作品を知る

読む姿は、顔を伏せる——蹄斎北馬・ボウツ・ラ・ファージほか九点

面は手元にあるから、目は下を向く。読むの九点を数えると、五点で視線は下へ落ち、上を向いて読む姿は一度もなかった。文字が読める大きさで描かれるのは三点だけで、残りは白い面か裏を向いた面。読むことは面と目のあいだで閉じている。

文を読む遊女
蹄斎北馬《文を読む遊女》クリーヴランド美術館蔵

屏風の右半分に、文を読む人が立つ

二枚を蝶番でつないだ屏風である。

画は156.8×165.4センチある。

全体では175.2×183.5センチになる。

地は、淡い桃色である。

背景には、何も描かれていない。

画面は、左右で役割が分かれる。

右半分に、女が一人立つ。

体は左を向く。

顔はやや下を向く。

目は、手元へ落ちている。

髪は結い上げられ、後ろへ張り出す。

簪が数本、放射状に挿さる。

衣は幾重にも重なる。

いちばん外は白い。

白地に、細かい黒の文様がある。

その内から、赤い布が覗く。

裾は右へ大きく流れる。

流れの先は、床に広がる。

袖は長く、下へ垂れる。

両手は、胸の高さにある。

手のあいだに、細長い紙がある。

紙は横へ伸び、途中で折れる。

巻いた文を、広げたところである。

紙の面には、細い字が並ぶ。

字は小さく、読めない。

左半分には、大きな文字が書かれている。

文字は仮名で、五行ある。

行の高さは、そろっていない。

下のほうに、署名らしい字がある。

文を読む遊女
蹄斎北馬《文を読む遊女》十九世紀初め。館の記録では、二曲屏風、紙に墨と色。画は156.8×165.4センチ。番号は1985.261。クリーヴランド美術館蔵。蹄斎北馬《文を読む遊女》クリーヴランド美術館蔵

館の記録では、この時代の画家と詩人は、古典の文学の像を持ち込んで作品に意味の層を加えた。

ここでは、女が慕う人からの文に読み入っている。

そして、その脇の歌はこう読めるという。

泊まっていくよう言われて、泊まった。

それには理由がある。

とうに真夜中を過ぎている。

そして、この人はあの雨乞いの歌人である。

館の記録は、そう伝えている。

さらに館は、真夜中がその区域の終業の時刻だったと書いている。

つまり画面の右で人が読み、左でこちらが読む。

読む人と、読む文字が、一つの屏風に並んでいる。

読むは、九つの場所に現れる

この一双を出発点に、読むにまつわる九点を数えていく。

読むとは、面の上の跡を、意味に変えることである。

跡は動かない。

動くのは、目のほうである。

だから読む姿は、止まって見える。

先に言ってしまうと、九点のうち、一人で黙って読んでいるのは四点である。

三点では、人が声に出して読み、まわりが聞いている。

一点では、読む人は乗り物の上にいる。

そして一点では、読まれる面だけがある。

つまり読む相手は、文と、本と、書である。

読んでいたところを、遮られる

二点目では、読書が中断される。

受胎告知
アルベルト・ボウツ《受胎告知》1480年ごろ。館の記録では、板に油彩。額なしで50.2×41.5センチ。番号は1942.635。クリーヴランド美術館蔵。アルベルト・ボウツ《受胎告知》クリーヴランド美術館蔵

