画中の看板と幟——ホフマン《バークス郡救貧院》ほか九点
ここまで見てきた署名は、どれも隠れる方向に置かれていた。今回の九点の文字は逆である。大きく、遠くからでも読めるように書かれる。題、標語、船の名、役員の名。見せるために描かれた文字を読みたい。絵の外へ向けられた声である。

画面の中に、看板がある
絵画を九点、銘記の欄で並べてみる。
九点とも、画面の中に大きな文字がある。
看板。幟。旗。垂れ幕。
そして、画面の下に横一列に書かれた題。
どれも、遠くから読めるように書かれている。
これまで見てきた署名とは、逆である。
署名は、隠れる方向に置かれた。
こちらは、見せる方向に置かれている。
題を、絵の中に書く
九点のうち三点は、画面の下に題がある。
これは何を描いた絵か、を横一列で書く。
建物の名。
町の名。
郡の名。
どちらの方角から見たか。
そして、年。
つまり、絵の説明が絵の中にある。
いま、館が題として使っている文言も、そこから来ている。
四隅に、小さな絵を置く
救貧院の二点には、同じ工夫がある。
中央に楕円の大きな絵。
その外の四隅に、小さな絵を四つ。
つまり、一枚の中に五つの場面がある。
四隅は、別の建物や、別の季節を描く。
こうすれば、一枚で全部を見せられる。
そして、余った部分に文字を置ける。
構図と文字の場所が、同時に決まっている。
館の記録は、位置を上、下、中央と分けて書く。
説明を、絵の中に置く理由
なぜ、絵の外ではなく中に書くのか。
一つは、離れないからだ。
札を付ければ、いつか外れる。
絵に書けば、絵がある限り残る。
もう一つは、飾りになるからだろう。
装飾的な文字は、それ自体が見どころになる。
そして、注文主が満足する。
自分の農場の名が、絵の中に書いてある。
それは、誇らしいことだったはずだ。

横長の画面に、丘の景色が広がる。
中央に、緑の斜面がなだらかに続く。
その上に、白い家が建つ。
右に、赤い納屋がある。
家の周りに、柵が巡る。
手前に、細い道が横切る。
左に、木立が並ぶ。
奥は、黄色い空である。
丘の稜線が、空にはっきり出る。
畑の区画が、緑の濃淡で分かれる。
画面の下の縁に、細い文字が並ぶ。
亜鉛と金属の板に、描く
九点のうち二点は、支持体が金属である。
一点は亜鉛の板。
一点は、金属板とだけ書かれる。
布でも木でもない。
金属は、反らない。
湿気を吸わない。
その代わり、絵具が乗りにくい。
下地の処理が要る。
十九世紀の後半、看板や標識に金属がよく使われた。
看板を描く画家なら、扱いに慣れている。
材料の選び方に、その人の背景が出ている。
郡の救貧院を、描く
九点のうち二点は、同じ建物を描いている。
郡の救貧院である。
一点は1878年、もう一点は1895年。
十七年の差がある。
どちらも、画面の下に題が入る。
そして、どちらも建物の全景を高いところから見た形だ。
こういう絵は、その施設のために描かれた。
飾って、施設の姿を示す。
つまり、記録の絵である。

横長の画面である。
中央に、大きな楕円が描かれる。
楕円の中に、建物の群れが広がる。
赤い屋根と白い壁が並ぶ。
手前に、水路と橋がある。
奥に、緑の畑が続く。
楕円の外の四隅に、小さな絵がある。
いずれも別の建物や風景である。
上の中央に、鷲と紋章が描かれる。
その下に、青い帯が垂れる。
帯の上に、文字が並ぶ。
鷲と紋章という、組み合わせ
二点とも、上の中央に鷲が描かれる。
翼を広げ、正面を向く。
その下に、盾や帯が下がる。
これは、公の建物の絵によく使われる型だ。
鷲は国を示し、盾は州を示す。
帯には、標語が入る。
つまり、三つで一組の記号である。
見る人は、その組み合わせで公のものと分かる。
文字を読まなくても、伝わる。
読めば、さらにはっきりする。
州の標語を、幟に書く
この一点の幟には、州の標語が書かれる。
徳、自由、そして独立、という三語である。
感嘆の印が最後に付く。
館は、その印まで写す。
標語は、州の紋章に添えられる言葉だ。
つまり、公のものである。
それを絵に描くことで、公の建物であることが示される。
紋章と標語は、一組で使われる。
役員の名を、全部書く
もう一点の救貧院の絵は、さらに細かい。
題のあとに、役員の名が並ぶ。
理事が三人。
管理人が一人。
その補佐が一人。
そして、書記が一人。
つまり、六人の名が絵に書き込まれている。
その年に、誰がその施設を運営していたか。
絵が、名簿を兼ねている。

