暮らしと名画

掃くは、一方向へ動くこと——ハッサム・清長・クロード・ロランほか九点

館の記録は、箒の動作にも、線の速さにも、眺めの広がりにも同じ語を使う。掃くの九点を数えると、箒が写る二点ではどちらも箒は置かれたままで、実際に掃いているのは一点だけ。残りでは掃くは線と色と眺めと、すべてをなぎ払う力の名だった。

雪を掃く
フレデリック・チャイルド・ハッサム《雪を掃く》クリーヴランド美術館蔵

雪の階段を、箒が下りていく

小さな油彩である。

額なしで23×18センチしかない。

手のひらより少し大きいだけである。

画面の中央に、階段がある。

階段は赤褐色の煉瓦でできている。

段は五つか六つある。

段の上には、雪が積もる。

雪は白く、厚く塗られる。

絵の具は盛り上がり、面が凸凹する。

階段の上に、女が立つ。

体は正面をやや向く。

顔は下を向き、足元を見る。

頭には、水色の布を巻く。

布は顎の下で結ばれる。

上着は黄色で、袖が長い。

前掛けは白く、膝まで届く。

前掛けの下は、暗い色の裾である。

両手は、前で一つの棒を握る。

棒は細く、斜めに下へ伸びる。

棒の先は、段に触れる。

先には、束ねた枝がある。

箒である。

箒の毛は、黄褐色の短い線でできる。

階段の上には、暗い戸口がある。

戸口の枠は、灰と青である。

左には、建物の壁がある。

壁は赤褐色で、雪の筋が入る。

右の隅は、明るい黄土色である。

雪の白と、煉瓦の赤が交互に並ぶ。

雪を掃く
フレデリック・チャイルド・ハッサム《雪を掃く》1890年代。館の記録では、油彩・カンヴァス。額なしで23×18センチ。番号は1938.42。クリーヴランド美術館蔵。フレデリック・チャイルド・ハッサム《雪を掃く》クリーヴランド美術館蔵

館の記録は、題と材料と寸法しか書いていない。

説明の欄はない。

書かれているのは、署名が右下にあることだけである。

つまり分かるのは、題が示すことだけである。

題は、掃くという動作を名指している。

掃くとは、面の上のものを端へ寄せることである。

落とすのではない。

移すだけである。

この画家の描いた窓については、窓で扱った。

掃くは、九つの場所に現れる

この一枚を出発点に、掃くにまつわる九点を数えていく。

掃くという語には、三つの使い方がある。

一つは、箒で塵や雪を寄せること。

一つは、線や眺めが勢いよく走ること。

もう一つは、力が一切をなぎ払うことである。

館の記録は、その三つを同じ語で書く。

先に言ってしまうと、九点のうち、箒が写るのは二点である。

その二点とも、箒は使われていない。

掃く動作をしているのは、最初の一枚だけである。

四点では、掃くは線や色や眺めの勢いを指す。

一点では、掃くは耳の掃除である。

そして一点では、掃くは死の力である。

箒は、壁に立てかけられている

二点目には、箒がある。

街路の掃除人
シーモア・ジョーゼフ・ガイ《街路の掃除人》1860年代ごろ。館の記録では、油彩・カンヴァス。30.8×21.6センチ。番号は25.110.50。メトロポリタン美術館蔵。シーモア・ジョーゼフ・ガイ《街路の掃除人》メトロポリタン美術館蔵

