番号の年と、行の年が違う——リッグズとバシュフォード・ディーンの武具
寄贈の年と登録の年が一年ずれている。千点を超える受け入れだからである。柄と刀身で国が違う剣、十九世紀の修復が明記された馬の防具、四つの出所を持つ一領の甲冑。一つの部門を作った二人の名を読みたい。記念コレクションという仕組みについても書いておきたい。

二つの名前が、一つの部門を作る
メトロポリタン美術館の武具の部門を、出所の行で調べてみる。
二つの名前が、繰り返し現れる。
一つは、ウィリアム・H・リッグズ。
当サイトの公開分で五十点ある。
そのうち四十四点が、同じ一行を持つ。
ウィリアム・H・リッグズによる寄贈、一九一三年。
もう一つは、バシュフォード・ディーン。
こちらも五十一点ある。
しかし、行の書き方が一通りではない。
バシュフォード・ディーンによる寄贈、一九一四年。
バシュフォード・ディーンによる寄贈、一九二四年。
バシュフォード・ディーン記念コレクション、バシュフォード・ディーンの遺贈、一九二八年。
バシュフォード・ディーン記念コレクション、多数の寄贈者からの資金、一九二九年。
バシュフォード・ディーン記念コレクション、エドワード・S・ハークネスによる寄贈、一九二九年。
一人の名が、五通りの形で現れる。
今回は、この二人の名を九点で追いたい。

細い剣である。
刀身は長く、まっすぐで、断面が細い。
その根もとに、大きな椀のような護りが付く。
裏返した皿のような形である。
その両側から、細い棒が水平に伸びる。
柄は円筒形で、細い針金が巻かれている。
銀である。
頭に、丸みのある大きな飾りが載る。
全長百二・六センチ。
重さ八百六十四・七グラム。
刀身に、細かい溝と文字らしい刻みが見える。
重さの欄が、必ずある
九点のうち八点に、重さが書かれている。
八百六十四グラム。
千百六十二グラム。
五千百九十七グラム。
三千七十グラム。
千九百十八グラム。
四千四百十九グラム。
十七・七五キログラム。
六百八十六グラム。
武具の記録には、重さが欠かせない。
理由は明快で、これらは身に着けるものだからである。
重さが、そのまま使い勝手を決める。
剣は、片手で振る。
八百グラムと千百グラムでは、扱いがまるで違う。
甲冑は、全身に着る。
十七・七五キログラムを着て歩き、馬に乗る。
馬の防具は、馬が背負う。
首に三キロ、頭に二キロ。
これらの数字がなければ、道具としての理解が成り立たない。
第十四回で読んだ刀装具にも、重さの欄があった。
同じ部門の作法である。
一方、絵画の記録には重さが書かれない。
掛けるものだからである。
記録の欄は、そのものの使われ方に従う。
修復と、後補
武具には、後の時代の手が入っていることが多い。
理由は三つある。
一つは、使われて壊れたこと。
二つ目は、部品が失われやすいこと。
三つ目は、十九世紀に収集の需要が高まったことである。
売るために、欠けた部品を補う。
そういう作業が広く行われた。
九点のうち二点に、その痕跡が記録されている。
一点は、耳当てと目当てと羽根挿しが十九世紀の修復と明記される。
もう一点は、年の欄に「および後の時代」とある。
館は、そのことを隠さない。
作られた年と、補われた年を書き分ける。
読む側は、いま見ている形が四百年前のものと同じではないことを、そこから知る。
そして、補った部分が分かれば、もとの形も推し量れる。
記録の注記は、そのための手がかりである。
番号の年と、行の年が違う
ここで、番号を見たい。
一四・二五・一〇一五。
一九一四年の、二十五番目の受け入れである。
一方、出所の行の年は一九一三年。
一年ずれている。
これは、記録の誤りではない。
寄贈が行われた年と、登録された年が違うのである。
大量の受け入れでは、こういうずれが生じる。
一九一三年に約束され、翌年に登録された。
そして、番号の枝番は一〇一五である。
つまり、この受け入れは千点を優に超える。
千点を一年で登録するのは、簡単ではない。
年をまたぐのも当然である。
第十二回で、出所の行の年は登録の年に近いと書いた。
ここでは逆になっている。
行が寄贈の年を、番号が登録の年を示している。
二つの欄が、別々の時点を指している。
柄と刀身が、別の国である
この一点の文化の欄も面白い。
柄はスペイン、刀身はドイツのゾーリンゲン。
一つの剣が、二つの国にまたがっている。
刀身は消耗品である。
折れれば、新しいものに替える。
そして、良い刀身は特定の産地から買う。
ゾーリンゲンは、中世から刀身の産地として知られていた。
そこで作られた刀身が、各地へ運ばれる。
現地で柄を作り、組み合わせる。
だから、一本の剣に二つの産地が記録される。
作者の欄には、刀身を作った人の名が入っている。
役割の欄に、刀身の鍛冶と書かれている。
柄を作った人の名は、記録にない。
輪の護り