横長の画面である。
中央に、金の縁の楕円がある。
その中に、建物の群れが広がる。
白い建物と、赤い屋根が並ぶ。
手前に、緑の芝と水路がある。
奥に、丘と煙突が見える。
楕円の外の四隅に、小さな絵が入る。
一つは雪の景色である。
上の中央に、鷲が翼を広げる。
下の中央に、細かい文字が四行並ぶ。
全体を、褐色の枠が囲む。
誰のために描かれたか
この種の絵は、施設が注文したとは限らない。
そこに住んだ人が描いたこともある。
あるいは、近くの町の画家が描いて売った。
同じ建物の絵が、いくつも残っている場合がある。
同じ画家が、何度も描いたのだろう。
前の回で、同じ型を繰り返す画家の話をした。
ここでも、似たことが起きている。
構図はほぼ同じで、年と文字だけが変わる。
館の記録は、年と文字を丁寧に写す。
だからこそ、違いが分かる。
十七年の差を、文字で読む
二点を並べると、変化が分かる。
1878年の絵には、標語と州の名がある。
1895年の絵には、役員の名がある。
つまり、書く内容が変わっている。
前者は、公のものであることを強調する。
後者は、誰が運営しているかを示す。
同じ建物の絵でも、力点が違う。
十七年のあいだに、何かが変わったのだろう。
館の記録は、そこまでは書かない。
書かれた文字を並べるだけである。
看板が、絵の題になる
この一点の題は、看板の文字そのものである。
館は、看板に書かれた三行を題にした。
つまり、絵の中の文字が題を決めている。
前の回でも、同じことがあった。
転写した皿の題が、皿の上の文字だった例だ。
物に書かれた文字を、そのまま題にする。
こうすれば、題を考える必要がない。
そして、絵と題がずれない。
館の題の付け方には、この方針が一貫している。
作業場の壁に、掛かる看板
九点のうち一点は、看板が主役である。
作業場の中に、大きな白い板が掛かる。
そこに、三行の文字が書かれる。
われらは、連邦を支持する、という意味だ。
さらに、板の下のほうに人物の顔が描かれる。
つまり、この看板は政治の主張を示している。
作業場で、それを掲げている場面である。
館は、看板の文字だけを写す。
主張の中身については、何も書かない。

横長の画面に、薄暗い作業場が描かれる。
左に、大きな窓がある。
窓の外は、夕焼けの空である。
窓の下に、作業台が置かれる。
台の上に、器や道具が並ぶ。
その前で、人物が身をかがめる。
中央に、二人が立つ。
一人は帽子をかぶり、手を伸ばす。
一人は白い上着で、桶を持つ。
右に、白い大きな板が立てかけられる。
板に、文字と丸い肖像が描かれる。
召集の日という、行事
この絵の題は、地域の行事を指している。
住民が集まり、点呼を受ける日である。
その周りに、市が立ち、人が集まる。
つまり、祭りのような場面だ。
看板が出るのも、そのためだろう。
物を売る店の看板かもしれない。
そう考えると、崩れた綴りにも説明がつく。
急ごしらえの看板だったのかもしれない。
ただし、これは推し量りである。
読み方の分からない看板
九点のうち一点は、看板の文字が変わっている。
二行に分かれ、意味がすぐには取れない。
館は、文字をそのまま写すだけである。
訳も、説明も付けない。
綴りが崩れているようにも見える。
方言か、洒落か、あるいは書き間違いか。
分からないものは、分からないままにする。
前の回でも、同じ扱いを見た。
推測を書かないのが、館の作法である。

