ティツィアーノ《鏡を見るヴィーナス》の解説——鏡に映るのは誰か
ティツィアーノ《鏡を見るヴィーナス》の解説。ワシントンのナショナル・ギャラリーにある一点を、何が描かれているか、鏡に映るのは誰か、よく似た題のベラスケスの絵とどう違うか、どこで見られるかの順に、館の記録と画面から読む。

ティツィアーノ《鏡を見るヴィーナス》は、ワシントンのナショナル・ギャラリーにある一点である。館の記録では1555年ごろの作で、カンヴァスに油彩、縦124.5センチ、横105.5センチある。

この記事では、画面に何が描かれているかから始める。次に鏡に何が映っているかを見る。そのあと、調査で分かった描き直しと、誰のために描かれた構図なのかをたどる。最後に、よく似た題の別の絵との違いと、どこで見られるかをまとめる。図版は当サイトで公開しているCC0の作品だけを使う。
《鏡を見るヴィーナス》には何が描かれているか
上半身をあらわにした女神が、寝椅子に坐っている。左手を胸に当て、右手は腰の赤い布を押さえる。顔だけが画面の右へ向く。
結い上げた金髪には、真珠と飾りが編み込まれる。耳に雫形の耳飾り、両腕に金の腕輪、両手に指輪がある。身につけているのは装身具だけである。
膝から下は深紅のビロードが覆う。布の縁は毛皮で、表には金と銀の糸の模様が帯状に走る。重さのある布で、体の下に厚く溜まる。
右では、翼のある童子が背を向けて立ち、黒い枠の鏡を両手で掲げる。その奥にもう一人の童子がいて、片手を女神の肩に置き、もう片手で葉と花の冠を頭上へ差し出している。
手前の童子の背には、灰色と青に桃色を混ぜた翼が生える。下ろした左手の先には、青い布が垂れる。童子が立つのは寝椅子の上で、そこには黄と褐色の縞の布が掛かり、赤い箱のような物が置かれる。
左上には緑の垂れ幕が、縦の襞をつくって下がる。画面の全面には細かい亀裂が走っていて、絵具の古さがそのまま見える。
背景には建物も風景も無い。暗い褐色の中から、肌と赤い布と金の刺繍だけが前へ出てくる。
館の解説は、ビロードの衣や髪の結い方は描かれた当時の装いだと書く。それでもこの女がヴィーナスと分かるのは、矢筒を負った童子が添えられ、胸と腰を手で隠す古代の女神像の構えをとるからだという。
この構えは「恥じらいのヴィーナス」と呼ばれる型である。館の解説は、画家が1545年から翌年のローマ滞在で《メディチのヴィーナス》を見た可能性に触れる。そのうえで、ヴェネツィアの貴族グリマーニ家にあった古代の像を、より早くから知っていたはずだとする。後者はいまヴェネツィアの国立考古学博物館にあり、腰に布を引き寄せている点でもこの絵に近い。
赤い布の下に何があるか
この絵は、別の絵を描いたカンヴァスの上に描かれている。館の記録では、もとは男女を横に並べた、四分の三身の二人の肖像だった。
ティツィアーノはそのカンヴァスを九十度回し、上からヴィーナスを描いた。下の絵の上辺が、いまの絵の右辺にあたる。男の上着を塗りつぶさずに残したのが、膝を覆う赤い布だと館は見ている。
下に別の絵があると広く知られたのは、1971年に撮られたエックス線写真による。館の研究者が詳しく調べ、塗り込められた二人の肖像は、ヴィーナスを描く少し前のものだと結論した。
鏡に映っているのは誰か
映っているのは女神自身の顔である。ただし見えるのは片目と頬と耳飾りだけで、顔の残りは手前の童子の頭に隠れる。
向きは素直ではない。女神は鏡へ顔を向けているのに、鏡の中の目はこちらを見ている。女神が見ているはずの像と、見る者が受け取る像は同じではない。
館の作品紹介は、女神は鏡で自分を見ているのではなく、彼女を見つめる誰かを見ているのかもしれない、と書く。研究解説も、鏡の中の目と見る者の視線が合うことで、女神が見られていると知っているように見えると説明する。
鏡にはもう一つの役目があるとする研究者もいる。十六世紀のヴェネツィアでは、絵は彫刻と違って人体を一つの面からしか見せられない、という議論があった。鏡を使えば、正面の体と映った顔を一つの画面に並べられる。
一方、中世の絵では、鏡を持つヴィーナスは虚栄と色欲の象徴として描かれてきた。この絵の鏡にもその意味を読む研究者がいる。どちらの読みにも根拠があり、館の解説も一つには決めていない。
エックス線と赤外線で何が分かったか
いまの姿は、最初に描かれた姿ではない。館の技術調査では、女神ははじめ白い肌着を着て、脚を出していた。その上から赤い布を足して膝まで覆った。
肌着は胸元まで持ち上げられ、右の乳房だけが出ていた。左の肘の位置、布をつかむ指、手前の童子の左脚にも描き直しがある。
