題に、写した版画の出どころが書いてある——パーヴェル・スヴィニン
九点のうち六点の題には、括弧で出典が入る。ある雑誌の版画にもとづく写し、という書き方である。行かずに名所を帖へ入れる手続きが、そのまま記録に残った。見た絵と、見ていない絵を比べたい。公開画像の五点が白黒である点にも触れる。

題に、出典が書いてある
九点の題を読むと、六点に括弧が付いている。
括弧の中には、写した元の版画の情報が入る。
雑誌の名と号、あるいは書物の名と出版年である。
たとえば、ある雑誌の1810年3月号の版画にもとづく写し、という書き方になる。
つまり、この六点は現地で見て描いた絵ではない。印刷物を写した絵である。
旅の画帖に、写しが混ざる
九点は、一人の外国人が滞在中に作った画帖から出ている。
十九世紀の初め、ロシアから来た人物が数年をアメリカで過ごした。その記録である。
画帖には、街の様子、乗り物、人びとの暮らしが描かれる。
ところが、その中に印刷物からの写しが混ざっている。
見たものと、見ていないものが、同じ帖に並んでいる。
九点のうち六点が写し、三点が実見と考えられる。
同じ大きさ、同じ絵具、同じ手つきで描かれている。
並べただけでは、どちらがどちらか分からない。
なぜ写すのか
自分で行けない場所は、描けない。
滞在は数年だが、大陸は広い。すべてを回ることはできない。
それでも、記録として残したい場所がある。名所である。
そこで、雑誌や書物の版画を写して帖に入れる。行かずに一枚を足す。
これは当時としてはふつうの手続きだった。旅行記の挿絵も、しばしば他の本から借りていた。
写真がまだない時代である。遠くの景色を知る手段は、版画と文章しかない。
版画は複製である。複製を写せば、さらに複製が増える。
そうして、同じ構図の名所の絵が各地に広がった。
いまの画像の共有と、仕組みは似ている。
版画から絵へ
版画を水彩に写すとき、いくつかの変換が起きる。
まず、線が消える。版画は線でできているが、水彩は面で作る。
次に、色が加わる。もとが単色なら、色は写す人が決める。
そして、寸法が変わる。版画の判型と、帖の紙の大きさは違う。
写しといっても、そのまま同じにはならない。三つの変換を経ている。
出典を書くかどうか
大事なのは、館がその事情を題に書いていることである。
写しであることを隠していない。もとの版画の出どころまで書く。
もし括弧がなければ、六点は現地の写生に見える。
括弧の一行が、絵の性格を決めている。
九点の残り三点には、括弧がない。こちらは実見にもとづくと考えられる。
もっとも、括弧がないことは実見の証明にはならない。
出典が分からないだけかもしれない。館は分かった分だけを書いている。
だから、三点についても断定はできない。ここでは可能性として扱う。

横長の小さな画面である。葉書ほどの大きさしかない。
画面の中央に、幅の広い滝が横に伸びる。
水は白く、上から下へ落ちる。落ち口の線がまっすぐである。
滝の中ほどに、緑の島がある。滝を二つに分けている。
手前には、針葉樹が何本も立つ。輪郭が黒く、細長い。
空は灰色で、雲が横に流れる。
公開画像は白黒である。記録には水彩とあるが、色は確かめられない。
滝の下には、白い水煙が広がる。
滝を正面から遠く見た構図である。手前に木を置き、奥に水を見せる。
版画によく使われる型である。手前の暗い木が、奥の明るい水を引き立てる。
写した側も、その型をそのまま受け取っている。
白黒の画像が、五点
九点の公開画像を見ると、五点が白黒である。
いずれも、写しの六点のうちの五点にあたる。
色で公開されているのは四点で、うち三点は括弧の付かない題である。
これは偶然かもしれない。撮影の時期が違うだけの可能性が高い。
ただ、結果として、写しの多くは色が分からないまま公開されている。
名所を、写す
九点の写しのうち三点は、滝か岩の名所である。
ナイアガラの滝、小川の上流の滝、そして天然の岩の橋。
いずれも、当時の旅行記でよく取り上げられた場所である。
版画としても繰り返し作られた。写すための版画が手に入りやすい。
有名であるほど、写しは作りやすい。そして、写しが有名さを支える。
同じ場所の絵が増えれば、その場所はますます知られる。
知られれば、また版画が作られる。循環が起きる。
九点の写しは、その循環の一部である。名所を作る仕組みに参加している。

