額の横が、二メートル八十三センチある——サーノ・ディ・ピエトロほかプレデッラの板
板は五十センチもないのに、額はその五倍以上ある。一つの額に五点が入っているからである。祭壇画の下の帯に並んでいた小さな板が、いま一枚ずつ番号を持っている。分類の欄に残る、もとの位置を読みたい。額を五点で共有するという書き方も、記録に残っている。

額の寸法が、二メートル八十三センチある
ナショナル・ギャラリー、ワシントンの記録に、こういう寸法がある。
描かれた面は、縦四二・一センチ、横四六・六センチ。
板全体は、縦四三センチ、横四八・七センチ。
そして額を含めると、縦五九・六九センチ、横二八三・二一センチ。
横が、二メートル八十三センチ。
板は五十センチもないのに、額は二メートル八十センチある。
理由は、寸法の欄に書いてある。
「額を含む、他の四点と共に」。
一つの額に、五点の絵が入っている。
その五点のうちの一点が、この一件である。

岩の裂け目のような場所である。
中央に、白い衣の人物が立っている。
旗のようなものを持ち、右手を差し出している。
その足元に、木の扉が倒れている。
扉の下から、赤い脚のようなものが覗いている。
まわりに、大勢の人物が集まっている。
裸の人、髭の老人、黒い顔の人物。
上のほうに、青い空がわずかに見える。

こちらは、墓の場面である。
中央に、白い布をまとった人物が立っている。
赤と白の旗を持ち、右手を上げている。
足元に、白い石の蓋が倒れている。
そのまわりに、鎧をつけた人物が数人、倒れている。
背後に、緑の丘と、遠い町。
そして空は青い。
前の一点と、寸法がほぼ同じである。
縦四二・一センチ、横四六・六センチと四七・四センチ。
つまり、二点は同じ横並びの一部だった。
プレデッラという場所
これらは、プレデッラと呼ばれる部分の板である。
祭壇画の下部に、横長の帯がある。
そこに、小さな場面をいくつも並べる。
上の大きな絵が主題を示し、下の帯が物語を語る。
だから、プレデッラの板は横長で、小さい。
九点の寸法を見ると、その性格が分かる。
縦は十四センチから四十六センチ。
横は二十九センチから四十九センチ。
いずれも、五十センチに満たない。

分類の欄が「絵画、プレデッラの板」となっている。
種別の名に、もとの位置が入っている。
画面は、宮殿の前の場面である。
左に、玉座に座る人物。
赤い衣を着て、右手を上げている。
その前に、兵士たちがいる。
刀を振り上げ、子どもを抱えている。
右に、嘆く女性たちが群れている。
床は青と桃色の市松模様。
背景は、青い壁と、金の縁取り。
主題は重い。
古い物語のなかで、王が子どもたちを殺させた場面である。
祭壇画の下の帯に、こうした場面が並ぶ。

同じ画家の、別のプレデッラの板である。
寸法が、ずいぶん小さい。
縦一四センチ、横二九・二センチ。
前の一点の半分もない。
つまり、もとの祭壇画の大きさが違う。
プレデッラの板の大きさは、上の絵の大きさに従う。
大きな祭壇画には、大きなプレデッラが付く。
画面には、埋葬の場面がある。
中央に、赤い布に覆われた石棺。
その上に、横たわる人物。
まわりに、僧衣の人々が立っている。
左に、金色の光輪を持つ人物。
背景は、金である。
上に、糸杉らしい木が二本。
描かれた面と、板と、額
ナショナル・ギャラリーの寸法の欄は、三段になっている。
描かれた面。板全体。額を含めた寸法。
この三つを分けて書く。
なぜ分けるのか。
描かれた面と板全体は、必ずしも一致しないからである。
板の縁には、絵の具の乗っていない部分がある。
もとは枠に隠れていた部分である。

この一件の寸法の欄には、四段の数字がある。
描かれた面。もとの板。継ぎ足した板を含めた寸法。そして額。
「継ぎ足した板」という語がある。
つまり、この板は後から縁を足されている。
縁が傷んだのか、額に合わせたのか。
館の記録は、理由を書いていない。
さらに、数字が食い違っている。
描かれた面の横が四九センチ。
もとの板の横が四一・二センチ。
描かれた面のほうが、板より広い。
これは、記入の誤りだろう。
大きな目録には、こういう食い違いが残ることがある。
画面には、川のなかに立つ裸の人物がいる。
その頭の上に、手を伸ばす人物。
右に、翼のある人物が三人並んでいる。
背景は金である。

同じ画家の、別の一点である。
こちらは、一つの画面に三つの場面が入っている。
左上に、寝台に横たわる女性と、そのまわりの人々。
その手前に、赤い衣の人物と、抱かれた子ども。
右に、建物の柱と、人物の群れ。
一枚の板に、時間の違う出来事を並べている。
物語を語る帯の板らしい作りである。
そして、前の一点と寸法が近い。
縦四六・三センチと四六・四センチ。
同じ祭壇画から来た可能性がある。
館の記録は、そうは書いていない。
番号も違う。
一九三九年の受入と、一九五二年の受入である。
十三年離れて、別々に入っている。
二点で、一つの額

