頁の中に、枠が引いてある——ウィリアム・トロスト・リチャーズ
九点の紙の中ほどには、四角い枠が引かれている。その内側にだけ絵があり、外は白い。枠の大きさは一点ごとに違う。同じ帖の頁でありながら、二つの段階が混ざる。枠の意味を考えたい。綴じの跡が残る紙も、九点の中にある。

頁の中に、枠が引いてある
九点の画像を見ると、共通する特徴がある。
紙の中ほどに、四角い枠が引かれている。
その枠の内側にだけ絵が描かれ、外側は白いままである。
枠は定規で引いたような直線で、四辺が閉じている。
九点とも、この作りである。
写生帖の頁に枠を引くのは、当たり前のことではない。
多くの帖では、紙いっぱいに描くか、余白を気にせず線を伸ばす。
九点の作りは、はじめから画面を意識している。
九点の内訳
先に、九点の中身を確かめておく。
黒インクと鉛筆で描かれたものが四点、鉛筆だけのものが五点である。
主題は、海と空が六点、波だけが三点。
年は九点とも1886年、紙の寸法も九点とも同じである。
すべて同じ写生帖から出ている。
枠は、何のためか
写生帖の頁いっぱいに描けば、紙は全部使える。
わざわざ枠を引くのは、絵の範囲を先に決めるためである。
風景を描くとき、どこまでを画面に入れるかが最初の判断になる。
枠を引けば、その判断が済む。あとは中を埋めればよい。
紙に開けた窓から外を見る、と言ってもよい。
枠を引けば、余白も生まれる。紙の縁までは描かない。
余白があると、絵は独立して見える。頁の中の一枚になる。
写生でありながら、作品に近い作りである。
枠の大きさが、違う
九点の枠を見比べると、大きさが一定ではない。
紙の三分の二ほどを占めるものもあれば、半分に満たないものもある。
縦横の比も揃わない。横に長いものと、正方形に近いものがある。
紙の寸法は九点とも同じである。違うのは、その中に引いた枠である。
つまり、判型は決まっていても、画面の形は毎回選び直されている。
横に長い枠なら、水平線が強く効く。海の広がりが出る。
正方形に近い枠なら、空と海が上下に釣り合う。天気が主題になる。
枠の形が、その頁で何を見せたいかを先に決めている。
同じ帖の頁
九点はすべて、同じ写生帖から出ている。
紙の大きさは、縦12.7センチ、横19.1センチ。九点とも同じである。
制作年も、九点とも1886年である。
館の受入も同じで、1992年の購入である。
一冊の帖が、まとまって館に入っている。
購入の記録には、ある人物を記念する寄付、と書かれる。
つまり、寄付金を集めて館が買った形である。
一冊の帖を保つには、まとめて買うしかない。ばらせば散る。

九点のなかで、線の最も密な一点である。
枠の上半分に、空が広がる。細い斜線が何百本も並ぶ。
線の向きは右上から左下へ、一定である。
雲の輪郭は、線の密度の差で示される。濃いところが雲になる。
中ほどに水平線が走る。細い一本の線である。
その下は海で、短い横線が重なる。
手前には波が寄せる。白く残された部分が波頭になる。
下部の左には、砂浜らしい平らな面がある。
枠の外は白く、紙の地がそのまま残る。
公開画像は白黒である。もっとも、鉛筆とインクの素描なので、色の情報はもともと少ない。
紙の色は生成りと記録にあるが、画像では白く見える。
インクの色も分からない。黒インクとあるが、褐色に変わっている可能性もある。
斜線で、空を作る
空を描くのに、この画家は斜線を使う。
同じ向きの線を並べ、密度を変える。
濃くすれば雲、薄くすれば明るい空になる。
線の向きを揃えると、空が一枚の面に見える。
九点のうち四点で、この方法が使われている。
線の向きを変えれば、面の性格も変わる。
縦の線なら降る雨に見え、横の線なら流れる雲に見える。
この画家は、斜めの線を選んでいる。空全体を一つの傾いた面として扱っている。

