旅の絵は、途中しか写さない——若冲・ブリューゲル・ドーミエほか九点
旅する人を描いた九点を数えると、顔が判別できるのは二点だけだった。出発の場面も到着の場面もなく、あるのは途中ばかりである。十二メートルの巻物だけが移動を写せるが、動いているのは絵ではなく開く手のほうである。

十二メートルの紙に、川下りが続く
きわめて長い巻物である。
28.4×1189.9センチある。
高さは30センチに満たない。
しかし長さは、十二メートル近くある。
地は黒い。
その黒の上に、白い線で形が出る。
線は細く、途切れがちである。
白と黒が、ふつうとは逆になっている。
画面の右のほうに、堤がある。
堤は横にまっすぐ続く。
堤の上に、木が並ぶ。
木は細く、枝が広がる。
枝の先は、白い点になる。
花らしい。
堤の下は、水である。
水は黒く、線がほとんどない。
水の上に、舟が浮かぶ。
舟は細長く、屋根がある。
舟の中に、人影がある。
人影は白く、小さい。
さらに左には、家並みがある。
家は屋根だけが白く出る。
その先には、橋がある。
橋は水面をまたぐ。
いちばん左には、山がある。
山は輪郭だけが白い。
画面の上のほうには、文字がある。
文字も白く抜かれている。

館の札には「川」と「風景」がある。
館の記録は、それ以上のことを書いていない。
つまり分かるのは、題と寸法だけである。
題は、舟に乗って楽しむことを意味する。
巻物は、右から左へ開いていく。
開くにつれて、景色が流れる。
だから見る人も、川を下ることになる。
旅とは、場所が連続して変わることである。
旅は、九つの場所に現れる
この一巻を出発点に、旅にまつわる九点を数えていく。
旅の絵には、二つの立場がある。
旅をする人を見る立場と、旅先を見る立場である。
前者では、人が主役になる。
後者では、景色が主役になる。
先に言ってしまうと、九点のうち、旅人が描かれているのは五点である。
二点では、旅先の景色だけがある。
一点では、旅人の墓がある。
そして一点では、旅の道具が残っている。
つまり九点のうち四点で、旅する人はいない。
木の下から、旅人の列を見る
二点目は、素描である。

横長の紙である。
紙は19.9×31センチある。
線は茶色で、細い。
奥のほうには、青い水彩が薄く置かれる。
画面の左に、大きな木が立つ。
木は太く、幹がねじれる。
枝は右へ大きく張り出す。
葉は、細かい点の集まりである。
木の根元には、低い草がある。
その右に、道が奥へ延びる。
道の上に、人と獣が並ぶ。
数えると、十以上ある。
先頭には、荷を積んだ馬がいる。
その後ろに、人が続く。
人は小さく、輪郭だけである。
さらに奥には、平らな野が広がる。
野は薄い褐色である。
いちばん奥に、山がある。
山は青く、輪郭がぼける。
空は白く、細い線が数本ある。
鳥が、二羽か三羽飛ぶ。
館の記録では、この画家は父の名で知られる一族の一人である。
千五百九十年代にある国を旅し、のちにある都市で成功したという。
そして館は、素描について書いている。
この画家の絵は花の静物と風景が中心だが、素描はほとんどが風景である。
そして素描は、絵の下絵としてではなく、独立した作として売るつもりで描かれたという。
さらに館は、こう続けている。
紙の左下にある年は正しいかもしれない。
しかし作者の名とともに、後の手で書き加えられたものらしいという。
館の記録は、そう説明している。
つまり旅の記録に、後から書き足された名がある。
九点のうち、年と名が後補なのは、この一点である。
行ったことのない土地を、描く
三点目は、板絵である。