縦長の小さな画面である。

30.8×21.6センチしかない。

画面の中央に、子どもが立つ。

体は右を向く。

顔は横を向き、上を見る。

髪は褐色で、短い。

上着は淡い黄で、袖が長い。

裾は赤で、細かい縞が入る。

裾は膝の下まで届く。

脚は裸で、足も裸である。

両手は、口元にある。

手のひらを合わせ、水を受けている。

その前に、太い柱がある。

柱は暗い緑で、金属らしい。

柱の上のほうに、小さな口がある。

そこから、水が出ている。

水は細い線で描かれる。

柱の右側に、箒が立てかけられている。

箒の柄は長く、まっすぐである。

毛は黄褐色で、束が広がる。

毛の先は、地面に着く。

背後には、鉄の柵が並ぶ。

柵の向こうは、暗い。

地面には、落ち葉が数枚ある。

館の札には「噴水」「少女たち」「飲むこと」がある。

つまり館は、これを水を飲む図として登録している。

掃くという語は、題の中にある。

その人の仕事の名である。

しかし画面では、掃いていない。

箒は、手から離れている。

九点のうち、箒が仕事の名として題にあるのは、この一点である。

箒は、使われていない

三点目にも、箒がある。

使われぬ箒
鳥居清長《使われぬ箒》1780年ごろ。館の記録では、木版、紙に墨と色。高さ69.7センチ、幅12.4センチ。番号はJP1211。メトロポリタン美術館蔵。鳥居清長《使われぬ箒》メトロポリタン美術館蔵

きわめて細長い版画である。

高さ69.7センチ、幅は12.4センチしかない。

縦が横の五倍以上ある。

画面の中央に、二人がいる。

一人は女で、立っている。

もう一人は、その前にいる。

二人は体を寄せ合う。

女の衣は赤褐色で、裾が長い。

もう一人の衣は、暗い色である。

二人は、同じものを見ている。

見ているのは、白い紙である。

紙は二人の手のあいだにある。

広げられ、こちらから字は見えない。

女の髪は結い上げられ、簪が挿さる。

床には、細長いものが横たわる。

柄が長く、先に束がある。

箒である。

箒は、誰の手にもない。

床に置かれたままである。

画面の上には、文字が並ぶ。

文字は縦書きで、三行ある。

背景は、紙の色のままである。

館の札には「男性」「女性」「読むこと」「箒」がある。

つまり館は、読む図としても箒の図としても登録している。

題は、使われていない箒を指す。

掃く仕事が、中断している。

そして中断の理由が、手の中の紙である。

九点のうち、箒が床にあるのは、この一点である。

掃くのは、耳である

四点目では、掃く対象が変わる。

遊女の耳を掃除する床屋
シュリ・ゴビンダ・チャンドラ・ロイ《遊女の耳を掃除する床屋》1890年ごろ。館の記録では、木版。版のみで45.5×28.2センチ。番号は2003.118。クリーヴランド美術館蔵。シュリ・ゴビンダ・チャンドラ・ロイ《遊女の耳を掃除する床屋》クリーヴランド美術館蔵

縦長の版画である。

版のみで45.5×28.2センチある。

線は黒く、太さが一定である。

色は使われていない。

画面の中央に、女が座る。

体は左を向く。

顔は横を向き、目を閉じる。

髪は結い上げられ、花が挿さる。

衣は体に巻かれ、細かい文様で埋まる。

文様は、小さな円と点の繰り返しである。

首と腕には、飾りが幾重にも掛かる。

左手には、細長い管を持つ。

管は曲がり、下の器につながる。

水煙草の道具である。

女の右に、男が立つ。

男は上着を着て、頭に布を巻く。

右手を、女の耳へ伸ばす。

指先には、細い道具がある。

左手は、女の頭を支える。

床には、四角い台がある。

台の面には、細かい格子の文様がある。

館の記録では、この地方の人気のある絵は、大量に刷るために木版にされた。

そして館は、描かれた人について書いている。

上等な水煙草を持ち、宝石をまとい、華やかな衣を着て、髪に花を挿している。

この人には、床屋へ行って耳を掃除してもらう余裕があるという。

館の記録は、そう説明している。

つまり掃くのは、体の中である。

面ではなく、穴の中を掃く。

九点のうち、掃く対象が体なのは、この一点である。

手前の線が、掃くように走る

五点目から、掃くは線の勢いになる。

丘の斜面の農家
フラ・バルトロメオ《丘の斜面の農家》1508年ごろ。館の記録では、ペンと茶インク。紙は22.3×29.4センチ。番号は1957.498。クリーヴランド美術館蔵。フラ・バルトロメオ《丘の斜面の農家》クリーヴランド美術館蔵