枠は前の一点より小さい。紙の左上に寄る。
空は上部が暗く、中ほどが明るい。
雲の塊が、水平線の上に横に伸びる。輪郭が細かく波打つ。
その下に、暗い帯がある。雨の降っている部分だと考えられる。
水平線は左から右へまっすぐ走る。
海には波が幾筋も寄せる。白い線が横に並ぶ。
右下には、砂浜と汀線が見える。
題には、近づく嵐、という語が入る。
天気が主題であることが、題に書かれている。
水平線の高さ
九点の水平線の位置を見比べると、枠の中ほどより上にある。
上を空、下を海と浜に配分している。
水平線が高いと、手前の波が広く描ける。
低いと、空が主役になる。
九点はいずれも、波を見せる側の配分である。
題に、天気が入る
九点の題を読むと、天気に触れるものが三点ある。
近づく嵐、豪雨、そして海と空の豪雨。
残る六点は、海景、波、雲と海、といった一般名である。
つまり、天気が明らかな場合にだけ、題に書かれている。
館が画面を見て付けた題だと考えられる。

枠は横に長く、紙のほぼ全幅を使う。
空は上部が明るく、中ほどに暗い雲が横たわる。
雲の下端は、細かく波打つ。輪郭に迷いがない。
水平線の位置は、枠の中ほどよりやや上である。
海は暗く、横線が密に重なる。
右下から手前へ、汀線が斜めに伸びる。
その線に沿って、白い波が並ぶ。
左下は砂で、線がまばらになる。
同じ題の一点が九点のなかにもう一つある。区別は番号による。
汀線という斜め
九点のうち三点で、汀線が斜めに走る。
水平線は横一直線だが、汀線は斜めになる。
その斜めの線が、手前から奥への奥行きを作る。
横の線と斜めの線を組み合わせるだけで、平面に距離が生まれる。
浜辺の絵で繰り返し使われる型である。
同じ題が、三点ある
九点のうち三点は、題がまったく同じである。
海景、とだけ書かれる。
同じ帖の同じ主題なので、区別のしようがない。
だから、記録では番号で区別する。枝番が違う。
題ではなく番号が、識別の役を担っている。

九点で最も暗い一点である。
枠は正方形に近い。紙の左に寄る。
空の上半分は、密な斜線で埋まる。ほとんど黒く見える。
中ほどに、明るい帯が横に走る。雲の切れ間である。
その下は暗く、海と空の境が曖昧になる。
手前には波が寄せ、白い線が三本ほど並ぶ。
枠の右辺の外に、細い線がはみ出す。描き足した跡だと考えられる。
紙の左端には、綴じの跡らしい点が二つある。
豪雨のときは、空と海が同じ暗さになる。その状態が描かれている。
綴じの跡
九点の画像の左端には、小さな点や穴が写るものがある。
帖に綴じられていたときの跡である。
いま一枚ずつになっていても、もとは一冊だったことが分かる。
館は頁を切り離して保存している。平らに扱えるからである。
かわりに、開いた状態の姿は見られなくなる。
枠から、はみ出す線
九点のうち二点で、線が枠の外へ出ている。
引いた枠より広く描きたくなったのだろう。
枠は決まりではなく、目安である。守らないこともある。
こうした逸脱は、清書された絵には残らない。
写生帖だから残る跡である。