縦長の板絵である。

額なしで50.2×41.5センチある。

画面は、石造りの室内である。

奥に、尖ったアーチの窓がある。

窓には、色の付いた硝子が入る。

窓の下に、赤い寝台がある。

寝台には、厚い布が掛かる。

床は、四角い石で市松に敷かれる。

石は褐色と黄土である。

画面の右に、女が立つ。

衣は深い青緑で、床まで届く。

両手は胸の前で開く。

顔は左を向く。

その左に、もう一人が立つ。

そちらは翼を持つ。

翼は青と白で、大きく開く。

衣は白と金で、縁に飾りがある。

右手を上げ、指を立てる。

二人のあいだの奥に、机がある。

机の上に、本が開かれている。

本は小さく、頁が白い。

机には、赤い布が掛かる。

左の隅には、細い柱が並ぶ。

館の記録では、この場面は千四百年代の終わりの見る人に馴染みのある同時代の情景として描かれている。

母は、ふつうの、しかし裕福な女として表される。

そして、時祷書を読んでいるところを、天使に遮られるという。

館の記録は、そう説明している。

さらに館は、この種の本について書いている。

中世の終わりに、祈りと信心の本としてたいへん好まれた。

とくに裕福で読み書きのできる人びとのあいだで広まったという。

つまり読むことは、その人の身分を示している。

九点のうち、読書が中断されているのは、この一点である。

卓に向かって、一人で読む

三点目は、静かな読書である。

読書する女
ニコラ=ベルナール・ルピシエ《読書する女》1769年。館の記録では、油彩・カンヴァス。額なしで46.3×37.8センチ。番号は1964.288。クリーヴランド美術館蔵。ニコラ=ベルナール・ルピシエ《読書する女》クリーヴランド美術館蔵

縦長の小さな画面である。

額なしで46.3×37.8センチしかない。

画面の中央に、女がいる。

胸から上が描かれる。

体は右を向く。

顔は下を向き、目は伏せられる。

視線は、手元の面へ落ちる。

髪は明るい褐色で、後ろでまとめられる。

前髪は額の上で分けられる。

上着は白く、肩が大きく開く。

肩から、布が滑り落ちかけている。

胸元には、薄い布が重なる。

腕は前へ出る。

手は、机の上にある。

机は暗い褐色で、傾いている。

机の上には、大きな面が広がる。

面は白く、こちらからは裏が見える。

書見台らしい。

その手前に、小さな器がある。

背景は暗く、何も描かれていない。

光は左上から来る。

顔と肩だけが、明るい。

館の記録は、題と材料と寸法しか書いていない。

説明の欄はない。

書かれているのは、署名と年が左にあることだけである。

つまり誰かは分からない。

読んでいるものも、こちらからは見えない。

九点のうち、読まれている面が見えないのは、この一点で三点のうちの一点目である。

読む姿が、青い線になる

四点目では、読む姿が形を崩す。

本を読む子ども
エイチ・ライマン・セイエン《本を読む子ども》1915年から18年。館の記録では、紙に水彩、板紙に貼付。紙は23.9×25.4センチ。スミソニアン・アメリカ美術館蔵。エイチ・ライマン・セイエン《本を読む子ども》スミソニアン協会蔵

