洗うか、干すか——ルペール・ドガ・広重ほか九点の洗濯
洗濯の絵を九点集めると、絞る場面も畳む場面も一つもなかった。あるのは水に触れる瞬間と、布が空にさらされる瞬間だけである。月の光で晒す修道院の庭、セーヌの洗濯船の階段、そして洗濯物にそっくりな干瓢の綱まで数える。

白いものを、抱えて階段を上がる
石の階段を、女が二人上がってくる。
手前の一人は、大きな白い包みを片手に提げている。
包みは膝より大きく、腕がその重みで引っ張られている。
顔には深い皺があり、口はきつく結ばれている。
その後ろに、若い女がいる。
赤い柄の上着に、青い巻きスカート。
こちらは身軽で、手ぶらのまま階段の途中にいる。
奥には、鉄の手すりと、川ぞいの並木が見える。
二人の姿勢は、ほとんど鏡に映したように似ている。
左上の余白に、赤い字の書き込みがある。

館の記録では、二人はセーヌ川の洗濯船から階段を上がってきたところである。
洗濯船は、川に浮かべた洗い場である。
集めてきた洗い物を、料金を払って洗う場所だったという。
川は、あらゆる廃物の受け皿でもあった。
洗濯がそこで行われる不衛生さは、当時の人々の心配の種だったと記録は書く。
そして記録は、二人の対比を読む。
若い洗濯女と、この仕事で年を重ねた洗濯女。
似た姿勢と、強い色と沈んだ色の対比が、時の流れを思わせるという。
その意味を、左上の書き込みが念押ししている。
館の訳では、若さは早く過ぎる、徳を、と読める。
働く姿に、教えの言葉が添えられているわけである。
さて、洗濯は水と布の仕事である。
洗い、絞り、干し、畳み、伸ばす。
どの段階が絵になり、どの段階が絵にならなかったのか。
九点を並べて、数えてみたい。
川で洗い、川べりに広げる
二点目は、川辺の朝である。

石造りの家が、川の向こうに並んでいる。
屋根は青灰色、壁は明るい灰色である。
家の前の岸は、緑の草と木立でふさがれている。
水面は、紫と青と緑の細かい筆で埋められている。
その岸辺に、小さな人影がかがんでいる。
白いものが、水際に点々と置かれている。
洗った布を、草の上に広げているらしい。
絵の主役は、どう見ても家と水と木である。
洗濯女たちは、画面の隅の点にすぎない。
それでも題は、洗濯女たち、と言い切る。
館の記録は短く、署名と年記のことしか書いていない。
作者はクリーヴランドで育ち、フランスに渡って描いた画家である。
記録の分類は、クリーヴランド派、となっている。
アメリカの町の名を背負った画家が、フランスの川で洗濯を見ている。
労働の場面が、風景の一部として画面に溶けている。
近づけば仕事の絵、離れれば村の絵。
その両方が、同じ一枚に同居している。
左下には、名と年記の署名がある。
この絵は1920年に、地元の美術団体の寄贈で館へ入った。
描かれた三年後である。
同時代の絵が、同時代のうちに市民の手で美術館に納められた。
洗濯の場面が、そういう扱いを受ける時代になっていた。
十七世紀なら、風俗の絵は居間に掛かるものだった。
十九世紀の終わりからは、美術館の壁にも掛かる。
画題の格が、静かに上がっている。
浜が、干し場になる
三点目は、海辺である。

