帽子は、位置を示す道具である——モリゾ・ピサロ・ルノワールほか九点
羽根飾りの帽子と麦藁帽子、役を示す菅笠、誰でもない人のためのターバン。帽子の九点を数えると、八点で帽子が題か札に入っていた。身につけるものは、体の部分より記録に残る。最後の一点は、かぶれない硝子の帽子である。

外へ出るときの、帽子
淡い青の紙に、パステルで描かれる。
紙は55.5×46.8センチ。
女が一人、胸から上まで描かれる。
顔は、左を向く。
ほぼ横顔である。
肌は、白く塗られる。
頬に、赤みが差す。
目は、大きく見開かれる。
鼻は、小さい。
口は、閉じる。
首に、白い布が巻かれる。
上着は、黒い。
その襟から、白い飾り紐がのぞく。
そして、帽子である。
黒く、大きい。
つばが、前へ張り出す。
上に、羽根らしいものが立つ。
細い棒が、左上へ突き出る。
飾りの針である。
輪郭は、粗い線でとられる。
背景は、紙の色のままである。

館の説明は、この帽子の意味を書いている。
描かれたのは、画家の親しい友人である。
ある画家の娘だという。
胸から上の横顔で、黒い上着を着る。
その襟から、白いブラウスの飾り紐がのぞく。
そして、こう書かれている。
画家は、帽子にとりわけ注意を払った。
流行を追う中流上層の巴里の女は、人前に出るときに必ずこれを着けた。
つまり、帽子は外出の印である。
館は、この画家が二百点近いパステルを残したとも書く。
その多くは人物の習作と肖像で、仕上がりの度合いはさまざまである。
九点の最初に、これを置く理由である。
帽子は、屋外と屋内を分ける道具である。
かぶっているかどうかで、その人がどこにいるかがわかる。
そして、どんな帽子かで、その人の層がわかる。
この帽子は、羽根と針で飾られている。
作るのに手間がかかり、値も張る。
働くときには、じゃまになる。
じゃまになるものを着けていられることが、印になる。
畑で、麦藁をかぶる
油彩である。
全体で73.34×59.53センチ。
縦長である。
娘が一人、座っている。
顔は、やや左を向く。
目は、伏せられる。
口は、閉じる。
頬は、丸い。
両手は、膝の上で組まれる。
上着は、縞である。
青と白の細い縞が、縦に走る。
その上に、青い前掛けを着ける。
そして、帽子である。
麦藁で編まれている。
色は、白っぽい黄である。
つばは、広く、平らに近い。
冠の部分に、赤い紐が巻かれる。
背景は、一面の草と木である。
筆は、細かく、点を重ねる。

館の記録は、短い。
作者と題と年と材料と寸法である。
説明の文はない。
題が、人物を言っている。
麦藁帽子の、農家の娘。
前の一点と、数年しか違わない。
同じ国の、同じころの絵である。
しかし、帽子がまったく違う。
黒い羽根飾りと、麦藁。
そして、帽子の役目も違う。
一方は、人前に出るための印である。
もう一方は、日を遮るための道具である。
飾るか、防ぐか。
同じ体の同じ場所に載せるものが、二つに分かれている。
そして、どちらの題にも帽子が入っている。
帽子は、人を分類するのに便利である。
顔より上にあるので、遠くからでも見える。
そして、体の中でいちばん動かない場所に載る。
歩いても、走っても、位置が変わらない。
旗のような働きをしている。
大きな帽子の、ローラ・アリス
油彩である。
53.3×61.5センチ。
横長である。
女が一人、胸から上まで描かれる。
顔は、正面を向く。
目は、大きい。
眉は、濃い。
頬に、強い赤みがある。
唇は、小さく赤い。
髪は、黒く、肩まで垂れる。
波打っている。
衣は、淡い色である。
胸元に、白い襞飾りがある。
黒い細紐が、結ばれる。
そして、帽子である。
黒く、非常に大きい。
つばが、顔の幅より広い。
上に、大きな結びが二つ載る。
背景は、褐色と赤である。
筆の跡が、そのまま残る。

