美術史・技法

色は、いつ版に移ったか——鳥居派の初期役者絵

初期の役者絵では、色は紙の上に筆で置かれていた。それが漆の黒を経て、版で摺られるようになる。鳥居派の版画九点を年代順に並べ、色が工程の内側へ移る五十年をたどる。帰属の揺れにも触れておきたい。摺りの状態が色の見え方を変える点も見ておく。

人形遣いに扮する八代目市村竹之丞と遊女
初代鳥居清倍《人形遣いに扮する八代目市村竹之丞と遊女》メトロポリタン美術館蔵

色が、紙の上に置かれている

一枚の版画から始めたい。

人形遣いに扮する八代目市村竹之丞と遊女
鳥居清倍《人形遣いに扮する八代目市村竹之丞と遊女》1715年ごろ。木版摺(墨摺絵)、紙に墨。縦27.9センチ、横40.6センチ。メトロポリタン美術館蔵。初代鳥居清倍《人形遣いに扮する八代目市村竹之丞と遊女》メトロポリタン美術館蔵

横長の紙である。縦27.9センチ、横40.6センチ。

左に格子の建物がある。太い縦の線が等間隔に並ぶ。

その手前に三人。左端の男が小さな人形を両手で捧げている。

中央の人物は裾の長い着物で、大きく身をひねっている。

右の女性は袖を垂らし、こちらを見ている。

着物の柄は、丸紋と縞と草花で描き分けられている。

そして、色がない。

黒い線と、髪や帯の黒い面だけである。

紙は経年で薄い褐色になっているが、これは色ではない。

右下に署名と印がある。左下にも枠付きの印がある。

版元の印だと考えられるが、記録に読みは書かれていない。

鳥居派という一族

描いたのは鳥居清倍である。

鳥居派は、江戸の芝居小屋の看板を描いた一族である。

初代の清信が大坂から江戸へ移り、芝居の絵を引き受けた。

清倍はその次の世代にあたる。

看板の絵と、売り物の版画は、同じ手で描かれていた。

だから鳥居派の絵は、離れて見えることを前提にしている。

線が太く、輪郭が強い。

顔の描き分けよりも、姿勢と衣装で人を示す。

この描き方は、のちの役者絵にも受け継がれていく。

看板と版画は、同じ絵だった

もう少し、鳥居派の仕事を見ておきたい。

芝居小屋の前には、大きな看板が掛かっていた。

演目と役者を、通りから見える大きさで示すためである。

その看板を請け負ったのが鳥居派だった。

看板は使い終われば塗り替えられ、残らない。

だから当時の看板そのものを、いま見ることはできない。

残っているのは、同じ工房が同じ手つきで作った版画である。

つまり私たちが見ている役者絵は、看板の描き方の写しでもある。

太い輪郭、単純な色の面、大きく開いた姿勢。

いずれも遠くから見て分かるための工夫である。

手元で見る紙に、遠くで見るための描き方が残っている。

この矛盾が、初期の役者絵の面白さである。

舟の絵も、墨だけである

同じ時期の、もう一枚を見たい。

隅田川の舟遊び
鳥居清倍《隅田川の舟遊び》1705年ごろ。木版摺、紙に墨と色。縦30.5センチ、横51.8センチ。メトロポリタン美術館蔵。初代鳥居清倍《隅田川の舟遊び》メトロポリタン美術館蔵

さらに横長である。縦30.5センチ、横51.8センチ。

画面の右に、屋根のある舟が浮かんでいる。

舳先が左を向き、船首に幟が立つ。

舟の中と岸に、あわせて十人以上いる。

左には座敷があり、格子の欄干が横に伸びる。

水面は数本の波線だけで示され、菖蒲が手前に生える。

所蔵館の記録は技法を「紙に墨と色」と書いている。

しかし画面を見るかぎり、目立つ色は見えない。

摺られた当初にあった色が褪せた可能性もあるが、断定はできない。

紋が、人を示している

役者絵には、必ず紋が描かれている。

着物の袖や胸に、丸や四角の印がある。

役者ごとに決まった紋で、家の印にあたる。

顔が似ていなくても、紋があれば誰か分かる。

初期の役者絵が顔を描き分けないのは、この仕組みがあるからである。

紋と姿勢と衣装で人を示し、顔は型で描く。

顔だけを大きく描く大首絵が現れるのは、ずっとあとである。

その経緯は別のコラムで扱った。

問い——色は、いつ版に移ったのか

ここで問いを立てたい。

初期の浮世絵に色がないことは、別のコラムで扱った。

多色摺の錦絵が始まるのは1760年代である。

その事情はこちらのコラムにまとめた。

では、そのあいだの五十年はどうだったのか。

墨だけの絵から、色版を重ねる絵まで、途中に何があったのか。

鳥居派の役者絵は、その途中を並べて見せてくれる。

当サイトには清倍の作品が17点、清満の作品が8点公開されている。

制作年は1705年から1765年ごろまで広がる。

この幅を、色の入り方で並べ直してみたい。

筆で塗られた赤

まず、色が筆で置かれた例を見たい。

侍に扮する芳沢あやめ
鳥居清倍《侍に扮する芳沢あやめ》1713年ごろ。木版摺、紙に墨と色。縦53.3センチ、横32.1センチ。メトロポリタン美術館蔵。初代鳥居清倍《侍に扮する芳沢あやめ》メトロポリタン美術館蔵

大きな紙である。縦53.3センチ、横32.1センチ。

先の二点より、面積で二倍以上ある。

女方の役者が一人、画面いっぱいに立つ。

上体を右へひねり、左手を高く上げている。

腰に刀を差し、袖が大きく波打つ。

着物には団扇のような丸い形と、渦のような柄が並ぶ。

そして、色がある。

袖と裾に赤みの強い橙が塗られ、内側に黄が見える。

その赤は、輪郭線の内側にきっちり収まっていない。

線からはみ出た部分と、届いていない部分がある。

版で摺った色なら、ここまで不揃いにはなりにくい。

筆で塗られたと考えるのが自然である。

ただし所蔵館の記録は「紙に墨と色」としか書いていない。

手彩色か版かの区別までは、記録に書かれていない。

大きな紙は、何のためか

寸法にも注目したい。

縦53センチは、この時期としては大きい。

壁に貼るか、衝立に仕立てるか、いずれにせよ離れて見る使い方になる。

芝居小屋の看板を描いていた一族の絵である。

大きく描いて遠くから見せる技術が、そのまま紙に移っている。

線の太さも、その用途に合っている。