髪は、手を加えられる前提で描かれる——マンロー・モディリアーニ・春章ほか九点
円の外へ放射する髪、赤毛と金髪という題、白髪のかつら、剃った跡を隠すための紫の布。髪の九点を数えると、手を加えていない髪を主題にした一点はなかった。そして白い絵具は剥がれやすく、二点では髪そのものが失われていた。

髪が、円の外へ放射する
大理石の浮彫である。
円形で、直径41.6センチ。
暗い色の枠に嵌まる。
円の中央に、女の顔がある。
正面を向く。
顔は、円のちょうど真ん中にある。
目は、閉じているように見える。
瞼が、重い。
鼻筋は、まっすぐである。
唇は、薄く、閉じる。
顎は、小さい。
首は、わずかしかない。
そして、髪である。
髪は、顔のまわりから外へ広がる。
一本ずつが、太い筋になる。
筋は、円の縁まで届く。
右へ、左へ、上へ、下へ。
放射状に、均等に散る。
先端は、円の縁で切れる。
彫りは、深い。
筋と筋のあいだに、影が落ちる。

館の説明は、この構図を評している。
頭を円の中央に置き、髪を顔から外へ放射させる。
その方法が、異例の感情の強さを生んでいる。
それはおそらく、顔の個々の特徴に容赦なく焦点を当てた結果である。
そう書かれている。
つまり、髪は構図の装置である。
顔を中心に固定するために、髪が使われている。
髪がなければ、顔は円の中で浮いてしまう。
髪があるから、顔と円がつながる。
九点の最初に、これを置く理由である。
髪は、顔の輪郭を外へ引き延ばす部分である。
顔だけなら、楕円で終わる。
髪があると、輪郭はどこまでも広がる。
だから彫刻では、髪の処理が形を決める。
この浮彫では、円の縁で切ることにした。
切ったから、髪は円の中に収まった。
収まったが、勢いは残っている。
彫ることについては、彫るは、深さで語られるで扱った。
髪の色が、題になる
油彩である。
全体で92.1×60.7センチ。
縦長である。
女が一人、座っている。
上体は、やや右へ傾く。
顔は、細長い。
目は、瞳が描かれない。
青灰色に塗りつぶされる。
鼻は、細く長い。
口は、小さく赤い。
首は、長い。
肩は、なだらかである。
衣は、濃い青に近い黒である。
襟は、白く大きい。
右手が、椅子の背に掛かる。
椅子は、赤い。
そして、髪である。
橙に近い赤である。
頭のまわりで、大きく膨らむ。
耳は、完全に隠れる。
背景は、灰青色である。

館の記録は、短い。
作者と題と年と材料と寸法である。
説明の文はない。
題が、人物を特定している。
赤毛の女、という題である。
名前ではない。
髪の色で、呼ばれている。
前の回で、顔の絵を見た。
名がなければ、顔が題になった。
ここでは、名がないので髪の色が題になる。
顔の造作より、髪の色のほうが遠くからわかる。
だから、呼び名に使いやすい。
そして、この絵では髪が最も明るい。
暗い衣と暗い背景のあいだで、そこだけが燃えている。
瞳が描かれていないことも、効いている。
目に光がないので、視線は髪へ行く。
顔の中で最も強いはずの部分を、この画家は消した。
消したぶん、髪が前へ出る。
金髪の、モデル
やはり油彩である。
36.2×36.2センチ。
正方形である。
女の、胸から上がある。
顔は、右下を向く。
目は、伏せられる。
瞼に、影がある。
鼻は、小さい。
唇は、赤く、厚い。
頬は、ふっくらしている。
顎の線が、丸い。
首から胸にかけて、肌が露わである。
衣は、描かれていない。
肌の色が、下の縁まで続く。
そして、髪である。
淡い金である。
頭のまわりで、ゆるく波打つ。
筆の跡が、そのまま残る。
背景は、褐色である。
一気に塗られている。

