名画の楽しみ方

年の欄に、王朝の名が先に来る——シカゴ美術館のアジア美術

サファヴィー朝(1501年から1722年)、1535年ごろ。一つの欄に、王朝の続いた期間と制作年が二段で入る。十点のうち五点がこの形をとる。下絵と彩色を書き分ける欄もある。部門が変わると欄の使い方がどう変わるかを読みたい。

王アヌーシールワーンと梟
イスラーム《王アヌーシールワーンと梟》シカゴ美術館蔵

年の欄が、二段になっている

サファヴィー朝(1501年から1722年)、1535年ごろ。

これは、ある一点の年の欄にそのまま書かれている文である。

前半は王朝の名と、その王朝が続いた期間。

後半が、この作品が作られたとされる年である。

一つの欄に、二つの時間が入っている。

十点のうち五点が、この形をとる。

サファヴィー朝が二点。

アンコール期が一点。

明朝が一点。

オスマン朝が一点。

そしてムガル朝が一点。

残る五点には、王朝の名がない。

数字か、世紀だけが書かれる。

なぜ王朝の名を、先に置くのか

西暦の年だけでも、時間は特定できる。

それでも王朝の名を先に置くのは、位置づけのためだろう。

1535年と書かれても、その地域で何が起きていた時期かは分からない。

サファヴィー朝の中頃、と書かれれば、様式の系統が見えてくる。

王朝が変われば、宮廷の趣味も、工房の組織も変わる。

作品の性格は、王朝の区切りに沿って動くことが多い。

だから、まず王朝を書く。

西洋絵画の記録では、こういう書き方はまずしない。

ルネサンスやバロックといった語は、年の欄に入らない。

同じ館の中で、部門によって年の書き方が違っている。

王アヌーシールワーンと梟
イラン、タブリーズ《王アヌーシールワーンと梟》サファヴィー朝、1535年ごろ。紙に墨、不透明水彩、金。館の記録では、画面が縦18センチ、横11センチとされる。番号は1932.1366。シカゴ美術館蔵。イスラーム《王アヌーシールワーンと梟》シカゴ美術館蔵

縦長の紙の中央に、絵が置かれる。

絵の周囲は余白で、上下に文字の欄がある。

文字は四角い枠に収められ、細かく並ぶ。

絵の中には、建物と人物が密集する。

上部には、青と桃色の建築が重なる。

塔と、装飾のある壁が見える。

中景には、馬に乗った人物がいる。

頭には大きな巻いた布をかぶる。

その周りに、従者らしい人々が立つ。

下部には、緑と青の地面が広がる。

色は青、桃色、金、緑が細かく散る。

一つずつの形が小さく、輪郭が細い。

紙の縁は褐色に変色し、傷みが見える。

寸法の欄も、二段になる

この一点の寸法の欄にも、二つの数字がある。

画面が縦18センチ、横11センチ。

紙が縦27.9センチ、横15.7センチ。

つまり、絵は紙の一部でしかない。

周囲の余白と文字の欄は、絵の外側である。

こういう作品は、もとは本の頁だった。

本を解いて、一葉ずつ館に入る。

だから寸法の欄に、画面と紙の二つが要る。

十点のうち三点が、この二段の書き方をとる。

うち一点は、三段になっている。

画面、いちばん外の縁、そして頁。

縁の装飾まで別に測られている。

若き皇帝アクバルの捕縛の場面
インド、バサーワン下絵、シャンカル彩色《若き皇帝アクバルの捕縛の場面》。ムガル朝、1590年から1595年ごろ。紙に不透明水彩と金。館の記録では、画面が縦32センチ、横19.3センチとされる。番号は1919.898。シカゴ美術館蔵。バサーワン《若き皇帝アクバルの捕縛の場面》シカゴ美術館蔵

