枝番が、二つずつ続く——エミ・フィリップスの対の肖像
1953.5.28と29、30と31、52と53。四組の夫婦の肖像に、連番が振られている。しかも四組とも、若い番号が夫である。向きも寸法も対をなす。番号の並びが絵と絵の関係をどう保つのかを読みたい。横の寸法は、四組ともほぼ一致する。

枝番が、二つずつ続く
九点の番号を並べると、規則がすぐ分かる。
1953.5.28と1953.5.29。
1953.5.30と1953.5.31。
1953.5.52と1953.5.53。
2014.136.124と2014.136.125。
四組が、連番で並んでいる。
そして残る一点だけが、単独である。
連番の四組は、いずれも夫と妻の肖像だ。
対で描かれ、対で受け入れられ、対で番号が振られた。
しかも四組とも、若い番号が夫、次の番号が妻である。
例外はない。
番号の順に、意味はあるか
夫が先、妻が後。
この順序は、四組とも守られている。
偶然にしては、そろいすぎている。
考えられるのは、受け入れたときの並べ方である。
寄贈された箱の中で、その順に並んでいたのかもしれない。
あるいは、記録を作る人が、当時の慣行でそう並べたのかもしれない。
館の記録には、その理由は書かれていない。
書かれているのは、番号の順だけである。
ただし、順序が固定されていること自体は読み取れる。
四組、八点。すべて同じ向きに並ぶ。

男が、椅子に腰かける。
体は左を向き、顔はこちらへ戻す。
顔は面長で、頬がこける。
髪は短く、額の上で分けられる。
上着は青緑で、丈が長い。
胸には金の釦が二列に並ぶ。
首には白い布が巻かれ、顎の下で膨らむ。
膝までの脚衣も、同じ青緑である。
右手を、椅子の背に掛ける。
左手には、赤い本を持つ。
本は膝の上に置かれる。
椅子は木製で、黄土色に塗られる。
背景は淡い灰色で、平らである。
輪郭がはっきりし、面が平たい。

女性が、椅子に腰かける。
体は右を向き、顔はこちらへ戻す。
先の一点とは、向きが逆である。
対にして並べたとき、二人が向き合う配置になる。
衣は深い緑で、袖が膨らむ。
胸もとには、白い布が三角に重なる。
頭には、白い縁飾りのある帽をかぶる。
両手を膝の上で組む。
手には白い手袋のようなものが見える。
椅子には赤い布が掛かる。
右奥には、白い布を掛けた台がある。
背景は淡い灰色で、先の一点と同じである。
縦の寸法は、二点とも102センチ。
横は、二ミリだけ違う。
対の絵は、なぜ作られるか
夫婦の肖像を対で作るのは、十九世紀のアメリカでよく行われた。
家の壁に、二枚を並べて掛ける。
一枚では、その家の主だけになる。
二枚あれば、家として示せる。
肖像は、その家の記録でもあった。
写真がまだ普及していない時代である。
顔を残す手段は、絵しかない。
巡回する画家に頼んで、数日で描いてもらう。
そういう仕事をした画家が、各地にいた。
九点の画家も、その一人だったと考えられている。
同じような形式の作品が、多く残っているためだ。
対で作るのは、需要に応じた形式である。
形式が決まっていれば、早く、安く作れる。
寸法がそろうのも、その形式の一部だ。
対の絵は、向きが逆になる
四組を見ると、いずれも向きが逆である。
夫が左を向けば、妻は右を向く。
並べて掛けたとき、二人が向き合う。
これは、対の肖像の基本的な作り方だ。
同じ向きに並べると、二人が同じ方向を見てしまう。
逆にすれば、画面のあいだに関係が生まれる。
館の記録は、向きについて何も書かない。
書かれるのは、題と年と寸法と出所だけである。
向きは、画像を見なければ分からない。
対であることは番号から分かるが、対の作りは画像から分かる。
記録と画像を並べて、はじめて全体が見える。