横長の紙である。

紙は22.3×29.4センチある。

線はすべて茶色である。

色は使われていない。

画面の中央に、建物がある。

建物は低く、屋根が斜めに落ちる。

壁には、小さな窓がある。

建物のまわりに、木が立つ。

木は二種類ある。

一つは、細く尖った常緑の木である。

もう一つは、丸く広がる木である。

葉は、短い線の繰り返しで示される。

線の向きは、木ごとにそろう。

建物の後ろは、丘の斜面である。

斜面には、細い横線が並ぶ。

手前は、下り坂である。

坂の面には、長い線が斜めに走る。

線は速く、途中で切れない。

一本ずつが、長い。

左下には、小さな鳥が一羽描かれる。

紙の縁には、細い枠線がある。

館の記録では、これはこの地域の純粋な風景素描の初期の重要な例である。

聖書や歴史の物語を示さず、自然そのものを描くことに徹しているという。

そして館は、線について書いている。

常緑樹と落葉樹に使われた線は、速く、規則正しい。

そして手前には、掃くような線がある。

それが、この風景が自然を前にして描かれたことを示すという。

館の記録は、そう説明している。

つまり掃くという語は、線の速さを指している。

箒は、どこにもない。

描かれているのは、坂と草と木だけである。

それでも記録は、掃くという語を選んでいる。

線の動きを言うのに、体の動きの語を使う。

九点のうち、線に掃くが使われるのは、この一点で二点のうちの一点目である。

眺めが、掃くように開ける

六点目では、掃くは眺めの広がりである。

イタリアの風景
クロード・ロラン《イタリアの風景》1630年ごろ。館の記録では、油彩・カンヴァス。額なしで97.5×134.2センチ。番号は1946.73。クリーヴランド美術館蔵。クロード・ロラン《イタリアの風景》クリーヴランド美術館蔵

横長の大きな画面である。

額なしで97.5×134.2センチある。

画面の左は、暗い。

そこには、木立が茂る。

木は高く、葉が塊になる。

塊は黒に近い緑である。

木立の上に、丘がある。

丘の頂きには、小さな建物がある。

円い柱の並ぶ形をしている。

画面の中央から右へ、地面が下る。

地面は褐色と黄土である。

その先は、平らな野になる。

野は明るく、緑がかった灰である。

さらに奥には、低い山並みがある。

山は青く、薄い。

空は画面の上半分を占める。

空は青灰で、雲が横に流れる。

雲の下端は、明るい。

手前の道に、小さな人影が三つある。

人影は、粒ほどの大きさである。

館の記録では、この画家は生まれた国を離れ、生涯をある都市で過ごした。

調和のとれた場面を、金色の霞んだ光で満たしたという。

そして館は、この一枚について書いている。

経歴の早い時期に描かれ、掃くように広がる眺めを示す。

丘の上には、古代の神殿に似た建物が載る。

画面の左は暗いが、手前は右へ弧を描いて掃かれ、次第に明るくなる遠くへ導くという。

館の記録は、そう説明している。

つまり掃くという語が、二度使われている。

眺めについてと、手前の地面についてである。

この画家の光については、光の主で扱った。

墨の線が、掃くように引かれる

七点目でも、掃くは線である。

遊女
懐月堂安度《遊女》十八世紀。館の記録では、掛幅、紙に墨と色。画のみで95.7×35.5センチ。番号は1985.264。クリーヴランド美術館蔵。懐月堂安度《遊女》クリーヴランド美術館蔵