館の記録は、ごく短い。
作者と題と年と材料と寸法だけである。
題には、名前と帽子の両方が入る。
ローラ・アリスという名がある。
そのうえで、大きな帽子と添えられる。
前の回で、この画家の別の一点を見た。
そちらは、金髪のモデルという題だった。
名がなく、髪の色だけで呼ばれていた。
同じ画家が、名のある人には名を、ない人には特徴を付ける。
そして名のある人にも、帽子を添えている。
帽子は、名の次に来る識別である。
大きいことが、わざわざ書かれている。
大きさは、流行の度合いを示す。
流行を追っているかどうかが、その人の位置を示す。
この画家は、首都で肖像を描いた。
描かれたのは、身近な人が多い。
だから、名のある人とない人が混ざる。
その差が、題の付け方に出ている。
自分の帽子を、描く
油彩である。
額を外すと99.7×78.8センチ。
縦長である。
男が一人、正面を向く。
胸から上がある。
顔は、四角い。
頬骨が、張る。
目は、落ちくぼむ。
眉は、濃い。
口髭が、上唇を覆う。
口は、への字に結ばれる。
首には、白い襟と暗い結び。
上着は、厚い外套である。
襟が、大きく立つ。
肩は、四角い。
そして、帽子である。
黒く、つばが広い。
冠の部分は、低く、押しつぶされている。
顔に、影が落ちる。
背景に、窓らしい四角がある。
上に、署名と年が書かれる。

館の説明は、この画家の事情を書いている。
一九一一年に、死にかけるほどの発作を起こした。
そのあと、自分の姿を描くことが多くなった。
自分の感情を見つめるためである。
この一点は、晩年十年の自画像の中でも優れたものだという。
力強く、即興的な様式が、独逸の近代絵画に影響を与えた。
館はまた、この画家の役職にも触れる。
一九一五年から二五年まで、ある美術家団体の会長を務めた。
国の支援する美術に反対して作られた団体である。
独自の展覧会を開いていた。
さて、なぜ自画像に帽子とコートなのか。
画室の中なら、脱ぐはずである。
脱いでいないということは、外出の姿である。
出かける直前か、帰ったばかりか。
いずれにせよ、留まっていない姿である。
題にわざわざ書かれているのは、そのためだろう。
発作のあとの自画像である。
画室に籠もる人ではなく、外へ出る人として自分を描いた。
そう読むこともできる。
ただし、館はそこまでは書いていない。
書いてあるのは、題と、経歴と、様式だけである。
平たい笠を、かぶる
二枚続の錦絵のうち一枚である。
36.2×17センチ。
縦長である。
右の画面に、男が立つ。
衣は、淡い色である。
大きな文様が、散る。
顔は、正面に近い。
眉が、太い。
左の画面に、もう一人いる。
こちらは、女の姿である。
衣は、長く、裾を引く。
背に、四角い荷を負う。
そして、頭に笠をかぶる。
笠は、平たく、丸い。
菅で編まれている。
顔の上に、影を落とす。
背後に、大きな山がある。
線で、輪郭だけが引かれる。
空に、光の筋が広がる。

館の札は、四つある。
帽子、男性たち、山、役者である。
帽子という札が、はっきり付いている。
これは、九点の中でこの一点だけである。
題にも、平たい菅笠という語が入る。
そして、背の高い女という語もある。
役者は男である。
男が、背の高い女を演じている。
その役の印が、この笠である。
前の四点では、帽子は人の位置を示していた。
ここでは、帽子は役を示す。
役者絵では、持ち物と衣で役がわかる。
笠は、旅の途中を示すことが多い。
背に荷を負っていることも、それを裏づける。
そして、笠は顔を隠す道具でもある。
深くかぶれば、目まで隠れる。
この一枚では、浅くかぶっている。
顔が、はっきり見える。
役者の顔は、隠してはいけない。
習作の、ターバン
油彩である。
額を外すと55.2×46センチ。
女が一人、胸から上まで描かれる。
顔は、右を向く。
目は、上を見る。
白目が、多く見える。
唇は、わずかに開く。
歯は、見えない。
顎は、丸い。
首は、太い。
肩に、褐色の布が掛かる。
胸元は、白い布である。
そして、頭である。
白い布が、幾重にも巻かれる。
大きく膨らむ。
左の耳のあたりで、端が垂れる。
髪は、額と耳のところに少し見える。
赤みがかった金色である。
背景は、暗い。