作者の欄に、疑問符が付いている。
「オッセルヴァンツァの画家、サーノ・ディ・ピエトロか」。
前の回に見た「散逸した写本の画家」と同じで、代表作から作られた呼び名である。
そして、その正体が別の画家かもしれない、と添えてある。
断定しない書き方である。
画面には、桃色の壁の建物がある。
その前に、赤い帽子の人物と、跪く人々。
左に、白い犬。
右に、青い衣の人物。
床は、緑と赤の格子。
寸法の欄を見ると、額が縦六一・六センチ、横一二五・四センチ。
描かれた面は横三三・六センチしかない。
つまり、この額には複数の板が入っている。

同じ額に入っている、もう一点である。
額の寸法が、前の一点とまったく同じである。
つまり、二点は同じ額のなかにある。
画面には、緑の丘と道がある。
左に、建物の門。
そこから、青い衣の人物が出てくる。
右に、木立と岩。
前の一点と続きの場面である。
聖人の生涯を、順に並べたものだろう。
三つに分かれた翼

こちらは、プレデッラではない。
三翼祭壇画の、両側の翼である。
画像には、縦長の板が写っている。
上下三段に分かれ、それぞれに場面がある。
上に、天使と、跪く女性。
中に、寝台の女性と、赤ん坊。
下に、人物の群れ。
金の地に、細い枠が段を区切っている。
そして番号は、四一・一九〇の三一のbとc。
二つの翼が、一つの番号のなかにある。
寸法の欄も、左の翼と右の翼を書き分けている。
左翼は、枠を含めて縦六四・一センチ、横二三・五センチ。
描かれた面は、縦五九・四センチ、横一九・一センチ。
右翼は、枠を含めて縦六三・八センチ、横二三・八センチ。
わずかに違う。
「枠を含めて」という語が入っているのが重要である。
この枠は、後から付けた額ではない。
板と一体になった、もとの枠である。
祭壇画の枠は、板と一緒に作られる。
だから、外せない。
出所の行に、同じ蒐集の名が六度出る
ナショナル・ギャラリーの六点は、出所の行がすべて同じである。
「サミュエル・エイチ・クレス蒐集品」。
一人の収集家がまとめた品が、館の基礎になっている。
イタリアの古い板絵を、大量に集めた蒐集である。
祭壇画の断片は、その中心にあった。
なぜ断片が多いのか。
大きな祭壇画は、教会から動かない。
動くのは、外された部分である。
プレデッラの板、翼の板、上の小さな板。
これらが市場に出る。
集める側から見れば、手に入るのは断片である。
そして、断片を集めれば、一つの祭壇画の姿がおぼろげに戻る。
館に入ったあと、研究者が板どうしを照合する。
同じ画家、同じ寸法、同じ木目、同じ金の地。
いくつもの条件を突き合わせて、もとの並びを推定する。
その成果が、額を五点で共有するという形になっている。
出所の行は短い一句だが、その背後には長い作業がある。
板の厚さも、記録される
額の寸法には、三つ目の数字がある。
四・六センチ。五・一センチ。七・六センチ。五・四センチ。
厚さである。
古い祭壇画の板は、厚い。
割れないように、太い板を使う。
そして、裏に補強の桟を渡すこともある。
九点の厚さの数字は、額を含めたものである。
板そのものの厚さは、書かれていない。
それでも、額まで含めて七・六センチというのは相当な厚みである。
前の回に見た日本の屏風や掛軸には、厚さの欄がなかった。
紙や絹は薄く、厚さを測る意味が薄いからだろう。
板絵では、厚さが保存の条件になる。
反り、割れ、虫食い。
いずれも厚みと関係する。
だから、記録に残る。
素材が変われば、記録される欄も変わる。
金の地という共通点
九点のうち、金が使われているものが多い。
技法の欄に「金」と書かれているのが二点。
「金地」と書かれているのが一点。
そして、画像を見れば、他にも金の背景がある。
サーノ・ディ・ピエトロの《聖マルタの埋葬》は、全面が金である。
バロンツィオの《キリストの洗礼》も、背景が金である。
金の地は、十四世紀から十五世紀のイタリアの祭壇画に共通する。
薄く伸ばした金箔を、板に貼る。
その上に、絵具で形を描く。
金は光を返すので、暗い教会のなかでも絵が見える。
前の回に見た日本の金地の屏風と、目的が近い。
暗い室内で見えるようにする。
素材も方法も違うが、解決しようとしている問題は同じである。
そして、金の地には奥行きがない。
だから、そこに描かれた場面は平らに並ぶ。
十五世紀の後半になると、金の地は減っていく。
ベンヴェヌート・ディ・ジョヴァンニの二点では、背景に空と丘がある。
同じプレデッラの板でも、時代によって背景が変わる。
もとの位置を、分類に書く
九点の分類の欄を見てみたい。
メトロポリタン美術館の三点には、こう書かれている。
「絵画、プレデッラの板」が二点。
「絵画、三翼祭壇画の翼」が一点。
いずれも、もとの位置が種別の名になっている。
ナショナル・ギャラリーの六点には、そういう欄がない。
分類はすべて「絵画」である。
かわりに、寸法の欄が語っている。
