美術史・技法

作者不詳という記録——19世紀アメリカの絵

作者欄に「アメリカ、19世紀」とだけ書かれた絵が111点ある。新聞の日付、布団地という支持体、暖炉の塞ぎ板。九点を並べ、名前がなくても読めることを確かめる。煙草屋の看板の表象にも触れておきたい。収集家の寄贈がこの分野を作った経緯も見ておく。

「ボストン・アトラス」紙を読むハバードという男
アメリカ、19世紀(作者不詳)《「ボストン・アトラス」紙を読むハバードという男》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

作者の欄に、名前がない

一枚の肖像から始めたい。

「ボストン・アトラス」紙を読むハバードという男
アメリカ、19世紀《「ボストン・アトラス」紙を読むハバードという男》1843年またはそれ以降。油彩・画布。縦74.3センチ、横66センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。アメリカ、19世紀(作者不詳)《「ボストン・アトラス」紙を読むハバードという男》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

まず、作者の欄を見てほしい。「アメリカ、19世紀」とだけ書かれている。

画家の名前がない。分かっているのは、地域と世紀だけである。

画面を見ていきたい。男が半身で描かれている。黒い上着、白いシャツ、黒い首布。

髪は横に膨らみ、頬に沿って伸びる。顔はこちらを向き、口を軽く結ぶ。

右手に新聞を広げて持つ。指が紙の縁を押さえている。

左上には窓がある。赤いカーテンが下がり、外に城のような建物と川が見える。

背景の右半分は暗い。人物の輪郭が、闇に沈む。

新聞の文字が、日付を教える

ここで細部を見たい。手にした新聞には、文字が描き込まれている。

所蔵館の記録は、その文字を書き写している。読み取れる内容はこうである。

「E PLURIBUS UNUM」。合衆国の標語である。

「THE ATLAS」。新聞の名前である。

「Boston May 3, 184[3]」。発行地と日付である。

そして「WHIG PRINCIPAL」「FOR PRESIDENT / HENRY CLAY」。政党名と、大統領候補の名である。

窓の外の景色

もう一つ、細部を見たい。左上の窓には、城のような建物と川が描かれている。

しかしアメリカ東部に、この形の城はほとんどない。

つまり実景ではなく、型として借りられた風景である可能性が高い。

肖像の背景に「立派に見える景色」を入れる習慣は、ヨーロッパの肖像から受け継がれている。

その型については、別のコラムで扱った。

名前がなくても、年代は決まる

この記載が意味することを整理したい。作者は分からない。

しかし新聞の日付が読めるため、制作年の下限が決まる。1843年5月3日より前ではありえない。

さらに、支持する政党と候補者も分かる。描かれた人物の政治的な立場である。

つまり、画中の細部が記録として働いている。

作者名がなくても、読めることは多い。

「アメリカ、19世紀」という書き方

記録の語についても確かめたい。作者欄の「American 19th Century」は、
作者が不明であることを示す表記である。

同じ館には「アメリカ、18世紀」という表記の作品もある。

つまり、地域と世紀だけを確定させ、それ以上は書かない方式である。

推測で名前を当てはめるより、分からないことを分からないまま記録している。

記録の書き方が、読み方を左右する点は、
別のコラムでも扱った。

問い——名前のない絵から、何が読めるのか

ここで問いを立てたい。当サイトには「アメリカ、19世紀」と記録された作品が111点公開されている。

いずれも作者が特定されていない。

では、名前のない絵をどう読むのか。何が手がかりになるのか。

肖像、看板、家具の一部まで含まれている。並べて確かめたい。

布団の生地に、描かれている

材料から読める例を見たい。

ゲイジ一家
アメリカ、19世紀《ゲイジ一家》1846年。布団地に油彩。縦137センチ、横137.4センチ。額を含めて縦159.4センチ、横159.4センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。アメリカ、19世紀(作者不詳)《ゲイジ一家》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

所蔵館の記録は、材料を「布団地に油彩」と書いている。

つまり、専用の画布ではない。寝具に使う縞の厚手の布である。

画材店で画布を買わず、家にある布を張って描いたことになる。

これは、描いた人の条件を示している。専門の工房ではなく、身近な材料で仕事をしていた。

画面は正方形に近い。縦137センチ、横137.4センチ。

一家四人が、並んでいる

内容も確かめたい。背後に赤いカーテンが垂れる。

左に母が座り、膝に幼い子を抱く。子は白い衣で、こちらを見る。

その右に、少し年長の子が立つ。紺の上衣と白い前掛けである。

右端に父が座る。黒い上着に黒い蝶結びの首布。

四人とも、正面を向いている。視線はいずれもこちらへ向く。

家具は簡素で、背後の椅子の背が見える。

正方形に近い画面

寸法にも触れておきたい。この一点は縦137センチ、横137.4センチ。ほぼ正方形である。

肖像画としては珍しい比率である。

布の幅がそのまま画面の大きさを決めた可能性がある。専用の画布ではないため、
規格に縛られない。

材料の制約が、画面の形に現れている。

顔は似ているのか

肖像の目的を考えたい。この四人の顔は、造作が似ている。

同じ形の目、同じ形の鼻。個人差より、型のほうが強い。

つまり、似顔として精密ではない。

しかし、誰が誰であるかは服装と位置で分かる。家族の記録としては機能する。

同じ性質は、別のコラムで扱った巡回画家の肖像にもあった。

暖炉の塞ぎ板に描く

絵が家具である例も見たい。

花とディステルフィンクのある赤い服の少女
アメリカ、19世紀《花とディステルフィンクのある赤い服の少女》1830年ごろ。板に油彩(暖炉の塞ぎ板)。縦93センチ、横108センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。アメリカ、19世紀(作者不詳)《花とディステルフィンクのある赤い服の少女》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

所蔵館の記録は、材料を「板に油彩(暖炉の塞ぎ板)」と書いている。

暖炉の塞ぎ板とは、夏に暖炉の口を塞ぐための板である。煤や隙間風を防ぐために使う。

つまりこれは、壁に掛ける絵ではない。家の道具である。

画面には、赤い服の少女が立つ。両手を横へ広げ、正面を向く。

左右に太い木が立ち、上部で葉を広げる。右上に赤い鳥がとまる。

少女の左に果実のなる木、右に大きな花と、果物を盛った黄色い籠。