担ぐと、体が傾く——ピアッツェッタ・ゴヤ・春章ほか九点
重い荷を持てば体は反対側へ傾き、膝が曲がる。担ぐの九点を数えると、五点で体は明らかに傾き、荷の軽い二点ではまっすぐだった。駕籠かきを演じる役者の絵には駕籠がなく、姿勢だけが荷の代わりをしている。傾きの角度が重さの目盛りである。

肩に子を乗せて、川を渡る
縦長の画面である。
71.8×56.2センチある。
背景は、暗い褐色である。
上のほうだけが、わずかに明るい。
画面の中央に、男がいる。
男は腰から上が見える。
顔は上を向く。
口は半ば開き、息を吐いている。
額には、深い皺が寄る。
髪は乱れ、額に落ちる。
髭は短く、白いものが混じる。
上着は白く、袖が広い。
肩には、赤褐色の布が掛かる。
体は右へ傾く。
右腕は高く上がる。
その手が、太い棒を握る。
棒は縦に立ち、画面の上まで伸びる。
杖である。
左腕は、上へ回る。
その腕の上に、子どもが座る。
子どもは裸である。
体は小さく、丸い。
右手を上げ、指を伸ばす。
左手は、男の頭に触れる。
顔は男を見下ろす。
二人の重心が、右へ寄る。
体の傾きが、重さを示す。

館の札には、二人の名がある。
館の記録は、それ以上のことを書いていない。
つまり分かるのは、誰が誰を担いでいるかだけである。
伝えでは、この聖人は川を渡す仕事をしていた。
ある夜、一人の子を肩に乗せた。
子は進むほど重くなり、渡りきれなくなりかけたという。
担ぐとは、重さを体に移すことである。
移した重さは、姿勢に出る。
担ぐは、九つの場所に現れる
この一枚を出発点に、担ぐことにまつわる九点を数えていく。
担ぐ体には、決まった形がある。
背が丸まり、膝が曲がる。
そして重心が、荷の側へ寄る。
先に言ってしまうと、九点のうち、人を担いでいるのは三点である。
三点では、担がれているのは物である。
一点では、担ぐ道具だけが写る。
一点では、担ぐことが画家の名になっている。
そして一点では、担ぐのは神である。
つまり九点のうち、荷が人であるものと物であるものが、ほぼ同数である。
十字を担いで、地に膝をつく
二点目は、板絵である。

横長の小さな板絵である。
画面は41.4×47.4センチある。
画面は、町の外である。
奥には、城壁と塔が並ぶ。
塔は白く、細い。
その手前に、木が数本立つ。
木は細長く、上へ伸びる。
画面の中央に、人が集まる。
中央の人物は、赤い衣を着る。
体は前へかがむ。
肩に、太い木が渡る。
木は二本を組んだ十字である。
十字の先は、画面の左上へ伸びる。
人物の膝は、地に着きかけている。
その左に、女が数人立つ。
女たちは、暗い衣である。
一人は手を差し伸べる。
右には、馬に乗った兵士がいる。
兵士は槍を持つ。
馬は白く、首を上げる。
さらに右にも、人が数人いる。
地面は緑で、平らである。
館の記録は、題と材料と寸法しか書いていない。
年の欄には、たぶんという語が付く。
つまり年も、確かではない。
九点のうち、年に留保が付くのは、この一点である。
同じ場面が、画家の名になる
三点目も、同じ主題である。

縦長の小さな板絵である。
24.6×19.5センチしかない。
手のひらより少し大きいだけである。
画面は、人で埋まっている。
隙間が、ほとんどない。
中央に、桃色の衣の人物がいる。
体は前へ折れ、膝をつく。
顔は横を向く。
肩に、太い木が乗る。
木は画面を斜めに横切る。
木の端は、画面の外へ出る。
そのまわりに、兵士がいる。
兵士は兜をかぶり、槍を持つ。
一人は、綱を引く。
綱は人物の腰に回る。
左には、暗い衣の女が二人いる。
一人は手を口に当てる。
背景は緑で、平らである。
上のほうには、旗が見える。
館の記録は、題と材料と寸法しか書いていない。
作者の欄には、名がない。
かわりに、この主題を描いた画家として呼ばれている。
つまり作品の題が、そのまま画家の呼び名になっている。
九点のうち、担ぐことが画家の名なのは、この一点である。
三人で、一人を運ぶ
四点目では、運ばれるのは負傷者である。

