海だけの画面は、一点もない——ボーム・ブーダン・光悦ほか九点
海は端も形もない面である。九点で数えると、舟か岸か人が必ず入っていた。水平線がはっきり引かれるのは二点だけで、真ん中に引いた画面は一つもない。青い海も三点しかなかった。空との境を高く取るか低く取るかで、画面の意味が変わる。残る六点は岸から見ている。

波の上に、舟が斜めに載っている
一枚の油彩に、荒れた海がある。
88.9×73.6センチ。
縦長の画面である。
画面の中ほどに、二艘の舟がある。
帆は茶色で、風を受けてふくらむ。
舟は右へ大きく傾いている。
その下の波は、白と濃い青である。
絵具は厚く、盛り上がっている。
波の頂は、白い塊として置かれる。
手前には、岸か、桟橋らしい暗い面がある。
そこに、人が七、八人いる。
いずれも小さく、輪郭だけである。
一人は身を乗り出している。
もう一艘の舟が、手前の水面にいる。
こちらは帆を下ろしている。
空は白く、絵具が渦を巻く。
雲か、しぶきか、判別できない。
館の記録の題は《イギリス海峡での出来事》という。
何が起きたかは、記録に書かれていない。
制作は1919年である。

海は、いちばん広い面である。
端がなく、形がなく、色が定まらない。
だから海の絵は、たいてい海以外のものを頼りにする。
舟、岸、人、空。
そのどれかがなければ、画面は青い面になってしまう。
九点を並べて、海の描かれ方を数えたい。
海だけの画面は、一点もない
集めかたは、館の記録の題によっている。
海、浜、磯、渚にあたる語が入るものを拾った。
九点のうち、水が描かれているのは八点だった。
残る一点は、海の神を表した磁器である。
まず、確かめておきたいことがある。
海だけを描いた画面は、九点に一つもなかった。
必ず、舟か、岸か、人が入る。
舟があるのが、五点。
岸や浜があるのが、五点。
人がいるのが、七点である。
海は、それだけでは画面にならないらしい。
浜には、人が集まる
浜辺を描いた三点を見たい。
一点目は、小さな板絵である。
額なしで34.7×26センチ。
縦長の画面で、上の三分の二が空である。
空は灰色で、雲が厚い。
画面の中央に、四角い小屋がある。
布を張った仮設の小屋らしい。
その前に、人が七、八人集まっている。
女性は大きく広がったスカートをはく。
男性は黒い上着である。
赤い服の子どもが一人、右にいる。
手前の砂の上に、椅子が一つ倒れている。
館の記述は、その椅子に注目している。
風で倒れたか、座っていた人が急に立ったのだろう、と書く。
そのことが、気軽に眺めた一瞬という印象を強める、とも書かれている。
さらに館は、この画家が板に直接描いたことにも触れる。
白い下地を薄く塗り、下描きをせずに描き始めたらしい。
その手順が、風の強い日の軽さを生んでいるという。

二点目も、板絵である。
全体で31.8×40.7センチ。
この一点は、表と裏の両方が公開されている。
画像も、二つ並べて写されている。
表には、波打ち際が描かれる。
白い波が横に伸び、その手前で人が遊ぶ。
女性は長い裾の水着を着ている。
黄色や赤の帽子が、点として置かれる。
手前に、桃色のスカートの人が座っている。
裏は、同じ場所の習作である。
こちらは人がもっと多い。
緑がかった浅い水に、十数人がいる。
絵具はさらに粗く、輪郭がない。
館の記述によれば、この画家は夏を海辺で過ごした。
そして、水浴や行楽の様子を描いたという。
館はさらに、当時の水着の形にも触れている。
長く、ゆったりした裾が求められた、と書かれている。

三点目は、素描帖の一葉である。
紙は12.1×19.7センチ。
九点のなかで、いちばん小さい。
黒鉛だけで、ごく薄く描かれている。
画面の左に、水平の線が数本引かれる。
その手前に、細長い形が二つある。
舟らしい。
一つは、船底の曲線がはっきり描かれている。
もう一つは、線が二本あるだけである。
上のほうには、崖か丘の輪郭が走る。
線の数は、全部で三十本ほどだろう。
館の記録の題によれば、岸辺の舟の素描である。
一冊の帖から、三枚が別々の番号で公開されている。

波だけを描いた水彩
海そのものに近い一点がある。
水彩で、紙は24.2×30.5センチ。
横長の画面である。
画面の下半分は、波である。
波は緑がかった灰色で、頂が白い。
いくつもの峰が、手前から奥へ並ぶ。
その間に、小さな舟が三艘いる。
いずれも帆を張っている。
舟は波にほとんど埋もれている。
上半分は、空である。
薄い桃色と灰色が広がる。
雲の形はほとんどない。
水平線は、はっきりしていない。
波と空が、同じような色で溶けている。
館の記録によれば、署名が二度書かれている。
同じ名が、右下に二つあるという。
さらに、左下には読めない書き込みがある。
館は「判読不能」と記録している。
読めないことを、そのまま欄に書いている。