題に「〜に倣う」と書き込む——王原祁、藍瑛ほか九点
一つの題の中に、手本とした四人の名が並ぶこともある。西洋では作者の欄に入り、作品の値を下げる語である。こちらでは題に入り、むしろ教養の深さを示す。同じ言葉の向きが地域で正反対になることを読みたい。倣うという語の重さを読みたい。

題に、誰に倣ったかが書いてある
絵画を九点、記録の欄で並べてみる。
九点とも、題に同じ語が入っている。
〜に倣う、という語である。
そのあとに、倣った相手の名が続く。
一人の名のこともある。
四人の名が並ぶこともある。
古の名家、とまとめて書くこともある。
つまり、題そのものが由来を語っている。
題は、どこから来たのか
この題は、館が考えたものではない。
絵の余白に書かれた文から取られている。
前の回で、款記という部分を見た。
そこに、何に倣って描いたかが書かれる。
館は、その文言をそのまま題にする。
だから、題が長くなる。
四人の名が並べば、題も四人ぶんになる。
読みにくいが、正確である。
同じ語が、二つの意味を持つ
倣う、という語には幅がある。
そっくりに写すことも含む。
筆づかいだけを借りることも含む。
構図を借りて、別の景色を描くことも含む。
さらに、その人ならこう描くだろう、と想像することもある。
つまり、真似の度合いがさまざまである。
館の題は、その度合いまでは書かない。
書かれるのは、倣った相手の名だけだ。
度合いを知るには、絵と元の絵を並べるしかない。
そして、元の絵が残っているとは限らない。
西洋の記録と、比べてみる
西洋の絵にも、似た言い方がある。
〜に倣って、という語だ。
ただし、置かれる場所が違う。
作者の欄に入る。
つまり、本人が描いたのではない、という印である。
前の回で、その例を見た。
値は下がり、写しとして扱われる。
こちらでは、題に入る。
そして、値が下がるわけではない。
学ぶ道筋が、決まっていた
絵を学ぶ人は、まず手本を写した。
版本になった手本帳が、広く出回っていた。
そこには、木の描き方、岩の描き方が並ぶ。
誰それの筆づかい、と名が添えられる。
つまり、名と描き方が結びついて教えられた。
だから、後年その名を挙げれば通じる。
見る人も、どの筆づかいか分かる。
共通の語彙になっていた。
九点の題は、その語彙で書かれている。
倣うことが、なぜ誇られるのか
理由は、いくつか考えられる。
一つは、教養を示すからだ。
昔の名家の絵を見て、覚えていなければ倣えない。
倣えるということは、学んだということである。
一つは、系譜に連なるからだろう。
自分がどの流れの中にいるかを示す。
そして、そっくりに写すわけではない。
筆づかいだけを借りて、別の景色を描く。
だから、写しではない。

縦長の掛軸である。
地は、暗い褐色の絹である。
中央に、太い木が数本立つ。
幹は曲がり、枝が四方へ伸びる。
葉は、細かい点を重ねて描かれる。
その根もとに、岩が積み重なる。
左に、小さな流れが見える。
上のほうに、低い峰が霞む。
墨は濃く、木の輪郭がはっきりする。
余白は少なく、画面が詰まる。
右上に、小さな文字がある。
詩と絵は、近い
この地域では、詩と絵が近いものとされた。
詩の中に絵があり、絵の中に詩がある。
そういう言い方が、古くからある。
だから、詩を絵にすることは自然である。
そして、絵に詩を書き添えることも自然だ。
前の回で、余白の文字を見た。
詩が書かれていることも多い。
九点のうち何点かの余白にも、詩がある。
館の記録は、その中身までは書かない。
絵ではなく、詩に倣う
いま見た一点は、倣った相手が変わっている。
画家ではない。
詩人である。
正しくは、その人の詩に倣っている。
つまり、言葉を絵にした。
詩に描かれた景色を、絵で再現する。
この詩人は、絵も描いた人として知られる。
だから、絵と詩の両方の系譜に連なる。
館は、題に詩と書くだけである。
どの詩かは、書かない。
巻物の長さを、数字で見る
九点の中で、いちばん長いのは巻物である。
画面だけで、横320センチ。
表装を含めると、横928.7センチになる。
九メートルを超える。
もう一点の巻物は、横634.4センチ。
こちらも六メートルを超える。
つまり、机に広げきることはできない。
右手で巻き、左手で広げる。
見る作業そのものが、手を使う。
寸法の数字が、その動きを伝えている。
四人の名を、並べる
九点のうち一点は、四人の名が題に並ぶ。
いずれも、昔の名高い画家である。
一つの巻物の中で、四人の筆づかいを使い分ける。
長い巻物だから、それができる。
画面の長さは、三メートルを超える。
表装を含めれば、九メートル近い。
巻き広げながら、順に見ていく。
途中で筆づかいが変わる。
見る人は、その変化を追う。