男が、机の前に座る。
体は左を向き、顔はこちらへ戻す。
髪は明るい褐色で、額の上で立ち上がる。
首には黒い布が高く巻かれる。
上着は黒く、前が開く。
その下に、白い胴着が見える。
右手には、羽根の筆を持つ。
その手を、机の上に置く。
机には白い紙が広げられる。
左手は、椅子の背に掛かる。
背景は暗い緑褐色で、右奥に窓らしい形が見える。
顔の肌は白く、頬に赤みが差す。
筆と紙が、その人の職を示している。

女性が、赤い椅子に腰かける。
体は右を向き、顔はこちらへ戻す。
衣は黒く、袖が大きく膨らむ。
胸もとには、白い襞飾りが広がる。
襞は幾重にも重なり、肩まで届く。
頭には、黒と緑の縁飾りのある帽をかぶる。
右手を頬に当てる。
肘は椅子の背に置かれる。
左手には、赤い小さな本を持つ。
椅子の背には、赤い布が掛かる。
背景は暗い赤褐色である。
縦の寸法は、対の一点より一センチ低い。
横は、二点とも68.5センチで同じである。
題に、名がある妻とない妻
四組の題を並べると、書き方が三通りに分かれる。
一組目は、デイ氏とデイ夫人。
妻には、自分の名がない。
二組目は、ヘンリー・テラーとジェイン・ストーム・テラー。
妻にも、自分の名がある。
三組目は、ジョゼフ・スレイドとアルサ・スレイド。
こちらも、妻に名がある。
四組目は、紳士の肖像と婦人の肖像。
どちらにも名がない。
つまり、名が伝わった組と、伝わらなかった組がある。
そして、夫の名だけが伝わった組もある。

男が、机の前に座る。
体は右を向き、顔はこちらへ戻す。
髪は黒く、耳の上で巻く。
首には黒い布が高く巻かれる。
上着は黒く、襟が大きい。
その下に、白い胴着が見える。
両手で、白い紙を持つ。
紙には文字が印刷されている。
新聞のように見える。
机は木製で、暗い色に塗られる。
背景は暗い緑褐色である。
顔の輪郭がはっきりし、影が少ない。
平たい面と、明快な輪郭が特徴である。
年が二組で同じ、二組で幅を持つ
四組の年の欄を見ると、書き方が分かれる。
一組は、1816年と一つの数字で書かれる。
二組は、1835年ごろと、ごろ付きで書かれる。
もう一組は、1812年から1819年と幅で書かれる。
対の二点は、いずれも同じ年の欄を持つ。
当然といえば当然である。同時に描かれたのだから。
年の欄が同じであることも、対の手がかりになる。
もっとも、決め手にはならない。
同じ年に、別の家の肖像を描くこともあるからだ。
決め手は、やはり連番の番号である。
年、寸法、向き、そして番号。
四つがそろって、対であることが確かめられる。
一つだけでは足りない。
名が消えるのは、どちら側か
四組のうち、名が片方だけ伝わった組が一つある。
夫には名があり、妻には夫人という呼び名しかない。
これは、当時の呼び方をそのまま記録したものだ。
家の外では、妻は夫の姓と敬称で呼ばれた。
家の中では、当然に名で呼ばれていただろう。
しかし外向きの記録には、名が残らない。
絵が家を離れたとき、残るのは外向きの呼び名である。
館は、伝わったとおりに書く。
伝わらなかったものを、推測で埋めない。
だから題の欄に、夫人という語だけが残る。
作者不詳の書き方と、事情は似ている。
分からないものは、分からないまま書く。

女性が、椅子に腰かける。
体は左を向き、顔はこちらへ戻す。
衣は黒く、袖が膨らむ。
首から胸へ、白い襞飾りが長く垂れる。
襞は細かく、重なりが深い。
頭には、白い縁飾りのある帽をかぶる。
帽の縁は幅広く、顔を囲む。
右手を膝の上に置く。
その下に、黄土色の布が見える。
椅子には、金色の飾りが付く。
背景は暗い緑褐色で、対の一点と同じである。
縦の寸法は、対の一点より五ミリ低い。
横は、二点とも71.2センチで同じである。
横の寸法が、そろっている
四組の寸法を比べると、規則が見えてくる。
横の寸法は、四組ともほぼ完全に一致する。
71.2センチと71.2センチ。
68.5センチと68.5センチ。
84センチと83.8センチ。
63.5センチと63.5センチ。
一方、縦の寸法はわずかにずれる組がある。
五ミリ、一センチ、そして完全一致。
横がそろうのは、同じ幅の布から切り出したためだろう。
縦のずれは、張るときの誤差だと考えられる。
対の絵は、同じ材料から同時に作られる。
その痕跡が、数字に残っている。