左手に、大きな白い崖がそびえている。
崖の裾には、海へ突き出した岩の門が開いている。
海は青く、遠くに帆が三つ四つ浮かぶ。
そして手前の浜に、人と布がぎっしり広がっている。
女たちは腰を折り、布を石の上に伸ばしている。
白い布が、砂利の上で長い帯になっている。
人と布の群れは、画面の下三分の一を埋めている。
崖の高さと、しゃがんだ背中の低さ。
その差が、この絵のいちばんの見どころだろう。
館の記録は、作者と題と年と寸法しか書いていない。
だから、この浜が洗濯場として使われた事情までは分からない。
分かるのは、海の水と、砂利の広さと、日の光である。
洗った布を広げる場所には、平らで乾いた面が要る。
浜は、それを無料で貸してくれる。
名所の絵葉書のような崖の下に、洗濯の日常が敷かれている。
板は横54.9センチと小さい。
小さな板の中で、名所と労働が並んでいる。
崖の門は、多くの画家が描いた有名な形である。
その同じ景色に、ブーダンは働く背中を敷き詰めた。
眺めのための海と、仕事のための海。
一枚の板が、その二つを重ねて持っている。
この絵は、収集家の集めた一群から館へ入った。
そして九点のうち、いちばん人数の多い画面でもある。
数えようとすると、途中で分からなくなる。
白い布と背中が、区別できないほど混ざっているからだ。
洗濯場は、メキシコにもある
四点目は、水彩である。

手のひらに載るほどの、小さな紙である。
高さ15.9センチ、幅12.1センチ。
浅い流れのほとりに、女が二人かがんでいる。
手前の一人は、白い布を石の上に置いて押している。
頭には布を巻き、袖をまくり上げている。
背中の丸みが、力の入れどころを教えてくれる。
奥の一人は、水の中に手を入れている。
岸には、洗い終えた布が広げられている。
背景の丘は、明るい緑と黄で軽く塗られただけである。
紙の下の隅に、題らしい字が書き込まれている。
館の記録は、作者と年と技法と寸法だけの短いものである。
だから、この川がどこの川かは分からない。
分かるのは、洗濯の姿勢が、土地を超えて同じだということである。
かがみ、腕を伸ばし、布を石に押しつける。
セーヌの洗濯船でも、エトルタの浜でも、この形は変わらない。
道具が水と石だけなら、体の使い方も同じになる。
洗剤も機械もない仕事は、地域が違っても同じ形に落ち着く。
石は台になり、流れはすすぎの水になる。
九点のうち、機械らしいものが写る絵は一点もない。
道具がその人の仕事を示すという回の言い方を借りれば、ここでの道具は川そのものである。
抱えて運ぶのも、洗濯である
五点目は、街の中の洗濯女である。

黒と白だけの絵である。
画面の右手に、若い女が立っている。
胸の前に、大きな籠を抱えている。
籠は洗い物でふくらみ、体が後ろへ反っている。
左のほうには、荷を積んだ荷車と、馬の姿。
その向こうに、人影がいくつも並ぶ。
地面には長い影が伸びている。
線は速く、輪郭のあちこちが掻き落とされて白く光る。
館の記録では、この絵はパリの夏についての記事のための挿絵だった。
暑さを避けて人が街を出るあいだ、街に残る低賃金の働き手。
その姿を描いたのだという。
白黒で複製されると決まっていたので、墨を薄めて塗り、削って白を出した。
まず板を白く塗り、そこを削り、黒インクで描く。
そうやって階調を作ったと、豆知識の欄が説明している。
つまりこの絵は、印刷されるために作られた絵である。
紙は75.9×63.1センチと、九点でいちばん大きい。
雑誌の小さな図版のもとが、これだけの大きさで描かれていた。
来歴の欄には、批評家ロジェ・マルクスの名がある。
世紀の変わり目に、この画家の作品を誰よりも集めた人だという。
干す場所が、店の中にある
六点目は、洗濯屋の中である。