縦長の小さな紙である。
20.2×14.1センチしかない。
線はほとんどない。
形は、淡彩の面でできている。
面は茶と灰である。
画面の上のほうに、大きな岩がある。
岩は暗く、輪郭がぼける。
その下に、人が四人いる。
三人は立ち、一人は支えられる。
支えられる人は、頭が垂れる。
腕は、両側の人の肩に回される。
脚は、地面を引きずる。
左の人は、両手でその体を抱える。
右の人は、腰を支える。
奥の一人は、後ろから押す。
四人とも、顔がはっきりしない。
目も口も、描かれていない。
衣は暗く、輪郭だけである。
地面は明るく、影が短い。
館の記録は、題と材料と寸法しか書いていない。
題には、連作の名が添えられる。
つまりこれは、一枚ではなく組の一枚である。
そして題は、していることをそのまま述べている。
三人が、一人を運ぶ。
九点のうち、運ぶ人が三人なのは、この一点である。
駕籠を担ぐ役を、役者が演じる
五点目では、担ぐことは演技である。

縦長の版画である。
31.6×14.9センチしかない。
画面の中央に、男が立つ。
体は右を向き、腰を落とす。
膝は曲がり、脚を開く。
顔は正面を向く。
眉は太く、下がる。
目は大きく見開かれる。
口は結ばれる。
頭は剃られ、髷が小さい。
衣は白地に、赤褐色の網目文様がある。
袖は短く、腕が出る。
腰には、帯を締める。
脚は素足で、太い。
右手は、肩の高さに上がる。
手のひらは開く。
背後に、細い柱が立つ。
柱には、文字の板が付く。
道しるべである。
板には、地名らしい字がある。
背景は、淡い黄土色である。
館の札には「男性」と「役者」がある。
つまり館は、これを役者絵として登録している。
題には、担ぐ役の名がある。
しかし画面に、駕籠はない。
担ぐ相手も、道具もない。
九点のうち、担ぐ道具がないのは、この一点である。
役者の顔については、役者の顔で扱った。
素描帳の一頁に、籠を運ぶ姿がある
六点目は、素描帳の一葉である。

きわめて小さい紙である。
10.8×5.4センチしかない。
指ほどの幅である。
紙には、いくつもの図がある。
上のほうに、三人の女が並ぶ。
三人とも、大きな帽子をかぶる。
裾は下へ広がり、鐘の形になる。
その右に、別の図がある。
そこには、一人の女がいる。
女は横を向く。
頭の上に、平たい籠を載せる。
籠は円く、浅い。
両手は、籠に添えられない。
首と背で、支えている。
その下にも、図が二つある。
一つは、立つ少年である。
一つは、横たわる人である。
図と図のあいだには、文字がある。
線は細く、素早い。
濃淡は、ほとんどない。
館の札には「女性たち」とある。
館の記録は、それ以上のことを書いていない。
つまり題が、していることを示すだけである。
九点のうち、頭で担ぐのは、この一点である。
手を使わないので、両手が空く。
そのぶん、背をまっすぐ保つ必要がある。
姿勢の均衡が、道具の代わりになっている。
同じ紙に、別の姿も描かれている。
立つ少年と、横たわる人である。
一枚の紙に、いくつもの姿勢が集められている。
旅先で見た人びとらしい。
手控えとして、素早く写されている。
線は数本で、面は塗られていない。
それでも、頭の上の円が籠だと分かる。
形と位置が、すでに意味を持っている。
果物と花を、胸に抱える
七点目では、荷は小さい。

