画家を知る

彫刻の制作年は、二つある——J・Q・A・ウォード

彫刻の記録には、年が二つ書かれている。原型の年と、鋳造の年である。ウォードの九点で、複製を前提とする分野の「本物」を考える。同じ像が二つの館にある例と、緑青の色の違いにも触れておきたい。素描と鋳造という二つの工程も並べて見ておきたい。

解放された人
ジョン・クインシー・アダムス・ウォード《解放された人》メトロポリタン美術館蔵

制作年が、二つ書いてある

一点の彫刻から始めたい。

解放された人
ジョン・クインシー・アダムス・ウォード《解放された人》1863年、1891年鋳造。ブロンズ。高さ49.5センチ、幅37.5センチ、奥行24.8センチ。メトロポリタン美術館蔵。ジョン・クインシー・アダムス・ウォード《解放された人》メトロポリタン美術館蔵

まず、制作年の欄を見てほしい。「1863年、1891年鋳造」とある。

年が二つ書かれている。原型を作った年と、金属に鋳た年である。

彫刻では、この二つがしばしば離れる。二十八年の差がある。

つまり「いつ作られたか」という問いに、二通りの答えがある。

何が表されているか

像を見ていきたい。男が一人、低い切り株に腰を下ろしている。

上半身は裸で、腰に布を巻く。右足は前へ伸ばし、左足は膝を立てる。

右手は膝の上に置かれ、指が開いている。その手首から、輪のようなものが下がる。

手枷である。そして左手には、切れた鎖の一端が握られている。

顔は左上を向く。口を結び、目を見開いている。

つまり、鎖から解かれた直後の姿勢である。

作者について

作者はジョン・クインシー・アダムス・ウォードである。1830年にオハイオで生まれ、1910年に没した。

ニューヨークで彫刻家として活動し、公共の記念像を数多く手がけた。

同時代のアメリカでは、彫刻を学ぶ環境が限られていた。多くの彫刻家がヨーロッパで学び、
現地の工房で制作した。

この画家は、主にアメリカ国内で仕事を続けた点が特徴とされる。

ただし、経歴の細部は所蔵館の記録に書かれていない。

制作の時期が示すもの

制作年に戻りたい。原型は1863年に作られている。

アメリカ合衆国の南北戦争のさなかであり、奴隷解放宣言が出た年でもある。

つまりこの像は、同時代の出来事に直接応えて作られた。

ただし、像の解釈は一つに定まっていない。解放を祝う像とも、
まだ立ち上がっていない姿とも読まれてきた。

所蔵館の記録も、解釈を断定していない。

台座の形

台座にも触れておきたい。この像の台座は、楕円形である。

一方、他の像では四角形や八角形の台座が使われている。

台座の形は、像を置く場所によって選ばれる。壁際なら片面から、
広場なら四方から見られる。

つまり台座は、設置の条件を示す手がかりでもある。

問い——彫刻は、いつ「作られた」のか

ここで問いを立てたい。彫刻は、絵と違って複数作れる。

原型があれば、同じ像を何度でも鋳造できる。

では、どれが「本物」なのか。制作年はどちらを指すのか。

当サイトにはジョン・クインシー・アダムス・ウォードの作品が34点公開されている。

彫刻と素描が含まれる。並べて確かめたい。

同じ像が、別の館にもある

同じ主題の、別の一点を見たい。

解放された人
ジョン・クインシー・アダムス・ウォード《解放された人》1862〜1863年原型。ブロンズ。高さ49.9センチ、幅40センチ、奥行23.9センチ。シカゴ美術館蔵。ジョン・クインシー・アダムス・ウォード《解放された人》シカゴ美術館蔵