奥の童子が差し出しているのは、はじめは冠ではなく月桂樹の葉だった。手前の童子の翼は、もとはもっと大きく弧を描き、いまより右にあった。
画面の左右で、描き方の質に差があるとも館は書く。女神と衣は、真珠の粒や毛皮の毛並み、肌の温かみまで描き分けられる。それに比べて右の童子二人と縞の布は粗く、手前の童子の翼は肩から不自然に生えている。
このため館の研究解説は、右側を弟子が仕上げた可能性を挙げる。花の冠を差し出す童子の型は、画家の作では1560年代半ばにしか見られないという指摘も引く。ただし、誰がいつ仕上げたかは確定していない。
技法の面では、粗い綾織の布に薄い下地を引き、厚く盛った絵具と透明な色の重ねを使い分けている。赤と青の布は、白で下塗りした上に色を薄く重ねて出した色である。
左上の垂れ幕は、いまは褐色がかって見える。館の記録では、銅を含む緑の絵具が時とともに茶色く変わったと考えられている。童子が持つ青い布も変色し、手前の童子の左手は損傷が大きく直せない。2011年には、黄ばんだニスと古い補彩を取り除く処置が行われた。
いつ、誰のために描かれた構図か
ワシントンの一点は、1550年代半ばの作とするのが通説である。同じ頃にフェリペ二世のために描いた神話画と、筆づかいが近いからである。
ただし構図そのものは、もっと早くスペイン王家のために作られていた。館の研究解説は、王家の目録に1552年から翌年の時点で「鏡を見るヴィーナス」が載ることを挙げる。その絵は1813年にジョゼフ・ボナパルトがスペインから持ち出し、失われた。
失われた一点は、ルーベンスの写しで姿が分かる。写しはマドリードのティッセン=ボルネミッサ美術館にある。そこでは女神が肌着を着て脚を出し、童子は一人である。ワシントンの一点の下から見つかった最初の姿と同じ構えである。
館の研究解説は、この一致から、ワシントンの一点は失われた王家の絵より後に描かれたとみる。肌着から裸へ、童子一人から二人へと、画家が構図を手直ししていった跡だという。
さらに解説は、王家の絵が、1545年に皇帝カール五世のために描いたヴィーナスと同じだった可能性を挙げる。この年の10月5日、皇帝の駐ヴェネツィア大使が書簡を送っている。画家が皇帝のために描いたヴィーナスを「人々は彼の最高作と言っている」と伝えるものである。ただし、これは研究者の一つの説である。
画家は晩年の1574年12月22日、フェリペ二世への覚え書きに「鏡を持つ童子とヴィーナス」を挙げている。館の研究解説はこれも、失われた王家の絵を指すとみている。
なぜ同じ図が多く残るのか
工房で何度も描かれたためである。館の研究解説では、この構図には少なくとも三十の工房の作が知られ、ワシントンの一点がその最上のものとされる。
手直しを終えたワシントンの一点が、その後の写しの手本になったと館は考える。エルミタージュ美術館やケルンのヴァルラフ・リヒャルツ美術館にも、工房の作とされる異作がある。
画家がこの絵を二十年も手元に置いた理由は分かっていない。買い手を待っていたのか、来客に見せて同じ絵の注文を受けるためか、弟子の手本にするためか。館の解説はいくつかの可能性を並べるにとどめている。
ベラスケスの《鏡のヴィーナス》とは別の絵である
よく似た題で呼ばれる絵がもう一点ある。ディエゴ・ベラスケスの《鏡のヴィーナス》である。
ベラスケスの絵はロンドンのナショナル・ギャラリーにあり、1647年から1651年の作とされる。裸の女が寝台に背を向けて横たわり、童子が支える鏡にその顔が映る、横長の画面である。
ティツィアーノの一点は坐った姿の縦長で、所蔵はワシントンのナショナル・ギャラリーである。画家も国も館も構図も違う、別の絵である。
日本語では、どちらも「鏡のヴィーナス」「鏡を見るヴィーナス」と呼ばれてきた。題だけで探すと取り違えやすいので、画家名と所蔵館まで合わせて確かめるのが早い。
ただし二つは無関係ではない。館の研究解説は、スペイン王家にあった失われたティツィアーノの一点が、ベラスケスの絵の出発点になったと書く。ルーベンスが1613年から翌年に描いた自作のヴィーナスも、同じ一点から出発したという。その絵はリヒテンシュタイン侯爵家の所蔵である。ベラスケスのその絵は当サイトの在庫に無い。本文で触れることはできても、図版としては出せない。
同じ画家のほかの絵と比べる
当サイトには、ティツィアーノの肖像画も公開してある。裸体の一点だけでは分かりにくい特徴が、並べると見えてくる。

