COLUMNSコラム: 暮らしと名画
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暮らしと名画
鏡は、映すか、並べるか——ニューマン・ロートレック・カメロンほか九点
一人を二人に見せる鏡、何も映っていない姿見、掲げられた古代の手鏡。鏡の九点を数えると、鏡が鏡として働いていたのは一点だけだった。残りは枠だけの鏡か、書名の中の鏡である。映すものが、そのまま手本の名になる。
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暮らしと名画
帯は、細長い閉じた形である——春章・ミンヌ・郭敏ほか九点
まだ結ばれていない花魁の帯、短刀を差す金の帯、刀を吊るための帯革、そして牧童が解いた帯。帯の九点を数えると、身につける帯が四点、細長い装飾の帯が四点だった。細長い場所には、かならず繰り返しが置かれる。
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暮らしと名画
帽子は、位置を示す道具である——モリゾ・ピサロ・ルノワールほか九点
羽根飾りの帽子と麦藁帽子、役を示す菅笠、誰でもない人のためのターバン。帽子の九点を数えると、八点で帽子が題か札に入っていた。身につけるものは、体の部分より記録に残る。最後の一点は、かぶれない硝子の帽子である。
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暮らしと名画
髪は、手を加えられる前提で描かれる——マンロー・モディリアーニ・春章ほか九点
円の外へ放射する髪、赤毛と金髪という題、白髪のかつら、剃った跡を隠すための紫の布。髪の九点を数えると、手を加えていない髪を主題にした一点はなかった。そして白い絵具は剥がれやすく、二点では髪そのものが失われていた。
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暮らしと名画
口は、穴の名である——祇園井特・ルドン・カイユボットほか九点
緑に光る紅と黒い歯、電気で動かされる上唇、口から出る両刃の剣。口の九点を数えると、人の口は五点で、出る・入る・くわえる・塗る・動かすに一点ずつ分かれた。残る四点は器と川の口だった。口は、穴の代表の名である。
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暮らしと名画
足は、地面との接点である——ドガ・歌麿・ムリーリョほか九点
自分の足の裏を見る踊り子、炬燵から出た素足、月の上に載る聖母の足。足の九点を数えると、人の足が写るのは五点で、三点は木の根元や崖の下という場所の名だった。立っているものには、すべて足があることになっている。
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暮らしと名画
膝は、高さを操作する関節である——ブレイク・ナドルマン・トゥーラほか九点
跪く偽の聖者、鍵を受ける人、斬られる聖人。膝の九点を数えると、跪く姿勢が四点あり、それが任命にも処刑にも接近にもなっていた。姿勢は同じで、まわりの物だけが意味を変える。最後の一点では、膝が広さの単位になる。
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暮らしと名画
飲む絵は、注ぐところで止まる——バサヴァナ・豊信・サージェントほか九点
飲むことを扱った九点を数えると、器が口に触れていたのは二点だけだった。多くはただ注ぎ、受け取り、掲げている。中身の見える器は一つもなく、飲むという行いは、器の形と手の動きだけで示されていた。宴も、警告も同じである。
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暮らしと名画
歌は、開いた口で示される——ドガ・ドーミエ・暁斎ほか九点
歌を描いた九点を数えると、口が開いていたのは四点だけだった。音は描けないので、開いた口と動く手が代わりになる。ある館の記録は、口が開いて歯と舌が見えれば歌だと書いている。滝の一点では、歌うのは水である。
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暮らしと名画
煙草の絵に、煙はない——ファン・ミーリス・ホーマー・栄之ほか九点
煙草を扱った九点を数えると、煙らしいものは一点にしかなかった。火も灰も描かれず、描かれるのは道具と、それを持つ手だけである。煙には輪郭がなく、線では描けない。絵はいつも、煙の手前で止まっていた。道具だけが残る。
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暮らしと名画
