美術史・技法

道は、五点で奥へ抜けていく——テリス・ピサロ・ハンマースホイほか九点

道は必ず画面の外へ続く。九点で数えると、奥へ抜ける形が五点、横に切る形は一点だけだった。取り壊し前の路地、住所を題にした室内、そして綴りの偶然で入った谷の絵まで並ぶ。人が歩いているのは四点で、無人の道が三点ある。道は人がいなくても道に見える。

マルセイユ旧市街の改造、カーヴ・ド・ロラトワール通り
アドルフ・テリス《マルセイユ旧市街の改造、カーヴ・ド・ロラトワール通り》クリーヴランド美術館蔵

細い通りが、奥へ続いている

一枚の写真に、狭い通りがある。

画面は24.9×19.1センチ。

縦長で、両側に建物が迫る。

左の壁は暗く、細部が沈んでいる。

右の壁には、いくつも窓が開く。

窓には鎧戸があり、開いたものと閉じたものがある。

壁のあちこちに、紙が貼られている。

通りの幅は、人が二人並べるほどしかない。

石畳の面は、中央がへこんでいる。

そこに水が流れた跡がある。

奥へ行くほど、通りは細くなる。

いちばん奥は、白く飛んでいる。

手前の右に、男が一人しゃがんでいる。

帽子をかぶり、こちらを見ているようにも見える。

その奥にも、立っている人影がある。

いずれも、動いていないから写った。

館の記録の題によれば、これは旧市街の改造の記録である。

つまり、この通りは取り壊される予定だった。

写真は、なくなる前に撮られている。

館の記録には、裏に鉛筆で書かれた番号も写されている。

マルセイユ旧市街の改造、カーヴ・ド・ロラトワール通り
アドルフ・テリス《マルセイユ旧市街の改造、カーヴ・ド・ロラトワール通り》1862年。館の記録では、湿板コロジオンの陰画から作った鶏卵紙印画。画面24.9×19.1センチ。台紙を含めて50.8×40.6センチ。番号は1996.243。クリーヴランド美術館蔵。アドルフ・テリス《マルセイユ旧市街の改造、カーヴ・ド・ロラトワール通り》クリーヴランド美術館蔵

道は、いちばん細長い場所である。

幅より長さがはるかに大きい。

そして、必ずどこかへ続いている。

続いている先は、たいてい画面の外にある。

だから道の絵には、必ず見えない部分がある。

九点を並べて、道の描かれ方を数えたい。

道の語で集めると、道以外が集まる

集めかたは、館の記録の題によっている。

道、通り、街道、路にあたる語が入るものを拾った。

英語の記録では、いくつかの語に分かれる。

田舎の道を指す語と、町の通りを指す語である。

九点のうち、道や通りが描かれているのは六点だった。

残る三点は、語の広がりで混じっている。

一点は、通りの名を題にした室内の絵。

一点は、通りの名を題にした高い所からの眺め。

もう一点は、綴りの偶然による一致だった。

最後の一点については、後で詳しく書く。

町の通りは、両側から挟まれる

町の通りを描いた三点を見たい。

一点目は、いま見た写真である。

二点目は、水彩と黒チョークの素描である。

紙は29.2×22.7センチ。

こちらも縦長で、両側に建物が並ぶ。

建物は木の骨組みが見える造りである。

窓が縦に並び、上の階が少し張り出す。

看板らしいものが、通りへ突き出ている。

通りの奥、突き当たりのあたりに、大きな建物の影がある。

尖った屋根が空へ伸びる。

通りには、人が十数人いる。

歩いている人、立ち話をしている人がいる。

服は青や黒で、単純な形にまとめられる。

画面の下には、署名と場所の名が書かれている。

館の記録は、その文面をそのまま写している。

さらに、紙の透かしまで記録されている。

紙を作った会社と、その工場の名が入る透かしである。

館の記述によれば、この素描とほぼ同じ構図の版画がある。

同じ時期に作られ、この紙が下絵だった可能性があるという。

ルーアン、ダミエット通り
カミーユ・ピサロ《ルーアン、ダミエット通り》1884年頃。館の記録では、網目紙に黒チョークと水彩。紙は29.2×22.7センチ。番号は1968.357。クリーヴランド美術館蔵。カミーユ・ピサロ《ルーアン、ダミエット通り》クリーヴランド美術館蔵