川が画面の中央を奥へ伸びる。
左右から岩と木が迫る。谷になっている。
左手前に、帆をあげた小さな舟がいる。帆は白い三角である。
奥には低い山があり、その手前に別の舟が小さく見える。
右の崖は険しく、岩の面が段になる。
木は針葉樹が多く、幹が細く高い。
空は白く、雲の形がほとんどない。
これも公開画像は白黒である。
館の題には、版画を作った二人の名と、書物の題と出版年が入る。
題が、長くなる
出典まで書けば、題は長くなる。
九点のうち最も長い題は、人名、書物の題、出版年を含む。四十字を超える。
短い題のほうが読みやすい。しかし、情報は落ちる。
美術館の題は、探すための鍵でもある。長くても、正確なほうが役に立つ。
当サイトでは、この長い題を日本語に訳して使っている。括弧も落としていない。
ただし、図版の説明では読みやすさのために短く書いた。
もとの題の長さは、作品ページで確かめられる。
短くするたびに情報が落ちる。どこを落とすかは、その場の判断になる。

九点の写しのうち、色で公開されている数少ない一点である。
画面の中央に、石を積んだ構造物がある。
正面に丸い迫持ちの入口があり、木の扉が閉じられる。
構造物は緑の斜面に半分埋まる。上に草が生える。
左右には大きな木が立つ。葉は緑と黄で、丸くまとめられる。
手前は草地で、白い花のような点が散る。
背景は淡い青と灰色である。空が広い。
画面の外周には、黒い枠線が引かれる。
墓であることは、題を読まなければ分からない。画面は静かな風景に見える。
記念の場所
この一点は、初代の大統領の墓を描いている。
当時、この場所は多くの旅行者が訪ねた。国の記念の場所である。
写した人物は外国から来た人である。行ったかもしれないし、行っていないかもしれない。
いずれにせよ、この一枚は版画の写しである。館の題がそう書いている。
名所を集めた帖には、こうした記念の場所が欠かせない。
九点の写しのなかで、人の作った構造物が主題になるのはこの一点だけである。
残る五点は、自然の景色か、器である。
自然の名所が多いのは、当時のアメリカの見どころがそこにあったからだと考えられる。

九点のなかで、風景でも人物でもない唯一の一点である。
三つの器が横に並ぶ。いずれも土で作られたものである。
左は小さく、口が広い。縁に突起がある。
中央は最も大きく、胴がふくらむ。口が外へ反る。
右は細長く、首が締まる。
色は赤みのある褐色で、三点とも近い。
胴には、細い線の模様が横に走る。
背景は塗られていない。紙の色がそのまま出る。
影は右下に短く落ちる。物の重さが示される。
学術の図を、写す
この一点の出典は、医学と哲学の雑誌である。
風景の版画とは性格が違う。学術の記録である。
そこに載った器の図を、そのまま写している。
つまり、この画帖は名所だけでなく、学問の話題も拾っている。
旅の記録が、当時の知識の見取り図にもなっている。
器は、地面から掘り出されたものだと考えられる。
出土した器の図は、学術の記録として印刷された。
それを写して帖に入れるのは、その関心を共有していたということである。
もっとも、館の記録は器の出どころを書いていない。ここでは推測にとどめる。

九点で唯一の縦長である。
画面の中央を、細い滝が上から下へ落ちる。
水は数段に分かれて落ちる。岩の段が階段状に並ぶ。
左右は暗い岩で、面が粗く刻まれる。
上部には木が生え、枝が滝の上に張り出す。
右手前には、大きな枝が斜めに垂れる。針葉が細かい。
下部の岩の上に、小さな人影が一つ立つ。
人影があることで、滝の高さが分かる。
公開画像は白黒で、色は確かめられない。
人を置いて、大きさを示す
九点の風景のうち三点に、小さな人影がある。
いずれも輪郭だけで、顔も服も分からない。
役割は一つである。大きさの目安になることである。
人がいなければ、滝が三メートルか三十メートルか分からない。
版画でも絵でも、この工夫は繰り返し使われる。
人影の大きさは、そのまま縮尺の宣言になる。
もし人影を小さく描けば、滝は大きく見える。大きく描けば、滝は小さくなる。
だから、この人影は事実の記録であると同時に、演出でもある。

画面の中央に、岩の橋が架かる。
橋は自然にできたもので、下に大きな穴が開く。
穴の奥は暗く、向こう側が明るい。
橋の上には木が生え、細い幹が並ぶ。
左右の岩壁は高く、上端が画面の外へ出る。
手前には針葉樹が立ち、影が濃い。
下部には小さな流れが見える。
公開画像は白黒である。
出典は1787年の書物である。写した時点から二十数年前の版画にあたる。
古い版画を、写す
出典の年を並べると、幅がある。
1787年、1807年、1809年、1810年、1812年。
つまり、二十五年ぶんの印刷物が手元にあったことになる。
新しい雑誌も、古い旅行記も使う。手に入るものを使っている。
画帖は、その人の書棚の反映でもある。
何を写したかを見れば、何を持っていたかが分かる。
雑誌が三点、旅行記が二点、学術誌が一点である。
当時のアメリカで手に入る印刷物の顔ぶれが、そこに現れている。

