暮らしと名画

漁の絵に、魚はいない——歌麿・北斎・クールベほか九点

漁を描いた九点を数えると、魚が一匹でも見える絵は一点もなかった。竿は構えられ、網は担がれ、鵜は水に入ったばかりで、どれも結果の手前で止まっている。水の中は、どの一点にも描かれない。漁の絵とは、構えの絵である。

釣りをする少年
イーストマン・ジョンソン《釣りをする少年》クリーヴランド美術館蔵

少年が、細い竿を構える

小さなカンヴァスである。

釣りをする少年
イーストマン・ジョンソン《釣りをする少年》1860年代。館の記録では、油彩・カンヴァス。額なしで23.5×19センチ。番号は1915.683。クリーヴランド美術館蔵。イーストマン・ジョンソン《釣りをする少年》クリーヴランド美術館蔵

縦長の画面である。

額なしで23.5×19センチある。

手のひらを二つ並べたほどの大きさである。

画面の上半分は、暗い緑である。

木の葉が、重なって影を作る。

葉の隙間から、わずかに明るい空が覗く。

下半分は、水と岸である。

水は暗く、岸の草を映す。

草は黄緑で、細い葉が立つ。

画面の中央より少し左に、少年がいる。

少年は横向きに立つ。

顔はやや下を向く。

頭には、麦藁の帽子がある。

帽子のつばは広く、垂れている。

上着は白い。

袖は肘までまくられる。

ズボンは灰色で、膝の下まである。

足元は、水際の石の上にある。

両手で、細い竿を握る。

竿は右へ、斜めに伸びる。

竿の先は、画面の右端に届く。

そこから糸が下がる。

糸は細く、水の上で切れる。

浮きは見えない。

魚も見えない。

見えるのは、構えている姿だけである。

館の記録では、左下に画家の署名がある。

署名は、絵具の上に細く書かれる。

画面をもう一度見る。

少年の周りには、何もない。

家も、道も、ほかの人もいない。

あるのは、木と草と水だけである。

光は、木の葉の隙間から落ちる。

少年の上着だけが、はっきり明るい。

ほかは、すべて暗い緑と褐色である。

白い上着が、画面の目印になる。

少年の姿勢は、動いていない。

膝は伸び、背は少しだけ丸い。

体重は、両足に等しくかかる。

釣り上げる動きではない。

待っている姿勢である。

漁は、九つの場所に現れる

このコラムでは、漁の絵を九点並べる。

九点は、館も年代も技法も違う。

版画があり、掛幅があり、巻物があり、綴織がある。

油彩があり、ブロンズがあり、素描がある。

共通するのは、館の記録に漁の語があることだけである。

数えるのは、実際に漁をしている人の数である。

岩屋の前に、人が集まる

二点目は、三枚続の版画である。

江の島岩屋の漁
喜多川歌麿《江の島岩屋の漁》1790年ごろ。館の記録では、木版多色刷の三枚続。各図は37.8×25.2センチ。番号は1921.407。クリーヴランド美術館蔵。喜多川歌麿《江の島岩屋の漁》クリーヴランド美術館蔵

横に長い画面である。

三枚を並べると、幅は75センチを超える。

各図は37.8×25.2センチある。

画面の下は、岩と水である。

岩は青灰色で、角が丸い。

水は淡い緑で、波の線が細い。

上のほうは、緑の崖である。

崖には、松が生える。

画面には、十数人がいる。

多くは女で、着物を着る。

裾をたくし上げる人がいる。

膝まで水に入る人がいる。

手には、桶や籠がある。

籠は浅く、口が広い。

中に何が入っているかは、見えにくい。

左のほうに、桶を覗き込む二人がいる。

右のほうに、子を連れた人がいる。

館の記録では、ここは島の洞窟の入口である。

洞窟は、長く祈りの場だった。

この絵の頃には、参詣と物見が混ざっていた。

館は、そう説明している。

つまり、これは漁だけの絵ではない。

漁と、遊山が同じ画面にある。

館の記録は、この島の神についても書く。

水と、音楽と、芸事に関わる神だという。

その神を祀る場所が、この洞窟である。

参詣の道すがら、人は水辺に降りる。

降りて、貝や海藻を採る。

籠が浅いのは、そのためだろう。

深い籠は、魚を入れるためのものである。

浅い籠は、拾ったものを載せる。

画面の人たちの手つきは、拾う手つきである。

投げる動きも、引く動きもない。

三枚続の版画は、横に広い。

広さがあれば、多くの人を並べられる。

この一点だけで、十数人が数えられる。

網を担いで、こちらを見る

三点目は、掛幅である。

漁師
葛飾北斎《漁師》十九世紀。館の記録では、掛幅・紙本着色。画面は78.5×24.5センチ。メトロポリタン美術館蔵。番号は29.100.507。葛飾北斎《漁師》メトロポリタン美術館蔵

細長い画面である。

画面は78.5×24.5センチある。

幅は、画面の高さの三分の一もない。

背景は、薄い褐色の紙である。

下のほうに、水と岸が薄く描かれる。

線はごく淡い。

画面の中央に、男が一人立つ。

男は、こちらへ体を向ける。

顔は下を向く。

口元には、髭がある。

上着は薄い青である。

下は白く、脚が見える。

足は裸足である。

肩に、長い棒を担ぐ。

棒は斜め上へ、画面の外まで伸びる。

棒の先に、大きな網がある。

網は三角形に垂れる。

目は細かく、線で描かれる。

網は、男の身長より大きい。

網の重さで、棒がしなる。

館の記録では、題は漁師である。

しかし魚は、一匹も描かれていない。

描かれているのは、道具と、その重さである。

網の形を、もう一度見る。

上が広く、下が尖る。

袋のような形である。

これは、水に沈めて掬う網だろう。

投げる網ではない。

棒の長さは、男の背丈の二倍近くある。

担ぐには、重心を肩に載せるしかない。

男の首は、そのために傾く。

体の線は、棒の傾きと逆になる。

二つの斜めが、画面で釣り合う。

細長い画面は、この釣り合いに向く。

幅が狭ければ、斜めの線が目立つ。

掛幅の形が、そのまま構図になっている。

巻物の中で、鵜が水に入る

四点目は、長い巻物である。