円い青銅に、横顔を留める——オーリン・レヴィ・ワーナー
数ミリの起伏だけで顔を示す肖像浮き彫り。素描から立像まで九点を並べ、輪郭線という一貫した主題を追う。太平洋岸北西部で作られた三点についても書く。記録としての価値と、記録する側の立場。その両方を分けて書いておきたい。

円い青銅に、横顔がある
一枚の浮き彫りから始めたい。

円い金属の板である。
直径22.9センチ。
その面に、男の横顔が浮き彫りにされている。
右を向いている。
髪は波打ち、耳の上で膨らむ。
口髭と顎髭が、顔の下半分を覆う。
首から下は、肩の一部だけが示される。
背景は平らで、何もない。
円の縁に沿って、文字が刻まれている。
名前と年だと思われる。
彫りの深さは、数ミリしかない。
浮き彫りという形式
この形式を、肖像浮き彫りと呼ぶ。
平らな面に、横顔を低く盛り上げる。
古代の貨幣やメダルから続く形式である。
彫刻とは、条件が違う。
彫像なら、周りを回って見られる。
浮き彫りは、正面からしか見られない。
その代わり、壁に掛けられる。
場所を取らず、額に入れて飾れる。
肖像画と彫刻の中間にある形式である。
深さを、どう使うか
浮き彫りの見どころは、深さの配分である。
鼻の先が、最も高い。
頬と顎が、それに次ぐ。
耳の奥、髪の陰は、低く抑える。
背景の面は、完全に平らである。
つまり、数ミリの範囲に段階を作っている。
光が斜めから当たると、その段階が影になる。
影が形を作る。
だから、浮き彫りは光の向きで見え方が変わる。
正面から強い光を当てると、平らに見えてしまう。
作った人について
オーリン・レヴィ・ワーナーは、一八四四年に生まれた。
コネティカット州の生まれである。
一八九六年にニューヨークで没した。
五十二歳という若さである。
電信技士として働いたのち、パリへ渡って彫刻を学んだ。
帰国後、肖像浮き彫りと彫像を制作した。
公共の彫刻も手がけている。
米国の彫刻が、欧州の水準に追いつこうとした時期の作家である。
素描も残っている
二点目は、彫刻ではない。

紙に描かれた素描である。
若い女性の横顔が、左を向く。
髪は後ろでまとめられ、額と耳が出る。
首から胸にかけて、白い衣の襟が見える。
その白は、白い絵具か白墨で加えられている。
紙の地は淡い黄土で、線は灰色である。
輪郭線は、ためらいなく引かれている。
顔の中は、ほとんど描き込まれていない。
目、鼻、口が、最小限の線で置かれる。
彫刻家の素描
彫刻家が素描を描く目的は、いくつかある。
構想を練るため。
依頼主に見せるため。
そして、対象を観察するためである。
この一枚は、観察の素描に見える。
横顔の輪郭が、正確に取られている。
浮き彫りを作るには、まず輪郭が要る。
額から鼻、鼻から唇、唇から顎。
この線が決まらなければ、浮き彫りは始まらない。
素描は、その線を探す作業でもある。
白いハイライト
この素描の白い部分に注目したい。
襟と、首元だけが白い。
紙の地より明るい。
つまり、白を加えている。
黒鉛だけでは、紙より明るくはできない。
そこで、白い画材を足す。
こうすると、明暗の幅が広がる。
同じ手法は、古くから使われてきた。
色のついた紙に、黒と白で描く。
彫刻家の素描には、この方法がよく合う。
父と母を、一枚に
三点目は、二人が並ぶ。