ほぼ正方形の水彩である。

紙は23.9×25.4センチしかない。

紙の縁は、まっすぐではない。

画面は、青で埋まっている。

青は濃く、太い筆で置かれる。

筆の跡は、縦に走る。

そのあいだに、白い紙が残る。

残った白が、線になる。

画面の中央より上に、丸い形がある。

丸は黄で、輪郭が黒い。

顔らしい。

その下に、白い縦の帯がある。

帯は幅が広く、下へ伸びる。

体らしい。

左のほうに、橙の面がある。

橙は、青の中で最も強い。

下のほうには、黒い形が並ぶ。

形は四角く、傾いている。

本らしい。

輪郭の線は、どこも途切れる。

人と物の境が、決まっていない。

館の記録は、題と材料と寸法しか書いていない。

つまり、読む人が子どもであることだけが分かる。

題がなければ、何の絵か決められない。

青の面積は、画面の七割を超える。

その青が、部屋なのか衣なのかも決まらない。

読む姿だけが、辛うじて残っている。

九点のうち、姿が抽象に近いのは、この一点である。

読む姿は、輪郭を失っても残る。

下を向いた頭と、膝の上の四角。

その二つがあれば、読んでいると分かる。

姿勢が、そのまま行為の名になる。

色も線も、なくてよい。

九点のうち、色を使わないのは二点である。

木炭の素描と、黒鉛の素描。

どちらでも、読む姿は伝わる。

必要なのは、頭の角度と手の位置だけである。

九点は、その二つを繰り返している。

繰り返されるほど、姿は記号に近づく。

最後の一点では、記号だけが残っていた。

手を組んで、書物の上に置く

五点目は、木炭の素描である。

ゲーテを読むヘッカー神父
ジョン・ラ・ファージ《ゲーテを読むヘッカー神父》1866年。館の記録では、木炭・オフホワイトの網目紙。17×10.8センチ。番号は1990.63。メトロポリタン美術館蔵。ジョン・ラ・ファージ《ゲーテを読むヘッカー神父》メトロポリタン美術館蔵

きわめて小さい紙である。

17×10.8センチしかない。

紙は白に近い。

線は木炭で、灰色である。

画面の上半分に、頭部がある。

顔は下を向く。

額は広く、髪は薄い。

目は伏せられ、影が落ちる。

鼻は高く、まっすぐである。

髭は長く、胸まで届く。

髭の毛は、細い線の束である。

肩から下は、簡単な線だけである。

上着の襟が、二本の線で示される。

画面の下に、両手がある。

手は組まれ、指が絡む。

指の関節が、丸く描かれる。

手の下に、平らな面がある。

面は白く、線が数本引かれる。

書物の頁である。

頁の縁だけが、示されている。

紙の下には、細い文字がある。

文字は、名と年らしい。

館の札には「男性」と「読むこと」がある。

館の記録は、それ以上のことを書いていない。

題には、読まれている本の作者の名がある。

つまり何を読んでいるかが、題で分かる。

九点のうち、読まれている本の名が題にあるのは、この一点である。

この画家の水彩については、水彩で扱った。

牛の背で、本を開く

六点目では、読む人が動いている。

水牛に乗って読書する中国の賢人
魚屋北渓《水牛に乗って読書する中国の賢人》1820年ごろ。館の記録では、摺物、紙に墨と色。19.7×17.1センチ。番号はJP1098。メトロポリタン美術館蔵。魚屋北渓《水牛に乗って読書する中国の賢人》メトロポリタン美術館蔵

小さな版画である。

19.7×17.1センチしかない。

紙は、淡い黄褐色である。

画面の中央に、獣がいる。

獣は黒く、体が太い。

四本の脚は短く、地に着く。

頭は下を向く。

角は左右へ大きく曲がる。

水牛である。

その背に、人が乗る。

人は横向きに座る。

体は前へかがむ。

顔は下を向く。

頭には、頭巾をかぶる。

衣は黄と灰で、袖が広い。

膝の上に、本が開かれている。

本の頁は白い。

頁には、細い線が数本ある。

文字らしい。

右手が、頁の端に触れる。

牛の首の下に、小さな人物がいる。

その人物は、赤い衣を着る。

画面の上と右に、文字が並ぶ。

文字は縦書きで、行が詰まる。

右下には、赤い印がある。

館の札には「女性」「読むこと」「水牛」がある。

館の記録は、それ以上のことを書いていない。

つまり札と題で、読むことが二度示される。

歩く獣の上で、本が開かれている。

九点のうち、読む人が動いているのは、この一点である。

牛は歩き、人は読む。

二つの速さが、一つの画面にある。

本の頁は、揺れていない。

風も、描かれていない。

動いているのは、脚だけである。

声に出して、四人に読む

七点目から、読むことは声になる。

フィラマント、ベリーズ、アルマンドに朗読するトリソタン(モリエール『女学者』第三幕第二場)
シャルル・コワペル《フィラマント、ベリーズ、アルマンドに朗読するトリソタン》1725年から26年ごろ。館の記録では、黒鉛、黒鉛の淡彩、赤チョーク。紙は21.7×30.6センチ。番号は2008.401。クリーヴランド美術館蔵。シャルル・コワペル《フィラマント、ベリーズ、アルマンドに朗読するトリソタン(モリエール『女学者』第三幕第二場)》クリーヴランド美術館蔵

