作者の欄に、地名と世紀が入る——ヨーロッパの無名の絵
フィレンツェ、15世紀。アントウェルペン、16世紀。作者の名がないとき、館は地名と世紀を置く。ところがその地名の粒度は、都市から地域まで四段階に分かれる。粒度の差が示すものを、九点から読みたい。側面を向いた肖像が、四点ふくまれる。

作者の欄に、地名と世紀が入る
フィレンツェ、15世紀。
北イタリア、15世紀。
フランス・フランドル、15世紀。
チロル、15世紀。
フランス、16世紀。
ドイツ、16世紀。
ネーデルラント、16世紀。
アントウェルペン、16世紀。
九点の作者の欄には、人の名が一つもない。
かわりに、地名と世紀が置かれている。
描いた人の名が分からないときの書き方である。
地名の粒度が、四段階に分かれる
九点の地名を並べると、大きさがそろっていない。
アントウェルペンは、都市の名である。
フィレンツェも、都市の名だ。
チロルと北イタリアは、地方の名である。
フランス、ドイツ、ネーデルラントは、より広い地域を指す。
そしてフランス・フランドルは、二つの地域にまたがる言い方だ。
都市、地方、地域、そしてまたがる呼び方。
四つの粒度が、同じ欄に混ざっている。
なぜそろえないのか。
そろえられないからである。
分かっている範囲が、作品ごとに違う。

九点の中で、いちばん狭い地名を持つ一点である。
都市の名まで絞られている。
画面には、年配の男が半身で描かれる。
黒い帽をかぶり、顔はやや右を向く。
顔には皺が刻まれ、目もとが落ちくぼむ。
暗い赤褐色の上着を着る。
その下に、白い襟がわずかに見える。
左手には、杖のような棒を握る。
右手は机の上に置かれる。
机には、細長い道具が並ぶ。
背後は緑がかった暗い壁である。
上部には、横一列に文字が並ぶ。
年齢と、1542年という年が読める。
題にも、その人の役職が入っている。
つまり、誰かは分からないが、何をしていた人かは分かる。
何が分かれば、地名は狭くなるか
作者の欄の地名が狭いとき、その根拠はどこにあるか。
一つは、画面の中の情報である。
先の一点では、題に都市の役職が書かれていた。
その役職があるのは、その都市だけである。
だから制作の場所も、その都市だと考えられる。
もう一つは、様式である。
板の作り方、下地の作り方、絵具の使い方。
工房ごとの癖が、地域ごとの傾向としてまとまる。
その傾向がはっきりしていれば、地名は狭くなる。
はっきりしなければ、広い地域名になる。

若い男が、真横を向いて描かれる。
正面も斜めもない。完全な側面である。
頭には、暗い赤の布が巻かれる。
布は後ろで垂れ、肩まで落ちる。
顔の輪郭は、鼻筋から顎まで一本の線で描かれる。
目は前を見る。まつげが細かく描かれる。
首は太く、肩幅が広い。
衣は黒に近く、胸もとで開く。
下に緑がかった布が見える。
背景は暗い緑で、平らである。
下部には、木の縁のような横線が入る。
側面の肖像は、この時期のフィレンツェで好まれた形式だ。
その形式そのものが、地名を絞る手がかりになる。
八点が、肖像である
九点のうち八点は肖像である。
残る一点だけが、聖書の場面を描く。
これは偶然ではない。
作者不詳とされる作品には、肖像が多い。
理由はいくつか考えられる。
肖像は、注文した家の中で伝えられることが多い。
教会に置かれた祭壇画のような公の記録が残らない。
家が絶えれば、誰の肖像かも分からなくなる。
描いた人の名も、一緒に忘れられる。
一方、祭壇画には契約書が残ることがある。
教会の記録に、誰に注文したかが書かれる。
だから作者が特定されやすい。
同じ時代の絵でも、用途によって記録の残り方が違う。
九点の偏りは、その差を映している。
側面の肖像が、四点
九点のうち四点は、真横を向いた肖像である。
フィレンツェの若い男。
フランス・フランドルの婦人。
北イタリアの少年。
北イタリアの男。
いずれも十五世紀の作品だ。
側面の肖像は、硬貨や記念章の形式を引き継いでいる。
顔の輪郭を、いちばん正確に写せる向きである。
その代わり、視線は交わらない。
見る者との関係が、画面の中に組み込まれていない。
十六世紀に入ると、この形式は減る。
九点の十六世紀の五点は、いずれも斜めか正面を向く。
作者の名は分からなくても、形式の変化は追える。