暗い部屋である。
上のほうに、白い布が何枚も垂れ下がっている。
物干しの綱が、天井の近くを横切っているらしい。
その下で、女たちが働いている。
一人は台に向かって身をかがめる。
もう一人は、腕を上げて布を掛けている。
右下の隅には、洗い物の山が積み上がっている。
画面は11.6×15.7センチと、手のひらほどしかない。
館の記録では、ドガが銅版画を試したのは1875年ごろから1880年ごろまでの短い間である。
洗濯女を主題にした唯一の版画だという。
当時の小説で人気の主題でもあったと記録は書く。
かがんだ姿勢と、右下の洗い物の山の大きさ。
その二つで、この仕事の重さを示したという。
豆知識の欄には、道具のことが書かれている。
彫るための針だけでなく、針金の刷毛や、両端のとがった帳簿用のペンまで使った。
洗濯屋の湯気と暗がりを、変わった道具で引っかき出したことになる。
九点のうち、屋根の下の洗濯はこの一点だけである。
川辺の仕事が、店の仕事に変わっていく時代の一枚でもある。
紙の裏には、赤インクの印が押されている。
画家の工房の印だと記録は書く。
つまりこの一枚は、画家の手元に残っていた。
売り立てに出たのは、画家の死後である。
版画は摺れば増えるが、摺らずに残ることもある。
洗濯女の顔を、正面から描く
七点目は、人の絵である。

緑の壁を背に、女が一人座っている。
青い上着に、黄色い頭巾。
腕を組むように前で重ね、視線は下へ落ちている。
顔には、はっきりした年輪が刻まれている。
背景は縦の筆で、緑と青がぶつかり合う。
手も顔も、粗い筆のまま置かれている。
洗い物も、桶も、水も描かれていない。
この人が洗濯女だと分かるのは、題があるからである。
館の記録の分類は、肖像と女の二語である。
題は、洗濯女、習作。
つまりこれは、大きな絵のための下ごしらえだった。
ここまでの六点で、洗濯女はいつも遠くにいた。
風景の中の点であり、階段の途中の姿であり、暗い店の影だった。
この一点だけが、顔の高さまで近づいている。
九点のうち、洗濯女がこちらを向いた絵はない。
近づいても、目は合わない。
見ているのは、手元か、あるいは何もない床である。
働く人の絵は、たいてい目を伏せている。
こちらを見返す絵は、肖像画と呼ばれることが多い。
同じ人物でも、視線の向きで絵の名前が変わる。
この一枚は、題で習作と名乗り、分類の札で肖像と呼ばれている。
記録の中でも、二つの呼び名が同居している。
寸法は73×59.1センチ。
大きな絵のための習作にしては、堂々とした大きさである。
1956年に、収集家夫妻の寄贈で館へ入った。
干すのは、月の光で
八点目は、夜である。

黄色い壁の建物が、丘の上に並んでいる。
窓の一つに、明かりがともる。
空は青灰色で、木立の上に大きな丸い月が浮かぶ。
手前は、石の塀に囲まれた庭である。
その庭に、白い布が二列、綱に掛けられている。
黒い服の女が一人、布のあいだに立っている。
裸の木が三本、庭の中に立っている。
館の記録では、これは修道院だった建物の裏庭である。
画家は1914年にこの建物を買い、大家族の家に作り変えた。
そして人生の最後の三十年を、そこで過ごしたという。
黒い服の女は、洗濯物を干している。
そして記録は、その理由を書いている。
習わしにより、月の光で布を晒すためだという。
つまり、夜に干すことに意味がある。
満月の金色の光が、夜の場面ぜんたいを覆っていると記録は読む。
日に干すのではなく、月に晒す。
洗濯には、そういう作法もあった。
九点のうち、夜の洗濯はこの一点だけである。
左下と右下に、組み合わせ文字の署名と年記が入っている。
ところで、記録には小さなずれがある。
作品の年は1894年と書かれている。
だが建物を買ったのは1914年だ、とも書かれている。
二十年の開きを、記録は説明していない。
同じ庭を後から思い出して描いたのか、年の欄が動いたのか。
ここからは決められない。
分かるのは、この庭が画家にとって長く大事な場所だったことだけである。
来歴の欄によれば、この小さな板は画家から友人へ贈られた。
売られたのではなく、手渡された一枚である。
干してあるのは、洗濯物ではない
最後の一点は、日本の街道である。

