洗うとは、見えなくすること——アーフェルカンプ・ピサロ・スローンほか九点
洗う場面に汚れは描かれない。落ちたものは水に混ざって消えるからである。洗うの九点を数えると、三点で人は膝をつくかしゃがみ、足を洗う二点ではその低さが意味を持っていた。馬を洗う一点があり、織物の記録では洗うことが色を落とす力として書かれている。

氷に開いた穴の縁で、手を水に入れている
きわめて小さい素描である。
紙は11.7×13.4センチしかない。
紙は青い。
その青が、氷と空気の色になっている。
画面の中央に、女がしゃがむ。
体は右を向く。
膝を折り、腰を落とす。
背中は丸く、大きな面になる。
上着は白く、袖が広い。
袖は肘までまくり上げられている。
頭には、白い布を巻く。
布は後頭部で結ばれる。
顔は下を向く。
目は、手元の水を見ている。
両手は前へ伸びる。
手は氷の縁を越え、下へ入る。
手のあたりに、赤い色が置かれる。
冷えた手の色である。
その前に、小さな桶がある。
桶は褐色で、縦の板が見える。
桶の口は、こちらを向く。
氷の面は、白で示される。
白は紙の上に厚く置かれる。
穴の縁だけが、暗い線で囲まれる。
女の右に、もう一人がいる。
そちらは立っている。
背は低く、子どもらしい。
片手を顔に当てる。
目のあたりを拭っている。
線は速く、太さが変わる。

館の記録では、この画家は冬の風景をほぼ専門に描いたことで広く知られた。
凍った運河や川に、さまざまな身分の人が集まる場面を多く描いたという。
氷滑り、談笑、洗濯、釣り、荷運びなどである。
そして館は、この一枚について書いている。
氷の穴で洗濯をするためにしゃがむ女を写生している。
そばには、目から涙を拭う子どもがいるという。
さらに館は、紙の裏についても書いている。
裏には、身なりのよい男が二人いて、談笑しているように見える。
画家はこうした紙を工房に置き、大きな群像の構図のために参照したという。
館の記録は、そう説明している。
つまりこれは、完成した絵のための控えである。
洗う姿は、後で使うために取っておかれた。
洗うは、九つの場所に現れる
この一枚を出発点に、洗うにまつわる九点を数えていく。
洗うとは、水で汚れを落とすことである。
落ちたものは、水に混ざって見えなくなる。
だから洗う場面には、汚れが描かれない。
描かれるのは、水と手と器だけである。
先に言ってしまうと、九点のうち、布を洗っているのは二点である。
一点では、洗った布を干している。
一点では、洗う場所そのものが描かれる。
二点では、洗われているのは足である。
一点では、洗われているのは馬である。
一点では、洗うことが色を落とす危険として語られる。
そして一点では、洗うは儀式の名である。
洗濯物そのものについては、洗濯物で扱った。
庭の桶で、布を押す
二点目は、油彩である。

縦長の小さな画面である。
45.7×38.1センチしかない。
画面の下半分は、草地である。
草は明るい緑で、細かい点でできる。
点は短く、方向がそろわない。
画面の中央に、女が立つ。
体は右を向く。
顔は下を向き、手元を見る。
髪は白い布に包まれる。
上着は薄い紫で、袖が広い。
前掛けは黄土色で、腰から下へ垂れる。
その前に、木の桶がある。
桶は台の上に載る。
台は細い四本の脚で立つ。
桶の縁に、白い布が掛かる。
布は外へ垂れ、大きく広がる。
女の両手は、その布の上にある。
上から押している。
背後には、木が並ぶ。
木の葉は、黄緑と青緑の点である。
奥には、赤い屋根が小さく見える。
右には、細い柱が一本立つ。
画面の上端には、空がわずかに覗く。
館の札には「庭」「女性たち」「洗うこと」「働くこと」がある。
つまり館は、これを労働の図として登録している。
そして場所は、庭である。
川でも、洗濯場でもない。
家のすぐ外で、一人で洗っている。
この画家の同じ庭については、同じ庭で扱った。
九点のうち、洗う人が一人だけなのは、この一点である。
干す手が、非常階段の上にある
三点目では、洗い終わっている。

縦長の画面である。
額なしで80.3×65.4センチある。
画面の上三分の二に、洗濯物が並ぶ。
洗濯物は白い。
形は、上着と下着とシーツである。
洗濯物は、二本の綱に吊られる。
綱は、画面の左右へまっすぐ渡る。
留め具が、小さな点として並ぶ。
布は下へ垂れ、風で少し膨らむ。
画面の右に、建物の壁がある。
壁は赤褐色の煉瓦である。
壁には、窓が二つある。
窓の枠は、緑がかった灰である。
壁の前に、細い階段がある。
鉄の非常階段である。
その上に、女が立つ。
体は横を向く。
腕は上がり、綱に届く。
手には、白い布を持つ。
足元には、籠がある。
籠の中に、洗濯物が積まれる。
女の衣は赤で、画面で最も強い色である。
背後の空は、灰と青である。
館の記録では、この画家は新聞の仕事を学んだ。
同時代の多くの画家より熱心に、社会の問題を探ったという。
そして館は、この場面について書いている。
画家は、自分の住まいの裏の窓から、この場面を見た。
狭い非常階段に立った女が、建物のあいだに渡した綱に洗いたての洗濯物を干しているという。
館の記録は、そう説明している。
つまりこの画面には、水がない。
洗う工程は終わっている。
残っているのは、乾かす工程だけである。
九点のうち、水が写っていないのは、この一点である。