三点目は、油彩である。

額なしで76.5×64.3センチ。

こちらは通りの景色ではない。

画面いっぱいに、女性と子どもが描かれる。

女性は赤い外套をまとい、子どもを抱いている。

頭には灰色の布をかぶる。

子どもは白い帽子をかぶり、目を閉じている。

女性の手には、小さな紙が握られている。

紙には、文字らしいものが書かれている。

館の記録は、その文字の読みを写している。

背景は暗く、何もない。

通りは描かれていない。

だが題には、通りの語が入る。

館の記述によれば、この女性は街頭で歌う人である。

当時、そうした人々は物も売っていたという。

館は、画家が売り物を描かなかった点に触れている。

そのことで、見る人はこの人の人間性のほうを見る、と館は書く。

つまり、通りは題のなかにだけある。

街の歌い手と子ども
ジョン・オピー《街の歌い手と子ども》十八世紀。館の記録では、油彩・カンヴァス。額なしで76.5×64.3センチ。番号は1916.1030。クリーヴランド美術館蔵。ジョン・オピー《街の歌い手と子ども》クリーヴランド美術館蔵

田舎の道は、木と一緒に描かれる

田舎の道を描いた三点を見たい。

一点目は、横長の銅版画である。

館の記録に、寸法の欄はない。

画面の中央に、木の大きな塊がある。

葉は細かい線の集まりで、丸くまとまる。

その左に、道が奥へ抜けていく。

道の上に、小さな人影と動物がいる。

手前の右には、牛が数頭いる。

一頭は横になっている。

奥には、低い丘と空が広がる。

空は白いまま残されている。

題は《森の縁の道》という。

道は森の外側を通っている。

森の中ではない。

これは実際の道の性質でもある。

木を切らずに済む場所を、道は通る。

森の縁の道
アルベール・フラーメン《森の縁の道》1635〜69年。館の記録では、エッチング。番号は1943.566。クリーヴランド美術館蔵。アルベール・フラーメン《森の縁の道》クリーヴランド美術館蔵

二点目は、小さな油彩である。

27.7×35.6センチ。

画面の中央に、暗い緑の木立がある。

その左右に、黄緑の草地が広がる。

草地の低いところに、細い流れがある。

流れに沿って、道らしい筋が奥へ延びる。

道の輪郭ははっきりしない。

草の色が薄くなっている帯が、それらしく見える。

奥には、低い丘が霞む。

空は薄い青と黄で、雲が広がる。

館の記録の題は、無題である。

括弧のなかに、小川と木々に沿う道のある風景、と説明が添えられる。

制作年も記録にない。

この画家の作品は、家と橋の回でも取り上げた。

いずれも無題で、括弧に説明が付いていた。

同じ画家の作品が、同じ形式で三点続いている。

無題(小川と木々に沿う道のある風景)
エドワード・ミッチェル・バニスター《無題(小川と木々に沿う道のある風景)》制作年不詳。館の記録では、油彩・カンヴァス。27.7×35.6センチ。スミソニアン・アメリカ美術館蔵。エドワード・ミッチェル・バニスター《無題(小川と木々に沿う道のある風景)》スミソニアン協会蔵