作者の欄に、二人の名が入る一点である。

下絵を描いた人と、彩色した人が分けて書かれる。

画面には、天幕の下の場面が描かれる。

上部に、緑と黄の大きな天幕が張られる。

その下に、赤い衣の人物が座る。

周りには、多くの人物が詰めかける。

槍を持つ者、盾を掲げる者、馬を引く者。

下部では、白い衣の男が取り押さえられる。

数人が腕をつかみ、地面へ押しつける。

背後の上には、丘と、桃色の花の木が見える。

色は赤、緑、黄、白が対比して並ぶ。

一人ずつの顔が、細い線で描き分けられる。

紙の周囲には、金の唐草の縁が回る。

「アジアの美術」という部門

十点は、いずれも同じ部門に属する。

シカゴ美術館の記録では、アジアの美術と呼ばれる部門である。

その範囲は広い。

イラン、トルコ、インド、カンボジア、中国、日本。

西はアナトリアから、東は日本まで。

年代も、十二世紀末から十九世紀末までに及ぶ。

七百年の幅がある。

一つの部門が、これだけの地域と時代を抱える。

前の回の記事で、部門の欄が七つに分かれることを見た。

その一つが、これだけの広さを持っている。

部門の区切り方は、館の歴史や人員の事情にもよる。

いまの区切りが最良とは限らない。

それでも、区切らなければ管理ができない。

種別の欄が、五つに分かれる

十点の種別の欄を見ると、五つある。

絵画が五点。彫刻が一点。陶磁が一点。金工が一点。

そして絵画に分類された屏風と巻物が含まれる。

屏風は家具でもあるが、絵画として扱われている。

掛軸も同じである。

区分の仕方には、館の判断が入る。

紙や絹に描かれていれば絵画、という考え方だろう。

一方、鉄でできた龍は金工に入る。

同じ館の中で、材料と用途のどちらを取るかが揺れている。

揺れているというより、品ごとに妥当な方を選んでいる。

そして選んだ結果だけが、欄に残る。

下絵と彩色を、分けて書く

いま見た一点の作者の欄は、この記事の主題そのものである。

一つの画面を、二人が分担して作った。

一人が構図を決め、一人が色を置く。

宮廷の工房では、こうした分業がふつうだった。

大きな写本を短い期間で仕上げるには、人手が要る。

そして誰がどの役を担ったかが、記録に残された。

館は、それをそのまま作者の欄に写す。

一人の名にまとめたりはしない。

まとめれば、分業という事実が消える。

前の回の記事で、工房作の書き方を見た。

あちらは「誰それの工房」と一語で括る形だった。

こちらは、役ごとに名を挙げる。

同じ分業でも、記録の残り方が違う。

作者の欄に、地名しか入らない三点

十点のうち三点は、作者の欄に人の名がない。

イラン、タブリーズ。

カンボジア、おそらくアンコール・トム。

トルコ、イズニク。

いずれも都市か遺跡の名である。

作った人の名は伝わっていない。

かわりに、作られた場所が書かれる。

これは、前の回で見たヨーロッパの無名の絵と同じ書き方だ。

地名と時代で、位置を示す。

ただし、こちらには世紀ではなく王朝が添えられる。

同じ考え方が、部門ごとに少しずつ形を変えている。

男神(デーヴァ)の頭部
カンボジア、おそらくアンコール・トム《男神(デーヴァ)の頭部》アンコール期、12世紀末から13世紀初め。砂岩。館の記録では、縦85.8センチ、横49.6センチ、奥行き40.1センチとされる。番号は1924.41。シカゴ美術館蔵。クメール《男神(デーヴァ)の頭部》シカゴ美術館蔵

石の頭部だけが残っている。

首から下はない。

顔は正面を向き、目は細く閉じられる。

唇は厚く、口の端がわずかに上がる。

鼻は幅広く、鼻筋が短い。

頭には、円錐形の高い冠が載る。

冠の表面には、細かい格子の刻みがある。

耳は長く、耳たぶが垂れる。

耳飾りの穴が、はっきり残る。

石は灰褐色で、表面に細かい傷がある。

左の頬から顎にかけて、欠けが見える。

寸法の欄には、奥行きまで書かれる。

彫刻なので、三つ目の数字が要る。

チューリップ・ヒヤシンス・薔薇・撫子文のタンカード
トルコ、イズニク《チューリップ・ヒヤシンス・薔薇・撫子文のタンカード》オスマン朝、16世紀後半。イズニク陶器、下絵付。館の記録では、縦19.6センチ、横15センチ、奥行き10.5センチとされる。番号は1913.342。シカゴ美術館蔵。イスラーム《チューリップ・ヒヤシンス・薔薇・撫子文のタンカード》シカゴ美術館蔵

