歌は、開いた口で示される——ドガ・ドーミエ・暁斎ほか九点
歌を描いた九点を数えると、口が開いていたのは四点だけだった。音は描けないので、開いた口と動く手が代わりになる。ある館の記録は、口が開いて歯と舌が見えれば歌だと書いている。滝の一点では、歌うのは水である。

口が開き、腕が上がる
縦長の油彩である。

53.5×41.8センチある。
画面は、暗い緑と褐色でできる。
背景に、木の葉らしい塊がある。
右のほうに、細い柱が立つ。
上には、明るい灰色の面がある。
夜の屋外の照明らしい。
画面の中央に、女がいる。
女は胸から上が見える。
顔は、やや上を向く。
口は大きく開く。
口の中は、赤く塗られる。
歯が、白く見える。
目は細められる。
眉は上がる。
頬には、赤みがある。
髪は暗く、頭に沿う。
衣は黒い。
胸元に、赤い形がある。
花か、飾りだろう。
左腕が、高く上がる。
腕は、黒い長手袋に覆われる。
手袋は、肘の上まである。
手は開き、指が伸びる。
その腕が、画面の左上を占める。
体の輪郭は、はっきりしない。
筆は速く、絵具が厚い。
顔と腕だけが、明るい。
歌っている最中の姿である。
館の記録では、これはカフェの歌手である。
屋外の店で歌う人たちがいた。
客は飲みながら、それを聞く。
舞台は簡素で、背景は庭の木である。
この絵の暗い緑も、その木だろう。
照明は、下から当たっている。
顎の下と、鼻の下が明るい。
影は、上へ向かって落ちる。
舞台の灯りは、床に置かれていた。
下からの光は、顔を平たく見せる。
目のくぼみが、暗くなる。
表情が強く見えるのは、そのためでもある。
腕の黒は、背景よりさらに濃い。
形だけが、影絵のように残る。
歌は、九つの場所に現れる
このコラムでは、歌の絵を九点並べる。
九点は、館も年代も技法も違う。
油彩があり、素描があり、細密画があり、写本がある。
画帖の一葉もある。
共通するのは、館の記録に歌の語があることだけである。
数えるのは、口が開いているかどうかである。
譜面台を、六人が囲む
二点目も、油彩である。

横長の画面である。
全体は73.1×92.1センチある。
背景は、暗い褐色である。
部屋の様子は分からない。
画面の下に、木の譜面台がある。
台は斜めに置かれる。
その上に、大きな紙が広げられる。
紙には、線と音符が見える。
台を囲んで、人が並ぶ。
六人から七人はいる。
いずれも男である。
白い鬘をかぶる。
服は黒か褐色である。
左の一人は、紙を手に持つ。
口は、わずかに開く。
その隣の一人は、横を向く。
口は大きく開く。
奥の一人は、顔を上げる。
口は丸く開く。
右の一人は、目を閉じる。
口は開いたままである。
手前の一人は、譜面を覗き込む。
右奥に、弦楽器の棹が見える。
誰かが弾いているらしい。
顔は、どれも近い。
肩が、互いに触れている。
九点のうち、開いた口がいちばん多い一点である。
館の記録では、この絵は帰属である。
作者は確定していない。
題は、歌の集いという。
何を歌っているかは、分からない。
譜面の音符も、読み取れるほど細かくはない。
人数の多さだけが、はっきりしている。
一つの譜面を、六人以上で覗き込む。
顔の位置は、みな同じ高さにある。
重なり合って、奥行きが詰まる。
狭い場所に、声が集まる形である。
背景を描かないのは、そのためだろう。
部屋の広さが分からなければ、声の大きさも分からない。
残るのは、顔と口だけである。
弦を掻き鳴らして、歌う
三点目は、素描である。

縦長の紙である。
紙は33.9×21.5センチある。
紙は白い。
線は黒く、細い。
線は何本も重なる。
輪郭は、一本では決まらない。
画面の中央に、男が立つ。
体は正面を向く。
顔は、こちらを向く。
口は開く。
口の中は、黒く塗られる。
目も、黒い点である。
頭は禿げ上がる。
胸の前に、楽器がある。
丸い胴と、細い棹がある。
ギターである。
右手が、胴の上にある。
指が、弦の上で動く。
左手は、棹を握る。
体は、やや後ろへ反る。
脚は、開いて立つ。
足元の線は、震えている。
館の記録では、六弦の楽器はこの百年ほど前に現れた。
そして、街の音楽で中心になったという。
館は、街の歌い手への関心を指摘する。
祭の芸人も、その関心の対象だった。
この画家は、そうした人たちを繰り返し描いた。
館の記録では、線の重なりが人を生かすという。
細い線が、乱れながら絡み合う。
そのために、声と楽器が震えて見える。
館は、そう書いている。
実際、輪郭は一本ではない。
腕の線も、二本三本と重なる。
どれが本当の輪郭かは、決められない。
決められないぶん、動いて見える。
止まった線では、音が出ない。
素描の速さが、そのまま音の速さになる。
唇を少し開いて、弦を弾く
四点目は、細密画である。