扇が、画帖の一葉になる——馬遠、夏珪、文徴明ほか九点、メトロポリタン美術館
部門の名が長い。画帖の一葉として仕立てられた扇。もとは手に持つ道具で、いまは冊子に貼られている。縦横の比が一に近ければ団扇、三に近ければ折扇。寸法の数字だけで形が分かる。七百年続いた仕立てを読みたい。

部門の名が、そのまま形を語る
メトロポリタン美術館の記録には、部門と種別の欄がある。
中国絵画の一群を見ていると、そこにこういう語が並ぶ。
「画帖の一葉として仕立てられた扇」。
「画帖の一葉として仕立てられた折扇」。
部門は東洋美術、分類は絵画。
そのあいだに、この長い語が入っている。
つまり館は、この形そのものを一つの種別として扱っている。
扇であり、かつ画帖の一葉である。
もとは扇だった。
いまは画帖に貼られている。
その来歴が、種別の名になっている。

まず、この一点である。
画面はほぼ正方形に近い。
縦二五・一センチ、横二六・七センチ。
四隅が丸く落ちている。
上下の縁がわずかに膨らみ、左右がやや張っている。
団扇の形である。
竹の骨に絹を張り、柄を付けた扇。
その絹だけを外し、平らにして貼っている。
描かれているのは、岩と、老いた梅の木である。
左に切り立った崖、その手前に人物が小さく座っている。
右へ向かって、梅の枝が大きく曲がりながら伸びる。
枝の先に、点のような花が散る。
右上の余白に、小さな丸い形がある。
月である。
縦と横の数字で、形が分かる
九点の寸法を並べると、二つの群れに分かれる。
前の四点は、縦と横がほぼ等しい。
二五・一と二六・七。二六と二七。二六・七と三三・七。二五・九と二七・五。
後の五点は、横が縦の三倍近い。
二四・八と五二・七。一七・三と四九・八。一六・五と五〇・二。一九・一と五三・八。一六・八と五〇・二。
この差が、そのまま形の差である。
正方形に近いものは、団扇である。
横に長いものは、折りたたむ扇である。
折扇の紙は、開くと扇形になる。
上の弧が長く、下の弧が短い。
畳めば細くなり、開けば広がる。
その紙を平らに貼ると、横長の帯になる。
だから寸法の欄で、横が縦の三倍になる。

この一点には、はっきりした手がかりがある。
下の縁の中央に、小さな切り込みがある。
半円状に、絹が欠けている。
柄が差し込まれていた場所である。
団扇は、柄を絹の中央まで通して作る。
絹を外すとき、その部分だけが残らない。
館の記録は、この欠けについて何も書いていない。
しかし、画像を見れば分かる。
形の記憶が、輪郭の欠けとして残っている。
画面には、湖と、風にあおられた木がある。
墨だけで描かれ、色はない。
左に岩と松、右へ水面が開く。
遠くに山が薄く見える。
折りたたんだ跡が、線として残る

こちらは折扇である。
上が広く、下がすぼまった帯の形をしている。
そして、縦の細い線が何本も走っている。
紙を折った跡である。
折扇は、紙を蛇腹に折り、骨を通して作る。
使うたびに開閉するので、折り目は消えない。
貼って平らにしても、線は残る。
その線が、絵の上を等間隔に横切っている。
画家は、この線があることを知って描いている。
線に沿って木を配し、線をまたいで水面を広げる。
右端に、細かい文字が縦に並んでいる。
賛と署名である。
技法の欄には「金箔を散らした紙」とある。
金の粒が散った紙に、墨と彩色で描いている。

