画家を知る

同じ宿場が、三度出てくる——歌川広重の東海道

庄野が二枚、金谷が二枚、戸塚が二枚ある。同じ宿場を、判型を変えて何度も作り直している。さらに、同じ図の一枚が二つの館にあり、寸法の数字が縦横で入れ替わる。九枚の重なりから街道の商売を見たい。受入の番号からも、束の来歴が読める。

庄野の夕立(東海道五十三次のうち)
歌川広重《庄野の夕立(東海道五十三次のうち)》メトロポリタン美術館蔵

庄野が、二枚ある

九点のうち二点は、同じ宿場を描いている。

どちらも東海道の庄野である。伊勢の国、いまの三重県にあたる。

一枚は大きく、一枚は小さい。年も四年ほど離れている。そして、描かれている場面がまるで違う。

同じ人が、同じ宿場を、別々に作り直した。九点を並べると、そういう組が三つ見つかる。

さらにもう一組ある。こちらは別の絵ではなく、同じ絵が二つの館にある例である。

四つの組を順に見ていく。見えてくるのは、街道の風景ではなく、版画を作って売る仕事の形である。

東海道という商品

東海道の宿場は五十三ある。起点と終点を加えれば五十五枚になる。

一組そろえて売る版画は、当時よく作られた。名所を並べた組物である。

広重はこの東海道を、生涯に何度も作った。組ごとに版元が違い、判型も違う。

だから同じ宿場の絵が、何枚も残ることになる。今日の言い方をすれば、同じ題材の作り直しである。

作り直しは、版画では自然なことである。版木は摺るたびに減る。人気が出れば、別の版元が別の組を出す。

判型を変えれば値段が変わる。安い組と高い組を、同じ街道で作り分けられる。

九点の記録を見ると、制作年は1834年ごろから1840年ごろに収まる。六年ほどのあいだに、少なくとも三つの組が動いていたことになる。

判型の呼び名

版画の紙の大きさには、いくつかの規格がある。

九点に出てくるのは二つである。大きいほうを大判、小さいほうを中判と呼ぶ。

大判は、横長でおよそ縦25センチ、横36センチになる。中判はその半分ほどの面積である。

館の記録は、この呼び名をいつも書くわけではない。数字だけが並ぶことが多い。

数字を見れば区別はつく。ただし、数字の並べ方には館ごとの癖がある。それは後の頁で見る。

まず、大きいほうの庄野

庄野の夕立(東海道五十三次のうち)
歌川広重《庄野の夕立(東海道五十三次のうち)》1834年から1835年。木版、紙に墨と色。館の記録では、画面で縦24.8センチ、横36.2センチとされる。メトロポリタン美術館蔵。ロジャーズ基金による購入、1914年。歌川広重《庄野の夕立(東海道五十三次のうち)》メトロポリタン美術館蔵

坂道を、四人が急いでいる。二人は駕籠をかつぐ。

雨が、細い斜線で画面を覆う。線は上から下へ、右へ傾いて走る。

背後の竹林は、灰色の面として摺られる。輪郭を描かず、色の濃淡だけで奥行きを作っている。

空の上端に、黒い帯が横たわる。雲である。摺りの版を一つ使い、上だけを濃くしている。

人物の傘と蓑が、黄と赤で目立つ。ほかは灰と緑で、色数は多くない。

坂は右上から左下へ下る。人の向きは二手に分かれ、上る二人と下る二人がすれ違う。

館の題は、この一枚だけ場面まで書く。夕立、という語が入っている。

ほかの八点の題は、宿場名で終わることが多い。この一枚だけが例外である。

天気の表し方については、雨は線で、雪は紙の白で——広重が天気を摺った方法で詳しく書いた。

つぎに、小さいほうの庄野

庄野
歌川広重《庄野》1838年ごろ。木版、紙に墨と色。館の記録では、縦21.6センチ、横16.5センチとされる。メトロポリタン美術館蔵。ロジャーズ基金による購入、1914年。歌川広重《庄野》メトロポリタン美術館蔵

雨は降っていない。晴れた田の道である。

手前を、三人が駕籠をかついで走る。左には荷を背負った人がいる。

中景に大きな木が二本立ち、遠くに低い山が連なる。田は薄い緑で、規則正しい線が入る。

画面の上部には、文字が並ぶ。狂歌である。絵の空にそのまま書き込まれている。

左上に赤い枠があり、そこに叢書の名と宿場名が入る。右には署名が置かれる。

紙の大きさは、大きいほうのおよそ半分である。面積では四割ほどしかない。

その狭い面に、文字と絵を同居させている。文字は空という余白に置かれ、絵を隠さない。

田の線は、細い版で摺られている。稲の列を示す線だが、一本ずつ引いたわけではない。

同じ庄野でも、雨の記憶はここにない。晴れた日の、ありふれた道である。

同じ宿場、別の型

二枚を見比べると、共通するのは宿場の名だけである。

大きいほうは天気を主題にした。小さいほうは道と田の広がりを主題にした。

人物の数は、どちらも四人前後である。ただし、大きいほうでは人物が画面の主役になり、小さいほうでは点景になる。

判型が変われば、見せ方も変わる。小さい紙に、細い雨を何十本も引くのは向いていない。

そして小さいほうには狂歌が入る。文字が入る分、絵の面積は減る。

狂歌が入るということは、買う人の側に読む楽しみがあったということである。

絵だけを売る商品ではない。文と絵をあわせて味わう商品として作られている。

その分、絵は単純になる。込み入った天気の表現は、こちらの組には向かない。

四年の差は、腕の差ではない。組の性格の差である。

金谷 大井川遠岸
歌川広重《金谷 大井川遠岸》1834年ごろ。木版、紙に墨と色。館の記録では、縦24.1センチ、横35.9センチとされる。メトロポリタン美術館蔵。ロジャーズ基金による購入、1918年。歌川広重《金谷 大井川遠岸》メトロポリタン美術館蔵

二つ目の組は、金谷である。遠江と駿河のあいだを流れる大井川の渡しで知られる。

大きいほうの一枚では、川が画面を横切る。水は濃い青と淡い青で摺り分けられる。

奥に山が三つ重なる。手前の山は黒に近い緑、奥は薄い青で、遠近が色で示される。

川の中には、人の列が細く伸びる。渡し場で人を運んでいるところである。

空の上端は黄と橙で、下端に近いほど白い。夕方か朝方の光である。

館の題には、大井川の遠い岸、という語が入る。場所の説明が題に含まれている。

つまりこの一枚は、宿場名だけで終わっていない。庄野の夕立と同じく、場面を指す語がある。

大判の二点には場面の語があり、中判の五点にはない。題の長さが、組ごとに揃っている。