小さな立像である。
全体は42.2×12.8×15.3センチある。
台を除くと35.3センチである。
幼い子どもが立つ。
体は正面を向く。
顔はやや下を向く。
頬はふくらみ、口が尖る。
髪は短く、巻いている。
体は裸である。
腹が丸く、前へ出る。
両腕は、胸の前で曲がる。
腕のあいだに、布がある。
布は袋のように垂れる。
その中に、果実と花がある。
果実は丸く、いくつも重なる。
花は小さく、隙間に見える。
脚は太く、短い。
足の指は、丸く並ぶ。
足元には、円い台がある。
台は金色である。
材の色は、淡い褐色である。
館の記録では、この作者は彫刻に子どもをよく登場させる。
ここでは、口を尖らせた表情から、ふくらんだ足の指まで、幼い子として説得力があるという。
そして館は、材料について書いている。
テラコッタは、この作者がよく使う材料である。
焼いたあと、釉のかかっていない土の色は大きく変わりうる。
だから、この作者の像はそれぞれ少しずつ色が違うという。
さらに館は、こう付け加えている。
この像は多くの損傷を受けたが、近年清掃され、修復されたという。
館の記録は、そう説明している。
つまり運んでいるのは、重い荷ではない。
それでも、腕の形は担ぐ形である。
両腕を胸の前で曲げ、布を受ける。
体は、わずかに後ろへ反る。
軽い荷でも、姿勢は変わる。
館の記録は、その自然さを褒めている。
絵を担いで、行列が進む
八点目では、担がれるのは絵である。

ほぼ正方形の版画である。
紙は39.2×37.6センチある。
色は、褐色の濃淡だけである。
画面いっぱいに、人が並ぶ。
人は、行列をなして右から左へ進む。
手前の列には、兵士が四人いる。
兵士は鎧を着ける。
頭には、羽根の飾りがある。
一人は、大きな板を担ぐ。
板は肩の上にある。
板には、絵が描かれている。
絵の中には、建物と人がいる。
もう一人も、同じような板を担ぐ。
奥には、旗と槍が林立する。
旗は高く、風になびく。
さらに奥には、木立が見える。
画面の下には、細い枠がある。
館の記録では、この一組の版画は、ある画家の連作を写している。
その連作は、一世紀前に描かれたものであるという。
そして館は、行列の内容について書いている。
帯状に続く各場面は、こうした行進に典型的な要素を示す。
それは、古代の文章に記されているという。
つまり担がれている絵は、戦いの記録である。
戦いの絵を、勝った側が運んで見せる。
板の大きさは、人の背丈ほどある。
一人では、持ち上げられない重さらしい。
担ぐ兵士の腕は、両方とも上がっている。
頭より高い位置で、板を支えている。
見せるためには、高く掲げる必要がある。
運ぶことと、見せることが重なっている。
九点のうち、絵が荷なのは、この一点である。
神が、三叉の矛を携える
最後の一点では、担ぐのは神である。