女性が、真横を向いて立つ。
頭には、金と白の編んだ飾りが載る。
飾りは大きく、頭の幅より広い。
額は剃り上げられ、生え際が高い。
首には白い襞飾りが巻かれる。
衣は濃い青で、金の刺繍が入る。
胸から腰へ、太い金の鎖が二重に垂れる。
袖にも、金の縁飾りが並ぶ。
背景は黒で、輪郭が浮き立つ。
顔の線は硬く、鼻筋が長い。
まつげと眉は、細い線で一本ずつ描かれる。
作者の欄は、二つの地域にまたがる書き方である。
フランスとフランドルのどちらとも決めていない。

九点でいちばん小さい画面である。
縦25.1センチ、横17.8センチ。
少年が、真横を向く。
髪は明るい褐色で、耳の下で巻く。
前髪は額の上でまっすぐ切られる。
顔はふっくらし、頬に丸みがある。
首から下は暗い色で、形がはっきりしない。
背景は深い緑で、平らである。
輪郭線は細く、正確に引かれる。
まつげ、まぶた、唇の縁まで描かれる。
小さな画面だが、密度が高い。
技法の欄には、テンペラと油彩の両方が書かれる。
移行期の材料の使い方である。
材が、二択で書かれる
九点のうち一点の技法の欄は、変わっている。
樅または松に油彩、と書かれている。
木の種類が、二つのうちどちらか決まっていない。
板の材は、木口を見れば判別できることが多い。
しかし額装されていたり、裏張りがあれば見えない。
見えなければ、絞れない。
だから二択のまま書く。
同じ一点の寸法の欄にも、注記がある。
もとの板と、木の詰め物を入れた全体で、寸法が違う。
詰め物とは、割れや隙間を埋めるために足した木のことだ。
修理の跡が、寸法の欄に数字として残っている。

若い男が、上半身で描かれる。
顔はやや左を向き、目はこちらを見る。
髪は短く、額の上で立ち上がる。
口髭と顎髭が薄く生える。
首には、白い襞襟が回る。
襞は細かく、円盤のように広がる。
上着は褐色と金の縞で、釦が縦に並ぶ。
袖には切れ込みが入り、下の布が見える。
背景は暗い緑褐色で、何も描かれない。
顔の肌は白く、頬に赤みが差す。
小さな画面に、装飾が細かく描き込まれる。
板の材が二択で書かれるのは、九点でこの一点だけだ。
世紀という単位
作者の欄の「15世紀」「16世紀」は、百年の幅を持つ。
かなり粗い区切りである。
しかし年の欄を見ると、もっと細かい。
1430年から1450年。1410年ごろ。1460年から1470年ごろ。
つまり、作者の欄と年の欄で粒度が違う。
作者の欄は世紀、年の欄は数十年。
なぜ作者の欄まで細かくしないのか。
作者の欄は、名の代わりだからだと考えられる。
名の代わりであれば、短く安定していたほうがよい。
年が変われば作者の欄も変えるとなると、混乱する。
だから作者の欄は、大きな単位で固定する。
細かい年は、年の欄に任せる。
欄ごとに、粒度を使い分けている。
年が、一つに決まる二点
作者の名が分からなくても、年が決まることがある。
九点のうち二点は、年の欄が一つの数字である。
1532年と、1542年。
いずれも、画面に年が書かれているためだ。
一方は文字の中に、他方は上部の銘記に。
作者は分からないが、年は分かる。
この組み合わせは、決して珍しくない。
年は絵の上に書けるが、作者の名は書かれないことが多かった。
十五世紀までの絵では、署名はまれである。
工房の仕事として作られたからだ。
年だけが残り、名が残らない。
九点の作者の欄は、その結果でもある。

