作品を知る

山は、七点で無彩色だった——ビッソン・八大山人・チャーチほか九点

山は大きすぎて、全体と細部の両方は描けない。九点で数えると、七点が墨か黒鉛か白黒の画面である。高さの示し方は三通りあり、数字で書かれたのは写真の一点だけだった。偽の署名も一点ある。雪の線が入るのは二点しかない。

サヴォワのモン・モーディ
オーギュスト=ロザリー・ビッソン《サヴォワのモン・モーディ》クリーヴランド美術館蔵

雪の稜線が、画面を斜めに横切っている

一枚の写真に、雪の山がある。

画面は23.2×39.2センチ。

台紙まで含めると50.8×61センチになる。

横に長い画面である。

画面の中央から右へ、黒い岩の峰が並ぶ。

峰は鋭く尖り、雪が付いていない。

その左と下は、一面の雪と氷である。

氷は割れていて、大きな段が幾つもできている。

段の縁は白く光り、影は灰色である。

手前の斜面は、緩やかに下っていく。

その表面にも、細かい亀裂が走る。

空は白く飛んでいる。

雲か霧か、判別できない。

人は一人も写っていない。

館の記述によれば、この山の高さは四千メートルを超える。

そして、初めて頂上に人が立ったのは、この写真の十八年後だった。

つまり撮影の時点で、この頂は未踏だった。

館の記述は、撮影の困難にも触れている。

重いガラスの原板と、持ち運べる暗室を担いで登った。

低い気温のなかで、薬品を手早く扱う必要があった。

そこまでして撮られた一枚である。

サヴォワのモン・モーディ
オーギュスト=ロザリー・ビッソン《サヴォワのモン・モーディ》1860年。館の記録では、湿板コロジオンの陰画から作った鶏卵紙印画。画面23.2×39.2センチ。台紙を含めて50.8×61センチ。番号は1985.94。クリーヴランド美術館蔵。オーギュスト=ロザリー・ビッソン《サヴォワのモン・モーディ》クリーヴランド美術館蔵

山は、いちばん大きな地形である。

近くからは全体が見えず、遠くからは細部が見えない。

だから山の絵は、必ずどちらかを捨てている。

全体の形を取るか、岩と雪の質感を取るか。

九点を並べて、その選び方を数えたい。

山は、どこから見られているか

集めかたは、館の記録の題によっている。

山、峰、山中、山水にあたる語が入るものを拾った。

九点とも、山が描かれている。

外れは一点もなかった。

まず、見る位置を数えたい。

麓から見上げているのが、四点。

山の中腹にいるのが、三点。

山を遠景として置いているのが、二点である。

見上げている四点では、山が画面の上端まで届く。

中腹の三点では、手前に岩や木があり、その先が谷になる。

遠景の二点では、山は水平線の上の低い帯になる。

同じ山でも、立つ位置で形が変わる。

東アジアの山は、縦に積み上がる

掛幅の二点を見たい。

一点目は、中国の水墨である。

画面は109.9×56.4センチ。

軸の端まで含めると247.7×84.5センチになる。

二メートル半近い。

画面は縦に細長い。

下のほうに、岩と木がある。

木は数本で、枝が横へ張る。

その上に、岩の塊が積み上がる。

さらにその上に、別の峰が重なる。

いちばん上の峰は、白く残されている。

雪ではなく、紙の地である。

筆は速く、輪郭は途切れる。

墨の濃淡だけで、遠近が作られている。

右上に、書き込みと印がある。

館の記録によれば、画家は十世紀の画家に倣ったと書いている。

ところが館は、そこに注記を付けている。

両者のあいだに、様式の関係はほとんど見当たらない、と。

倣うと書いてあっても、実際に似ているとは限らない。

館は、その食い違いを記録に残している。

郭忠恕に倣う山水図
八大山人《郭忠恕に倣う山水図》1680〜1705年頃。館の記録では、掛幅。紙に墨。画面109.9×56.4センチ。軸端を含めて247.7×84.5センチ。番号は1955.36。クリーヴランド美術館蔵。八大山人《郭忠恕に倣う山水図》クリーヴランド美術館蔵

二点目は、日本の掛幅である。

画面は138.5×64.2センチ。

表装を含めると192.2×70.7センチになる。

こちらも縦長で、山が上へ積み上がる。

下のほうに、水面と小さな橋がある。

橋の上に、人影が二つ見える。

その上に、木立と岩が重なる。

さらに上に、丸い峰が並ぶ。

墨は濃く、点を重ねて葉を示す。

淡い赤が、ところどころに置かれる。

秋の色だろう。

右上に、書き込みと印が二つある。

左下にも、印が一つある。

館の記述によれば、この画家は武士だった。

役目を辞して各地を巡り、書と兵学と絵と詩を学んだという。

そして館は、この人が戦いで死んだことも書いている。

制作の翌年である。

山峡の秋
藤本鉄石《山峡の秋》1862年。館の記録では、掛幅。紙に墨と色。画面138.5×64.2センチ。表装を含めて192.2×70.7センチ。番号は1983.112。クリーヴランド美術館蔵。藤本鉄石《山峡の秋》クリーヴランド美術館蔵

山の中の出来事

山が場面の舞台になった例を見たい。

一点目は、木版である。

館の記録に、寸法の欄はない。

画面の上のほうに、岩の斜面がある。

斜面には、細い木が生えている。

その岩の上に、人物が跪いている。

両手を上げ、上を見ている。

上の左には、光の輪と杯のようなものが浮かぶ。

画面の下には、三人が横になっている。

眠っているらしい。

衣の襞が、太い線で刻まれる。

右上には、遠くの岩山と、小さな人の列が見える。

これは、聖書の場面である。

前に見た四十枚の連作の一枚だった。

この回では、園を扱ったときに同じ場面の別の作を取り上げている。

そちらは板絵と石の浮き彫りだった。

同じ場面が、木版でも作られている。

なお、館の記録の題には綴りの誤りがある。

人名の綴りが入れ替わっている。

館は、それをそのまま公開している。

オリーヴ山のキリスト(人類の堕罪と救済より)
アルブレヒト・アルトドルファー《オリーヴ山のキリスト(人類の堕罪と救済より)》1515年頃。館の記録では、木版。番号は1932.330.19。クリーヴランド美術館蔵。アルブレヒト・アルトドルファー《オリーヴ山のキリスト(人類の堕罪と救済より)》クリーヴランド美術館蔵

二点目は、素描である。

画面は20.8×32.2センチ。

横長で、茶色のインクと淡彩で描かれている。

画面の左に、大きな木が立つ。

その右に、岩の塊が斜めに積み上がる。

岩の上には、小さな建物が見える。

中央から右へ、低い谷が広がる。

谷には、人が数人いる。

いずれも小さく、輪郭だけである。

空には、青と灰色の淡彩が置かれる。

館の記録には、注意すべき記述がある。

署名が偽であると明記されているのである。

しかも、その署名は別の紙に書かれ、台紙に貼られている。

つまり、後から誰かが作者の名を足した。

館は、それを消さずに記録している。

さらに、台紙の裏に書かれた数字も写している。

二、四十、三十七といった数字である。

誰が、いつ書いたかは分からない。