この一点には、記録どうしの食い違いがある。
作者の欄には、一四七〇年から一五二四年とある。
ところが、年の欄は十七世紀である。
作者が死んでから百年以上あとの年が入っている。
つまり館は、作者の名を伝承として書きつつ、制作年は別に推定している。
文化の欄も「明、あるいは清」と幅を持たせている。
断定していない。
こういう書き方は、伝称の作品によく見られる。
名は残っているが、制作は後の時代だろう、という判断である。
画面には、左から右へ、竹の葉が斜めに流れている。
風に打たれている形である。
墨だけで、色はない。
金の粒が、墨のあいだから覗いている。
七百年にわたる、同じ仕立て
九点の年を並べてみる。
十三世紀はじめ。十三世紀。一三四九年。一三七〇年ごろ。
一五四三年。十七世紀。一六七〇年。一八八〇年ごろ。一八九四年。
いちばん古いものといちばん新しいもので、七百年近い開きがある。
そして九点とも、同じ仕立てになっている。
扇を外し、平らにし、画帖の一葉として貼る。
この仕立ては、それだけ長く続いてきた。

元時代の団扇である。
九点の団扇のなかで、これだけ横に広い。
縦二六・七センチに対し、横三三・七センチ。
やや扁平な形の扇だったのだろう。
左に大きな柳と松が立ち、その根方に小舟がある。
舟の上に、小さな人影。
右へ、水面と岸が広がり、遠山が霞む。
右上に、細い字で書き込みがある。

こちらの右の縁には、細長い紙が付いている。
そこに文字が縦書きされ、下に赤い印が押されている。
扇の絹とは別の紙である。
画帖に貼るときに、題と作者を書いて添えたものだろう。
貼る人が、名を書き入れている。
団扇の面そのものには、署名がないことが多い。
だから、あとから誰かが書く。
その書き付けが、いまは作品の一部として一緒に写されている。
画面には、竹と柳の茂みがあり、その下に舟がある。
前の一点と、主題がよく似ている。
作者の欄も、盛懋と盛著で姓が同じである。
館の記録は、二人の関係を書いていない。
金の紙、明礬の紙
折扇の技法の欄には、紙の種類がいくつも出てくる。
金箔を散らした紙。金の紙。明礬を引いた紙。

金の紙に、梅の枝が描かれている。
左下から右上へ、幹が斜めに伸びる。
その先に、白と淡紅の花が点々と付く。
右端に、四行の文字と印がある。
金の地に白い花を置くと、花が浮き上がる。
紙の色が、そのまま背景の明るさになる。
作者の欄には、音写された名だけがある。
十七世紀の半ばに活動した人、とだけ書かれている。
漢字での表記は、当サイトでも確認できていない。
したがって、ここでは音写のままにしておく。

九点でいちばん新しい一点である。
一八九四年。
葡萄の蔓が上から垂れ、実が房になっている。
その下の枝に、栗鼠が一匹しがみついている。
尾が大きく、背が丸い。
左端に、細かい文字が並ぶ。
技法の欄の「明礬を引いた紙」は、にじみを止めるための下処理である。
明礬を溶いた水を刷くと、墨が広がりにくくなる。
細かい描写に向く。
栗鼠の毛や葡萄の粒を描くには、この処理が要る。
紙の選び方が、描くものと結びついている。

