数ミリの彫刻——セント=ゴーデンズの浮き彫り
厚みは数ミリ。それでも髪も襟も表情も彫り出されている。カメオ職人から出発したアメリカ彫刻の第一人者は、友人を薄く親密に、偉人を厚く公共的に造形した。横顔のレリーフから塔上の金色の女神まで、九点で厚みの使い分けを読む。

厚み数ミリの、彫刻がある
一枚のブロンズ板から始めたい。

縦18.7センチ、横12.4センチ。単行本ほどの大きさの板である。
1878年の作。作者が30歳になる年である。
そこに、ひとりの男の横顔が浮かんでいる。
建築家チャールズ・F・マッキム。作者の親しい友人である。
のちに全米を代表する建築事務所を率いることになる人物だ。
あごひげが顔の輪郭を包む。髪は短く、額から後頭部へ流れる。
上着の襟が首元で折り返る。その下にシャツの襟がのぞく。
まぶたのくぼみ、鼻筋の通り、耳の渦。
肖像に必要なものは、すべてそろっている。
正面の顔ではなく、横顔である。
横顔は、輪郭の一本の線で人を語る、最も古い肖像の形式だ。
ブロンズの面には、へらの跡がかすかに残る。
粘土で原型をつくり、鋳造した手順が透けて見える。
ここまでは、ふつうの肖像の記述である。
だが実物の前で驚くのは、その薄さだ。
髪も、ひげも、襟も、起伏はわずか数ミリしかない。
板からほとんど盛り上がらないまま、形が立ち上がっている。
横から見れば、ただの平たい板に近い。
正面から見れば、光と影が顔の丸みをつくる。
光が斜めから当たると、浅い起伏が長い影を引く。
その影の濃淡が、絵筆の陰影とまったく同じ働きをする。
彫りの深さではなく、影の設計で形を見せているのだ。
肖像のまわりには文字が刻まれている。
名前と年記の銘文が、面の縁を額縁のように締める。
文字の列は記録であり、同時に画面の枠でもある。
モデルの名を刻むことで、板は記念の性格も帯びる。
これは彫刻なのか。それとも、ブロンズに描かれた絵なのか。
絵と彫刻の中間に置かれたような物件である。
厚みが浅いから、画面の図版でも印象は損なわれにくい。
写真の平面と相性のいい彫刻だと言ってもいい。
作者はオーガスタス・セント=ゴーデンズ。
十九世紀後半のアメリカ彫刻を頂点で担った人物である。
なぜ彼は、こんなに薄い彫刻を彫れたのか。
その理由は、少年時代にさかのぼる。
靴職人の息子が、彫り始める
セント=ゴーデンズは一八四八年、アイルランドのダブリンに生まれた。
父はフランス出身の靴職人だったと伝えられる。
のちの名声からは想像しにくい、つましい出発である。
生後まもなく一家はアメリカへ渡り、ニューヨークで育った。
つまり彼は、移民の靴職人の子である。
少年期は、ちょうど南北戦争の時代に重なる。
裕福な家ではない。美術学校に通う余裕もなかった。
十三歳のとき、少年は働きに出された。
徒弟先は、カメオ彫刻の職人の仕事場だった。
美術のためではなく、生計のための奉公である。
カメオとは、貝殻や石の層を彫って像を浮かび上がらせる細工である。
素材は表層と下層で色が違う。
表層を彫り残して白い像にし、下層の色を地にする。
指先ほどの面に、依頼主の横顔の肖像を刻む。
王侯でなくとも、人は自分の横顔を持ちたがったのである。
カメオは当時、胸元を飾る装身具として広く流行していた。
彫れる深さは、素材の層の厚みまで。つまり数ミリしかない。
その数ミリの中で、頬の丸みも髪の流れも表さねばならない。
浅い彫りだけで形を出す技術を、少年は毎日仕込まれた。
昼はカメオを彫り、夜は夜学で素描を学んだと伝えられる。
手仕事と勉強を重ねる年季奉公が、数年続いた。
このとき鍛えた素描の線が、のちのレリーフの輪郭に生きる。
浅浮彫は、彫刻であると同時に線の芸術だからである。
やがて彼はパリに渡り、美術学校で本格的な彫刻を修めた。
粘土で原型をつくり、石膏に取り、ブロンズに鋳る。
近代彫刻の標準の手順を、ここで身につけた。
さらにローマに移り、古典彫刻の伝統に触れた。
古代の大理石と、ルネサンスの浮き彫りの街である。
カメオ職人の手と、アカデミーの教養。
職人の速さと、芸術家の構想力と言い換えてもいい。
この二つが、のちの仕事の土台になる。
ローマで、大理石の詩を刻む
ローマ時代の大作が残っている。

像高152.4センチ。白い大理石の座像である。
羽根飾りをつけた若者が、岩に腰かけて思案している。
視線は斜め下へ落ち、口は固く結ばれている。
所蔵館の記録によれば、原型は1871〜72年につくられた。
大理石に彫られたのは1874年である。
主題はロングフェローの長編詩に登場する先住民の英雄である。
詩は当時のアメリカで広く読まれた国民的な物語だった。
詩の中の英雄を、白い大理石の理想像として刻んだ。
つまりこれは文学上の人物であり、理想化された像である。
実在の人々の姿を記録したものではないことは、断っておきたい。
十九世紀の社会が思い描いた、文学の中の先住民像である。
その限界も含めて、時代の記録として見るべき作品だろう。
様式は、ローマで学んだ古典彫刻そのものだ。
滑らかな肌、整った筋肉、思案のポーズ。
古代の神像や英雄像の型に、アメリカの文学主題を注いでいる。
若い彫刻家が、伝統の型を丸ごと引き受けた出発点の作である。
この時点では、彼はまだ「厚い」彫刻家だった。
全身を丸彫りにする、教科書どおりの彫刻である。
だが帰国後の彼を有名にしたのは、この路線ではなかった。
冒頭の、あの数ミリの板である。