館の記録は、前の一点よりさらに短い。
年もない。
題は、金髪のモデルである。
やはり、髪の色で呼ばれている。
ただし、こちらは職も入っている。
モデル、つまり座る仕事をしている人である。
名前は、記録にない。
前の一点と、同じ構造である。
名のない人物は、髪の色で呼ばれる。
赤毛と、金髪。
どちらも、髪が識別の印になっている。
肌の色や、目の色ではない。
面積が大きく、遠くから見えるからだろう。
そして、色を変えることもできる。
変えられるのに、識別に使われている。
この作者は、首都で肖像を描いた画家である。
館の記録には、地域も職も細かく書かれていない。
描かれた人の名も、残っていない。
残ったのは、髪の色を言う題だけである。
題が短いほど、人は遠くなる。
紙を押し上げて、髪の波を作る
色刷りの石版である。
図の部分は16×22.8センチ。
横長である。
女が一人、うつ伏せに近い姿勢でいる。
肘をつき、頬に手を当てる。
顔は、右下を向く。
目は、伏せられる。
前に、開いた本がある。
頁が、白く残る。
衣は、細かい網目の文様である。
橙に近い色で刷られる。
背景は、紙の色のままである。
そこに、花と葉の形がある。
色は付いていない。
紙が、盛り上がっているだけである。
髪も、同じである。
波の形に、紙が押し上げられる。
線は、ごく淡い。
影で、形が見える。

館の説明は、この技法を書いている。
作者は、主に記章を作る彫刻家だった。
だから、型押しで立体感を出す方法を使った。
主題は、日常の場面である。
そして、こう書かれている。
十九世紀末の巴里には、日本の木版が出回っていた。
平らな紙に文様と立体感を作るのに、それが先例になった。
浮き上がった部分が、女の髪と衣に質感を与えている。
本の上の、花を挿した器にも型押しが使われている。
ここで髪は、色ではなく高さで描かれている。
紙を押し上げれば、影ができる。
影が、波の形を示す。
絵具を使わずに、髪が描かれている。
前の二点では、髪は色だった。
この一点では、髪は凹凸である。
そして、凹凸は写真にも写りにくい。
館の画像でも、影の加減でしか見えない。
実物を斜めから見れば、はっきりわかるはずである。
平らな複製では、落ちてしまう情報である。
読むことについては、読む姿は、顔を伏せるで扱った。
白髪の、かつらをかぶる
錦絵である。
32.1×14.9センチ。
縦長である。
男が一人、立っている。
役者である。
顔は、左を向く。
眉が太い。
目は、大きく見開く。
口は、への字に結ばれる。
そして、髪が白い。
長く、肩まで垂れる。
頭の上でも、まとめられていない。
ばさりと広がる。
衣は、黒地に大きな文様。
その上に、褐色の羽織を重ねる。
手に、細長いものを持つ。
裾は、足元で乱れる。
足は、裸足である。
背景は、淡い色の壁と床である。

館の札は「男性たち」と「役者」の二つである。
髪の札はない。
しかし題には、長い白髪という語が入る。
役者の絵では、髪型が役を示す。
この白髪は、本人のものではない。
かつらである。
役者は若く、髪は黒い。
老人を演じるために、白いかつらをかぶる。
前の三点では、髪は本人のものだった。
ここでは、髪は取り外せる。
取り外せるものが、人物を決めている。
髪型は、役の名の一部である。
だから、題に書かれる。
この役者は、当時の人気役者である。
同じ役者の絵は、何十枚も作られた。
見分けるのは、役と、その役の髪型である。
顔の描き分けは、そこまで細かくない。
役者絵の見分けについては、役者絵と顔で扱った。
剃った跡を、布で隠す
色刷りの木版である。
紙は31.5×14センチ。
縦長である。
役者が一人、立っている。
女の姿をしている。
顔は、やや右を向く。
眉は、細い。
目は、切れ長である。
口は、小さく赤い。
髪は、長く垂れる。
肩から背へ、流れる。
結い上げていない。
手に、刀を持つ。
刃が、斜めに立つ。
衣は、縞である。
黒と白の細い縞が、縦に走る。
裾が、床に広がる。
そして、額の生え際に、紫の布がある。
小さく、三角に見える。
背景は、格子の戸である。