男が、上半身で描かれる。
体はやや右を向き、顔はこちらを見る。
髪は短く灰色で、額が広い。
顔は四角く、頬骨が張る。
首には白い布が巻かれ、蝶結びになる。
上着は暗い茶色で、襟が大きい。
その下に、暗い胴着が見える。
肩の線は、なだらかに落ちる。
背景は淡い桃色に近い灰色である。
平らで、何も描かれない。
顔の陰影は薄く、輪郭で形が作られる。
手は描かれていない。
寸法は、対の一点とまったく同じである。

女性が、上半身で描かれる。
体はやや左を向き、顔はこちらを見る。
対の一点とは、向きが逆である。
頭には、白い縁飾りのある帽をかぶる。
帽は顎の下で結ばれる。
衣は暗い褐色で、襟もとが白い。
肩から胸へ、布が斜めに重なる。
顔は面長で、頬に赤みがない。
目は大きく、こちらを見る。
背景は淡い灰色で、対の一点と同じである。
手は描かれていない。
寸法は、縦76.2センチ、横63.5センチ。
インチに直せば、三十掛ける二十五である。
単独の一点
九点のうち一点だけ、対を持たない。
小さな子どもの肖像である。
番号は1953.5.59。
同じ受入の中にあるが、前後の番号とはつながらない。
子どもの肖像は、単独で描かれることが多い。
対にする相手がいないからだ。
もっとも、兄弟姉妹で対になる例もある。
この一点については、対の記録がない。
対があったのかどうかも、書かれていない。
書かれていないのは、分からないという意味である。