前の一点より、さらに長い。
全長百十五・九センチ。
刀身だけで百二・九センチある。
柄の構造が、まったく違う。
椀ではなく、細い棒と輪の組み合わせである。
刀身の根もとから、輪が二つ左右に張り出す。
その外側に、太い曲がった棒が一本。
手の甲を守るために、柄頭まで弧を描く。
反対側にも、短い棒が伸びる。
全体が黒く仕上げられている。
柄は円筒で、細かい網目に巻かれている。
頭には、丸い錘のような飾り。
重さ千百六十二・三グラム。
前の一点より三百グラム重い。
この一点も、柄と刀身の産地が違う。
弩と銃を、一つにする

題が長い。
そして、その長さが中身を説明している。
木の台に、鋼の弓が横向きに取り付けられている。
弓は細く、大きく弧を描く。
弦は見えない。
台の上面には、白い象嵌が全面に施されている。
鹿の角を薄く切って、はめ込んだものである。
そこに細かい文様が彫られている。
台の後部は、肩に当てる形にすぼまる。
その途中に、金属の機構が組み込まれている。
歯輪式の発火装置である。
つまり、この一つの道具で、矢も弾丸も撃てる。
さらに、火薬を使う銃としても使える。
三通りの使い方ができる。
重さ五千百九十七グラム。
五キロを超える。
材料の欄に、五つの材料が並ぶ。
鋼、桜材、鹿角、麻、フェルト。
麻とフェルトは、弦や当て物だろう。
馬に着せるもの

細長い金属の帯が、弧を描いて並んでいる。
一枚ずつが横に長く、少しずつ重なる。
その重なりが、全体で曲線を作る。
上へ向かって細くなり、下で広がる。
馬の首に着ける防具である。
首の動きに合わせて、板が滑るようになっている。
一枚一枚が、鋲で留められている。
長さ九十五・二センチ。
重さ三千七十グラム。
三キロを馬の首に載せることになる。
金属の表面は磨かれ、光を返している。
装飾はほとんどない。
修復が、記録されている