円い面に、二つの横顔が重なっている。
手前が男性、奥が女性である。
いずれも右を向く。
男性は、白髪を後ろへなでつける。
女性は、髪を上でまとめ、額を出す。
二人の輪郭が、前後にずれて重なる。
奥の顔は、手前の顔の後ろから出てくる。
こうすると、狭い円の中に二人が収まる。
そして、二人の関係も示せる。
縁には、文字と年が刻まれる。
重ねるという工夫
横顔を重ねる構図は、古い型である。
古代の貨幣にも、二人の統治者を重ねた例がある。
平面の中に、二人を入れる方法として合理的である。
並べれば、それぞれが小さくなる。
重ねれば、手前の顔を大きく保てる。
そして、奥の顔は輪郭だけで示せばよい。
彫りの深さも、前後で変えられる。
手前を高く、奥を低く。
深さの差が、そのまま距離になる。
自分の親を、作品にする
主題にも触れておきたい。
作者の父と母である。
注文ではなく、自発的に作られたものだろう。
一八七九年、作者は三十五歳である。
帰国してまもない時期にあたる。
親の顔を作ることには、二つの意味がある。
技術の証明と、私的な記録である。
この作品は、のちに彫刻家の団体から美術館へ寄贈された。
つまり、私的な作品が公共の収蔵品になっている。
死後の鋳造
九点のうち、複数に注意すべき記載がある。
制作年と鋳造年が、別に書かれている。
一八八三年制作、一八九七〜九八年鋳造。
一八七九年制作、一八九七〜九八年鋳造。
作者の没年は一八九六年である。
つまり、鋳造は死後に行われている。
原型は残っていた。
そこから、あらためて青銅に取った。
これは彫刻ではよくあることである。
原型と鋳造を、書き分ける
作者の死後に鋳造された作品を、どう扱うか。
美術館は、両方の年を記録する。
制作年と鋳造年を分けて書く。
これは、当サイトでも同じ方針を取っている。
以前の記事でも、この書き分けをした。
原型を作った年と、金属になった年は別である。
同じ原型から、複数の鋳造が存在することもある。
だから、目の前の一点がいつのものかを特定する必要がある。
数字が二つ並んでいたら、その意味を確かめたい。
依頼された肖像
四点目も、浮き彫りである。

円の中に、男の横顔がある。
右を向いている。
髪は短く、額が広い。
大きな口髭が、鼻の下から左右へ広がる。
顎は剃られている。
首元には、襟と結び目が見える。
背景は平らである。
縁に沿って、名前と年が刻まれる。
直径は19.1センチと、九点の中では小さい部類である。
肖像浮き彫りの需要
十九世紀の後半、米国では肖像浮き彫りに需要があった。
理由はいくつかある。
肖像画より安く、彫像より場所を取らない。
家の壁に掛けられる。
そして、複製が作れる。
原型から、何点でも鋳造できる。
家族に配ることもできる。
つまり、記念品として使いやすい。
肖像画の役割の一部を、浮き彫りが担っていた。
大理石の立像
五点目は、形式が変わる。

高さ87.6センチの立像である。
若い女性が、まっすぐ立つ。
両腕を上げ、頭の後ろで組んでいる。
顔はうつむき、目を伏せる。
薄い衣が、体に沿って垂れる。
衣は腰から下を覆い、上半身は露わである。
足元は円い台座で、素足である。
体は正面を向くが、重心は片足に寄る。
その傾きが、立ち姿に緩やかな曲線を作る。
大理石を彫るということ
この作品の技法欄には、二つの年がある。
制作が一八七七〜七八年、彫成が一八七九年。
つまり、まず粘土か石膏で原型を作る。
そのあと、大理石に写す。
大理石の彫刻は、原型から機械的に写す方法が普及していた。
原型に点を打ち、その位置を石に移す。
熟練の職人が、この作業を担うことも多かった。
彫刻家自身が最後の仕上げをする。
分業が前提の仕事である。
主題としての「たそがれ」
題は、時刻を指す言葉である。
しかし、描かれているのは女性の姿である。
つまり、時刻を人の姿で示している。
これも、寓意の一種である。
腕を上げ、うつむく姿勢は、休息や眠りを示す型である。
一日の終わりを、その姿勢で表す。
こうした主題は、十九世紀の彫刻でよく作られた。
明け方、たそがれ、四季、大陸。
抽象的なものを、女性像で示す慣習が続いていた。
座る女神像
六点目は、青銅の彫像である。