三点目は、日本の屏風である。

六曲一隻で、画面は133.1×267.6センチ。

全体では136.5×271センチある。

九点のなかで、いちばん大きい。

地は金である。

その上に、緑と朱の丘が置かれる。

丘のあいだを、細い道が蛇行して奥へ延びる。

道は白っぽい灰色で、幅は狭い。

道の上に、二人の人物がいる。

一人は黒い衣で、荷を背負っている。

もう一人は青い衣で、笠をかぶる。

丘には、蔦らしい葉と、赤い実が描かれる。

左端に、丸い赤い印がある。

館の記述によれば、これは十世紀の物語の一場面である。

蔦の茂る峠で、旅の途中の人が僧に出会う。

そして、都にいるかつての恋人への手紙を託す。

そういう場面だという。

館は、その山の名が別の語と同じ音であることにも触れている。

蔦の細道図屏風
深江芦舟《蔦の細道図屏風》十八世紀。館の記録では、六曲一隻の屏風。金地の紙に墨と色。画面133.1×267.6センチ。全体136.5×271センチ。番号は1954.127。クリーヴランド美術館蔵。深江芦舟《蔦の細道図屏風》クリーヴランド美術館蔵

通りの名が、室内の題になる

語の外れに移りたい。

一点目は、二十世紀初めの油彩である。

額なしで50.5×56.2センチ。

画面は室内である。

正面に、白い両開きの窓がある。

窓から入った光が、床に長方形を作る。

その右に、白い扉がある。

扉にも光が当たり、明るい。

左のほうは暗い。

暗がりに、女性が一人立っている。

灰色の服で、こちらに顔を向けない。

手前には、白い布を掛けた机の角がある。

壁は灰色で、装飾はない。

館の記録の題は、ある通りの名と「陽光」である。

館の記述によれば、それは画家の住まいの住所である。

その部屋を、画家は何度も描いた。

つまり通りの名は、住所として題に入っている。

画面に通りは写っていない。

窓の外も、白く飛んでいて見えない。

ストランゲーゼ通り、陽光
ヴィルヘルム・ハンマースホイ《ストランゲーゼ通り、陽光》1906年頃。館の記録では、油彩・カンヴァス。額なしで50.5×56.2センチ。番号は2023.38。クリーヴランド美術館蔵。ヴィルヘルム・ハンマースホイ《ストランゲーゼ通り、陽光》クリーヴランド美術館蔵

二点目は、1920年の油彩である。

額なしで41×48.5センチ。

画面は、真上に近い角度から街を見下ろしている。

建物は、色の面として単純化されている。

桃色、白、灰、濃紺。

窓は、白い小さな四角が規則的に並ぶ。

輪郭線はほとんどない。

面と面の境で、色が切り替わる。

右下に、暗い帯が斜めに走る。

その上に、小さな四角がいくつか載る。

館の記録の題によれば、それが高架鉄道である。

通りの名は、その鉄道が走る道の名である。

館の記述によれば、この画面はある短編映画の一場面に基づく。

画家自身が写真家と共同で作った映画だという。

つまり、これは映画の画面を油彩に移したものである。

道は上から見ると、建物のあいだの隙間になる。

歩く場所には見えない。

チャーチ・ストリートの高架鉄道
チャールズ・シーラー《チャーチ・ストリートの高架鉄道》1920年。館の記録では、油彩・カンヴァス。額なしで41×48.5センチ。番号は1977.43。クリーヴランド美術館蔵。チャールズ・シーラー《チャーチ・ストリートの高架鉄道》クリーヴランド美術館蔵

綴りの偶然で、一点が混じった

三点目の外れは、少し事情が違う。

十九世紀のアメリカの油彩である。

154×128.3センチ。

九点のなかで、二番目に大きい。

画面の左に、細い木が数本立つ。

葉は上のほうにだけ付く。

その右に、開けた土地が広がる。

地面は暗く、水たまりらしい光がある。

奥には、低い丘が霞む。

空は白く、雲が厚い。

道は、はっきり描かれていない。

館の記録の題は、広く静かな谷、という。

道の語は入っていない。

ではなぜ集まったのか。

英語の題の最初の語に、道の語と同じ綴りが含まれていたからである。

広い、という語の中に、道の四文字がそのまま入る。

機械で語を探すと、こういう一致が起きる。

前後を確かめずに拾うと、まったく関係のない作品が混じる。

今回は、その一点を削らずに残した。

語で記録を引くことの限界を、そのまま示すためである。

広く静かな谷
アレクサンダー・ヘルウィグ・ワイアント《広く静かな谷》1880〜87年頃。館の記録では、油彩・カンヴァス。154×128.3センチ。番号は06.1306。メトロポリタン美術館蔵。アレクサンダー・ヘルウィグ・ワイアント《広く静かな谷》メトロポリタン美術館蔵