短く刈った髪の少年が、黒い外衣をまとってこちらを見る。下の衣は薄紅の絹で、細かい切れ目から白が覗く。外衣の左肩には、八つの尖りを持つ白い十字が大きく縫い付けられる。
顔は丁寧に塗られているのに、手袋を握った右手は画面の下の縁で切れ、輪郭がほどけている。見せたい所だけを詰める描き方である。

老人の肖像になると、絵具の置き方はさらに荒くなる。金糸の外衣も白い毛皮も、刷毛の跡をそのまま残す。背景は擦れて下地が透ける。
肩から腰へ、球形の金釦が斜めに連なる。顔から手へ下りる線がそこで折れ、体が斜めに張り出して見える。

緑の上衣の女は、腹の前で手を組み、赤い小さな実を包むように持つ。髪に白い小花を挿し、耳に雫形の真珠を下げる。髪飾りと耳飾りの作りは《鏡を見るヴィーナス》に近い。
三点に共通するのは、布と金属の手ざわりである。絹、毛皮、金糸、真珠が、それぞれ違う絵具の厚みで置き分けられる。
人物の後ろには、建物も遠景もほとんど置かれない。褐色の闇から体と布だけが前へ出る構えは、《鏡を見るヴィーナス》と同じである。
同じ館にあるもう一つのヴィーナス
ワシントンには、ティツィアーノのヴィーナスがもう一点ある。館が画家と工房の作とする《ウェヌスとアドニス》である。

題材はオウィディウスの『変身物語』で、女神が愛した若い狩人アドニスは、のちに猪に殺される。女神は背を向けて腰かけ、狩りへ出ようとする若者の胴に両腕を回す。木の陰では童子が白い鳩を抱き、二人を見ている。
《鏡を見るヴィーナス》が正面の体と鏡の顔を見せるのに対し、こちらの女神は背中しか見せない。顔は若者を見上げる横顔だけである。同じ女神を、まるで違う向きから描き分けている。
この構図も、館の記録では少なくとも三十の作が知られる。年代は筆づかいから1560年代とされる一方、下の絵具の層の調査では1540年代に描き始めた可能性も出ている。求めの多い構図を工房で繰り返した点で、鏡のヴィーナスと事情が似ている。
厚い絵具と色の重なりで体を作る描き方は、ルーベンスの代表作と特徴でも見た。ルーベンスがティツィアーノを写して学んだことは、先に書いたとおりである。同じ十六世紀のイタリア絵画はラファエロの代表作と特徴で扱っている。
《鏡を見るヴィーナス》はどこで見られるか
実物はワシントンのナショナル・ギャラリーにある。展示されているかどうかは館の発表で確かめてほしい。
実物の前では、三つの所を見比べるとよい。一つは画面の左右の差で、女神の肌と衣の細かさに対し、右の童子と縞の布は筆が粗い。弟子の手が入ったかもしれないと館が書く部分である。
二つ目は鏡の中の目である。小さな面に描かれた片目が、画面の外の見る者のほうを向いている。三つ目は左上の垂れ幕で、いまの褐色はもとの緑が変わった色だと思って見ると、描かれた当時の色の釣り合いが想像しやすい。
館の記録では、この絵は画家が亡くなるまで手元にあった。1581年10月27日、息子のポンポーニオが家の品とともに、ヴェネツィアの貴族クリストフォロ・バルバリーゴに売った。1600年の彼の遺言には、相続人に遺すティツィアーノの絵四点の一つとして載る。
その後はバルバリーゴ家の館に伝わり、1850年にロシア皇帝ニコライ一世が一族から買った。絵はエルミタージュに入り、1931年4月、ベルリン、ロンドン、ニューヨークの画商を通じてアンドリュー・メロンが買った。同じ年にメロンの財団へ移され、1937年に館へ寄贈された。
画像は《鏡を見るヴィーナス》の作品ページで大きく見られる。当サイトが扱うのは、館がCC0として公開した画像だけである。
同じ画家のほかの作品はティツィアーノ・ヴェチェッリオの画家ページに並べてある。この記事で挙げた肖像三点も、そこから開ける。