横長の画面に、屋外の集まりが描かれる。
中央に、大勢の人が輪をつくる。
黒い上着と帽子の男性が多い。
赤い上着の人物が、台の上に立つ。
左に、太い木が数本立つ。
その下に、粗末な小屋がある。
小屋の柱に、白い板が下がる。
手前に、子供と犬が走る。
右奥に、広い野が続く。
遠くに、低い丘が見える。
空は淡く、雲が薄い。
二輪の車と、細い車輪
二点とも、車輪が大きく細く描かれる。
輻が、放射状に何本も伸びる。
実際の車輪より、細く見える。
軽さと速さを示す描き方だろう。
そして、車輪の円が画面を横切る。
その円の向こうに、幟や柵が見える。
つまり、車輪越しに文字を見ることになる。
構図として、面白い扱いである。
館の記録は、そこまでは書かない。
競走場の名を、幟に書く
九点のうち二点は、馬車の競走を描く。
どちらも、同じ画家の手である。
そして、どちらも幟に競走場の名がある。
一点は、遠くの柵に幟が立つ。
もう一点は、幟が裏返しに見える。
裏返しなので、文字が逆になる。
館は、そのことまで書く。
裏返しに、と書き添える。
前の回で、逆さまの文字の例を見た。
同じ扱いである。

横長の画面に、競走場が広がる。
中央に、栗色の馬が走る。
前脚を大きく前へ出す。
その後ろに、二輪の車が続く。
車輪は細く、円が大きく描かれる。
車に、黒い上着と帽子の人物が座る。
手綱を両手で持つ。
背後に、白い柵が横に走る。
その向こうに、緑の野が広がる。
空は淡く、雲が高い。
柵のあたりに、細い幟が見える。
馬の名が、題に入る
もう一点の題には、馬の名と人の名が入る。
駆る人の名が先、馬の名が後である。
そして、場所の名が続く。
つまり、その日の一場面を特定している。
競走の記録画である。
こういう絵は、勝った側が注文する。
記念として、家や事務所に飾る。
だから、名と場所と年が必要になる。
絵の中の文字が、その役目を果たしている。
柵の上の、数字
もう一点には、さらに文字がある。
下の柵の左に、頭文字を組んだ形。
右に、三桁の数字。
そして、右下に画家の名と町の名と年。
数字が何を示すかは、書かれていない。
競走の記録かもしれない。
馬の番号かもしれない。
館は、数字だけを写す。
読む人が、考えることになる。

横長の画面に、競走場が広がる。
中央に、栗色の馬が全力で走る。
四肢を伸ばし、地面から離れる。
その後ろに、二輪の車が続く。
車輪は大きく、細い輻が並ぶ。
車に、紫の上着の人物が座る。
前かがみで、手綱を握る。
背後に、白い柵が横に走る。
柵の上に、旗が翻る。
地面は黄褐色で、平らである。
空は淡く、雲が厚い。
港の絵という、商売
船の絵も、注文されて描かれた。
船主や船長が、自分の船を描かせる。
港には、そういう絵を専門に描く画家がいた。
型は決まっている。
横から見た船を、大きく中央に置く。
帆はすべて張る。
背後に、港か岬を入れる。
そして、船名と船長の名と年を書く。
九点のうち二点が、この型である。
船の名を、旗に書く
九点のうち二点は、船を描く。
船の名は、旗や船体に書かれる。
一点では、手前の船の旗に船名がある。
奥の船の旗にも、別の名がある。
さらに、左手前の船にも名がある。
つまり、三隻の名が読める。
そして、画面の下に長い文が横切る。
船の名、船長の名、出た港、そして年月。
つまり、この絵は航海の記録である。