横長の紙である。

紙は21.7×30.6センチある。

線は細く、灰色である。

赤いチョークが、顔の部分に使われる。

画面は、広い部屋である。

奥の壁には、額が三つ掛かる。

その下に、彫像が二つ置かれる。

中央に、男が座る。

体はやや右を向く。

髪は長く、肩まで巻く。

膝の上に、紙を持つ。

紙は開かれ、こちらへ傾く。

口は開いている。

その左右に、女が三人いる。

三人とも、大きく張った裾の衣である。

一人は身を乗り出す。

一人は両手を上げる。

一人は椅子の背にもたれる。

三人とも、身振りが大きい。

いちばん右の隅に、もう一人いる。

その人は、うつむいて座る。

身振りはない。

館の記録では、この画家は劇作家でもあり、劇への理解が深かった。

これは、ある劇作家の作から採った版画の連作のための、唯一知られた素描だという。

そして館は、場面について書いている。

もったいぶった家庭教師が、自作を気取った崇拝者たちに読む。

三人は、その見せかけの学識に欺かれている。

三人の過度に熱心な身振りが、右端の一人の静かな落胆と対比されるという。

その一人だけが、欺かれていないという。

館の記録は、そう説明している。

つまり聞く側の身振りが、読まれた内容の質を示している。

読む人の口は、開いたままである。

声は、絵には描けない。

かわりに、聞く人の腕が上がっている。

九点のうち、声が身振りで示されるのは、この一点である。

皇帝の前で、詩を読む

八点目も、朗読である。

アウグストゥス、オクタウィア、リウィアに『アエネイス』を読むウェルギリウス
ジャン・バティスト・ウィカール《『アエネイス』を読むウェルギリウス》1790年から93年。館の記録では、油彩・カンヴァス。111.1×142.6センチ。番号は1963.258。シカゴ美術館蔵。ジャン・バティスト・ウィカール《アウグストゥス、オクタウィア、リウィアに『アエネイス』を読むウェルギリウス》シカゴ美術館蔵

横長の大きな画面である。

111.1×142.6センチある。

画面は、暗い室内である。

奥に、太い柱が並ぶ。

柱のあいだから、外の空が見える。

左には、垂れ幕がある。

床は、四角い石で敷かれる。

画面の中央に、四人が集まる。

左に、寝椅子がある。

その上に、女が横たわる。

女は目を閉じ、頭が後ろへ落ちる。

もう一人が、その体を支える。

支える人は、身をかがめる。

その右に、赤い衣の男が座る。

男は右手を前へ伸ばす。

手のひらを開き、何かを止める形である。

顔は、倒れた女のほうを向く。

いちばん右に、若い男が座る。

男は膝の上に、巻いた紙を持つ。

紙は開かれ、こちらへ垂れる。

口は閉じている。

視線は、左の三人へ向かう。

読むことは、そこで止まっている。

巻いた紙の残りが、膝の上に垂れる。

まだ読まれていない部分である。

読んだ部分と、これからの部分が同じ画面にある。

館の記録は、題と材料と寸法しか書いていない。

つまり誰が誰かは、題で示される。

題には、四人の名がある。

読む人の名も、そこにある。

館の題は、四人のうち三人を並べる。

読む人の名は、いちばん後ろに置かれる。

聞く人の名が、先に来る。

九点のうち、登場人物の名がすべて題にあるのは、この一点である。

読まれる面だけが、残る

最後の一点では、読む人がいない。

花・鳥・鹿の装飾枠に囲まれたペルシア語の書(後期シャー・ジャハーン画帖より)
ミール・アリー・ヘラヴィー《ペルシア語の書》1500年から1540年ごろ。館の記録では、紙にガムテンペラ、金、インク。全体は36.8×25.2センチ。番号は1977.207。クリーヴランド美術館蔵。ミール・アリー・ヘラヴィー《花・鳥・鹿の装飾枠に囲まれたペルシア語の書(後期シャー・ジャハーン画帖より)》クリーヴランド美術館蔵