横長の板絵である。
額なしで48×74.5センチある。
画面の下半分は、低い丘である。
丘は褐色と緑で、なだらかである。
丘の上に、人が数人いる。
中央の一人は、馬に乗る。
馬は白く、首を上げる。
その右に、赤い上着の人が立つ。
その人は、こちらへ歩く。
さらに右にも、人が座る。
左には、獣が数頭いる。
牛らしい。
奥には、低い山並みがある。
山は青灰色で、薄い。
空は画面の上半分を占める。
空には、大きな雲がある。
雲は白と灰で、下端が明るい。
光は、右のほうから来る。
丘の上だけが、金色に光る。
館の記録では、この国の画家の多くは身近な田園を描いた。
しかし、丘の多い地形と金色の日射しと絵になる遺跡に惹かれた者もいたという。
そして館は、こう続けている。
この画家は、その国を一度も訪れていない。
それでもこの板は、遠い土地の理想化された趣をよく喚起しているという。
館の記録は、そう説明している。
つまり旅先は、行かずに描かれている。
九点のうち、画家が旅していないのは、この一点である。
小さく描かれた旅人が、山を行く
四点目は、画帖の一葉である。

ほぼ正方形の一葉である。
全体は30.2×26.7センチしかない。
画面の大部分を、岩が占める。
岩は上へ高く積み上がる。
岩の面には、細かい皴が入る。
皴は短い線の集まりである。
岩のあいだから、木が生える。
木は葉を落とし、枝だけである。
枝は細く、上へ跳ねる。
赤い葉が、わずかに残る。
画面の左下に、小さな建物がある。
建物は塔の形で、細い。
その下の道に、人が二人いる。
人は、ごく小さい。
顔も衣も、判別できない。
一人は前を歩く。
一人は荷を負って続く。
道は、岩のあいだへ消える。
地の絹は、褐色に変わっている。
館の記録では、この画帖の二十点には、山水と人物と花がある。
そして館は、大きさについて書いている。
後期の画帖では、人物と山水が縮小されている。
小さな庭や、机上の石や古い根に似ているという。
それは世界を縮めて見るためのものである。
この縮尺の失われ方は、意図されたものだという。
そしてそれは、ある階層の心理を映しているという。
館の記録は、そう説明している。
つまり旅人が小さいのは、構図の都合ではない。
九点のうち、大きさに意味が読まれるのは、この一点である。
旅装で立つのは、役者である
五点目では、旅は演技である。

細長い版画である。
紙は29.9×14.4センチしかない。
画面の中央に、男が立つ。
体は右を向く。
顔は横を向き、口を結ぶ。
眉は太く、目が大きい。
頭には、布を巻く。
布は顎の下で結ばれる。
上着は縞で、袖が広い。
その上に、太い襷が掛かる。
腰には、刀を差す。
背には、荷を負う。
荷は四角く、布で包まれる。
脚には、脚絆を巻く。
足は草鞋である。
画面の下に、菖蒲が生える。
菖蒲の葉は、細く上へ伸びる。
花は、紫である。
背景は、淡い黄土色である。
背景には、道も空もない。
館の記録では、この画家はある都市で知られた画家であり版画家だった。
その時代の役者絵の分野を支配していたという。
館の記録は、それ以上のことを書いていない。
つまり旅装は、衣裳である。
そして道は、描かれていない。
九点のうち、旅装だけがあるのは、この一点である。
汽車の中で、眠る危うさ
六点目では、旅は乗り物である。

横長の版画である。
画面は19×25.3センチある。
線は黒く、太い。
画面は、車両の外側である。
扉が二つ、こちらを向く。
扉には、細い窓がある。
左の窓から、顔が二つ出る。
二人とも、口を大きく開ける。
驚いているらしい。
右には、男が立つ。
男は扉に手を掛ける。
体は前へ傾く。
顔は左を向き、口を開ける。
帽子をかぶり、上着を着る。
足元には、段がある。
背景は、暗い。
線を密に重ねて作られている。
画面の下には、余白がある。
館の記録では、この版画はある新聞に載った。
鉄道という連作の一枚だという。
館の記録は、それ以上のことを書いていない。
つまり旅は、この時代に乗り物のものになっている。
歩く旅と、運ばれる旅は、姿勢が違う。
九点のうち、乗り物の中の旅は、この一点である。
旅人の宿舎が、山の斜面にある
七点目からは、旅先の景色である。