寸法を比べてほしい。先の一点は49.5×37.5×24.8センチ。

こちらは49.9×40×23.9センチ。ほぼ同じである。

つまり、同じ原型から鋳造された像である。

所蔵館が違うだけで、内容は同一の作品である。

緑青とは何か

表面の処理について補いたい。銅を含む合金は、空気中で酸化して色が変わる。

自然に生じる緑色の層を緑青と呼ぶ。屋外の像が緑色に見えるのは、この層による。

一方、室内の像では、人工的に色を付けることが多い。薬品を塗り、
熱を加えて褐色や黒に仕上げる。

つまり彫刻の色は、素材の色ではなく仕上げの色である。

表面の色が、違う

しかし、二つの像は同じには見えない。

メトロポリタン美術館の像は、褐色を帯びている。金属の地の色に近い。

シカゴ美術館の像は、黒に近い。表面が暗く沈んでいる。

この差は、緑青の処理による。鋳造後に薬品と熱で色を付ける工程がある。

つまり同じ原型でも、仕上げの色は個体ごとに違う。

版画と、どこが違うか

複製の考え方を整理したい。版画も、同じ版から多数刷られる。

彫刻の鋳造も、同じ原型から多数作られる。

しかし版画では、刷りの順番が価値に関わる。彫刻では、鋳造の時期と工房が問われる。

原型と写しの関係については、別のコラムで扱った。

複製が前提の分野では、「本物」の定義が変わる。

鋳造の数は、記録されるか

鋳造数についても触れておきたい。同じ原型から何体作られたかは、
記録が残っている場合とない場合がある。

当サイトの公開分では、鋳造数の記載はない。

つまり、この像が何体目かは分からない。

版画では刷り部数が記録されることがある。彫刻では、それが揃わないことが多い。

台座に、名前が刻まれている

細部も見ておきたい。台座の縁に、文字が刻まれている。

「J.Q.A. WARD」と読める。作者の署名である。

絵では、署名は画面の隅に描かれる。彫刻では、台座に刻まれる。

つまり署名の位置も、形式によって決まっている。

動物と人を、組み合わせる

別の主題を見たい。

先住民の狩人
ジョン・クインシー・アダムス・ウォード《先住民の狩人》1860年、1883年までに鋳造。ブロンズ。高さ41センチ、幅26.7センチ、奥行38.7センチ。メトロポリタン美術館蔵。ジョン・クインシー・アダムス・ウォード《先住民の狩人》メトロポリタン美術館蔵

男が身を低くして進む。右手に短い刃を持ち、左手で犬の首を押さえる。

犬は前脚を踏ん張り、頭を下げている。二つの体が、同じ方向を向く。

つまり、獲物に近づく直前の姿勢である。

寸法は高さ41センチ。台座を含めて、机に置ける大きさである。

表象について、書いておく

主題については、はっきり書いておきたい。この像は、先住民の男性を表したものである。

19世紀のアメリカでは、こうした像が数多く作られた。

しかしそれは、実在の人々の記録ではない。「消えゆく人々」という当時の物語に沿った造形である。

同じ時期、合衆国政府は先住民の土地を奪い、移住を強制していた。

像が作られた背景には、その状況がある。

犬という要素

細部をもう一つ見たい。狩人の像には、犬が添えられている。

犬がいることで、二つの体の動きが対比される。人は前傾し、犬は踏み止まる。

つまり犬は、物語の要素であると同時に、構図の要素でもある。

一体の像に二つの生き物を入れると、鑑賞者の視線が往復する。

型が、繰り返される

表象の型についても触れたい。裸に近い姿、短い刃、犬または馬。

これらの要素は、同種の像に繰り返し現れる。

つまり、個人ではなく類型が造形されている。

記録という言葉の危うさは、
別のコラムで扱った。

彫刻でも、同じ問題が起きる。

縮小して、家に置く

寸法にも注目したい。この像は高さ41センチである。

一方、同じ主題で公共の場所に置かれた大型の像も存在する。

つまり、大きな像を縮小した版が、家庭向けに作られた。

大画面の縮小版については、別のコラムで扱った。

彫刻でも、同じ商売の形がある。

馬だけの習作

制作の過程を示す一点を見たい。

ジョージ・ヘンリー・トマス少将像のための馬の習作
ジョン・クインシー・アダムス・ウォード《ジョージ・ヘンリー・トマス少将像のための馬の習作》1879年、1910年以降鋳造。ブロンズ。高さ50.8センチ、幅45.7センチ、奥行12.7センチ。メトロポリタン美術館蔵。ジョン・クインシー・アダムス・ウォード《ジョージ・ヘンリー・トマス少将像のための馬の習作》メトロポリタン美術館蔵

馬が一頭、立っている。首をわずかに右へ向け、四肢で地面を踏む。

たてがみと尾は簡略に作られ、筋肉の起伏が強調される。

騎手はいない。台座も、地面を示す簡単な起伏だけである。

つまり、騎馬像を作るための、馬の部分の習作である。

奥行が12.7センチしかない。ほとんど薄い板のような形である。

騎馬像は、難しい

制作の課題にも触れておきたい。騎馬像では、馬と人の両方を作る必要がある。

そして、四本の脚で全体の重量を支えなければならない。

構造の問題があるため、脚の位置や胴の傾きを何度も試すことになる。

この習作は、その検討の記録である。

素描も残っている

紙の記録も見たい。

記念碑のための習作(画帖より)
ジョン・クインシー・アダムス・ウォード《記念碑のための習作(画帖より)》1860年ごろ。紙に黒鉛。縦22.4センチ、横15.2センチ。メトロポリタン美術館蔵。ジョン・クインシー・アダムス・ウォード《記念碑のための習作(画帖より)》メトロポリタン美術館蔵