細長い掛幅である。

画のみで95.7×35.5センチある。

地は、淡い黄褐色である。

背景には、何も描かれていない。

画面の中央に、女が一人立つ。

体は左を向き、腰をひねる。

顔は横を向き、やや下を見る。

髪は高く結い上げられる。

髪には、細い櫛が一本挿さる。

衣は幾重にも重なる。

いちばん外は、赤と白の大きな市松である。

その内は、黄土色で、丸い文様が散る。

さらに内は、赤である。

裾は床に流れ、大きく渦を巻く。

帯は前で結ばれ、垂れる。

袖は長く、下へ落ちる。

輪郭の線は、太い。

一本の線が、肩から裾まで途切れずに続く。

線の太さは、途中で変わる。

館の記録では、この工房の絵は、こうした人物を描くことを主な仕事としていた。

そして館は、線について書いている。

大胆で掃くような書のごとき墨の線で、人物の形を描く。

強い対比の色と文様を、衣に置く。

そして人物のまわりの空間は、まったく空白のまま残されるという。

館の記録は、そう説明している。

つまり掃くという語は、筆の運びを指している。

一気に引くことを、そう呼んでいる。

途中で止めれば、線が太る。

止めずに引けば、細く伸びる。

この一幅の線は、肩から裾まで太さを変えながら続く。

止めた跡が、どこにもない。

色が、掃くように広がる

八点目では、掃くは色である。

時祷書の一葉:羊飼いへのお告げ(表)と本文(裏)
ボエティウスの装飾家《時祷書の一葉:羊飼いへのお告げ》1410年から20年ごろ。館の記録では、犢皮紙にインク、テンペラ、金。葉は17×12.1センチ。番号は2014.22。クリーヴランド美術館蔵。ボエティウスの装飾家《時祷書の一葉:羊飼いへのお告げ(表)と本文(裏)》クリーヴランド美術館蔵

小さな一葉である。

葉は17×12.1センチしかない。

上半分に、絵がある。

絵は四角い枠に収まる。

枠の地は、細かい格子である。

格子は金と赤と青で、市松に並ぶ。

その前に、人物が三人立つ。

三人は、上を見上げる。

衣は赤と青と緑である。

一人は、杖を持つ。

足元には、小さな獣がいる。

羊である。

画面の上には、翼のある人物がいる。

翼は広げられ、上へ伸びる。

その下に、細い光の筋がある。

絵の下には、文字が並ぶ。

文字は小さく、行が詰まる。

頁の縁には、細い蔓が広がる。

蔓には、青と金の点が付く。

館の記録では、この保存のよい一葉は、ある装飾家の仕事と様式が一致する。

その人は、ある写本を千四百十四年に装飾したことから、その名で呼ばれる。

そして館は、こう続けている。

この画家は、明るく掃くような色と、表現の強い構図を好んだ。

細密画には、モザイクのような格子の地を用いたという。

館の記録は、そう説明している。

つまり掃くという語が、色に使われている。

線でも眺めでもなく、色の広がりである。

色は、赤と青と緑の三つが強い。

面と面の境で、色が切り替わる。

中間の色が、ほとんど置かれていない。

その切り替えの速さを、掃くと呼んでいるらしい。

掃くことが、なぎ払うことになる

最後の一点で、掃くは力になる。

絞め殺す死(死の舞踏より)
アルフレート・レーテル《絞め殺す死(死の舞踏より)》1850年。館の記録では、木版。画面は30.7×27.4センチ。番号は1939.620。クリーヴランド美術館蔵。アルフレート・レーテル《絞め殺す死(死の舞踏より)》クリーヴランド美術館蔵