円筒形の器である。

側面に把手が一つ、大きく張り出す。

把手は上下で胴につながり、輪を作る。

白い地に、青と赤と緑で文様が描かれる。

中央に、赤い大きな花が二輪。

その左右に、青い細長い花が立つ。

葉は緑で、細く伸びる。

上と下の縁には、帯状の文様が回る。

上の帯は、青と白の連続する形である。

下の帯には、青い葉の連なりが並ぶ。

把手にも、細い青の線が引かれる。

赤は厚く盛り上がり、指で触れると分かるほどだという。

技法の欄には、その赤を含む四色が挙げられる。

技法の欄が、色を書く

いま見た一点の技法の欄は、変わっている。

イズニク陶器、釉下彩、青・トルコ石色・赤・黒。

使われた四つの色が、名指しで書かれている。

十点の中で、色を書く技法の欄はこの一点だけだ。

なぜ書くのか。

この産地の陶器は、時期によって使える色が変わる。

とくに赤は、ある時期から出るようになった。

だから色の組み合わせが、時代の手がかりになる。

技法の欄に色を書くのは、そのためだと考えられる。

前の回の記事で、材料しか書かない技法の欄を見た。

こちらは、色まで書く。

書く項目は、部門と品種によって変わる。

長さが、七メートル半

十点の寸法を並べると、一点だけ桁が違う。

縦29.9センチ、横759.5センチ。

七メートル半を超える。

巻物である。

巻いて保管し、少しずつ広げて見る。

一度に全体を見ることはない。

だから横の長さは、壁の広さとは関係がない。

館の記録は、その長さをそのまま書く。

公開されている画像も、部分だけが写る。

七メートル半の全体は、一枚の画像には収まらない。

寸法の数字だけが、その規模を伝えている。

国の柱
姚綬《国の柱》明朝、1494年。巻物、紙に墨と彩色。館の記録では、縦29.9センチ、横759.5センチとされる。番号は1953.281。シカゴ美術館蔵。姚綬《国の柱》シカゴ美術館蔵

公開されている画像には、巻物の一部が写る。

右に、細かい文字が縦に並ぶ。

墨の濃淡が一定で、整った書である。

その左に、絵が始まる。

細い枝が、右下から左上へ伸びる。

枝は乾いた墨で描かれ、かすれが残る。

その枝に、小さな鳥が一羽とまる。

体は黒く、胸のあたりが白い。

嘴は短く、下を向く。

枝の下には、竹の葉が数枚描かれる。

葉は青みを帯びた緑で、細い。

左上には、赤い印が押される。

紙は淡い褐色で、地の色が見える。

秋の楓に短冊
土佐光起《秋の楓に短冊》1675年ごろ。六曲一隻の屏風、絹に墨・彩色・金箔・金泥。館の記録では、縦144センチ、横286センチとされる。番号は1977.157。シカゴ美術館蔵。土佐光起《秋の楓に短冊》シカゴ美術館蔵

横に長い画面が、六つの面に分かれる。

面と面のあいだに、細い縦の線が入る。

折りたためる作りである。

画面には、大きな楓の木が描かれる。

幹は右寄りに立ち、枝が左へ大きく伸びる。

葉は赤と橙で、細かく重なる。

枝からは、白い細長い紙が幾枚も下がる。

短冊である。それぞれに文字が書かれる。

紙は風に揺れ、向きが一枚ずつ違う。

背景は金色で、平らである。

下部には、緑の草と青い水が見える。

技法の欄には、金箔と金泥の両方が書かれる。

貼るための金と、描くための金である。

一隻だけが、館にある

いま見た一点の技法の欄には、括弧書きがある。

一対のうちの一隻、という注記である。

もとは二隻で一組だった。

もう一隻がどこにあるかは、記録に書かれていない。

対の絵が離ればなれになる例は、前の回でも見た。

屏風でも同じことが起きる。

一隻ずつ売られ、別々の場所へ渡る。

館の記録は、対であったことだけを残す。

残しておけば、いつか片割れが見つかるかもしれない。

書かなければ、一隻で完結した作品として読まれてしまう。

地蔵尼への参詣
池大雅《地蔵尼への参詣》1755年から1765年。掛軸、紙に墨。館の記録では、縦54.9センチ、横123.2センチとされる。番号は2005.168。シカゴ美術館蔵。池大雅《地蔵尼への参詣》シカゴ美術館蔵

横長の紙に、墨だけで描かれる。

色はほとんど使われない。

右上に、細かい文字が縦に並ぶ。

その左から、人物の列が始まる。

数十人が、左へ向かって歩く。

一人ずつの姿は簡略で、輪郭だけである。

笠をかぶる者、荷を担ぐ者、杖をつく者。

中ほどには、屋根のある小さな建物がある。

その前で、人々が立ち止まる。

線は細く、震えるような筆致である。

紙の地が広く残り、余白が多い。

上部と下部には、表装の布が見える。

上の布は褐色、下の布も同じ色である。

出所の行が、極端に長い一点

いま見た一点の出所の行は、十点でいちばん長い。

基金の名が二つ。

そのあとに、購入に協力した人の名が六人以上並ぶ。

夫妻の名が三組、個人の名が複数。

一点を買うのに、これだけの人が関わっている。

近年の購入では、こういう行が珍しくない。

前の回の記事で、複数の基金を並べた行を見た。

ここでは、基金と個人の寄付が混ざる。

長い行になるが、館は省略しない。

省略すれば、協力した誰かの名が消える。

行の長さは、その一点を買うのに要した労力の記録でもある。

行列のマハーラーナ・ビーム・シング
インド、ラージャスターン、メーワール、ウダイプル、ガーシーに帰される《行列のマハーラーナ・ビーム・シング》1820年ごろ。紙に不透明水彩と金。館の記録では、画面が縦57.1センチ、横41.6センチとされる。番号は1975.507。シカゴ美術館蔵。ガーシー《行列のマハーラーナ・ビーム・シング》シカゴ美術館蔵