横長の画面に、青緑の海が広がる。
中央に、三本の帆柱の船が浮かぶ。
帆はすべて張られ、白く輝く。
船体は黒く、細い線が入る。
船尾に、旗が翻る。
左に、別の帆船が見える。
右奥に、石造の砦がある。
砦の上に、旗が立つ。
手前に、小さな舟が二艘浮かぶ。
空は淡く、雲が横に伸びる。
水面は静かである。
水平線の近くに、小さな文字
最後の一点は、文字が一か所しかない。
右から二隻目の船の上である。
しかも、水平線の近くにある。
つまり、遠くの小さな船だ。
そこに、灯台の名と番号が書かれる。
小さすぎて、遠目には見えない。
館の記録がなければ、気づかないだろう。
なぜ、そんな場所に書いたのか。
その船が何かを示すためである。

横長の画面に、青い海が広がる。
大小の帆船が、十隻ほど浮かぶ。
いずれも白い帆を張る。
中央の一隻が、いちばん大きい。
帆が三角に高くそびえる。
左に、煙を吐く汽船が見える。
右にも、汽船が一隻。
奥に、低い岸と灯台がある。
空は淡く、雲が積み上がる。
水面に、波が細かく立つ。
船の影が、水に落ちる。
見せるための文字と、隠すための文字
九点の文字は、いずれも見せるためのものだ。
大きく、読みやすく、はっきりしている。
これまでの回で見てきた文字と、正反対である。
署名は、隠れる方向に置かれた。
碑文は、読ませるが小さい。
看板と幟は、遠くから読ませる。
同じ絵の中の文字でも、目的が違う。
そして、目的が違えば書き方も変わる。
誰が、その文字を読むのか
看板の文字を読むのは、絵の中の人ではない。
絵を見る人である。
つまり、絵の外へ向けられている。
前の回で、天使の帯が逆さまだった例を見た。
あれは、絵の中の筋を優先していた。
看板は、逆である。
見る人の便宜を優先している。
同じ画面の中の文字でも、向きが違う。
民衆の絵と、文字
九点のうち七点は、いわゆる素朴な絵である。
美術の教育を受けていない画家が描いた。
そういう絵に、文字がよく現れる。
理由は、いくつか考えられる。
一つは、説明したいからだ。
絵だけで伝えきる技術に、頼らない。
一つは、看板を描く仕事もしていたからだろう。
町の画家は、看板も、馬車の飾りも描いた。
文字を書くのは、日常の仕事だった。
看板書きと、絵描き
看板を書く仕事は、文字の技術を要する。
大きさを揃え、間隔を保ち、遠くから読ませる。
その技術を持つ人が、絵も描く。
だから、絵の中の文字が上手い。
前の回で、署名の細かさを見た。
こちらは、大きさと配置の技術である。
同じ人が、両方をこなしていた。
館の欄には、そこまで書かれない。
しかし、文字を見れば分かる。
年月日が、絵を証拠にする
九点のうち四点は、年が絵の中にある。
しかも、題や説明の一部として書かれる。
そうすると、絵が証拠になる。
その年、その場所が、こうだったという証拠だ。
写真がまだ普及していない時代である。
絵に頼る場面は多かった。
だから、年を書く。
年がなければ、いつの姿か分からない。
書いてあれば、後から確かめられる。
大きな文字が、残りやすい
小さな署名は、消えやすい。
前の回で、それを繰り返し見た。
看板や題の文字は、大きい。
絵具の量も多い。
だから、消えにくい。
九点の文字は、いずれもよく読める。
欠けているのは、二点の一部だけである。
大きく書くことが、結果として保存につながった。
見せるために大きくした文字が、長く残った。
記録が、そのまま題になる
館の題を見ると、絵の中の文字と同じである。
農場の名。
救貧院の名と年。
船の名と出た港。
つまり、絵が自分で題を名乗っている。
館は、それを採用した。
これは、便利なことだ。
題を考える必要がない。
そして、間違いようがない。
絵の中の文字が、そのまま記録になっている。