縦長の版画である。

画面は30.7×27.4センチある。

線は黒く、細かい。

画面の中央に、骨の姿がある。

姿は立ち、両腕を上げる。

手には、細長い棒を二本持つ。

棒の先は、骨の形である。

姿は、黒い頭巾をかぶる。

背には、幅の広い布が垂れる。

その足元に、人が倒れる。

倒れた人は、四人か五人いる。

衣は華やかで、飾りが付く。

床には、仮面が落ちている。

仮面は白く、目の穴が黒い。

顔から外れて、床の上にある。

奥には、椅子と卓がある。

卓の上には、器が並ぶ。

左には、人が逃げる姿がある。

右には、うずくまる姿がある。

上には、燈火が吊られる。

画面の下には、文字の帯がある。

館の記録では、この図は二十年ほど前のある出来事にかかわる。

下の文が、それを説明している。

千八百三十一年の仮面舞踏会での、最初の流行病の発生であるという。

そして館は、影響について書いている。

この画家は、十六世紀の死の図から影響を受けた。

ここで死を圧倒的な脅威として解したのは、ある画家に由来する。

その画家は、行く手のすべてを掃き払う力として死を描いたという。

館の記録は、そう説明している。

つまり掃くという語は、ここでは一掃することである。

箒の動作から、力の比喩へ移っている。

寄せられるのは、塵でも雪でもない。

人である。

床に倒れた人の姿が、寄せられた形に見える。

仮面が一つ、その脇に落ちている。

舞踏会の道具が、そのまま散らばっている。

数えてみると

九点を並べ直す。

箒が写るのは、二点である。

どちらでも、箒は使われていない。

掃く動作をしているのは、一点だけである。

雪を掃く場面である。

掃く対象が体なのが、一点。

掃くが線の勢いを指すのが、二点。

眺めの広がりを指すのが、一点。

色の広がりを指すのが、一点。

なぎ払う力を指すのが、一点である。

もう一つ数える。

九点のうち、掃くという語が題にあるのは三点である。

残る六点では、掃くは館の説明文の中にある。

題にあるのは、雪を掃く場面、掃除人、そして使われぬ箒である。

三点とも、箒にかかわる。

つまり題では、掃くは道具の語である。

そして説明文では、道具から離れる。

書かれる場所によって、語の指すものが変わる。

さらに数える。

説明文で掃くが使われた四点のうち、二点は線について、一点は眺め、一点は色についてである。

六点目の死の力を加えれば、五点になる。

物の動きから、力の動きまで幅がある。

言えることと、言えないこと

言えるのは、掃くという語が「一方向へ一気に動くこと」を指すということである。

箒は、右から左へ一度に動く。

線も、一気に引かれる。

眺めも、目が一方向へ流れる。

死の力も、同じ方向へ進む。

九点のうち六点で、掃くは方向のある動きだった。

方向がなければ、掃くとは言わない。

混ぜることや、こねることとは違う。

そして始点と終点がある。

終点に、寄せたものが溜まる。

溜まったものを、また運ぶ必要がある。

掃くだけでは、片づかない。

最初の一枚の雪も、段の下に溜まる。

そこから先は、描かれていない。

画面は、途中で切り取られている。

終わりは、見る側が想像するしかない。

言えないのは、掃く場面に箒が要るという話である。

箒が写る二点では、箒は置かれたままだった。

掃いている一点でも、箒は雪に埋もれかけている。

館の記録が掃くと書いた六点には、箒がない。

語のほうが、道具より広く使われている。

道具は、部屋の中にしかない。

語は、線にも眺めにも色にも死にも届く。

九点は、その広がりを端から端まで並べている。

端の一方に箒があり、もう一方に死がある。

そのあいだに、線と眺めと色が並ぶ。

どれも、手の動きから来ている。

体の動きが、比喩の元になっている。

最後に、はじめの一枚へ戻る。

女は箒を下へ向け、段の雪を寄せている。

寄せた雪は、下の段へ落ちる。

そこも、また掃くことになる。

雪は消えず、位置を変えるだけである。

九点を数え終えて残るのは、その終わらなさのほうである。

掃いた先には、また面がある。

線を引いた先にも、また紙がある。

一方向へ動く仕事は、どこかで止めるしかない。

止めた場所が、画面の縁になっている。

九点のうち、線が縁で切れているのは三点である。

続きは、紙の外にある。

掃く仕事も、画面の外へ続いている。

描かれるのは、その途中だけである。

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