館の説明は、この絵の種類を書いている。
表情のある頭部、と呼ばれる種類である。
歴史画家の教育に、欠かせない部分だった。
宗教、神話、歴史を描く画家のための訓練である。
一七六〇年に、巴里の美術学校でこの課題が定着した。
道徳と美の関係に焦点を当てる。
歴史画家の目標は、心地よい像を作ることだけではない。
魂の感情を表すことでもある。
そう書かれている。
つまり、この人物は誰でもない。
表情を作るための、頭部である。
では、なぜターバンなのか。
異国風の布を巻けば、時代も場所も特定されなくなる。
特定されなければ、どの物語にも使える。
前の五点では、帽子は人を分類していた。
ここでは、帽子は分類を消すために使われている。
館は、この絵の評判にも触れる。
出来がよいので、弟子たちが写しを取る許しを求めたという。
つまり、この頭部は手本になった。
手本は、繰り返し写される。
写されるたびに、同じターバンが再生産される。
誰でもない人の帽子が、何枚にも増えていく。
ターバンを、脱ぐ
単葉の写本の挿絵である。
図は21×12.4センチ。
縦長である。
画面の中央に、若者が横たわる。
眠っている。
体は、丸くなる。
頭は、右腕の上に置かれる。
顔は、こちらを向く。
目は、閉じる。
口は、小さい。
髭は、ない。
衣は、橙である。
裾が、体に巻きつく。
腰に、豪華な帯を締める。
帯には、文様がある。
そして、頭の近くに布の塊がある。
ターバンである。
脱いで、置かれている。
背後に、柳が垂れる。
地には、草と花が描かれる。

館の説明は、この画家の様式を書いている。
単独の人物、後退する空間、部分的な陰影。
そうした新しい様式を、この画家が切り開いた。
伊蘭を訪れた欧州の旅人や、使節に同行した画家の影響があるという。
その一人は、一六二六年に宮殿の壁に物語の場面を描いた。
そして、この一点についてこう書かれる。
この眠る若者は、格の高い帯を着けている。
そして、同じく豪華なターバンを脱いでいる。
館はさらに、こうした絵の用途にも触れる。
恋と美をめぐる詩の集に、しばしば添えられた。
その主題は、神的なものの寓意でもあったらしい。
ここで帽子は、脱がれている。
脱いだから、眠っているとわかる。
かぶっていれば、横たわっていても休息には見えない。
脱ぐという動作が、場面の性格を決めている。
そして、脱いだターバンは画面に残っている。
捨てたのではない。
そばに置いてある。
置いてあるから、また着けるとわかる。
眠りは、一時のものである。
帽子を、作る
紙にパステルで描かれる。
53.3×41.3センチ。
縦長である。
若い女が一人、立っている。
顔は、左を向く。
目は、下を見る。
髪は、後ろでまとめられる。
衣は、黒に近い。
首元に、赤い飾りがある。
両手で、大きな平たいものを持つ。
紙の束か、箱の蓋らしい。
そのふちが、白く光る。
背景は、青である。
縦の枠が、何本も立つ。
窓か、鏡の列らしい。
右上のほうに、赤いものが浮かぶ。
帽子の形に見える。
線は、速い。
パステルの粉が、紙に残る。