縦長の一頁である。

全体は36.8×25.2センチある。

中央に、四角い区画がある。

区画の地は、金色である。

その上に、文字が斜めに並ぶ。

文字は右上から左下へ流れる。

行は四つか五つある。

字は続けて書かれ、払いが長い。

区画のまわりには、細い枠が幾重にも回る。

枠は赤と青と金である。

その外に、広い縁がある。

縁の地は、淡い褐色である。

縁には、花の蔓が広がる。

花は小さく、赤と青と白である。

蔓のあいだに、鳥がとまる。

鳥は対になっている。

下のほうには、鹿がいる。

鹿も、二頭で並ぶ。

一頭には角がある。

館の記録では、この書が書かれてから約百年後に、この小さな頁は画帖に貼り込まれた。

そして館は、縁の意匠について書いている。

画家たちは、外側の縁を花の蔓で埋めた。

蔓は咲き、蕾をつけ、種類が多い。

対になった鳥がところどころにとまり、鹿は鳥の声を聞いてくつろいでいるという。

さらに館は、中央の詩について書いている。

その詩は、思いがけない災いを心配するなと読む人に勧めているという。

館の記録は、そう説明している。

つまりこの一頁は、読む人に語りかけている。

しかし読む人は、画面の外にいる。

九点のうち、読む人がこちら側にいるのは、この一点である。

そして枠は、書の百年後に描かれている。

書と枠で、年が百年離れている。

読まれる面と、それを飾る面の年が違う。

書物の頁が別の作品になる例については、散らばった写本の一葉で扱った。

数えてみると

九点を並べ直す。

一人で黙って読んでいるのは、四点である。

文を読む遊女、遮られた読書、卓に向かう女、そして子ども。

手を組んで本の上に置くものを加えれば、五点になる。

声に出して読んでいるのが、二点。

読む人が動いているのが、一点。

読まれる面だけがあるのが、一点である。

もう一つ数える。

九点のうち、読まれている文字が見えるのは三点である。

屏風の左半分、摺物の頁、そして書の頁。

残る六点では、面は白いか、裏を向いているか、線だけである。

読む人には見えていて、こちらには見えない。

面の向きが、それを決めている。

読む人に向ければ、こちらには裏が見える。

こちらに向ければ、読む人が読めなくなる。

両方を満たす角度は、ない。

だから画家は、どちらかを選ぶ。

六点は、読む人のほうを選んでいる。

見る側は、読まれているものを知らないまま、読む姿だけを見る。

さらに数える。

九点のうち、読む人の目が伏せられているのは五点である。

言えることと、言えないこと

言えるのは、読む姿が「顔を伏せた姿になる」ということである。

面は、たいてい手元にある。

だから目は下を向く。

九点のうち五点で、視線は下へ落ちていた。

上を向いて読むことは、九点のうち一度もない。

朗読の二点でも、読む人は紙を下に持つ。

声は前へ出るが、目は下へ落ちる。

聞く人だけが、顔を上げている。

読む人と聞く人で、顔の向きが逆になる。

言えないのは、読まれている内容が画面から分かるという話である。

文字が読める大きさで描かれているのは、三点だけだった。

残る六点では、内容は題か記録から知るしかない。

読むことは、二人のあいだで閉じている。

面と、目のあいだに、他の人は入れない。

朗読だけが、その閉じを開く。

声にすれば、聞く人が増える。

九点のうち二点で、その開きが起きていた。

面と、目のあいだである。

最後に、はじめの一双へ戻る。

右で人が文を読み、左に歌が書かれている。

しかし、その二つは同じ文ではない。

歌は、この場面を外から見て詠まれている。

読む人と、読む文字が並びながら、別のものを指している。

九点を数え終えて残るのは、その並びのずれのほうである。

読む人は、文の中にいる。

歌を詠んだ人は、部屋の外にいる。

二つの視点が、一双の中で並んでいる。

右を見れば、読む人の姿がある。

左を見れば、読む人を見た人の言葉がある。

見る側は、その二つを行き来する。

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