裸の女性が、片膝をついて座る。
上体を起こし、顔を左へ向ける。
右腕は下ろし、指先を台に触れる。
左手も、体の脇で台に添えられる。
髪は上でまとめ、額を出す。
台座は楕円形で、二段になっている。
青銅の表面は、褐色に光る。
姿勢に緊張がある。
いまから立ち上がる直前のようにも見える。
狩りの女神
ディアナは、狩りをつかさどる女神である。
弓と犬を伴って描かれることが多い。
この彫像には、弓も犬もない。
姿勢だけで示されている。
膝をつき、片手を地面に置く。
獲物の跡を探しているようにも見える。
道具を省き、動作だけで主題を伝える。
そのぶん、体の描写に負担がかかる。
筋肉の張り、背中の反り、指先の力。
そこを見せられなければ、成立しない。
米国の彫刻の水準
十九世紀後半、米国の彫刻家は欧州で学ぶのが常だった。
パリ、ローマ、フィレンツェ。
そこで技術を身につけ、帰国して仕事をする。
ワーナーもその一人である。
同世代には、当サイトでも扱った作家がいる。
浮き彫りに彫るで書いた彫刻家である。
肖像浮き彫りを得意とした点も共通する。
つまり、当時の米国には浮き彫りの流行があった。
一人の作家の個性というより、時代の様式である。
青銅の表面の色
青銅の彫刻には、表面の処理がある。
薬品で酸化させ、色を付ける。
褐色、黒、緑がかった色。
これを緑青あるいは着色層と呼ぶ。
同じ原型から鋳造しても、この処理で見え方が変わる。
濃い色にすれば、彫りの陰影が強く出る。
明るくすれば、柔らかく見える。
つまり、鋳造の段階でも表現の判断が入る。
作者が生きていれば、自分で指示する。
死後の鋳造では、誰かが代わりに決めることになる。
九点のうち、死後の鋳造が多いことは、この点でも意味を持つ。
二つの寄贈の経路
九点の来歴を見ておきたい。
四点は、一八九八年に彫刻家の団体から寄贈されている。
作者の没後まもない時期である。
三点は、一九〇六年に個人の夫妻から寄贈された。
残りは、一九一五年の購入と、一九七三年の遺贈である。
つまり、まず団体が作者の代表作をまとめて館へ入れた。
その後、個別の作品が加わっていった。
作者が早く亡くなったことと、この経緯は無関係ではないだろう。
色のない画像で見る
九点のうち、五点は色のない画像で公開されている。
いずれも古い記録写真とみられる。
青銅の色も、大理石の白も、正確には分からない。
分かるのは、形と光の当たり方である。
浮き彫りの場合、この制約は思ったより小さい。
もともと、影で形を見る作品だからである。
色より、光の向きのほうが重要になる。
古い写真でも、光は写っている。
そこから、彫りの深さを読み取ることができる。
大きな浮き彫り
七点目は、九点で最も大きい。