幼い子どもが、椅子に座る。
白い衣を着て、袖に赤い飾りが付く。
胸もとには、赤い実の飾りが下がる。
頭には、白い帽をかぶる。
帽には赤い飾りが付く。
両手で、苺の房を持つ。
実は赤く、葉は緑である。
椅子は黄土色で、赤い布が掛かる。
背景は暗い赤褐色で、平らである。
顔は丸く、目が大きい。
肌は白く、頬にわずかな赤みがある。
九点でいちばん小さい画面である。
背景の色が、組ごとに違う
四組の背景を比べると、組ごとに色が違う。
ある組は、暗い緑褐色である。
別の組は、淡い灰色である。
さらに別の組は、暗い赤褐色を使う。
最後の組は、淡い桃色に近い灰色だ。
同じ画家が、組ごとに背景を変えている。
対の二点は、必ず同じ背景である。
並べて掛けたときに、背景がつながって見える。
背景が違えば、対に見えない。
だから同じ色で塗る。
これも、対を作るための約束の一つである。
記録には、背景の色は書かれない。
画像を並べて、はじめて分かる。
持ち物が、その人を説明する
九点の人物は、しばしば何かを手にしている。
新聞らしい紙。羽根の筆。赤い本。苺の房。
手袋をはめた手を、膝の上で組む姿もある。
持ち物は、その人を説明する道具である。
紙を持てば、読み書きに関わる人だと伝わる。
筆を持てば、書く仕事だと伝わる。
本を持てば、教養が示される。
苺を持てば、季節と幼さが示される。
同じ形式の肖像でも、持ち物で個性が出る。
顔立ちだけで区別するのは、実は難しい。
平たい面と明快な輪郭で描かれているからだ。
持ち物と衣が、その人を分ける。
館の記録は、持ち物について何も書かない。
題と年と寸法だけである。
持ち物の情報は、画像の側にしかない。
手が、描かれる場合と描かれない場合
九点のうち、手が描かれているのは七点である。
残る二点には、手がない。
上半身だけを描いた二点である。
手を描くには、画面を広く取る必要がある。
胸から上だけなら、手は入らない。
その分、布は小さくて済む。
小さければ、値段も安くなっただろう。
九点でいちばん小さい肖像は、この二点である。
縦76.2センチ、横63.5センチ。
手のある七点は、いずれもこれより大きい。
大きさと、描かれる範囲は連動している。
そして、値段とも連動していたはずだ。
記録の寸法は、そこまでは書かない。
しかし数字を並べれば、関係は見えてくる。
二つの受入に、七点と二点
九点の出所の行を見ると、二通りしかない。
一つは、ある夫妻の寄贈。七点がこれである。
もう一つは、前の館からの移管。二点がこれにあたる。
寄贈の七点は、すべて1953.5という同じ受入に入る。
つまり、一度にまとめて館へ渡っている。
移管の二点は、2014.136という別の帯にある。
六十一年の隔たりがある。
同じ画家の作品が、六十一年をおいて二度入った。
しかも二度目は、館が集めたのではなく、別の館から移ってきた。
前の館では、1969年に個人から寄贈されている。
括弧の中に、その年と寄贈者の名がある。
一つの対の絵が、二つの館の記録を経て、いまここにある。
記録が短い画家
この画家についての記録は、多くない。
生没年も、活動の範囲も、長らく不確かだった。
作品に署名がほとんどないためである。
九点にも、署名の記録はない。
銘記の欄は、九点とも空である。
では、なぜこの画家の作と分かるのか。
似た形式の作品を集め、共通する癖を見つける。
顔の描き方、手の形、背景の塗り方。
そういう比較の積み重ねで、一人の画家の仕事とされた。
館の作者の欄には、修飾語が付いていない。
つまり、確からしいと判断されている。
その判断の根拠は、記録の欄には書かれない。
書かれるのは、結論だけである。
根拠は、研究の文献の側にある。
四組の番号が、二つの館にまたがる
四組のうち三組は、同じ受入に含まれる。
1953.5という番号帯である。
残る一組は、まったく別の帯にある。
2014.136。前の館からの移管である。
つまり四組は、二つの経路で館に集まった。
対で描かれた絵が、対のまま別々の道をたどった。
そして最後に、同じ館の同じ画家の作品として並ぶ。
対の絵は、途中で離ればなれになることが多い。
売られるときに、片方だけが出ることがある。
四組とも対のまま残っているのは、むしろ珍しい。
番号が連番であることは、その幸運の記録でもある。
連番が示すもの
対の絵に連番を振るのは、単純な決まりに見える。
しかし、決まりを守ることには意味がある。
番号が離れていれば、対だと気づきにくい。
連番なら、一覧を見ただけで分かる。
出所の行が同じでも、対とは限らない。
寸法が近くても、対とは限らない。
連番であることが、いちばん強い手がかりになる。
館の記録は、その手がかりを九点すべてに与えている。
そして、単独の一点には与えていない。
与えないことも、情報である。
連番でないなら、対の相手はない。
番号の並びが、そこまで語っている。
数字の並び方だけで、絵と絵の関係が読める。
これは、番号という道具の使い方として、とても効率がよい。
対の絵は、離れると意味が半分になる。
向き合うはずの二人が、別々の壁を向くことになる。
番号を隣り合わせにしておけば、離れにくい。
貸し出しの相談でも、二点まとめて扱われやすい。
展示の計画でも、隣に並べられやすい。
小さな決まりだが、効き方は大きい。
九点の番号は、その決まりが守られた例である。
守られなかった例も、館の記録にはあるだろう。
そのときは、対であることが忘れられていく。
記録の並びは、絵の運命に関わっている。
数字の順番という、ごく事務的な事柄が、そこまで届く。
美術館の記録の面白さは、こういうところにある。
見た目は帳簿でも、働きは帳簿にとどまらない。
四組八点の連番は、二百年前の四つの家の形を、いまも保っている。
そして残る一点は、対を持たないまま並んでいる。
その単独もまた、一つの記録である。



