためでもある。

軽い仕上げの絵は、審査を通らないかぎり、別の場所を必要とした。

薄い絵具の選択は、展示の場所の選択と結びついている。

描いたのは、印象派展の中心にいた画家

ベルト・モリゾは19世紀後半のフランスで活動した。

1874年の第一回印象派展に参加し、以後もほぼ毎回出品している。

つまり運動の中心にいた画家である。

同時に、女性であるという条件が仕事の内容に影響した。

裸体教室に入れず、街のカフェや酒場で写生することも難しい。

だから主題は、家の中と庭に集まる。

家族、子ども、使用人、花、庭の水辺。

女性画家が置かれた条件については別のコラムで扱った。

初期の一点——窓辺の白

窓辺の画家の妹
ベルト・モリゾ《窓辺の画家の妹》1869年。油彩・画布。縦54.8センチ、横46.3センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ベルト・モリゾ《窓辺の画家の妹》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

1869年の作である。二十代の終わりごろにあたる。

女性が椅子に座り、窓辺にいる。

白い部屋着。裾が大きく広がり、床まで届く。

手には扇のようなものを持ち、視線は下に落ちている。

背後の窓は開いており、鉄の手すりと向かいの建物が見える。

窓の外は緑と灰色で、輪郭が溶けている。

床は褐色。右奥にピアノらしい家具の縁がある。

白い服の描き方に注目したい。

白の中に、灰色、青、桃色が混ぜられている。

襞の谷だけが青みを帯び、山は明るい。

つまり白を白として塗らず、色の集まりとして扱っている。

すでにこの時期から、塗りは薄い。

窓の外の扱いにも注目したい。

建物の輪郭は一本の線で示され、細部は省かれている。

鉄の手すりは、細い黒い線を数本引いただけである。

つまり外の世界は、記号として処理されている。

一方、室内の白い服には手が入っている。

内と外で、描写の密度がはっきり違う。

視線を室内にとどめる構成である。

この配分は、後年の室内画にも引き継がれていく。

窓は開いているが、絵は外へ出ていかない。

同じ年に、姉妹を並べて描く

同じ1869年に、もう一点の重要な作品がある。

姉妹を横に並べた構成の絵である。

三ページ目で図版を見るが、先に関係を書いておきたい。

窓辺の一点と姉妹の一点は、同じ年、同じ家族を主題にしている。

つまりこの時期の画家は、身内を集中的に描いていた。

家族を描くことは、練習でもあり、記録でもある。

そして、モデル代のかからない仕事でもある。

家族を描き続けた画家は多い。しかしその背景には、こうした条件がある。