ここから五点は、鉛筆だけで描かれている。インクを使っていない。
線は薄く、密度も低い。
枠は紙の中央にあり、四辺が明瞭である。
空はほとんど白い。細い線が数本走るだけである。
水平線は薄く、途中で消える。
海には、短い横線がまばらに並ぶ。
手前に波が二筋あり、白く抜かれる。
下部には、砂浜らしい平らな面がある。
同じ主題でも、インクの四点とはまったく密度が違う。
二つの段階が混ざる理由
一冊の帖は、何日も何週間も使われる。
その日の天気や時間によって、描ける量が変わる。
雨が近ければ、輪郭だけを取って引き上げる。
晴れて時間があれば、インクまで入れる。
九点の密度の差は、その日の条件の差でもある。
鉛筆と、インク
九点のうち四点はインクと鉛筆、五点は鉛筆だけである。
鉛筆で下描きし、インクで決める。それが基本の手順である。
インクを入れた四点は、線が黒く、密度が高い。
鉛筆だけの五点は、薄く、輪郭も曖昧である。
途中で止まった頁と、仕上げた頁が、同じ帖に混ざっている。

枠は紙のほぼ全体に広がる。四辺が縁に近い。
空は完全に白い。線が一本もない。
画面の中ほどに、波の連なりが横に走る。
波頭は輪郭線だけで描かれる。丸みのある形が並ぶ。
右には岩らしい塊がある。線が密になる。
水平線は描かれない。海と空の境がない。
下部にも線がなく、白いままである。
波の形だけを取った頁である。
岩を、混ぜる
いま見た一点では、右に岩らしい塊がある。
波だけを描くと、大きさが分からない。
岩を置けば、波の高さが推し量れる。
同じ役目を、浜や舟が果たすこともある。
九点のうち、大きさの目安が置かれるのは三点である。
波だけを、描く
この一点では、空も浜も描かれない。
波の輪郭だけが、画面の中ほどに並ぶ。
波は形が定まらない。同じ形は二度と現れない。
だから、覚えるには何度も描くしかない。
九点のうち三点が、波の形だけを追った頁である。

枠は紙の全幅を使う。上下の余白が狭い。
上部には、雲の輪郭が細かく描かれる。丸みの重なりが横に続く。
雲の内側には、薄い斜線が入る。影である。
中ほどに水平線が走る。線は細く、途切れない。
その下は海で、短い横線が並ぶ。
手前の右に、波が二つ盛り上がる。輪郭が強い。
左下には、細い線が数本引かれる。
紙の上端と左端が暗く写る。板に置いて撮影した跡だと考えられる。
雲と波を、同じ頁で試している。
撮影の跡
いま見た一点の画像には、上端と左端に暗い帯が写る。
紙を板の上に置いて撮ったときの影だと考えられる。
九点のうち三点に、同じような帯が見える。
作品の一部ではない。撮影の条件が写り込んでいる。
公開画像をそのまま使う以上、こうした跡も一緒に届く。
雲と波は、似ている
雲も波も、形が定まらない。
丸みの重なりで示すという点で、描き方もよく似ている。
この画家の頁では、雲の輪郭と波の輪郭がほとんど同じ線になる。
上下を逆さにすれば、区別がつかない部分もある。
同じ手つきで、空と海を扱っている。

九点で最も線の少ない一点である。
枠は紙の全体に近い。
画面の中ほどに、大きな波が一つ描かれる。
波頭が左から右へ崩れる。輪郭が渦を巻く。
その左には、水の飛沫らしい細かい線がある。
右へ向かって、波は低くなる。
空も浜も描かれない。白いままである。
下部に、短い線が数本走る。水面である。
一つの波の形だけを、大きく取っている。
飛沫を、線で示す
砕ける波の先には、飛沫が散る。
水滴は小さく、形が定まらない。線で描くのは難しい。
この頁では、短い線を放射状に並べて示している。
一つずつの滴を描くのではなく、動きの向きを描いている。
素描では、こうした置き換えが繰り返し使われる。
一つの波を、大きく
前の頁では波が並んでいた。この頁では波が一つである。
一つに絞れば、形を細かく追える。
崩れる瞬間の輪郭は、複雑である。渦と飛沫が混ざる。
それを線だけで描くのは難しい。何度も試す必要がある。
同じ帖に、並べた頁と絞った頁の両方がある。