婚礼の絵に、式はない——デクルティ・湖龍斎・サージェントほか九点
婚礼を扱った九点を数えると、式そのものを描いた絵は一点だけだった。残りは見合いであり、贈り物であり、衣装箱の板である。相手が両方描かれるのも二点だけで、花嫁だけの絵が三点、花婿だけの絵は一点もなかった。
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暮らしと名画
遊びの絵は、勝負の絵になる——テニールス・春章・北渓ほか九点
遊びを描いた九点を数えると、笑っている顔はほとんどなかった。骰子の絵では三人が黙って一点を見つめ、盤の絵では点を書き留める人がいる。数える人がいれば遊びは勝負になり、いなければ遊びのままでいられる。九点のうち、数える人は一点だけだった。
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暮らしと名画
漁の絵に、魚はいない——歌麿・北斎・クールベほか九点
漁を描いた九点を数えると、魚が一匹でも見える絵は一点もなかった。竿は構えられ、網は担がれ、鵜は水に入ったばかりで、どれも結果の手前で止まっている。水の中は、どの一点にも描かれない。漁の絵とは、構えの絵である。
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暮らしと名画
旅の絵は、途中しか写さない——若冲・ブリューゲル・ドーミエほか九点
旅する人を描いた九点を数えると、顔が判別できるのは二点だけだった。出発の場面も到着の場面もなく、あるのは途中ばかりである。十二メートルの巻物だけが移動を写せるが、動いているのは絵ではなく開く手のほうである。
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暮らしと名画
売る場面は、並べることで示される——李嵩・歌麿・ピサロほか九点
品を並べれば売り場になり、並べなければただの荷物である。売るの九点を数えると、買う人がいるのは三点だけで、金銭が動く瞬間はどこにも描かれていなかった。売り手と目が合う作も一点もない。商いの絵は、商いの手前で止まっている。
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暮らしと名画
担ぐと、体が傾く——ピアッツェッタ・ゴヤ・春章ほか九点
重い荷を持てば体は反対側へ傾き、膝が曲がる。担ぐの九点を数えると、五点で体は明らかに傾き、荷の軽い二点ではまっすぐだった。駕籠かきを演じる役者の絵には駕籠がなく、姿勢だけが荷の代わりをしている。傾きの角度が重さの目盛りである。
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暮らしと名画
収穫は、刈ったあとを描く——ブルトン・ドービニー・ホーマーほか九点
刈る動作は一瞬で終わり、束ねて運ぶ時間が長く続く。収穫の九点を数えると、鎌を振る人は一人もおらず、写るのは篩と桶と荷車と舟と袋と籠だった。湿地の草も、綴織から取り出す金糸も、同じ語で収穫と呼ばれている。
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暮らしと名画
水は、器の形で示される——ドゥフェネク・ピサロ・乾山ほか九点
水は形を持たないから、器の形が水の存在を伝える。水を汲む九点を数えると、六点に桶か甕か水瓶があり、器の中の水はどこにも描かれていなかった。運ぶ重さは、天秤棒のたわみと肩の傾きだけで示される。厚み四ミリの陶片も、その一点である。
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暮らしと名画
掃くは、一方向へ動くこと——ハッサム・清長・クロード・ロランほか九点
館の記録は、箒の動作にも、線の速さにも、眺めの広がりにも同じ語を使う。掃くの九点を数えると、箒が写る二点ではどちらも箒は置かれたままで、実際に掃いているのは一点だけ。残りでは掃くは線と色と眺めと、すべてをなぎ払う力の名だった。
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暮らしと名画
洗うとは、見えなくすること——アーフェルカンプ・ピサロ・スローンほか九点
洗う場面に汚れは描かれない。落ちたものは水に混ざって消えるからである。洗うの九点を数えると、三点で人は膝をつくかしゃがみ、足を洗う二点ではその低さが意味を持っていた。馬を洗う一点があり、織物の記録では洗うことが色を落とす力として書かれている。
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