手に、何かを持たせる——19世紀アメリカの作者不詳の肖像
作者の欄に人の名がなく、アメリカ、十九世紀とだけ入る。九点に共通するのは、手に何かが持たされていることである。人形、玩具の鶏、花籠、本、林檎、小鳥。持ち物が語ることを読みたい。題に留保が付く一点にも触れておきたい。

作者の欄に、人の名がない
九点の記録を開くと、作者の欄に人の名が入っていない。
かわりに、アメリカ、十九世紀、という語が入る。国と世紀である。
これは、誰が描いたか分からない、という意味である。館は無理に名を当てはめていない。
九点はいずれも肖像である。描かれた人の名が分かるものもある。
描かれた側の名は残り、描いた側の名は消えている。
これは、絵にとって珍しいことではない。とくに肖像では起こりやすい。
当サイトの一覧でも、この作者名は人名のように並ぶ。だが、人ではない。
時代と地域を束ねた見出しである。何百点もの絵が、その下に集まっている。
なぜ名が消えるか
肖像は、注文して描かせるものである。
代金を払い、受け取り、家に飾る。飾ったあとは、家族の顔として扱われる。
誰が描いたかは、当座の関心事にすぎない。数十年たてば、忘れられる。
裏に署名があれば残るが、なければ手がかりがない。
九点は、その状態で館に入った。だから作者の欄は、時代と地域だけになる。
館は、無理に候補の名を当てはめることもできる。似た筆遣いの画家を探せばよい。
しかし、根拠が弱ければ誤りが固定する。あとから直すのは難しい。
分からないものを分からないまま書くのは、記録として正しい態度である。
九点の作者欄は、その判断の結果である。
巡回する画家たち
十九世紀前半のアメリカでは、町から町へ移動して肖像を描く画家がいた。
決まった画室を持たず、宿に滞在して注文を取る。数日で一点を仕上げる。
こうした仕事では、記録が残りにくい。名簿も帳簿も散逸する。
九点の多くは、そうした仕事の産物だと考えられる。
もっとも、館はそこまで書いていない。ここでは可能性として書いておく。
制作年の欄を見ると、九点はいずれも幅か、およそ、で書かれている。
1800年ごろから1850年ごろまで、五十年ほどに散らばる。
一年で確定しているものは一つもない。年も、作者と同じく推定である。
推定の根拠は、衣の形や家具の様式だと考えられる。絵の中身から年代を割り出す。
一覧の中の見出し
作者の欄に時代が入ると、一覧の見え方が変わる。
同じ見出しの下に、まったく別の絵が並ぶ。作風も年代も違う。
一人の画家の作品が並ぶわけではないので、比べる意味も変わってくる。
それでも、同じ時代の同じ地域という条件は共通している。
九点を並べるのは、その条件のもとで何が共通するかを見るためである。
手に、物がある
九点を並べると、共通することがある。
描かれた人の手に、何かが持たされている。
人形、玩具の鶏、花籠、本、林檎、小鳥。持ち物の種類はさまざまである。
一点は木馬に手を掛け、一点は揺り籠に座る。物との関わり方が画面を作る。
手ぶらで正面を向いた肖像は、九点のなかに一つもない。

胸から上を描いた肖像である。
少女が正面を向く。目は大きく、こちらを見る。
髪は短く、耳の上で切りそろえられる。前髪が額にかかる。
衣は鮮やかな赤で、袖が短い。袖口に白い縁飾りが付く。
首には赤い珠が二重に巻かれる。珊瑚だと思われる。
左手に、小さな人形を持つ。人形は水色の衣を着ている。
人形の顔にも、目鼻が描かれている。小さいが省かれていない。
背景は暗い灰褐色で、何も描かれない。
支持体は板である。カンヴァスではない。
板に描くと、表面が滑らかになる。細かい線が引きやすい。
九点のうち三点が板、六点がカンヴァスである。手に入るものを使ったのだろう。
人形という持ち物
人形は、子どもの肖像によく出てくる持ち物である。
持ち主が子どもであることを示す。年齢を説明せずに伝えられる。
同時に、家の余裕も示す。人形は買うものである。
九点のうち、明らかに買った玩具を持つのは三点である。人形、玩具の鶏、木馬である。
いずれも作りが丁寧に描かれる。持ち物のほうが、顔より細かい場合すらある。
これは、注文した側の希望かもしれない。買い与えた物を、記録として残したい。
あるいは、描く側の都合かもしれない。物のほうが形が決まっていて描きやすい。
どちらとも決められない。ただ、持ち物に手をかけていることは確かである。

膝から上を描いた肖像である。
少女が立ち、両手で鶏を抱える。鶏は玩具で、褐色と黒で塗られる。
鶏の尾は大きく反り返る。鶏冠は赤い。
衣は上が灰色、下が赤である。上下で色が分かれる。
灰色の部分には、細かい点が散る。布の模様である。
足元に、木の箱が置かれる。中に、槌のようなものと白い塊が入る。
床は板張りで、線が横に走る。
背景は暗い緑褐色で、上部がわずかに明るい。
この一点は、額の寸法も記録されている。奥行きは4.7センチである。
九点のうち八点に、額の寸法がある。館は額まで計っている。
額の厚みは、2.5センチから9.5センチまで幅がある。作りが揃っていない。
同じ時期の絵でも、額は別々に作られ、あとから付け替えられる。