この一点では、折り目がとくにはっきり見える。
紙の縦線が、上から下まで通っている。
左に、大きく穴の開いた奇石が置かれている。
その右に、白い衣の人物が腰かけている。
顔は横を向き、手を膝の上に置いている。
左端と右端に、それぞれ文字と赤い印がある。
小さい画面に、遠景を入れる
団扇の面は、二十六センチ角ほどである。
その中に、湖と山と木と人を入れる。
窮屈になりそうなものだが、そうはならない。
四点とも、片側に近景を寄せ、反対側を大きく空けている。
馬遠は左に崖を置き、右へ枝を伸ばした。
夏珪は左に岩と松を置き、右へ水面を開いた。
盛懋は左に柳と松を置き、右へ岸を伸ばした。
盛著も、左手前に茂みを置いている。
四点とも、同じ組み立てである。
重いものを片側に寄せ、残りを霞ませる。
こうすると、小さな画面でも奥行きが出る。
余白は、何も描かないことではない。
遠さを担う場所である。
折扇では、この組み立てが横に引き伸ばされる。
五十センチの横幅を、どう使うか。
文徴明は、水面を横に走らせた。
唐寅は、竹の葉を斜めに流した。
沙馥は、蔓を上から垂らして縦の動きを作った。
横長の画面では、横に流すか、縦で切るかの選択になる。
形が変われば、構図の課題も変わる。
団扇と折扇を並べて見ると、その違いがよく分かる。
集めた人の名が、出所の行に並ぶ
この九点の出所の行は、どれも長い。
「王家旧蔵、購入、セオドア・エム・デイヴィス氏の遺贈による交換、一九七三年」。
「エドワード・エリオット家蔵品、ダグラス・ディロン氏の寄付、一九八八年」。
「エルスワース氏の寄贈、一九八六年」。
この行には、さらに故人を記念するという一句が続く。
「ジョン・エム・クロフォード二世氏の寄贈、アルフレーダ・マーク氏に敬意を表して、一九八六年」。
購入と寄贈が入り混じり、交換という語も出てくる。
交換とは、館が持っていた別の作品を手放して得た、という意味である。
そして、いくつかの行には「旧蔵」という語がある。
館に入る前に持っていた人の名である。
中国絵画の場合、この欄は長くなりやすい。
代々の収集家の手を経ているからである。
扇が画帖に仕立て直されたのも、そうした収集の過程で起きたことだろう。
いつ、誰が仕立てたかは、記録に書かれていない。
画面と、表装を分けて書く
寸法の欄にも、細かい区別がある。
九点のうち四点は、数字の前に「画面」という語が付いている。
残りの五点には、それがない。
「画面」と書かれているのは、絵のある部分だけの寸法である。
貼られた台紙や、まわりの縁は含まない。
語が付いていないものは、どこまでを測ったのかが明示されていない。
同じ館の同じ部門でも、記入の仕方がそろっていない。
これは、記録が長い年月にわたって作られてきたからである。
いちばん古い受入は一九一三年、いちばん新しいのは一九八八年である。
七十五年の幅がある。
そのあいだに、記入の方針は何度か変わっただろう。
読む側は、この揺れを知っておくとよい。
数字を比べるとき、測った範囲が同じとは限らない。
とくに東洋の絵画では、表装を含めるかどうかで数字が大きく変わる。
掛軸なら、表装を含めた寸法は画面の二倍を超えることもある。
画帖の一葉では、その差は小さい。
それでも、書き方の違いは残っている。
団扇と折扇の、時代の分かれ目
九点を、形と年で並べ直してみる。
団扇の四点は、十三世紀から十四世紀である。
折扇の五点は、十六世紀から十九世紀である。
きれいに分かれている。
これは偶然ではないだろう。
中国では、折りたたむ扇が広まった時期がある。
それより前は、丸い団扇が主だった。
したがって、扇に描かれた絵の形も、時代によって変わる。
古い絵は正方形に近く、新しい絵は横長になる。
もっとも、九点だけでこの流れを断定はできない。
館の記録も、形と時代の関係を書いてはいない。
ここで言えるのは、当サイトが公開している九点では、そういう分かれ方をしているということである。
そして、その分かれ方は寸法の欄を見るだけで分かる。
縦と横の比が一に近ければ古く、三に近ければ新しい。
数字だけで、おおよその時代が推せる。
記録の欄は、ときにこういう働きをする。
扇であることを、なぜ書き残すのか
ここで、はじめの問いに戻りたい。
館は、なぜ「画帖の一葉として仕立てられた扇」と書くのか。