館の説明は、この紫の布を書いている。
この役が何かは、特定されていない。
長い髪を垂らした女の姿で、刀を振るう。
そして、江戸時代の男の髪型についてこう書く。
額から頭頂まで剃り上げ、脇と後ろの髪を長く残して結った。
歌舞伎で女形を務める役者は、のちにこの習慣をやめた。
しかし、かつて剃っていた場所を隠す習わしは残した。
だから、かつらに紫の帽子と呼ぶ布を付けている。
つまり、この小さな三角は、ないものを隠している。
剃っていないのに、剃った跡を隠す形が残った。
前の一点では、髪は取り外せるものだった。
ここでは、髪は取り外したあとの跡である。
その跡すらなくなっても、隠す布だけが残る。
つまり、この紫は二重の擬態である。
男が女に見えるための髪。
その髪が、男の髪型の跡を隠すための布。
どちらも、ないものを補っている。
毛の衣を、身にまとう
青銅の像である。
高さ49.5センチ。
男が一人、立つ。
痩せている。
肋骨が、浮き出る。
腰から下に、布が巻かれる。
上半身は、露わである。
右腕を、胸の前に折る。
手に、小さな器を持つ。
貝である。
左腕は、体の脇に垂れる。
その腕に、何かが掛かる。
毛皮である。
毛が、長く垂れ下がる。
一本ずつが、粗く刻まれる。
顔は、やや下を向く。
髭がある。
頭髪も、長く乱れる。
台座は、丸い。

館の説明は、短い。
聖ヨハネは、毛の衣を着ている。
荒野に退いて質素に暮らしたときに、自分で作ったものである。
そして、洗礼のための道具を握る。
水を注ぐための貝である。
そう書かれている。
毛の衣という語が、記録に残る。
これは、動物の毛で編んだ衣である。
肌に直接着ると、ちくちくする。
その苦しさを、修行として引き受ける。
ここで毛は、人の髪ではない。
しかし、機械は同じ語として拾う。
そして、拾ってみると面白いことがわかる。
この像では、頭髪も体毛も毛の衣も、同じ彫り方である。
どれも、細い筋を平行に刻む。
材料が違っても、毛は毛として彫られる。
そして、三つとも乱れている。
整えられた毛は、この像には一つもない。
荒野にいたことを、毛の乱れで示している。
髪型が身分を示すのと、同じ仕組みである。
整えないことも、一つの型である。
白髪が、剥がれて消える
酒を注ぐ壺である。
高さ22.3センチ。
口は、三つに割れた形である。
注ぎやすい形である。
胴は、丸く張る。
低い脚が、下にある。
地は、赤みがかる。
図は、黒い。
胴の面に、人が四人いる。
中央の二人は、向き合う。
腕を上げ、構える。
拳闘士である。
一人は、両手に紐が巻かれる。
もう一人は、片手が素手である。
その手を、顔の前に上げる。
左に、座る者がいる。
片手を上げる。
右に、立つ者がいる。
その頭のあたりは、地の色である。

館の説明は、この場面を読んでいる。
がっしりした若い拳闘士が二人、髭なしで向き合う。
不思議なことに、一人は両手に革の紐を巻いている。
もう一人は、片手を素手のままにしている。
その手を上げて、拳を防いでいる。
左に座る人物は、審判かもしれない。
そして、右に立つ人物についてこう書かれる。
その白い髪と髭は、いまはほとんど失われている。
見物人だろう、という。
つまり、白髪は白い顔料で描かれていた。
黒像式では、白は上から塗る。
上から塗った色は、剥がれやすい。
だから、白髪だけが消えた。
記録は、消えたものを書いている。
いま見えるのは、地の色だけである。
見物人の頭だけが、素焼きのように明るい。
知らなければ、塗り残しに見える。
館の説明があって、はじめて白髪だとわかる。
消えたものを読むには、記録がいる。
髪の欠けを、埋め直す
板に描かれた小さな絵である。
額を外すと24.2×16.6センチ。
金の地に、二人がいる。
女が一人、正面をやや外れて向く。
頭に、青い布をかぶる。
布の縁に、金の線が走る。
顔は、細長い。
目は、伏せられる。
その腕に、幼子がいる。
幼子は、黄色い衣を着る。
胸の前で、両手を合わせる。
顔は、上を向く。
母のほうを見ている。
髪は、短く、明るい色である。
頭の上で、丸く整えられる。
金の地は、光る。
輪郭の線が、その上に引かれる。