横に長い巻物である。
右から左へ、山が連なる。
いずれも尖った峰である。
墨の濃淡で、前後が分かれる。
峰のあいだに、白い霞が流れる。
麓に、小さな木立が茂る。
左のほうに、大きな岩が突き出す。
その上に、細い木が生える。
右端は、淡く霞んで消える。
全体に、墨だけで描かれる。
ところどころに、薄い青が差される。
干支と、疑問符
この一点の年の欄には、二つのものが並ぶ。
一つは、六十年で一巡する組み合わせの名。
もう一つは、いま使う数字と疑問符である。
つまり、干支は読めるが、どの巡りか決まらない。
画家の活動時期が、はっきりしないからだ。
館の作者の欄には、十七世紀に活動、とある。
その幅の中で、あてはまる年を選ぶ。
しかし、確定はできない。
だから、疑問符が付く。
印は、どこに押されるか
九点には、いずれも赤い印がある。
押される場所は、決まっている。
款記の末尾。
画面の隅。
そして、巻物なら継ぎ目である。
継ぎ目の印は、持ち主が押したものだ。
紙をつないだ部分にまたがって押す。
そうすれば、後から差し替えられない。
つまり、封印の役目を持つ。
館の記録は、印の位置までは書かない。
しかし、絵を見れば分かる。
巻物という、長い形
巻物は、掛軸とは見方が違う。
壁に掛けない。
机の上で、右から左へ広げていく。
一度に見えるのは、肩幅ぶんほどである。
だから、長い時間をかけて見る。
そして、途中で巻き戻すこともできる。
款記は、たいてい巻末にある。
見終わったところで、誰の作かを知る。
前の回で、署名が下辺に置かれる話をした。
考え方は近い。

正方形に近い一葉である。
中央に、松の木が数本立つ。
幹はまっすぐで、上のほうで枝分かれする。
葉は、細かい線を放射状に描く。
幹の肌に、細かい点が打たれる。
根もとに、低い岩がある。
右奥に、緑の丘が続く。
さらに奥に、青い山が霞む。
左は、白く空けられる。
右上に、文字が二行入る。
その下に、赤い印が押される。
画帖という、まとめ方
画帖は、絵を綴じた帳面である。
一葉ずつ描き、まとめて仕立てる。
掛軸のように掛けない。
机の上で、頁をめくって見る。
だから、小さくてよい。
九点の画帖の寸法は、いずれも縦30センチ以下だ。
いちばん小さいものは、縦25.7センチである。
手に持って見る大きさである。
そして、まとめて箱に収まる。
保管と持ち運びに向いている。
十二葉に、十二人分
いま見た一点は、画帖である。
十二枚の葉が、綴じられている。
一葉ごとに、別の名家に倣う。
つまり、十二通りの筆づかいが並ぶ。
こういう作りを、当時よく作った。
学んだ成果を示す帳面である。
そして、贈り物にもなる。
館の題は、まとめて宋と元の名家に倣う、とする。
一葉ごとの名までは、題に入れない。
枝の記号が、枚数を示す
館の番号には、枝の記号が付く。
十葉なら、十文字ぶんの枝。
七葉なら、七文字ぶん。
四幅なら、四文字ぶんである。
つまり、番号を見れば枚数が分かる。
前の回で、番号の枝が部品を数える話をした。
ここでは、葉と幅を数えている。
同じ仕組みが、別の物に使われている。
番号は、数え方の記録でもある。
十葉と、七葉
九点のうち二点も、画帖である。
一点は十葉。
一点は七葉。
どちらも、古の画家に倣う、と題にある。
つまり、同じ型の作品だ。
数だけが違う。
館の番号には、葉の数だけ枝が付く。
十葉なら、枝が十。
七葉なら、枝が七である。
番号を見れば、枚数が分かる。