女性が、上半身で描かれる。
頭には白い布を被り、顎の下で留める。
顔は正面をやや外し、目はこちらを見る。
目もとには皺が寄る。
衣は黒く、襟が高い。
胸の中央に、金と赤の飾りが留まる。
両手を腹の前で組み、小さな本を持つ。
本の表紙には、模様が入る。
指には指輪が光る。
背景は暗く、上部に文字が横に走る。
年と、年齢らしい数字が読める。
下部の左には、小さな紋章のような形がある。
技法の欄には、板にテンペラとある。
十六世紀のドイツでは、油彩が広まっていた時期である。

九点で唯一、肖像ではない画面である。
中央に、男が一人立つ。
赤い上着と白い腰布を着ける。
背中に、大きな寝具を担ぐ。
寝具は緑と白の縞で、丸められている。
体は前へかがみ、重さを支える。
足は裸で、地面を踏む。
背後には、家並みと丘が広がる。
左奥には、人が集まる場所がある。
右奥には、岩山と城が見える。
空は淡く、雲が薄い。
聖書の一場面である。
治った人が、寝床を担いで帰る場面だ。
一つの寄贈に、二点が並ぶ
九点の出所の行を見ると、同じ行が複数ある。
アンドルー・W・メロン・コレクションが二点。
サミュエル・H・クレス・コレクションが三点。
チェスター・デイル・コレクションが三点。
そして個人の寄贈が一点。
大きな収集には、作者不詳の作品が必ず混じる。
数が増えれば、そうなる。
作者の分かる作品ばかりを集めるのは、実際には難しい。
そして、分からないままでも受け入れる。
受け入れて、番号を与え、地名と世紀を書く。
書けば、探せるようになる。
作者不詳のまま放置しないための書き方である。

男が、正面をやや外して描かれる。
顔は細く、頬がこける。
目は大きく、こちらを見る。
眉は濃く、口は薄い。
首には黒い布が巻かれる。
衣も黒く、肩から胸へ落ちる。
肩の線は、なだらかに下がる。
背景は暗い緑で、平らである。
輪郭線は硬く、髪の生え際まで線で描かれる。
肌には赤みがなく、青白い。
側面ではなく、四分の三の角度である。
同じ地名と世紀を持つ別の一点とは、向きが違う。
作者の欄が同じでも、形式は同じとは限らない。