館の説明は、この一点の扱いにくさを書いている。
保存が良すぎることと、構図が単純なことから、贋作と見られたこともある。
一九六〇年代に、洗浄、補彩、ニス掛けが行われた。
その結果、表面は均一で、つやが出た。
もとの姿は、いくらか隠れている。
そして、その処置の理由が書かれている。
幼子の髪に欠けがあった。
聖母の外套にも、変色と擦れがあった。
それを直すために、手を入れた。
額と板の側面の修復も、年代を見えにくくしている。
ただし、板そのものと顔料は、十五世紀のものだと証明された。
ここで髪は、失われた部分である。
前の一点では、白い顔料が剥がれた。
この一点では、髪の絵具が欠けた。
そして、欠けたから塗り直された。
いま見えている髪は、いつの髪かわからない。
板と顔料は、十五世紀のものである。
しかし、髪の部分だけは新しい。
同じ画面の中で、部分ごとに年代が違う。
館は、それを隠さずに書いている。
書いてあるから、見る側はそこを割り引ける。
割り引くための情報が、記録の役目である。
数えてみると
九点を数え直す。
人の髪が画面に見えるのは、七点である。
大理石の浮彫、赤毛の女、金髪のモデル、読書する女、白髪の役者、刀を持つ女形、聖ヨハネ。
見えないのが、二点。
壺の白髪と、修復された幼子の髪である。
正確には、この二点にも髪はある。
ただし、片方は剥がれ、片方は塗り直された。
つまり、もとの髪ではない。
七点を、扱われ方で分ける。
色で呼ばれるのが、二点。
かつらか、隠す布があるのが、二点。
構図の装置になっているのが、一点。
凹凸で表されるのが、一点。
毛の衣として着られるのが、一点。
本人の頭に生えたままの髪が主題なのは、一点もない。
どの場合も、髪には手が加わっている。
染めるか、結うか、かぶるか、剃るか、編むか。
そして、そのどれもが記録に残る。
残るから、機械で探せる。
手を加えないままの髪は、題にならない。
題にならなければ、こちらの網にはかからない。
言えることと、言えないこと
言えるのは、髪が手を加えられる前提で描かれることである。
手も足も、そのままである。
顔も、化粧はするが形は変えられない。
髪だけが、切れる、伸びる、染まる、外せる。
だから、髪は身分と役を示すのに使われてきた。
剃る場所が決まっていれば、剃った跡が身分になる。
かつらをかぶれば、年齢が変わる。
色を変えれば、呼び名が変わる。
言えないことも、いくつかある。
まず、髪は絵具として不安定である。
白は上塗りなので、剥がれる。
九点のうち一点が、それで消えた。
もう一点は、欠けたので塗り直された。
つまり、髪は失われやすい部分でもある。
体の他の部分より、画面の表面に近いところに描かれる。
上に塗るものは、先に落ちる。
次に、毛の衣を髪の九点に入れたのは、語の重なりである。
髪と毛は、日本語では別の語になる。
英語では、同じ語である。
だから、修行者の衣が髪の記録として出てくる。
最後に、名のない人物が二点あった。
どちらも、髪の色で呼ばれていた。
赤毛の女と、金髪のモデルである。
顔の造作では、人は呼べない。
髪の色なら、呼べる。
体の部分の中で、髪がいちばん呼び名に近い。
名がわからないとき、人は髪を言う。
背の高さや、目の色より先に、髪が出る。
顔は、思い出せても言葉にしにくい。
髪は、色と長さの二語で済む。
短い語で足りることが、呼び名の条件である。
そして、髪の色を言う題は、いまも通じる。
赤毛の女、金髪のモデル。
どちらも、百年以上前の題である。
それでも、どんな人かの見当がつく。
体の部分の中で、髪だけがそういう働きをする。
そして、彫刻の髪は落ちない。
大理石の髪も、青銅の毛も、形のまま残る。
絵具の髪だけが、剥がれ、欠け、塗り直される。
九点のうち、失われた髪は二点とも絵だった。
材料が、残り方を決めている。