見開きの二葉が並ぶ。
右の葉に、絵が描かれる。
中央に、緑の山が二つ重なる。
山肌は、青緑で塗られる。
麓に、白い木が数本立つ。
その下に、水面が広がる。
小さな舟が一艘浮かぶ。
左の葉は、文字だけである。
細かい字が、十数行に分かれる。
赤い印が、四隅に押される。
紙は、淡い褐色である。
絵と文字が、見開きになる
いま見た一点は、絵と文字が別の葉にある。
右に絵、左に文字。
つまり、対になっている。
画帖では、この形がよく使われる。
絵を見て、頁をめくらずに文を読める。
文には、何に倣ったかが書かれる。
そして、感想や由来が続く。
前の回で、余白に文字を書く例を見た。
こちらは、余白ではなく別の葉である。
場所を分けることで、両方を大きく取れる。

縦長の一葉である。
右上から、大きな木が斜めに伸びる。
幹は太く、桃色を帯びる。
枝に、竹の葉のような形が茂る。
葉は濃い緑である。
その下に、丸みのある岩が積み重なる。
岩肌は、細かい線で埋まる。
淡い桃色が、岩に差される。
左下に、小さな草が生える。
右上に、文字が二行入る。
赤い印が、二か所に押される。
金の粉を、紙に散らす
この一点の紙には、金の粉が散らしてある。
館の技法の欄に、そう書かれる。
金の粉は、光を受けて点々と光る。
墨だけの絵に、華やかさが加わる。
こういう紙は、高価である。
贈り物や、飾りのための作品に使われた。
つまり、材料の選び方に用途が出る。
前の回で、材料が事情を語ると書いた。
ここでも、同じことが起きている。
四幅で、一組
九点のうち一点は、四幅の掛軸である。
四本を並べて掛ける。
前の回で、二幅の対を見た。
こちらは四本である。
いずれも、古の名家に倣うという題を持つ。
つまり、四人ぶんの筆づかいが並ぶ。
紙には、金の粉が散らしてある。
館の技法の欄に、そう書かれる。
華やかな仕立てである。

細長い掛軸が、四本並ぶ。
いずれも縦長で、幅が狭い。
地は、淡い黄褐色の紙である。
左端の一本は、上に滝が落ちる。
二本目は、中央に山が立つ。
三本目は、下のほうに木立が茂る。
四本目は、上下に峰が重なる。
いずれも墨だけで描かれる。
線は細く、点が細かい。
各幅の上部に、文字が数行入る。
赤い印が、それぞれに押される。
二人を、どう合わせるか
二人の様式を合わせる、とはどういうことか。
たとえば、一方から岩の描き方を取る。
他方から、木の点の打ち方を取る。
そして、一枚の中で組み合わせる。
そうすると、どちらでもないものができる。
これを、新しさと考える。
まったく違うものを作るのではない。
既にあるものを、組み替える。
そういう作り方が、長く続いた。
二人の名を、様式として書く
九点のうち一点は、言い方が違う。
〜に倣う、ではない。
〜の様式による、という言い方である。
そして、二人の名が挙げられる。
つまり、二人の筆づかいを合わせている。
一人の真似ではない。
組み合わせて、新しいものを作る。
館の題は、その言い方をそのまま採る。
倣うと、様式による。
似ているが、同じではない。