道の上の人は、たいてい小さい

道に人がいる四点で、人の大きさを見たい。

町の通りの一点では、人は画面の三分の一ほどの高さがある。

数えると、十数人いる。

顔の造作までは描かれていない。

写真の通りでは、人は画面の五分の一ほどである。

二人しか写っていない。

長い露光のあいだ、動かなかった二人である。

田舎の道の二点では、人はさらに小さい。

銅版画の人影は、爪の先ほどしかない。

屏風の二人は、もう少し大きい。

それでも、画面の高さの十分の一ほどである。

つまり、道の絵では人が小さく描かれる。

理由は、道の長さを見せたいからだろう。

人を大きく描くと、道が短く見える。

小さく描けば、その先の距離が伸びる。

例外は、街頭で歌う人を描いた油彩だった。

こちらは、人が画面いっぱいに描かれている。

その代わり、道は一切見えない。

人を大きくするか、道を長くするか。

一つの画面で、両方は成り立たない。

九点は、その選択の結果に分かれている。

道は、どこで消えるか

道を描くとき、いちばん難しいのは終わりである。

道は画面の外へ続くので、どこかで切らねばならない。

九点で、道の消え方を見たい。

奥の霞に溶けて消えるのが、三点。

建物の陰に隠れて消えるのが、二点。

画面の縁で切れるのが、一点である。

霞に溶ける三点は、いずれも田舎の道だった。

遠くへ行くほど、色が薄くなる。

薄くなった先で、地面と空の区別がつかなくなる。

これは実際の見え方に近い。

遠くのものは、空気の層で霞む。

建物の陰に隠れる二点は、町の通りである。

通りは曲がっているか、突き当たりがある。

だから、必ずどこかで見えなくなる。

写真の通りでは、奥が白く飛んでいた。

光が強すぎて、階調が失われている。

これは写真特有の消え方である。

絵なら、霞ませることも、暗くすることもできる。

写真では、明るすぎる部分が白く抜ける。

同じ「奥が見えない」でも、理由が違う。

館の記録は、そこまで書かない。

技法の欄を読んで、こちらが推すしかない。

数え直す

九点を並べ直したい。

道や通りが描かれているのは、六点。

そのうち、町の通りが二点、田舎の道が四点である。

道の上に人がいるのは、四点。

道だけで人のいない画面は、二点だった。

道が画面を奥へ抜けていくのは、五点。

横に切る形は、一点しかない。

これは橋と対照的である。

橋は画面を横に切る形が多かった。

道は、奥へ向かう形が多い。

理由は用途の違いにある。

橋は渡すものだから、横から見せる。

道は進むものだから、進む向きに見せる。

道の絵は、縦にも横にもなる

判型を並べておきたい。

九点のうち、横長が五点、縦長が四点である。

町の通りを描いた二点は、いずれも縦長だった。

両側から建物が迫るので、画面も縦に細くなる。

田舎の道の四点は、三点が横長である。

横に開けた土地を見せるためだろう。

例外は、屏風の一点だった。

こちらは極端な横長で、幅が高さの二倍ある。

金地の上を、道が右から左へ蛇行する。

屏風は折って立てるので、横に長い。

その形が、道の蛇行と合っている。

もし縦長の紙にこの道を描けば、蛇行は入らない。

判型が、道の形を決めている。

そして判型は、その作品の使われ方で決まる。

屏風は部屋を仕切るために立てる。

だから横に長い。

素描帖の一葉なら、帳面の形になる。

写真なら、乾板や紙の規格に従う。

道の絵の形は、道そのものより、支持体の事情で決まっている。

道の幅が、場所の性質を示す

九点で、道の幅を見たい。

いちばん狭いのは、写真の通りである。

人が二人並べるかどうか、という幅だった。

次が、屏風の細道である。

