作品を知る

舟は、水平線を示すために置かれる——広重・北斎・ターナーほか九点の遠景

海だけを描くと、水面が壁に見える。そこへ小さな舟を一艘置くと、奥行きが出る。舟の大きさが、距離の目安になるからである。九点で、遠くの舟が何をしているかを読みたい。帆の形が三通りに分かれる。帆を張った舟と、櫓で進む舟が混じる。

御殿山の夕桜
歌川広重《御殿山の夕桜》メトロポリタン美術館蔵

水面は、浮いているもので分かる

前の回で、人の大きさを見た。

風景のなかの小さな人影が、松の高さや道の幅を教えていた。

今回は、船を見たい。

船には、人とは別の役目がある。

水面の位置を示すことである。

水は、それだけでは形を持たない。

平らな色の面を塗っても、水には見えない。

そこに何か浮いていると、はじめて水面が現れる。

九点を並べて、船が画面で何をしているかを読みたい。

御殿山の夕桜
歌川広重《御殿山の夕桜》1830年。館の記録では、木版画、紙本着色。22.9×35.4センチ。番号はJP30。日本、江戸時代。メトロポリタン美術館蔵。歌川広重《御殿山の夕桜》メトロポリタン美術館蔵

横長の版画である。

上端に、桃色の空が広がる。

雲が横に薄く刷られている。

その下に、藍色の海。

上が濃く、下へ行くほど淡くなる。

そして、海の上に、白い三角が並んでいる。

帆である。

数えると、七つか八つ。

いずれも、高さ五ミリほどしかない。

船体は、ほとんど描かれていない。

白い三角と、その下の小さな黒い点だけである。

手前は緑の丘。

そこに桜の木が二本立ち、花が点で表される。

丘の道に、人が三人ほど。

右上に、題箋と、丸い赤い印。

帆だけを描く

この版画で、船は帆だけになっている。

船体は省かれている。

これは、遠いからである。

遠い船は、まず船体が水平線に隠れる。

帆だけが残る。

だから、白い三角を並べれば、遠い海に見える。

そして、その三角の下端が、水平線の位置を教えている。

海の色を塗っただけでは、どこまでが水か分からない。

帆を置くと、決まる。

前の回で、人が大きさの目盛りになると書いた。

船は、高さの目盛りになる。

帆の形が、時代と場所を示す

九点の帆を見比べたい。

広重の版画では、白い三角である。

角が丸く、縦に細い。

日本の弁才船の帆は、横に細長い莚を並べたものである。

正面から見ると、四角に近い。

斜めから見ると、三角に見える。

ターナーの絵では、帆が丸く膨らむ。

布が風をはらんだ形である。

そして、帆桁が斜めに渡る。

グアルディの絵では、帆はたたまれている。

帆柱と横木だけが、細い線として立つ。

港に停まっている船だからである。

つまり、帆の形を見れば、その船が動いているか止まっているかが分かる。

膨らんでいれば動いている。

たたまれていれば止まっている。

三角に見えれば、遠くから斜めに見ている。

館の記録は、そこまで書かない。

題に「舟」とあるだけである。

読み取るのは、見る側の仕事になる。

船体は、たいてい省かれる

遠い船を描くとき、船体はほとんど描かれない。

理由は二つある。

一つは、実際に見えにくいからである。

水平線の向こうでは、船体から先に隠れる。

もう一つは、描く必要がないからである。

帆が一つあれば、そこに船があると分かる。

九点のうち、船体まで描かれているのは四点である。

嵐の絵、砂浜の二艘、運河の舟、そして村の舟。

いずれも、近くにある船である。

遠い船は、帆か、点である。

そして、この差が距離を作っている。

同じ絵のなかに、船体の見える船と、帆だけの船を置く。

すると、二段階の距離ができる。

クールベの絵が、まさにそうなっている。

手前に船体、水平線に白い点。

二艘と二点で、画面の奥行が決まっている。

二艘だけを、砂の上に置く

凪の海
ギュスターヴ・クールベ《凪の海》1869年。館の記録では、布に油彩。59.7×73センチ。番号は29.100.566。メトロポリタン美術館蔵。ギュスターヴ・クールベ《凪の海》メトロポリタン美術館蔵

画面の上三分の二が、空である。

白い雲が大きく盛り上がる。

下のほうは灰色を帯びる。

その下に、細い水平線。

海は薄い緑がかった青で、帯のように横たわる。

波はほとんどない。

そして、手前は砂浜である。

黄土色で、ゆるやかに手前へ広がる。

その砂の上に、小舟が二艘。

いずれも横向きで、乗り上げている。

一艘は褐色、一艘は黒い。

大きさは、画面の十分の一ほど。

さらに、水平線の近くに、白い点が二つ。

遠くの帆だろう。

浮いていない船

この二艘は、水に浮いていない。

砂の上に引き上げられている。

つまり、水面の位置を示す役目は果たしていない。

代わりに、別の仕事をしている。

砂浜の傾きを見せることである。

平らな砂を塗っただけでは、手前か奥かが分からない。

そこに船を置くと、船の底の線が地面の傾きを示す。

そして、二艘の大きさの差が、奥行を作る。

手前の一艘が大きく、奥の一艘が小さい。

水平線の白い点は、また別の役目である。

海の広さを示している。

一枚の絵のなかで、船が三通りの働きをしている。

嵐のなかの船

オランダ軍艦へ錨を運ぶ舟
ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー《オランダ軍艦へ錨を運ぶ舟》1804年ごろ。館の記録では、布に油彩。101.6×130.81センチ。額を含めて123.19×150.65×8.89センチ。番号は2014.136.52。ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵。ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー《オランダ軍艦へ錨を運ぶ舟》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

前の一点と、正反対である。

海が荒れている。

画面の下半分に、白い波頭が幾重にも立つ。

その上に、大きな船が二隻。

帆は黄褐色で、風をはらんで膨らむ。

帆柱が高く、索具が細かく描かれる。

船体は暗く、傾いている。

その手前に、小さな舟が一艘。

人が数人乗り、身をかがめている。

舟は波にもまれ、船首が持ち上がる。

空は暗い。

左上から右下へ、黒い雲が斜めに走る。

その隙間だけが明るい。

船が主題になるとき

この一点では、船が主題である。

帆の形、索具の張り方、船体の傾き。

いずれも細かく描かれている。

そして、題にも船の役目が書かれている。

錨を運ぶ舟、である。

つまり、この絵は出来事を描いている。

嵐のなかで、小舟が大きな船へ錨を運ぶ。

そういう作業があった。

第十八回で読んだ汽船の絵と、性格が近い。

あちらは、船の形を正確に伝える絵だった。

こちらは、船が置かれた状況を伝える絵である。

いずれも、船が主役である。

だから、大きく、細かく描かれる。