額を他の四点と共有していること。
同じ額に二点入っていること。
板に縁を継ぎ足していること。
書き方は違うが、示している事実は同じである。
これらの板は、単独の絵ではない。
大きな構造の一部だった。
一枚ずつに、番号を付ける
九点は、すべて別々の一件である。
同じ額に入っている二点も、二件である。
同じ祭壇画から来た可能性のある二点も、二件である。
理由は、板が別々だからである。
これまで何度も出てきた原則が、ここでも働いている。
物として分かれていれば、件も分かれる。
そして、まとまりは寸法の欄と分類の欄が示す。
「他の四点と共に」という一句。
「プレデッラの板」という種別。
これらが、失われた全体を指している。
二メートル八十三センチの意味
はじめの数字に戻りたい。
額の横が、二メートル八十三センチ。
五点の板が、横に並んでいる。
一点あたり、四十七センチほど。
五点で二メートル三十五センチ。
残りが枠と、板のあいだの仕切りである。
これは、もとのプレデッラの幅に近いだろう。
つまり、この額は復元である。
ばらけていた板を集め、もとの並びに近い形で額に収めた。
いつ、誰がそうしたかは、記録に書かれていない。
館に入る前かもしれないし、入ったあとかもしれない。
分かるのは、いま五点が一つの額に入っているということだけである。
そして、五点は五件のままである。
物として一つの額に収まっても、番号は五つある。
数え方は、額では変わらない。
記録の欄は、その揺れをそのまま残している。
疑問符の付いた作者名
九点のうち二点の作者の欄には、疑問符が入っている。
「オッセルヴァンツァの画家、サーノ・ディ・ピエトロか」。
呼び名のあとに、実在の画家の名を疑問形で添えている。
これは、二つの説を並べた書き方である。
一つは、独立した画家がいたという説。
もう一つは、その画家が実はサーノ・ディ・ピエトロだという説。
館は、どちらとも決めていない。
そして興味深いのは、その名前が九点のなかに二度出てくることである。
一つは呼び名の括弧のなか。
もう一つは、二点の板の作者として、疑問符なしで書かれている。
つまり同じ目録のなかで、同じ画家が二通りに現れる。
確定している場合と、疑われている場合。
作者の欄を並べて読むと、その差が見える。
前の回にも、伝称と推定の書き分けを見た。
中国絵画では、名は伝承として書き、年は推定として書いていた。
こちらでは、名そのものに疑問符が付いている。
分野が変われば、揺れの表し方も変わる。
上の絵は、どこにあるのか
プレデッラは、祭壇画の下の帯である。
つまり、上に大きな絵があったはずである。
九点のいずれについても、その上の絵は記録に出てこない。
どこにあるのか、失われたのか。
書かれていない。
前の回に見た三枚続の一枚と、状況は似ている。
隣にあったものが、いまここにない。
違うのは、こちらは上下の関係だということである。
横に並んでいたのではなく、下に付いていた。
だから、上の絵が見つかれば、この板の位置も決まる。
その照合は、少しずつ進められている。
館の記録が、板の寸法を細かく書いているのは、そのためでもある。
寸法が合わなければ、同じ祭壇画のものではない。
数字が、照合の鍵になる。
場面の数と、板の数と、祭壇画の全体。
三つの層のうち、いま見えているのは一つだけである。
一枚の板に、三つの時間が入る
バロンツィオの《洗礼者ヨハネの誕生と命名と割礼》について、もう少し書いておきたい。
題に、三つの出来事が並んでいる。
誕生。命名。割礼。
いずれも、同じ人物をめぐる別々の場面である。
そして、それが一枚の板に描かれている。
左に寝台の場面、手前に子どもを抱く場面、右に別の場面。
同じ人物が、一枚のなかに何度も現れる。
これは、当時の物語画によくある方法である。
場面を区切る枠を設けず、位置で時間を分ける。
見る人は、左から右へ、あるいは奥から手前へ、順にたどる。
前の回に見た三枚続では、三枚に分けて広い場面を作っていた。
こちらは、一枚のなかに複数の時間を入れている。
同じ「複数を一つに収める」でも、方向が違う。
そして、プレデッラの帯全体で見れば、板が横に並んでいる。
板ごとに、別の場面がある。
つまり、二重の構造になっている。
帯のなかに板が並び、板のなかに場面が並ぶ。
一枚だけを見ていると、後者しか見えない。
帯が、ばらばらになる
祭壇画は、ばらけやすい構造をしている。
大きな板が上に、小さな板が下に並ぶ。
下の板は、外しやすい。
そして、小さいので売りやすい。
だから、プレデッラの板は世界中に散らばっている。
九点も、その一部である。
もとの祭壇画は、教会の一つの壁を占めていた。
いまは、板が一枚ずつ、額に入って壁に掛かっている。
用途が変わり、単位が変わった。
物語を語る帯が、独立した小さな絵になった。
そして、その来歴を示すのは、分類の欄の短い一句である。
「プレデッラの板」。