薄い鉛筆の線で、人物の群が描かれている。

中央に立つ人物、その周囲にかがむ人物。輪郭だけで、顔は描かれない。

線は速く、何度も重ねられている。形を探している段階である。

つまり彫刻家も、まず紙の上で考えている。

原型は、どこへ行くのか

原型の行方についても書いておきたい。粘土の原型は、型を取ったあとに壊れることが多い。

石膏の原型は残ることがあり、彫刻家の工房や美術館に収蔵される場合もある。

しかし、金属の像ほど丁寧に扱われるとは限らない。

つまり制作の中心にあった物が、最も残りにくい。

同じ問題は、別のコラムでも扱った。

三つの段階

制作の順序を整理したい。第一に、紙の素描で構想する。

第二に、粘土や石膏で原型を作る。

第三に、金属に鋳造する。

公開分には、この三段階のうち第一と第三が残っている。

原型そのものは、多くの場合、残らない。

肖像彫刻という仕事

主題の幅も見ておきたい。

ジョージ・ワシントン
ジョン・クインシー・アダムス・ウォード《ジョージ・ワシントン》1882年、1911年ごろ鋳造。ブロンズ。高さ60.3センチ、幅31.4センチ、奥行25.4センチ。メトロポリタン美術館蔵。ジョン・クインシー・アダムス・ウォード《ジョージ・ワシントン》メトロポリタン美術館蔵

立像である。高さ60.3センチ。

人物は前を向き、右手を前方へ差し出す。左手は体の脇に垂れる。

外套が背中から流れ、脚の後ろへ広がる。

服装は18世紀の型である。上着、膝丈のズボン、留め具の付いた靴。

つまり、百年前の人物を、当時の装いで再現している。

差し出された手

姿勢についても見ておきたい。この像は、右手を前方へ差し出している。

演説や指揮を示す型である。同時代の記念像に繰り返し現れる。

つまり姿勢そのものが、公的な役割を示す記号になっている。

姿勢を型として借りる方法は、
別のコラムでも扱った。

絵でも彫刻でも、同じ型が流通している。

公共の像の、縮小版

この像についても、寸法を考えたい。高さ60.3センチは、室内用の大きさである。

同じ像には、公共の場所に設置された大型のものがある。

つまり、これも縮小版である。

大きな像を実際に見た人が、小さな像を家に置く。記念品としての機能を持つ。

文学者の像

もう一点、立像を見たい。

ウィリアム・シェイクスピア
ジョン・クインシー・アダムス・ウォード《ウィリアム・シェイクスピア》1870年、1910年以降鋳造。ブロンズ。高さ71.1センチ、幅27.9センチ、奥行27.9センチ。メトロポリタン美術館蔵。ジョン・クインシー・アダムス・ウォード《ウィリアム・シェイクスピア》メトロポリタン美術館蔵

高さ71.1センチ。公開分の彫刻では最も高い。

人物は右脚に体重を掛け、左脚を前へ出す。上体をわずかにひねる。

右手を胸に当て、左手で外套を押さえる。

膨らんだ半ズボンと、首元の襞襟。16世紀から17世紀の装いである。

この一点の公開画像は白黒である。他の像はカラーで公開されている。

画像の条件が、揃っていない

画像について触れておきたい。公開分の彫刻には、カラーの画像と白黒の画像が混在する。

白黒では、緑青の色が分からない。表面の質感も読みにくい。

つまり、比べられる情報に差がある。

画像の差は作品の差ではないという点は、
別のコラムでも扱った。

同時代の人物も作る

肖像の対象も見ておきたい。

ヘンリー・ウォード・ビーチャー
ジョン・クインシー・アダムス・ウォード《ヘンリー・ウォード・ビーチャー》1891年、1910年以降鋳造。ブロンズ。高さ36.8センチ、幅22.9センチ、奥行14センチ。メトロポリタン美術館蔵。ジョン・クインシー・アダムス・ウォード《ヘンリー・ウォード・ビーチャー》メトロポリタン美術館蔵

外套をまとった男が立つ。両手は体の前で下げられる。

顔は正面を向き、髪が肩まで伸びる。

この像の表面は、緑がかっている。緑青が強く出た状態である。

つまり同じ作者の像でも、表面の色に幅がある。

実業家の像

もう一点、肖像を見たい。

ヘンリー・B・ハイド
ジョン・クインシー・アダムス・ウォード《ヘンリー・B・ハイド》1901年。ブロンズ。高さ53.3センチ、幅19.1センチ、奥行15.9センチ。メトロポリタン美術館蔵。ジョン・クインシー・アダムス・ウォード《ヘンリー・B・ハイド》メトロポリタン美術館蔵