一人が通れるほどの幅で、蛇行している。

町の通りの一点は、もう少し広い。

十数人が歩いていて、まだ余裕がある。

田舎の道の二点は、幅がはっきりしない。

草地のなかの筋にすぎないからである。

道の幅は、そこを何が通るかで決まる。

人だけなら細くてよい。

荷車が通るなら、広さが要る。

写真の通りが狭いのは、古い市街だからだろう。

そして、その狭さが取り壊しの理由でもあった。

館の記録の題に、改造という語が入っている。

道を広げるために、建物が壊される。

写真は、その直前を写している。

道の絵は、しばしば都市の変化の記録になる。

記録が、消える場所を残す

今回の九点で、いちばん性格が違うのは写真だった。

これは、なくなる予定の通りを撮ったものである。

館の記録の題に、改造という語が入っている。

つまり、撮影の目的が記録そのものだった。

絵として美しく撮ることが目的ではない。

だが結果として、画面は美しい。

狭い通り、湿った石畳、奥の白い光。

意図と結果が、必ずしも一致していない。

こうした記録写真は、後で価値が変わる。

撮った当時は、行政の資料だっただろう。

いまは、失われた市街の唯一の姿である。

そして美術館の収蔵品になっている。

館の記録は、その来歴を書いていない。

書かれているのは、購入の基金の名だけである。

どういう経路で館に来たかは分からない。

分かるのは、いつ撮られ、どこを撮ったかである。

それだけでも、資料としては十分に働く。

九点のうち、対象が失われたと記録から分かるのは、この一点だけである。

残る八点では、描かれた道がいまどうなっているかは書かれていない。

同じ名の通りが、いまもあるかもしれない。

道幅が広がって、別の場所になっているかもしれない。

そこまでは、美術館の記録の仕事ではない。

記録は、道の行き先を書かない

最後に、記録の欄を確かめておきたい。

九点の記録に、道の行き先を書く欄はない。

書かれるのは、道の名だけである。

通りの名が三点、山の峠の名が一点。

残る五点には、道の名がない。

名のない道は、どこへ続くか分からない。

画面の外へ出て、それきりである。

前に廊下を扱ったときも、同じことを書いた。

細長い場所は、必ず画面の外へ続く。

続いた先は、記録にも画像にも残らない。

ただし、道には一つ特徴がある。

名が付きやすいことである。

通りの名は住所になり、住所は人の記録に残る。

今回、二点の題は住所そのものだった。

一点は画家の住まい、一点は鉄道の走る道である。

道の名は、建物より人に近い場所で使われる。

だから、絵の題にも入りやすい。

そして、道がなくなっても名は残る。

前に城壁の名が通りに残った例を見た。

橋の名も、通りに残っていた。

道の名は、土地の記憶をいちばん長く保つ。

建物は建て替えられ、橋は架け替えられる。

それでも、通りの名だけは変わらないことが多い。

今回の三つの名も、いまも使われている可能性が高い。

確かめてはいない。

確かめる手段は、館の記録の外にある。

当社が書けるのは、記録に書かれていることまでである。

その外へ出るときは、推測だと明記する。

今回も、そのように書いた。

数えたことは数えたこととして、推したことは推したこととして。

その二つを混ぜないのが、この連載の約束である。

道の絵は、その約束を試すのに向いている。

見えている部分より、見えていない部分のほうが長いからである。

画面に入るのは、道のごく一部にすぎない。

その一部から先を、見る人が想像する。

想像させるために、道は奥へ向けて描かれる。

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