道ばたに、細い杭が何本も立っている。
杭のあいだに綱が張られ、白く長いものがびっしり掛かっている。
風になびく形が、洗いざらしの布によく似ている。
その手前で、青い着物の女が三人働いている。
一人は、むしろの上に座って手元の実を削っている。
一人は立って、削ったものを綱に掛けようとしている。
奥には、藁ぶきの屋根の家が三軒。
大きな木が一本、画面の真ん中に立つ。
遠くには山なみが青く重なる。
道を、笠をかぶった旅人が二人歩いていく。
さて、綱に掛かっている白いものは、洗濯物ではない。
題にあるとおり、この土地の名物の干瓢である。
瓜の実を細長く削って、干して乾かす。
洗って干すのではなく、切って干している。
九点のうち八点までが布を干し、この一点だけが食べ物を干していた。
だが、画面の作りはほとんど同じである。
杭と、綱と、白く垂れる細長いもの。
干すという行いは、洗濯でも食べ物でも、同じ形になる。
左上の枠には、叢書の名と宿場の名と、名物の名が刷り込まれている。
同じ宿場が三度出てくると数えた回の、あの叢書である。
右下には、署名と印がある。
館の分類の札には、家、男、女、山、木の五語が並ぶ。
洗濯の語も、干瓢の語も、札にはない。
札だけを読むと、これは街道の風景画である。
題を読むと、名物の紹介になる。
そして画面を見ると、洗濯物のように見える。
一枚の紙が、三通りに読める。
この紙は1918年に、館の基金で買われた。
数えると、こうなった
九点を数え直す。
洗う場面が三点。
川辺のゴワイヤン、エトルタの浜、メキシコの流れである。
運ぶ場面が二点。
洗濯船の階段と、パリの街角。
干す場面が三点。
洗濯屋の天井、修道院の庭、そして干瓢の綱である。
顔を描いた習作が一点。
段階でいちばん多いのは、洗うと干すだった。
では、絞る場面はどうか。
一点もない。
畳む場面も、たたんだ布の山も、九点にはなかった。
アイロンをかける絵も、この九点には入らなかった。
洗濯の絵は、水のそばと、風のそばに集まっている。
水と布が触れる瞬間と、布が空にさらされる瞬間。
その二つが、絵になりやすいのだろう。
白の量も数えられる。
九点すべてに、白い布か白い干瓢が写っている。
洗濯の絵とは、白いものが画面に置かれる絵である。
暗い部屋のドガでさえ、天井から白が垂れていた。
布は動きを描くための道具だと数えた回があった。
洗濯の絵では、布は動きよりも、明るさの担当である。
働く人も数えておく。
九点に描かれた洗濯の働き手は、数えられるかぎり全員が女性である。
記録の分類の札にも、女、という語が並ぶ。
洗濯は、絵の中では女の仕事として描かれてきた。
運ぶのも、洗うのも、干すのも、同じ人たちである。
九点を通して、男の姿は道を通り過ぎる旅人だけだった。
ただし、これは記録の言葉をそのまま数えた結果でもある。
土地も数えておく。
フランスで描かれたものが五点、アメリカの画家の手が二点。
メキシコの流れが一点、日本の街道が一点である。
年代は1834年ごろから1917年まで、八十年ほどに収まる。
十九世紀の後半に、洗濯の絵が集まっている。
洗濯屋という商売が育った時代と、重なっているのかもしれない。
言えないことも書いておく。
この九点は、記録に洗濯や干し物の語を持つものから集めた。
だから、フランスの絵に偏るのは集め方のせいでもある。
冬の氷に穴をあけて洗う絵も、この外にはある。
そういう一枚は、凍った水の回に出てくる。
最後に、記録に残らないことを一つ。
九点のどの記録にも、洗い物の持ち主は書かれていない。
誰の敷布で、誰の襯衣なのか、どの欄も書かない。
洗う人の名前も、ほとんど残っていない。
残ったのは、白い布と、かがんだ背中の形だけである。
その白は、乾けば持ち去られ、また汚れて戻ってくる。
絵の中の布だけが、いつまでも乾かずに掛かっている。
次に洗濯の絵に出会ったら、白いものの数を数えてみてほしい。
たいていは、人よりも布のほうが多いはずである。