この一点には、鋳造年が併記されていない。1901年とだけある。

男が立ち、外套を腕に掛ける。片手に丸めた紙を持つ。

台座に文字が刻まれている。人名と、その下に細かい文字が並ぶ。

肩書きや所属を示す銘だと考えられる。

つまり、この像は誰かを顕彰するために作られている。

銘文が、目的を語る

台座の文字にも注目したい。人名の下に、細かい文字が続く。

所属や功績を記した銘だと考えられる。

つまり、この像は誰かを称えるために作られている。像そのものより、
銘文が目的を示している。

文字が絵の意味を確定させる例は、
別のコラムでも扱った。

誰が、像を注文したのか

注文の事情も考えたい。肖像彫刻は、依頼がなければ作られない。

依頼主は、遺族、勤め先、団体、自治体などである。

つまり像の存在は、その人物が公に記念された証拠でもある。

一方、記念されなかった人々の像は作られない。

何が残るかは、誰が費用を出したかで決まる。

見立て——彫刻の年代は、二重である

ここまでを整理したい。彫刻の制作年には、原型の年と鋳造の年がある。

公開分では、その差が二十年、三十年に及ぶ例がある。

つまり、作者の生前に鋳られた像と、没後に鋳られた像が混在する。

作者が最後まで関わったかどうかは、鋳造年によって変わる。

記録の二つの年を読み分けることが、彫刻を見る出発点になる。

鋳造は、誰の仕事か

工程についても書いておきたい。鋳造は、専門の鋳造所が行う。

原型を作る彫刻家と、金属に鋳る職人は別である。

つまり彫刻もまた、分業で作られている。

版画で絵師と彫師が分かれる仕組みは、
別のコラムで扱った。

複製を前提とする分野では、分業が標準になる。

三十四点の内訳

公開分の構成も確かめておきたい。34点のうち、彫刻は8点である。

残りは画帖の頁で、鉛筆の素描である。

つまり数のうえでは、準備の紙が大半を占める。

素描には、記念碑、古代彫刻の写し、人体の習作が含まれる。

彫刻家が何を見て学んだかが、そこから読める。

暮らしへ——同じ形を、色違いで見る

家でできることを書いておきたい。同じ形の器や道具を、色違いで並べてみる。

形が同じでも、色が違えば印象は大きく変わる。

金属なら、磨いた面と曇った面でも違う。

二つの《解放された人》が違って見える理由が、体で分かる。

群として見ると、二つの年が見える

最後に、見方をまとめておきたい。34点を制作年で並べ替えるとき、
彫刻には二つの年があることに注意したい。

原型の年で並べれば、構想の順序が見える。鋳造の年で並べれば、流通の順序が見える。

公開画像は、そのための道具である。記録の年を読み分ける作業は、画面の上でできる。

そして、読み分けた結果は書き留めておきたい。二つの年は、混同しやすい。

一行の記録が、次に見るときの足場になる。

公共彫刻という仕事

注文の性格をもう一度確かめたい。公共の記念像は、委員会が発注する。

主題、寸法、設置場所、費用。いずれも合議で決まる。

つまり、彫刻家の判断だけでは進まない。

その過程で、素描や小さな模型が提出される。

公開分の素描には、その段階の記録が含まれている。

縮小版の市場

もう一点、補いたい。公共の像が評判になると、縮小版が作られる。

家庭に置ける大きさで、価格も抑えられる。

つまり、一つの原型が二つの市場を持つ。

同じ構造は、別のコラムでも扱った。

台座の銘を、読む

最後に、読み方をまとめておきたい。彫刻を見るときは、台座を確かめたい。

署名、鋳造所の名、年、そして人物の銘文。

いずれも小さく刻まれ、見落としやすい。

しかし、そこにこそ制作と流通の情報が集まっている。

二つの年を、書き分ける

最後に、記録の読み方をまとめておきたい。彫刻の年代は、原型と鋳造で分かれる。

記事や記録で年を引用するときは、どちらの年かを明示したい。

一つの数字だけを書けば、誤解を招く。

年代の書き方は、正確さの基本である。

そして、二つの年は並べて書き留めておきたい。原型と鋳造の差は、混同しやすい。

一行の記録が、次に見るときの足場になる。

記録は、あとから読む自分のために残すものである。

細かく書く必要はない。日付と、気づいた一点だけでよい。

そして次に見るときは、その一行から始めればよい。

そして、次に見るときは前の記録を先に読む。彫刻は角度で見え方が変わる。

街の中の像も、同じ手順で見られる。台座の文字を読むところから始めたい。

原型の年と、鋳造の年。二つの数字を区別して読む習慣を持ちたい。

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