縦長の掛軸である。
地は、淡い青灰の紙である。
下のほうに、木立が密に茂る。
葉は、点を重ねて描かれる。
その奥に、低い建物が見える。
中ほどに、丸みのある山が積み上がる。
山肌は、短い線で埋まる。
上のほうに、遠い峰が霞む。
余白は、上部に広く取られる。
そこに、文字が四行入る。
赤い印が、左下と文末に押される。
年の欄が、作者と食い違う
この一点は、年と作者が合わない。
作者の欄の画家は、十七世紀の人である。
年の欄は、十九世紀から二十世紀初め。
普通なら、矛盾である。
しかし、題の括弧がそれを説明している。
写しだから、後年でよい。
三つの欄が、互いを補い合っている。
作者の欄だけを読めば、誤解する。
題まで読めば、分かる。
欄は、まとめて読むためにある。
写し、と括弧に入れる
九点のうち一点は、題の頭に括弧がある。
その中に、写し、という語が入る。
つまり、これは元の作品ではない。
誰かが写したものである。
作者の欄には、元の画家の名が入る。
ただし、年の欄は十九世紀から二十世紀初めとなっている。
元の画家は、十七世紀の人である。
二百年の開きがある。
館は、その矛盾を隠さない。
括弧の中の一語で、事情を示す。

横に長い巻物である。
地は、淡い黄褐色の紙である。
線だけで描かれ、彩色はない。
右のほうに、岩が積み重なる。
その上に、人物が数人座る。
いずれも痩せた姿である。
衣の襞が、細い線で引かれる。
中央に、細い木が立つ。
左に、別の人物が腰を下ろす。
墨はごく薄く、線が細い。
右下に、赤い印が二つ押される。
括弧が、作者の欄を救う
なぜ、作者の欄に元の画家の名を入れるのか。
写した人の名が分からないからだ。
分からないものを、空欄にはできない。
そこで、元の画家の名を入れ、題に注記を置く。
こうすれば、探すときに見つかる。
その画家の作品を探す人が、この写しにも行き着く。
前の回で、西洋の記録が追随者と書く例を見た。
やり方は違うが、目的は同じである。
本物と写しを、混ぜないようにする。
竹を、誰に倣うか
九点のうち一点は、竹を描く。
そして、昔の竹の名手に倣ったと題にある。
竹は、倣う対象がはっきりしている主題だ。
葉の描き方、幹の節、墨の濃淡。
型が受け継がれる。
だから、誰に倣ったかを言うことに意味がある。
言われた側も、名誉である。
系譜が、絵の上で確かめられる。

縦長の掛軸である。
地は、褐色を帯びた絹である。
中央から右に、竹が数本立つ。
幹は細く、節がはっきり見える。
葉は、下向きに垂れる。
墨の濃い葉と、薄い葉が重なる。
その根もとに、丸い石がある。
左のほうに、細い枝が伸びる。
余白は、左上に広い。
上部に、文字が数行並ぶ。
赤い印が、文字の下に押される。
倣うことと、写すこと
九点の題には、二種類の言い方がある。
倣う、という語。
そして、写す、という語。
前者は、筆づかいを借りることを指す。
後者は、そっくりに写すことを指す。
九点のうち八点は、前者である。
後者は、括弧の付いた一点だけだ。
つまり、この違いは記録の上でも保たれている。
館は、言い方を揃えたりしない。
題が長くなる、ということ
九点の題は、いずれも長い。
いちばん長いものは、四人の名が並ぶ。
短いものでも、〜に倣う山水、である。
普通、題は短いほうが扱いやすい。
一覧に並べるとき、揃って見える。
それでも、館は短くしない。
なぜなら、題が情報だからである。
誰に倣ったかは、その絵の性格を決める。
省けば、性格が消える。
名を並べることの、意味
四人の名が並ぶ題を、もう一度考えたい。
これは、単なる列挙ではない。
四人は、いずれも異なる時代の画家である。
その四人を一つの巻物で辿る。
つまり、絵の歴史を一巻で見せている。
学ぶ人にとって、便利な教材でもある。
そして、描いた人の力量を示す。
四通りの筆づかいを、使い分けられる。
題の長さが、そのまま内容の広さになっている。
記録が、由来を運ぶ
九点の題は、いずれも由来を含む。
誰に、何に倣ったか。
これは、絵の中には見えない情報だ。
見ただけでは、分からない。
書かれているから、分かる。
そして、書かれた文言が題になった。
つまり、いま私たちが読む題は、三百年前の言葉である。
画家自身が選んだ言葉が、そのまま残っている。
館の記録は、それを運ぶ器になっている。