縦長の写真である。
全体が、褐色がかっている。
画面の左半分は、急な斜面である。
斜面は木で覆われる。
木は細く、上へ伸びる。
斜面の下のほうに、建物がある。
建物は二階建てで、屋根が広い。
屋根は反り、四方へ張り出す。
その手前と右に、小さな家が並ぶ。
家は石を積んだ壁である。
屋根は板を重ねたものである。
板の上には、石が載る。
風で飛ばないためらしい。
家と家のあいだには、道がある。
道は細く、曲がる。
右の隅には、木立がある。
空は白く、何も写っていない。
館の記録では、この画帖の五十点はすべて千八百六十年代に撮られた。
山あいの町から、いくつもの都市へと下っていく構成であるという。
そして館は、こう続けている。
主要な建造物を撮った建築の記録が、二十世紀の修復前の姿を伝える貴重な資料であるという。
館の記録は、そう説明している。
題にある宿舎は、旅する人のための建物である。
つまり旅の道具が、建物として写っている。
九点のうち、旅人の泊まる場所が写るのは、この一点である。
平原に、旅人の墓がある
八点目では、旅は終わっている。

きわめて横に細長い画面である。
額なしで18.8×56.5センチしかない。
縦が横の三分の一もない。
画面の下半分は、平原である。
草は緑と黄土で、低い。
草の高さは、そろっている。
平原は、左右の端まで続く。
中ほどに、盛り上がりがある。
盛り上がりは低く、二つか三つある。
墓らしい。
その脇に、細い棒が立つ。
さらに奥には、暗い帯がある。
帯は木立らしい。
地平線は、画面の中ほどにある。
空は画面の上半分を占める。
空は灰と桃色で、雲が薄い。
雲は横に長く、動きがない。
人は、一人もいない。
館の記録は、題と材料と寸法しか書いていない。
題には、場所の名と、墓の語がある。
つまり旅の途中で死んだ人の場所である。
しかし画面では、それは低い盛り上がりでしかない。
九点のうち、旅が終わった場所なのは、この一点である。
旅の道具に、絵が貼られる
最後の一点では、旅の道具が残っている。