馬の頭に被せる防具である。
正面から撮影されている。
上部に、細長い耳当てが二つ、上へ伸びる。
その中央に、小さな筒が立つ。
羽根を挿すためのものである。
顔の部分は、中央に稜線が通る。
その両側に、目の位置の円い張り出し。
下は細くすぼまり、先が尖る。
全体が磨かれた鋼である。
そして、年の欄に注記がある。
耳当て、目当て、羽根挿しは十九世紀の修復。
つまり、この三か所は、後の時代に付け足されたものである。
四百年前の本体に、百数十年前の部品が付いている。
第十七回で扱った、組み合わせの甲冑と同じ問題である。
館は、補ったことを隠さずに書く。
年の欄に、修復の年代まで入れる。
一つの品に、四つの出所
ここで、この寄贈のなかにある特殊な記録を紹介したい。
同じ武具の部門に、こういう出所の行を持つ作品がある。
ロンデルはウィリアム・H・リッグズによる寄贈、一九一三年。
サレット、背板、胸板はバシュフォード・ディーン記念コレクション、その遺贈、一九二八年。
肘当てはバシュフォード・ディーン記念コレクション、エドワード・S・ハークネスによる寄贈、一九二九年。
籠手はバシュフォード・ディーン記念コレクション、多数の寄贈者からの資金、一九二九年。
一つの記録のなかに、四つの出所の行が並んでいる。
部品ごとに、来た経路が違うからである。
そして、それぞれに番号が付いている。
第十七回で読んだ組み合わせの甲冑では、六つの番号が並んでいた。
こちらは、番号だけでなく出所の行まで分かれている。
一領の甲冑が、四回に分けて館に集まった。
そして、館がそれを一つに組んだ。
衣服を模した甲冑

黒い背景で撮影されている。
上半身の後ろ側と、腰から下の部分。
そして、両肩から袖のような膨らみが出る。
表面が、布のように波打っている。
膨らんだ布に、切れ目を入れた形が打ち出されている。
その切れ目の縁に、金の装飾が線状に入る。
腰の部分も、同じ処理である。
丸く膨らみ、縦に切れ目が並ぶ。
つまり、当時の衣服の意匠を、鋼で再現している。
金属で布を模している。
第八回で読んだ仮装用の甲冑は、布で金属を模していた。
こちらは、その逆である。
重さは四千四百十九グラム。
背板だけで二千二百二十九グラム。
寸法の欄が、部分ごとに分かれている。
肩紐を伸ばしたときの奥行まで書かれている。
記念コレクションという仕組み

白黒の画像である。
台の上に、一領の甲冑が立てられている。
兜は面覆いを下ろした形で、目の位置に横長の隙間。
肩には、大きな円形の板が二つ。
胸板は中央で膨らみ、腰へ向かってすぼまる。
腰から下に、帯状の板が幾重にも重なる。
腕と脚も、板と鎖で覆われる。
手には籠手。
高さ百八十・三センチ。
人の背丈である。
重さ十七・七五キログラム。
番号は二九・一五〇・四のbからt。
アルファベットで十九の枝が付いている。
部品が十九あるということである。
そして、年の欄に「および後の時代」とある。
これも、組み合わせの一領である。
記録が、一つしかない寸法

兜である。
丸い頭の部分から、後ろへ長い尾が伸びる。
尾は下へ傾き、首の後ろを覆う。
前面には、目の高さに細い隙間が横に走る。
その下の部分は、跳ね上げられる作りである。
縁に沿って、細かい打ち出しの帯が回る。
表面は磨かれ、鏡のように光る。
ここで、寸法の欄を見たい。
尾の径十九・一センチ。
それだけである。
高さも、幅も、重さも書かれていない。
九点のうち、この一点だけが例外である。
他の八点には、複数の数字が並んでいる。
なぜこの一点だけ短いのか。
理由は分からない。
登録の時期が違うのかもしれない。
あるいは、測り忘れが残っているのかもしれない。
記録は、いつも均質ではない。
日本の面