男が、上半身で描かれる。
赤い帽をかぶる。丸く、頭に密着する。
髪は明るい褐色で、肩まで垂れる。
顔は横向きに近く、目は前を見る。
衣は暗い緑で、金の刺繍が入る。
刺繍は葉と蔓の文様である。
肩は大きく、袖が膨らむ。
胸もとには、赤い襟が細く見える。
手は下部で、机の縁に触れる。
背後には、青緑の壁と窓が見える。
窓の外には、風景が小さく描かれる。
机の上には、模様のある布が掛かる。
地方の名で書かれた作者の欄を持つ、唯一の例である。
十五世紀と十六世紀で、変わること
九点を世紀で分けると、四点と五点になる。
十五世紀の四点は、いずれも板にテンペラか、テンペラと油彩である。
背景は暗い一色で、平らである。
十六世紀の五点は、いずれも油彩が主になる。
背景には、壁や窓や風景が入りはじめる。
材料と背景の作り方が、同時に変わっている。
もっとも、九点だけでこれを一般化するのは危うい。
館の公開データで数えれば、もっと正確に言える。
ただ、九点に限れば、そういう傾向は見て取れる。
作者の名が分からなくても、こういう比較はできる。
むしろ、名がないほうが様式の話に集中しやすい面もある。
誰が描いたかに引きずられずに、画面だけを見られる。
題も、簡素になる
作者の欄が地名と世紀のとき、題も短くなる傾向がある。
九点の題を並べてみる。
若い男の横顔。婦人の横顔。少年の横顔。
男の肖像。貴族の肖像。婦人の肖像。
これらは、描かれた人の名を含まない。
含まないのは、誰かが分からないからだ。
例外は二点である。
一点は、役職を題に入れる。
もう一点は、聖書の場面の名を題にする。
つまり、名以外に呼べる手がかりがある場合だけ、題が具体的になる。
作者不詳の絵は、題も一般名詞になりやすい。
その結果、同じ題の作品が館の中に何点も並ぶ。
《男の肖像》という題は、九点のうち二点が持つ。
区別するには、番号を見るしかない。
番号が、区別の最後の手段
題が同じで、作者の欄も同じ作品が二点ある。
北イタリア、15世紀《男の肖像》。
もう一点は、チロル、15世紀《男の肖像》。
地名が違うので、かろうじて区別できる。
しかし、同じ地名と世紀の作品が複数あれば、区別できない。
そのとき頼りになるのが番号である。
1939.1.357と1952.5.71。
この二つは、絶対に重ならない。
番号は、そのために作られている。
題でも作者でも区別できない作品を、確実に指す。
作者不詳の作品が多い館ほど、番号の役目は重い。
名前で呼べないものを、数字で呼ぶ。
地名は、生まれた場所ではない
一つ注意しておきたいことがある。
作者の欄の地名は、その画家の出身地ではない。
作品が作られたと考えられる場所である。
画家がどこで生まれたかは、分からない。
分からないから、名がない。
分かるのは、その絵が持つ様式の系統だけだ。
だから「フィレンツェ、15世紀」は、フィレンツェで作られた絵、という意味になる。
人ではなく、場所と時代を指している。
作者の欄でありながら、作者を指していない。
これは、記録の欄としては奇妙な状態である。
奇妙でも、そうするしかない。
空欄にすれば、何も分からなくなる。
描かれた人も、多くは名がない
作者の欄に名がないだけでなく、題にも名がない。
九点のうち、描かれた人の名が分かるのは一点もない。
役職が分かる一点でも、個人名は書かれていない。
つまり、描いた人も、描かれた人も分からない。
それでも絵は残っている。
顔の造作、衣の刺繍、帽の形。
その人が誰であったかを示す手がかりは、画面の中にある。
刺繍の文様から、家が分かるかもしれない。
帽の形から、身分が分かるかもしれない。
指輪の意匠から、婚姻が読めるかもしれない。
そうした調べが進めば、名が戻ることもある。
館の記録が、細かく画面を記述するのは、そのためでもある。
記述しておけば、後から照合できる。
いま名がないことは、永久に名がないことを意味しない。
寸法の幅と、用途
九点の寸法を並べると、二つの群に分かれる。
小さい群は、縦25センチから44センチほど。
五点がここに入る。
大きい群は、縦52センチから108センチほど。
四点がここに入る。
小さい群は、いずれも肖像である。
手もとに置くか、小さな部屋に掛ける大きさだ。
大きい群には、聖書の場面と、大きめの肖像が含まれる。
用途が違えば、大きさも違う。
そして小さい絵ほど、記録が残りにくい。
動かしやすく、売りやすいからである。
作者不詳の作品に小さいものが多いのは、そのためかもしれない。
もっとも、これは推測にとどまる。
記録から言えるのは、九点の寸法に幅がある、ということまでだ。
名がなくても、群にはなる
作者の欄に地名と世紀を書けば、群を作ることができる。
同じ地名と世紀の作品を集めれば、比べられる。
比べれば、共通する癖が見えてくる。
その癖から、いつか作者が特定されるかもしれない。
実際、そうやって名が付いた作品は多い。
九点も、いつか名を持つかもしれない。
そのときには、作者の欄が書き換えられる。
書き換えられるまで、地名と世紀が場所を保つ。
仮の名として、地名が置かれている。
館の記録は、その仮の状態を隠さない。
隠さないことで、次の研究の入口になる。
九点の欄は、そういう入口として並んでいる。
そして入口は、九つの違う粒度で開いている。
都市、地方、地域、そしてまたがる呼び方。
粒度の違いが、そのまま調べの進み具合を示している。
都市まで絞れた一点は、そこまで調べがついた作品である。
二つの地域にまたがる一点は、まだ絞れていない作品だ。
同じ「作者不詳」でも、状態はまるで違う。
欄の言葉を読めば、その違いまで分かる。