横長の水彩である。
画は23.8×34.1センチある。
画面の上端は、丸く弧を描く。
天井の形に合わせてある。
画面の中央に、車がある。
車は貝の形をしている。
車には、大きな車輪が付く。
車を引くのは、白い馬である。
馬は二頭で、前脚を上げる。
馬の後ろ半分は、水に沈む。
車の上に、男が立つ。
男は裸で、体が大きい。
右腕を高く上げる。
その手に、長い棒を握る。
棒の先は、三つに分かれる。
三叉の矛である。
矛は画面の上まで届く。
車のまわりに、人物が数人いる。
一人は、貝の笛を吹く。
一人は、水の中から見上げる。
上のほうには、雲がある。
雲の中に、顔が二つある。
顔は口をすぼめ、息を吹く。
風を表している。
館の記録では、この素描はある壁画にもとづく。
その壁画は、ある宮殿の丸天井を飾っているという。
そして館は、場面を説明している。
三叉の矛を携えた神が、車で波を滑る。
まわりには、いくつもの神と、息子と、海豚が付き従う。
嵐を起こし、海を静める力を持つその神が、暗い雲のほうを指し示す。
その雲では、二つの吹く顔が風を擬人化しているという。
館の記録は、そう説明している。
つまり担ぐという語は、ここでは携えることである。
重さは、問題になっていない。
矛は長く、画面の上端まで届く。
腕は伸びきり、肘が張らない。
持ち上げるというより、掲げている。
そして車は、馬に引かれて進む。
神は、自分では運んでいない。
九点のうち、荷を引かせているのは、この一点である。
海と岸については、海と岸で扱った。
数えてみると
九点を並べ直す。
人を担いでいるのは、三点である。
肩の子、負傷した兵士、そして十字架を担う二点のうち。
数え直すと、人が二点、十字架が二点である。
十字架は物だが、人の代わりに担がれる。
だから、どちらに数えるかで結果が変わる。
数える基準を先に決めなければ、答えが出ない。
物を運んでいるのは、三点である。
頭の籠、胸の果実、そして肩の絵。
担ぐ役を演じるのが、一点。
担ぐことが画家の名なのが、一点。
神が矛を携えるのが、一点である。
九点のうち、荷が画面の中心にあるのは五点である。
残る四点では、荷は肩の上か、頭の上にある。
中心から外れるほど、体の傾きが強くなる。
肩に乗せれば、片側だけが重くなる。
頭に乗せれば、左右は釣り合う。
置く場所が、姿勢を決めている。
もう一つ数える。
九点のうち、荷が肩に乗るのは四点である。
頭に乗るのが一点、胸に抱えるのが一点。
残る三点では、荷は手で持たれるか、二人以上で支えられる。
さらに数える。
九点のうち、荷が体より大きいのは三点である。
二本の十字架と、絵の板。
どれも、画面の外へはみ出している。
大きすぎる荷は、枠に収まらない。
収まらないことが、大きさを伝えている。
そして三点とも、荷は斜めに置かれている。
縦でも横でもなく、斜めである。
斜めであれば、長いものが枠に入る。
画面の対角線が、最も長い線だからである。
言えることと、言えないこと
言えるのは、担ぐ姿が「傾きで示される」ということである。
重い荷を持てば、体は反対側へ傾く。
膝は曲がり、背は丸まる。
九点のうち五点で、体は明らかに傾いていた。
そして荷が軽い二点では、体はまっすぐだった。
幼い子の像と、頭に籠を載せる姿である。
頭で担ぐときは、背をまっすぐにするほうが楽である。
傾ければ、落ちる。
だから姿勢は、荷の位置で決まる。
傾きの角度が、そのまま重さの目盛りになる。
言えないのは、担ぐ場面に荷が要るという話である。
役者の一枚には、駕籠がない。
あるのは、腰を落とした姿勢だけである。
その姿勢だけで、館は役者絵と分かる。
姿勢が、荷の代わりをしている。
最後に、はじめの一枚へ戻る。
男は杖を握り、体を右へ傾けている。
肩の上の子は、小さく軽そうに見える。
しかし伝えでは、その子は進むほど重くなった。
見えている大きさと、実際の重さが合わない。
九点を数え終えて残るのは、その食い違いのほうである。
絵は、重さを直接には描けない。
描けるのは、体の傾きと、顔の表情だけである。
この一枚では、その二つが揃っている。
口は開き、額に皺が寄る。
体は右へ傾き、杖に頼る。
小さな子が、その全部を引き起こしている。
見る側は、その差から重さを読む。
読めるのは、伝えを知っているからである。
知らなければ、軽い子を担ぐ男に見える。
題が、その読みを引き受けている。
館の札に並ぶ二つの名が、伝えを呼び出す。
名前がなければ、ただの渡し場の絵になる。
九点のうち、題が意味を決めているのは四点である。
聖人の名、十字架の名、役者の役の名、そして神の名。
どれも、画面だけでは決められない。
運ばれているものが何かは、題が告げる。
重さだけが、姿勢から読める。
何を運んでいるかは、言葉から読む。
二つの読み方が、一枚の中で並んでいる。
姿勢は、誰にでも読める。
名前は、知っている人にしか読めない。
九点は、その二層でできている。
下の層に、体の形がある。
上の層に、名前と物語がある。
下の層だけでも、担いでいることは分かる。
上の層がなければ、何を担ぐかが分からない。
姿勢は共通し、荷は個別である。
共通するものが、まず目に入る。
個別のものは、あとから読む。
その順序は、九点のどれでも変わらない。
姿勢が先、名前が後である。
体が、いつも先に見える。