「画帖の一葉」とだけ書けば済むはずである。
理由は、形が意味を持つからである。
団扇の四隅が落ちているのは、扇だったからである。
折扇に縦線が走っているのは、扇だったからである。
画家は、その形を前提に構図を作っている。
馬遠は、丸みのある画面の右上に月を置いた。
任頤は、折り目の縦線に沿って人物を配した。
形を知らなければ、構図の理由が分からない。
だから、種別の欄に形を書く。
一点という単位は、ここでは扇の面である。
もとは骨があり、柄があり、手に持って使う道具だった。
道具としての部分は失われ、絵の面だけが残った。
残った面に番号が付き、画帖の一葉になった。
画帖という、まとめ直しの器
扇の面を貼る先は、画帖である。
画帖は、厚い台紙を折り重ねて作る。
そこに絵を一葉ずつ貼り、順に見ていけるようにする。
十点、二十点をまとめて一冊にすることもある。
つまり画帖は、ばらばらのものをまとめる器である。
ここまでの回で見てきた帖とは、向きが逆である。
写生帖は、はじめから一冊だったものが頁に分けられた。
貼り込み帖は、ばらばらのものが集められて一冊になった。
扇を貼った画帖は、後者である。
しかも、集められるものが扇という別の道具である。
道具が絵になり、絵が集められて冊子になる。
二段の変化がある。
そして館は、その冊子をふたたび一葉ずつに分けて番号を付けた。
三段目の変化である。
扇、画帖、一件の記録。
同じ絹や紙が、三通りの単位を通ってきている。
いま当サイトで見えているのは、三番目の単位である。
一番目と二番目は、種別の欄の語のなかにだけ残っている。
印は、絵に対する加筆ではない。
しかし、画面の上に確実に増えていく。
作者が意図しなかった要素が、時間とともに載る。
扇という形式は、それを許してきた。
赤い印が、面の上に増えていく
九点の画面には、赤い印がいくつも見える。
作者が押したものもあれば、持ち主が押したものもある。
盛著の一点では、添えられた紙の下に印がある。
任頤の一点では、両端に文字と印が並ぶ。
沙馥の一点にも、署名のそばに印がある。
印は、押した時点の記録である。
作者の印は制作のとき、収蔵印は所有のときに押される。
だから、印が多いほど、経てきた手が多い。
扇は、もともと人から人へ渡る品である。
贈られ、使われ、しまわれ、また誰かの手に渡る。
その過程で印が増える。
そして最後に、画帖に貼られる。
貼られた面には、もう新しい印は増えない。
館に入れば、なおさら増えない。
赤い印の数は、画帖に入るまでの時間の目安になる。
もっとも、押された順序までは、こちらからは読めない。
館の記録も、印文を翻刻していない。
見えるのは、いくつかの赤い形だけである。
誰が、いつ仕立てたのか
九点のどれについても、いつ画帖に仕立てられたかは書かれていない。
これは、記録の欠落ではない。
分からないことが多いからである。
仕立て直しは、収集家の家や、装潢を業とする職人の手で行われる。
その記録は、ふつう残らない。
手がかりになるのは、添えられた紙や、押された印である。
盛著の一点には、題を書いた細い紙が付いていた。
その紙の字と印を調べれば、誰が仕立てたか分かることがある。
館の記録は、そこまで踏み込んでいない。
だから、こちらも推測にとどめる。
分かるのは、九点とも、いまは画帖の一葉の形で保管されているということだけである。
そして、その形が種別の欄に書かれている。
書いてあることと、書いていないこと。
その線引きを読むのも、記録を読むということである。
使うための絵が、見るための絵になる
扇は、暑いときに風を送る道具である。
同時に、贈り物でもあった。
親しい人に、絵と詩を書いた扇を渡す。
だから折扇の右端や左端には、宛名や年月が書かれることが多い。
九点のうち五点に、文字と印がある。
使うための道具に、私的な言葉が載っている。
その扇を、あとの人が画帖に仕立てる。
骨を抜き、面を平らにし、台紙に貼る。
こうすると、風は送れなくなる。
代わりに、傷まなくなる。
そして、頁をめくって見る品になる。
用途が変われば、形も変わる。
形が変われば、数え方も変わる。
一本の扇が、一葉の絵になる。
館の種別の欄は、その変化を一語で記録している。
扇の面は、こうして何重にも読める。
絵として、道具として、そして記録として。