館の札は「少女たち」と「肖像」の二つである。
帽子の札はない。
しかし題に、帽子を作る職の名が入る。
帽子屋、あるいは帽子職人である。
前の六点では、帽子はかぶられていた。
ここでは、帽子は商品である。
作る人が、主題になっている。
この人物は、帽子をかぶっていない。
作る側は、かぶらない。
同じころの絵で、この職はしばしば描かれた。
若い女の仕事として知られていたからである。
前の回で、織る人の絵を見た。
そのときも、作る人と使う人は別だった。
帽子についても、同じである。
この一点は、パステルで描かれている。
粉を紙にこすりつけるので、色は柔らかい。
帽子の赤も、輪郭を持たない。
商品としての帽子が、輪郭なく浮かんでいる。
織ることについては、織るは、交差させることで扱った。
硝子で、帽子を作る
硝子の器である。
高さ14.6センチ。
口の直径21.6センチ。
型を使わずに吹かれている。
色は、赤と琥珀である。
厚みがあり、暗く見える。
形は、帽子である。
下の部分は、円筒に近い。
上へ、わずかに広がる。
その上の縁が、大きく外へ翻る。
つばである。
つばは、平らではない。
波打っている。
前と後ろで、高さが違う。
左右は、下へ垂れる。
縁は、なめらかに丸められる。
表面に、つなぎ目がない。
底は、平らである。

館の記録は、短い。
製作所の名と、題と、年の幅と、材料と、寸法である。
題は、帽子である。
それだけである。
しかし、これはかぶれない。
硝子だから、重い。
そして、割れる。
これは、器である。
帽子の形をした器である。
硝子工場では、こうしたものが作られた。
職人の技を見せるためであり、売り物でもあった。
前の八点では、帽子は人の頭に載るものだった。
この一点では、帽子は形だけになっている。
かぶる機能を失って、形が残った。
九点の最後に、これを置いた理由である。
帽子は、形だけで帽子とわかる。
硝子については、硝子は、光を通すで扱った。
数えてみると
九点を数え直す。
人が帽子をかぶっているのは、五点である。
モリゾの友人、農家の娘、ローラ・アリス、自画像の画家、菅笠の役者。
かぶっていないのが、四点。
ターバンの習作は、かぶっている。
数え直すと、六点がかぶっていることになる。
脱いでいるのが、一点。
作る側にいるのが、一点。
器になっているのが、一点。
かぶっている六点を、目的で分ける。
外出の印が、二点。
日を遮るのが、一点。
役を示すのが、一点。
分類を消すのが、一点。
外出中であることを示すのが、一点。
同じ帽子が、六通りに働いている。
そして、六点のうち五点で、帽子が題に入っている。
題に入らなかったのは、菅笠の一点だけである。
ただしその一点には、帽子という札が付いていた。
言えることと、言えないこと
言えるのは、帽子が位置を示す道具だということである。
屋内か屋外か。
都市か農村か。
流行の内か外か。
演じている役が何か。
どれも、頭の上の一つの品で示される。
顔を見るより、帽子を見るほうが速い。
だから、題にも書かれる。
九点のうち八点で、帽子が題か札に入っていた。
体の部分を探したときより、はるかに多い。
身につけるものは、記録に残りやすい。
言えないことも、いくつかある。
まず、帽子は取り外せる。
取り外せるものが、人を分類している。
つまり、分類はいつでも変えられる。
麦藁帽子の娘が、羽根飾りの帽子をかぶることもできる。
絵は、その一瞬の組み合わせを写しているだけである。
次に、ターバンの一点は、分類を消すために使われていた。
異国風の布は、どこの誰でもない人を作る。
同じ道具が、分類にも、その解除にも使える。
最後に、硝子の帽子は、かぶれない。
それでも、題は帽子である。
形が残れば、名は残る。
前の回で見た器の口や、壺の肩と同じである。
ただしあちらは、名だけが移った。
こちらは、形ごと移っている。
移された形は、何の役にも立たない。
役に立たないことが、技を見せる方法になっている。
そして、この製作所は長く続いた。
館の記録は、年を五十六年の幅で書いている。
いつ作られたかは、絞れない。
同じものが、長いあいだ作られ続けたからである。
役に立たないものほど、変わらずに作られる。
そして、九点のうち六点が人の頭に載っていた。
載っていない三点は、作る側と、器と、かぶらない習作である。
作る人はかぶらず、器はかぶれない。
かぶるためのものが、かぶられないまま残る。
残ったものだけを、こちらは数えている。
