画家を知る

波の白は、紙の白か、絵具の白か——ウィリアム・トロスト・リチャーズ

水彩の白は、紙の白である。ではリチャーズは、砕ける波の泡をどう作ったのか。現地では動かないものだけを写し、帳面では波を何十枚も反復する。大判の水彩から晩年の油彩まで十点を並べ、動くものを描く手順を追いかける。

パーガトリー・クリフ
ウィリアム・トロスト・リチャーズ《パーガトリー・クリフ》メトロポリタン美術館蔵

波の白は、どこから来たのか

一枚の水彩から始めたい。

パーガトリー・クリフ
ウィリアム・トロスト・リチャーズ《パーガトリー・クリフ》1876年。淡い黄褐色の紙に水彩・グワッシュ。縦33センチ、横25.4センチ。メトロポリタン美術館蔵。左下に「Wm T. Richards 1876」の署名がある。ウィリアム・トロスト・リチャーズ《パーガトリー・クリフ》メトロポリタン美術館蔵

縦長の画面の右に、白っぽい崖が立っている。

崖の面は水平の層に割れ、角が四角く欠けている。

海は青緑。手前ほど濃く、沖へ行くほど薄い。

崖の足元で波が砕け、白い泡が扇のように広がっている。

空には積雲。左の水平線に、二本マストの帆船が小さく浮かぶ。

海鳥が十数羽、崖のまわりを飛んでいる。

明るく、乾いた、風のある日の海である。

帆船と海鳥は、大きさを測るために置かれている。

帆船があるおかげで水平線までの距離が分かり、海鳥があるおかげで崖の高さが分かる。

人はどこにも描かれていない。それでも尺度は用意されている。

題名のパーガトリーは、ロードアイランド州ニューポート近郊の海岸の地名である。

割れ目の深い岩場があり、19世紀には観光地だった。

この画家には《ニューポートのパラダイスからパーガトリーへ》という作品もある。

避暑地の名所を描いて、避暑に来た人に売る。19世紀の風景画の商いの一つの形である。

ここで、泡の白に注目してほしい。

水彩の白は、紙の白である

水彩には原則がある。明るいところは塗らないことで作る。

絵具は透明で、下の色を隠せない。だから白は紙の白を残して表す。

油彩と逆の順序になる。暗いところを塗り重ね、明るいところは触らない。

しかも、塗ってしまった場所は元に戻せない。

この原則に従うなら、波の泡はあらかじめ形を決め、塗り残さなければならない。

崩れる波の形を、筆を下ろす前に決めておくということである。

手順も後戻りができない。薄い色から濃い色へ、広い面から細部へと進む。

一度置いた面が乾くのを待ってから、次の面を重ねる。

濡れているうちに重ねれば、境目が溶けて滲む。滲みは戻せない。

明るくする手立てが無いわけではない。水で洗い、布で吸い、紙をこする方法がある。

ただし紙の表面は荒れる。荒れた場所には、あとから細い線が引けない。

だから水彩の画家は、失敗の余地を先に計算する。

海のように形の決まらない対象では、この計算がいちばん難しい。

しかし所蔵館の記録は、この絵の材料を「水彩とグワッシュ」と書いている。

グワッシュは不透明の水彩絵具である。白を塗ることができる。

透明水彩と材料は近い。顔料を糊で練るところまでは同じである。

違うのは白や充填材を加える点で、そのぶん光が下まで届かなくなる。

乾いた面は艶が消え、粉のような肌になる。

透明水彩の隣に置くと、質の差が見える。透けている面と、透けていない面である。

つまりこの画家は、白を残すだけでなく、白を置いてもいる。

紙も白ではない。淡い黄褐色の紙が使われている。

紙が中間の明るさなので、暗い側も明るい側も、両方を絵具で作る必要がある。

この選択には利点がある。中間から始めれば、明暗の幅を短い距離で作れる。

白い紙に薄い色を置くより、少ない手数で立体が出る。

19世紀の風景画家が色付きの紙を好んだ理由の一つである。

そのうえで、画面の中でいちばん白い場所は泡の芯に置かれている。

崖の白さより、泡の白さが強い。

明るさの順番が決められているということだ。偶然に任せた白ではない。

葉を数えていた画家

この方法にたどり着くまでに、長い前段がある。

ウィリアム・トロスト・リチャーズは1833年、フィラデルフィアに生まれた。

初めは金属装飾の下絵を描く仕事をしていた。細部を写す訓練を、そこで受けている。

十月
ウィリアム・トロスト・リチャーズ《十月》1863年。油彩・画布。縦71.4センチ、横61センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。画面左下に「WM. T. Richards / Phil. 1863」の署名がある。ウィリアム・トロスト・リチャーズ《十月》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

30歳の作品である。

秋の森の中。赤、橙、黄緑の葉が画面を埋めている。

右の太い幹は二股に分かれ、樹皮の割れ目まで描かれている。

中央に低い岩、その上に明るい緑の茂み。手前には浅い流れ。

道が左奥へ細くなり、木立の奥だけがぼんやり明るい。

葉は一枚ずつ形を持っている。数えられそうなほどである。

しかし近づいて見ると、一枚ずつ描いてはいない。

明るい葉は小さな筆触の集まりで、暗い葉は面としてまとめられている。

数えられそうに見えるのは、明るい側の筆触の密度が高いからである。

「細部まで描く」とは、全部を等しく描くことではない。

どこを細かくするかを選ぶ技術である。

この時期のアメリカには、自然を細部まで正確に写すことを主張する若い画家たちがいた。

イギリスの批評家ラスキンの説に共感した人々である。

リチャーズはその考え方に近い場所にいた。

この絵にも、その姿勢が出ている。中景の茂みの一枚一枚に、光の当たる面と裏側の区別がある。

奥の暗がりだけが省略されている。省略の場所が選ばれている。

所蔵館の来歴によれば、この絵は1864年までにニューヨークの実業家の手に渡ったとみられる。

その人物は300点を超える絵を集め、無料で公開していたと記録されている。

美術館の少ない時代、収集家の家が展示室の役をしていた。

リチャーズは1850年代からヨーロッパを旅し、のちにロードアイランドの海岸に腰を据える。

1905年、ニューポートで没した。

だが、ここで問いが出る。

葉を一枚ずつ数えられる画家は、止まらないものをどう描くのか。

海は、次の瞬間には別の形になっている。