顔の形をした鉄の面である。
目の位置に、二つの穴が開く。
眉は太く、盛り上がって波打つ。
鼻は大きく、鼻梁が高い。
口は開き、上下に歯が並ぶ。
歯は金色に見える。
頬は深くくぼみ、しわが刻まれている。
顎の下に、紐を通すための金具。
耳の位置にも、輪が付く。
色は赤みのある褐色。
漆が塗られている。
重さ六百八十六グラム。
顔に着けるものとしては、かなり重い。
産地の欄が、複数に分かれる
九点の文化の欄を並べたい。
スペイン、ただし刀身はドイツのゾーリンゲン。
柄はおそらくドイツ、刀身はイタリアのミラノ。
中央ヨーロッパ、おそらく南ドイツかオーストリア。
ドイツ、ニュルンベルク。
フランスとイタリアにまたがる。
ドイツ、アウクスブルク。
ドイツ。
オーストリア、インスブルック。
日本。
九点のうち三点で、産地が二つ以上に分かれている。
そして、二点で「おそらく」という語が使われている。
確定できていない、という意味である。
第十七回でも書いたが、記録は確からしさに応じて語を変える。
断定するときは、地名だけを書く。
推測のときは、おそらく、と添える。
武具は部品ごとに産地が違う。
だから、一つの品に複数の地名が並ぶ。
これは、絵画の記録では起こりにくいことである。
一枚の板に、二つの産地は書けない。
物の作られ方が、記録の形を決めている。
二人の方針の違い
九点を、寄贈者で分けたい。
前半の五点が一人目。
剣が二点、弩と銃の複合が一点、馬の防具が二点。
後半の四点が二人目。
甲冑の部品が一点、一領の甲冑が一点、兜が一点、日本の面が一点。
一人目には、十六世紀から十八世紀のヨーロッパの武器が多い。
二人目には、部品と、日本のものが混じる。
もっとも、九点だけで方針を語るのは危うい。
五十点ずつの全体を見れば、印象は変わるだろう。
確かなのは、行の書き方の違いである。
一人目は、四十四点が同じ一行を持つ。
一度にまとめて渡した。
二人目は、五通りの行に分かれる。
生前の寄贈が二回、遺贈が一回。
そして、その名を冠した記念コレクションが作られ、そこへ他の人の寄贈や募金が加わっていく。
つまり、二人目の名前は、寄贈者の名であると同時に、まとまりの名にもなっている。
役割の欄
九点の作者の欄には、役割が併記されている。
刀身の鍛冶が二点。
設計者が一点。
甲冑師が三点。
毛彫の職人が一点。
つまり、作者の欄に入っているのは、必ずしも全体を作った人ではない。
刀身を打った人。
意匠を考えた人。
板を打ち出した人。
表面に模様を彫った人。
工程ごとに、別の職人がいる。
そのうち一人だけが、作者の欄に書かれる。
誰を書くかは、その品でいちばん特徴的な仕事による。
刀身に銘があれば、鍛冶の名。
甲冑に刻印があれば、甲冑師の名。
装飾が際立てば、彫った人の名。
第十五回で扱った「一点に何人が関わったか」という問題が、ここでも出てくる。
そして、武具の場合、役割の欄がその答えの一部を明かしている。
役割まで書く記録は、実は珍しい。
絵画の記録には、ほとんど出てこない。
名前が、器になる
記念コレクションという仕組みについて、書いておきたい。
ある人の名を冠した区画を、館の中に作る。
そこへ、その人の遺贈が入る。
さらに、他の人からの寄贈も入る。
募金で買ったものも入る。
つまり、名前が一つの器として働き始める。
第八回で読んだ拍車も、この記念コレクションに属していた。
出所の行は、その名前を先頭に置く。
そして、そのあとに、実際の資金の出どころが書かれる。
一つの名前が、その後の受け入れを束ねている。
亡くなった人の名が、買い物の名義になり続ける。
第四回で読んだ基金と、構造は近い。
違うのは、基金が金の器であるのに対し、記念コレクションは分類の器であることである。
部門は、二つの名で立っている
武具の部門の所蔵を、出所の行で見ると、この二人の名が繰り返し出てくる。
第九回で読んだ顔の寄贈も、第十回の細密肖像も、第十三回のガラスも同じだった。
一人の関心が、館の一区画を作る。
武具の場合、それが二人いた。
そして、片方の名は、その後も新しい受け入れに付き続けている。
一九一三年と一九一四年に始まったものが、一九二九年まで、名前を変えずに続く。
出所の行を年順に並べると、その広がり方が見える。
次の回では、また別の分野を読みたい。
一つの都市の姿だけを、紙の上に集めた人の話である。