直径44.5センチ。
先の肖像浮き彫りの二倍近い。
円の中に、男性の横顔がある。
左を向いている。
髪は長く、前は分けて後ろへ流す。
耳の前に、編んだ髪が二筋垂れる。
その先に、布か紐が巻かれている。
顔は面長で、鼻筋が高い。
口は結ばれ、顎の線が明瞭である。
肩には、衣の襞が見える。
縁には、名前と部族名が円形に刻まれる。
刻まれた名前
縁の文字には、二つの名が並ぶ。
英語の呼び名と、本人の言葉による名である。
館の題も、その両方を記している。
英語の呼び名は括弧に入れられている。
つまり、外から与えられた呼び名だという扱いである。
こうした表記は、いまの美術館の記述方針を反映している。
当サイトも、館の記録に従って両方を記す。
名前をどう書くかは、それ自体が態度の表明である。
一八八九年という年
制作年は一八八九年である。
この人物と、その民族が置かれていた状況に触れておきたい。
一八七七年、ネズパースの人々は居留地への移動を迫られた。
これに応じない集団が、数か月にわたって移動を続けた。
最終的に降伏し、故郷から遠い土地へ送られた。
以後、帰還を求める交渉が続いた。
一八八九年は、その途上にあたる。
つまり、この浮き彫りは、そういう時期に作られている。
誰が、なぜ作らせたか
制作の経緯についても書いておきたい。
作者は一八八九年と一八九一年に、太平洋岸北西部を訪れている。
現地に知人がおり、その紹介で人々に会ったとされる。
その知人自身も、九点のうち別の作品で肖像を作られている。
つまり、白人の仲介者を通した出会いである。
そこには、対等でない関係がある。
作られる側が、どこまで望んで応じたのか。
記録からは、そこまで分からない。
分からないことは、分からないと書いておく。
記録することの二面性
こうした肖像には、二つの面がある。
一つは、記録としての価値である。
その人の顔が、いま残っている。
写真とは違う、立体としての記録である。
もう一つは、記録する側の立場である。
誰が誰を、どういう文脈で残したか。
多くの場合、記録するのは力を持つ側である。
当サイトの
記録という問題でも、同じ主題を扱った。
価値と問題は、同時に存在する。
もう一人の首長
八点目は、小さい。

直径18.4センチ。
先の一枚の半分以下である。
円の中に、横顔がある。
右を向いている。
髪は短めで、耳の後ろへ流れる。
額が高く、鼻筋が通る。
口元はやや落ち、頬に皺が入る。
肩は、輪郭だけが示される。
縁には、名前と部族名が刻まれる。
背景は平らで、鋳造の肌が粗く残る。
大きさの差が示すもの
七点目と八点目の直径を比べたい。
44.5センチと18.4センチ。
倍以上の差である。
なぜ、これほど違うのか。
理由はいくつか考えられる。
制作の年が違う。
現地での条件が違った可能性もある。
大きな原型を作るには、時間と材料が要る。
短い滞在では、小さいものしか作れない。
あるいは、後年に拡大したものを作ったのかもしれない。
館の記録には、その説明がない。
三人目の首長
九点目も、同じ系列である。

直径20.6センチ。
円の中に、横顔がある。
右を向いている。
髪は白く、肩まで届く。
前髪は額の上で分かれる。
顔は骨張り、頬がこけている。
鼻は高く、先が下がる。
口は堅く結ばれる。
首から肩へ、衣の輪郭が続く。
縁には、名前と部族名が刻まれる。
三点の共通点
三点は、いずれも一八八九年か九一年の制作である。
そして、いずれも一九〇六年の鋳造である。
つまり、作者の死後十年に、まとめて青銅にされた。
寄贈者も同じ夫妻である。
その夫妻は、別の記事でも名前が出てきた。
メダルの収集で知られる人々である。
一人の収集家の関心が、こうして残される。
原型のまま失われていれば、いまは見られなかった。
顔を、どう見るか
三点の顔を見比べてほしい。
いずれも、深く彫られている。
頬骨、鼻梁、顎の線。
骨格がはっきりと出ている。
先の白人の肖像浮き彫りと比べると、彫りが強い。
これを、作者の関心の差と見ることもできる。
あるいは、表現の型と見ることもできる。
当時、先住民の顔は「高貴な老い」として型にはめられがちだった。
作者がその型に従ったのか、目の前の顔を写したのか。
判断は難しい。
九点を、順に見る
最後に、見方を提案したい。
九点を、彫りの深さで並べてみてほしい。
素描の線から始まり、浅い浮き彫りへ。
そして、深い浮き彫りへ。
さらに、丸彫りの立像と座像へ。
平面から立体へ、段階が並んでいる。
同じ作者が、その全域で仕事をしている。
紙の上の一本の線と、青銅の数ミリの起伏。
同じ横顔の輪郭が、材料を変えて現れる。
輪郭線こそが、この作者の主題だった。
そう考えると、九点は一本の線でつながっている。
横顔の輪郭を、指でなぞるつもりで見てほしい。