ここから三点は、括弧の付かない題である。
画面の左に、丸屋根の建物が立つ。柱が正面に並ぶ。
その右に、噴水がある。水が高く上がる。
噴水の周りには柵があり、人が数人立つ。
背景には、細長い木が何本も並ぶ。ポプラだと思われる。
手前は道で、人が歩く。子どもらしい姿もある。
空は灰色で、雲が渦を巻く。
公開画像は白黒である。
技法の欄には、四つの材料が並ぶ。九点で最も多い。
街の景色
括弧の付かない三点は、いずれも都市か船か人の集まりである。
自然の名所は一つもない。
写しで自然を補い、実見で暮らしを描く。役割が分かれている。
その分担は、意図的だったかもしれない。名所は版画にあるが、暮らしはない。
暮らしを記録するには、自分で見るしかない。
材料の数が違う
九点の技法の欄を比べると、材料の数に幅がある。
最も少ないもので二つ、最も多いもので四つである。
水彩だけ、水彩と不透明水彩、そこにペンと鉛筆が加わる。
材料が増えるほど、描き込みが細かくなる傾向がある。
写した六点は、比較的単純な材料で作られている。

九点で最も大きい一点である。ほかの八点の三倍以上の面積がある。
画面の中央に、蒸気船が横向きに浮かぶ。
船体は黄と青で塗られる。窓が横一列に並ぶ。
甲板には人が大勢立つ。二十人以上いる。
船尾には旗が掲げられる。星と縞の旗である。
中央から煙突が立ち、黒い煙が出る。
左右には岩の崖が迫る。奥には低い山が見える。
水面は暗い緑で、波が立つ。
この一点は色で公開されている。九点のなかで最も情報が多い。
見たものは、大きく描く
写しの六点は、いずれも小さい。縦13センチから18センチである。
括弧の付かない三点のうち一点は、その三倍近い大きさである。
自分で見た場面には、大きな紙を使っている。
写しは記録の補いであり、実見は主題である。大きさがその序列を示している。
もっとも、これは九点からの観察にすぎない。画帖全体で確かめたわけではない。

九点の最後は、人が密集する場面である。
画面の中央に、開いた扉がある。その中に、白い衣の人物が立つ。
その人物は両腕を大きく広げる。説教をしている姿だと考えられる。
扉の前には、二十人以上が集まる。
多くは腕を上げ、体を反らす。床に倒れ込む人もいる。
衣は黄、赤、青、白と色が多い。
背景は建物の壁で、左右に大きな窓がある。
窓の格子が細かく描かれる。
顔の描き方には誇張がある。外から来た者の目で描かれた画面である。
描かれた人びとについて
この一点は、黒人の信徒の集まりを描いている。
十九世紀初めのアメリカでは、黒人の会衆による教会が各地に作られていた。
その礼拝は、外部の人にはしばしば異様なものとして記録された。
この画面の顔立ちや姿勢の描き方にも、その視線が入っている。
記録として貴重であることと、視線が偏っていることは、両立する。両方を見ておきたい。
色が多い三点
括弧の付かない三点のうち二点は、色数が多い。
黄、赤、青、緑が入り混じる。人物の衣が主な色である。
写しの六点は、緑と灰と褐色が中心である。落ち着いている。
もとの版画が単色だったことも関係するだろう。色は写せない。
版画を写すとき、色は写した人が決めることになる。
誰が見たかを、忘れない
画帖の絵は、その土地の絵ではない。その土地を見た人の絵である。
写した六点は、他人の版画を通してさらに一段離れている。
括弧の中の出典は、その距離を測る手がかりになる。
見たのか、見ていないのか。誰の目を経ているのか。
館の題は、その情報を落とさずに書いている。
大きさの二つの群
九点の寸法を並べると、二つの群に分かれる。
八点は縦13センチから18センチ、横13センチから25センチである。
残る一点だけ、縦24.9センチ、横36.2センチと大きい。
小さい八点は帖の頁に収まる大きさである。大きい一点は、別に作られたのかもしれない。
館の記録には、その事情は書かれていない。
帖という単位
九点は、同じ画帖から出ている。
寸法は、大きい一点を除けば近い。縦13センチから17センチである。
同じ束の紙を使い、同じ絵具で描いている。
だから、写しも実見も、見た目の上では区別がつかない。
区別できるのは、題の括弧だけである。
小さな紙に、遠い場所
九点の写しは、いずれも手のひらほどの大きさである。
その小さな紙に、大陸の名所が収まっている。
行かなくても、帖を開けば見られる。持ち歩ける。
十九世紀の初めには、それが遠くを知る方法だった。
いま画面で画像を見るのと、役割はよく似ている。
記録が支える読み方
外交官として滞在した人物の画帖については、外交官が見たアメリカ——パーヴェル・スヴィニンの画帖でも扱った。
そこでは、帖全体の性格を見た。ここでは、写しという性格に絞った。
同じ帖から、別の切り口が取れる。記録が細かいからである。
題の末尾に疑問符が付く例については、題の末尾に、疑問符が付く——パーヴェル・ペトロヴィチ・スヴィニンに書いた。
括弧も、疑問符も、記録が正直であろうとした跡である。