九点の最後は、薄い鉛筆だけの一点である。
枠は紙の中央にあり、横に長い。
空には、薄い斜線が広く入る。雨を示していると考えられる。
雲の形はほとんど描かれない。
水平線は薄く、左から右へ走る。
海は短い横線がまばらに並ぶ。
手前に波が一筋、白く抜かれる。
全体に線が薄く、画像では判別しにくい部分がある。
題には豪雨とあるが、画面は静かに見える。
題と、画面の差
題に豪雨とあっても、画面は激しく見えない。
薄い鉛筆の線では、強さを出しにくい。
館は、描かれた内容から題を付けたと考えられる。
その判断が、いまの見え方と合わないこともある。
題と画面がずれることは、素描ではしばしば起こる。
同じ場所か
九点に描かれた海が、同じ場所かどうかは分からない。
題に地名が入らないからである。
同じ帖の別の頁には、地名の入った題がある。
そこから推し量ることはできるが、確かめる手だてはない。
この記事では、場所については書かないことにした。
枝番が、二文字になる
九点の受入番号を見ると、末尾に小さな文字が付く。
一文字ではない。同じ文字が二つ並ぶ形である。
これは、頁の数がアルファベットの二十六文字を超えたことを意味する。
一巡したあと、二文字に移る。図書の分類などでも使われる方式である。
つまり、この帖には少なくとも三十枚以上の紙がある。
帖を、切り離す
写生帖を保存するには、二つのやり方がある。
一冊のまま保つか、頁を切り離して一枚ずつ保つか。
一冊のままなら、順序が残る。ただし、開くたびに傷む。
切り離せば、平らに保管できる。展示もしやすい。
この帖は、切り離す側を選ばれている。九点が別々の番号を持つのはそのためである。
一冊の帖の中身
九点は、その帖の一部にすぎない。
番号の並びを見ると、あいだにいくつも欠けがある。
欠けている頁は、当サイトで公開していないか、別の主題である。
一冊まるごとを見ることはできない。
見えるのは、選ばれた九枚だけである。
一枚ずつの題
九点の題は、いずれも館が付けたものだと考えられる。
紙の上に題は書かれていない。日付も地名もない。
だから、題は画面の説明になる。海景、砕ける波、雲と海。
説明としての題は、探すときには役に立つ。
ただし、作者の意図とは無関係である。
海だけを描いた帖か
九点はいずれも海である。ほかの主題が出てこない。
しかし、それは選び方の結果でもある。
同じ帖には、木や畑や川の頁もある。
海の頁だけを取り出せば、海の帖に見える。
一覧の作り方が、見え方を決めている。
密度の分布
九点を密度の順に並べてみる。
最も密な一点は、線が数百本重なる。
最も薄い一点は、線が数十本しかない。
そのあいだに、七点が散らばる。
同じ主題、同じ紙、同じ年で、これだけの幅がある。
白い紙を、残す
九点を通して、紙の白は積極的に使われている。
枠の外は白い。空も白いことがある。波頭も白い。
線を引かないことで、明るさを作る。
同じ画家の水彩でも、白は塗り残しで作られる。
その考え方については、波の白は、紙の白か、絵具の白か——ウィリアム・トロスト・リチャーズで扱った。
数を、描く
同じ主題を九枚も描くのは、覚えるためである。
一枚では、たまたま見えた形しか残らない。
九枚あれば、共通する形と、その日だけの形が分かれる。
繰り返しは、観察を確かなものにする手続きである。
九点は、その手続きの途中を見せている。
枠から読む
この記事は、頁に引かれた枠から入った。
枠は絵ではない。絵を描く前の決定である。
その決定が紙に残っているのは、写生帖だからである。
完成した絵では、枠は画面の縁と一致して見えなくなる。
同じ画家の色の付いた紙については、紙の色は、記録にしかない——ウィリアム・トロスト・リチャーズにも書いた。