小さな箱である。
全体は28×18.5×10センチある。
形は、横長の直方体である。
蓋は丸く盛り上がる。
蓋の面には、細い木の帯が並ぶ。
帯は横に走り、五本ほどある。
箱の全体は、革で覆われる。
革は暗い褐色である。
縁と角には、鉄の金具が付く。
金具は帯状で、鋲で留められる。
鋲の頭は丸く、等間隔に並ぶ。
角の一つでは、金具が浮いている。
長く使われた道具の跡である。
革の表面には、細かい皺が寄る。
角のあたりは、擦れて色が薄い。
手が触れる場所だけが、明るくなっている。
蓋の木の帯は、五本とも同じ幅である。
帯と帯のあいだから、革が覗く。
木と革と鉄が、層になって重なる。
重ねた層が、そのまま強度になる。
留め金の錆は、赤みを帯びている。
鉄が長く湿気に触れた色である。
箱は屋内だけにいたのではない。
正面の中央に、留め金がある。
留め金は錆びている。
側面にも、金具が回る。
持ち運ぶための箱らしい。
蓋の丸みは、雨を落とすためでもある。
革は水を弾き、鉄は角を守る。
三つの材料が、それぞれ別の役を持つ。
中に入れるものは、書かれていない。
館の記録では、蓋の内側に木版画が貼られている。
木版画は、ある聖女の布を表すという。
その布には、顔が写っているとされる。
館の記録は、そう説明している。
そして年の欄は、二つに分かれる。
箱が千五百十五年ごろ、木版が千五百九年ごろである。
つまり箱より、中の絵のほうが古い。
九点のうち、二つの年が並ぶのは、この一点である。
作られた場所も、二つある。
箱はある国、木版は別の国で作られた。
旅の道具そのものが、二つの土地をまたいでいる。
蓋を開けなければ、絵は見えない。
持ち主だけが、それを見ることになる。
旅の途中で開く絵である。
箱の大きさを、もう一度見る。
幅28センチは、両手で抱える大きさではない。
片手で提げられる大きさである。
鞍の脇に括ることもできる。
この箱は、動かすために作られている。
動かす道具の内側に、動かない絵が貼られる。
貼られた絵は、型で色を差した木版である。
館の記録は、彩色の方法まで書いている。
一枚ずつ手で塗るのではない。
型を当てて、同じ色を同じ場所に置く。
数を作るための方法である。
数を作れる絵だから、箱に貼れる。
高価な板絵であれば、こうは使えない。
九点のうち、絵を内側に持つのは、この一点だけである。
数えてみると
九点を並べ直す。
旅人が描かれているのは、五点である。
道の列、丘の騎手、山道の二人、旅装の役者、そして汽車の乗客。
旅先の景色だけなのが、一点。
旅人の墓が、一点。
旅の道具が、一点。
そして川下りの巻物が、一点である。
乗り物で数えると、また別に分かれる。
馬が二点、舟が二点、汽車が一点である。
残る四点には、乗り物が描かれない。
歩く旅か、旅の跡か、旅の道具である。
季節でも数えてみる。
秋と分かるのが一点、雪と分かるのが一点。
残る七点では、季節が決めにくい。
旅の絵は、季節をあまり言わない。
もう一つ数える。
九点のうち、道が描かれているのは四点である。
残る五点では、道は見えない。
道の代わりに、別の通り道が置かれる。
水路と、線路と、平原と、箱と、舞台の背景である。
さらに数える。
九点のうち、旅人の顔が判別できるのは二点である。
さらに数える。
九点のうち、館の記録が旅の語を題に置くのは五点である。
旅人のいる風景、丘陵地の旅人たち、秋景の旅人、旅装の役者、そして旅人の墓。
宿舎の一点を加えれば、六点になる。
残る三点では、旅は説明文の中にある。
題に出るか出ないかで、絵の中身は変わらない。
変わるのは、館が何を主題と見たかである。
題は後から付くこともある。
館の記録に、そう断りのある一点もあった。
画面の中の道については、画面に入る道で扱った。
言えることと、言えないこと
言えるのは、旅の絵が「小さく描かれる」ということである。
旅人は、たいてい景色の一部になる。
顔が分かるのは、九点のうち二点だけだった。
そのうち一点は、旅をしていない役者である。
もう一点は、汽車の中で驚いている乗客である。
歩く旅人ほど、小さく描かれる。
馬に乗れば、少し大きくなる。
舟に乗れば、また小さくなる。
乗り物の速さと、画面での大きさは関係しない。
関係するのは、描く人との距離だけである。
道と街路については、道と街路で扱った。
言えないのは、旅の絵が移動を写すという話である。
一枚の絵は、一つの場所しか写せない。
移動を写せるのは、長い巻物だけである。
それも厳密には、移動を写してはいない。
並んだ景色を、見る人が順に開くだけである。
動いているのは、絵ではなく手である。
巻物が移動を写すように見えるのは、そのためだと言える。
もう一つ言えないことがある。
九点の旅人が、どこへ行くのかは分からない。
行き先を書いた絵は、一点もなかった。
墓の一点だけが、行き着いた先を示す。
それも、旅の終わりではなく中断である。
九点は、旅の途中ばかりを写している。
出発の場面も、到着の場面もない。
途中だけが絵になる、と言ってもよい。
旅の絵とは、途中の絵のことである。
九点は、そのことだけを揃って示している。
出発も到着も、絵の外に置かれている。
置かれた外側は、見る人が想像するしかない。
十二メートルの紙が、そのために使われている。
最後に、はじめの一巻へ戻る。
黒い地に、白い線で堤と舟が浮かぶ。
普通の版画とは、明暗が逆である。
夜のようにも、雪のようにも見える。
しかし、そのどちらでもない。
九点を数え終えて残るのは、その反転した川面のほうである。
黒い紙に白い線を出すには、黒く刷るしかない。
線の部分だけを彫り残さず、彫り落とす。
ふつうの木版とは、彫る場所が逆になる。
旅を写すために、版の作り方まで反転している。
十二メートルを、その方法で通している。
開くほどに、夜のような川が続く。