縦長の紙に、行列が描かれる。

中央に、白い馬に乗った人物がいる。

馬は装飾のある布を掛けられる。

乗り手は白い衣で、頭に赤い布を巻く。

その背後に、金色の丸い形が浮かぶ。

日輪のように見える。

周囲には、白い衣の人々が数十人並ぶ。

槍を持つ者、旗を掲げる者、楽器を吹く者。

下部には、鹿らしい動物が数頭いる。

背景は濃い緑の草地である。

上部には、青と白の雲が横に伸びる。

作者の欄には、地名が四つ重なる。

国、地方、藩、都市の順である。

地名が、四つ重なる

いま見た一点の作者の欄には、地名が四段階で並ぶ。

インド、ラージャスターン、メーワール、ウダイプル。

そのあとに、画家の名と活動期間が続く。

しかも「に帰される」が付く。

つまり、場所は細かく分かるが、人は確定していない。

前の回で見た、地名の粒度の話と同じ構図である。

分かっている範囲を、分かっている細かさで書く。

分からないところには、留保の語を置く。

この書き方は、部門が違っても変わらない。

館の記録全体を貫く態度である。

王の馬揃え
イラン、おそらくイスファハーン、アリークリー・ジャッバーダール《王の馬揃え》サファヴィー朝、17世紀後半。紙に不透明水彩と金。館の記録では、画面が縦23.1センチ、横17センチとされる。番号は1919.945。シカゴ美術館蔵。アリークリー・ジャッバーダール《王の馬揃え》シカゴ美術館蔵

縦長の紙の中央に、絵がある。

周囲には、濃紺の地に金の草花文の縁が回る。

縁は幅広く、絵と同じくらいの面積を占める。

絵の中には、桃色と赤の帯で区切られた場面がある。

上部に、屋根のある建物が並ぶ。

その下で、多くの人物が集まる。

馬を引く者、跪く者、立って見守る者。

中央には、一段高い場所に人物が座る。

色は桃色、青、緑、金が細かく散る。

一人の背丈は一センチほどしかない。

それでも衣の色と姿勢が描き分けられる。

紙の縁は褐色で、傷みがある。

自在龍
明珍派《自在龍》1880年ごろ。鍛鉄。館の記録では、寸法の欄が空である。番号は1888.146。シカゴ美術館蔵。明珍派《自在龍》シカゴ美術館蔵

鉄でできた龍である。

体は細長く、水平に伸びる。

胴には細かい鱗が並ぶ。

一枚ずつが打ち出され、重なる。

四本の脚が体を支える。

爪は鋭く、前へ突き出る。

頭には角が二本、後ろへ伸びる。

口はわずかに開き、歯が見える。

目は丸く、突き出る。

尾は先へ向かって細くなる。

体は関節でつながり、動かせる作りである。

技法の欄には、鍛鉄とだけ書かれる。

寸法の欄は空で、数字がない。

出所の行に、基金と個人が混ざる

十点の出所の行を数えると、七通りある。

基金による購入が三点。

収集家の名を冠したコレクションが三点。

基金と個人の寄付を並べた行が一点。

そして二人の連名による寄贈が一点。

残る二点も、それぞれ別の形をとる。

版画とは違い、アジアの絵画や彫刻は一点ずつ買われることが多い。

まとまった収集として入る例も、もちろんある。

十点のうち三点が同じ収集家の名を持つのは、その例だ。

出所の行の型は、これまでの記事で見てきたものと変わらない。

寄贈か、購入か。個人か、基金か。

部門が違っても、行の骨格は同じである。

受入の年が、九十年に散る

十点の番号の頭を並べてみる。

1888年、1913年、1919年が二点、1924年、1932年。

1953年、1975年、1977年、2005年。

最初と最後で、百十七年ひらく。

いちばん古い受入は1888年である。

館が開いてまもない時期に、日本の鉄の細工が入っている。

その頃、欧米では日本の工芸への関心が高かった。

出所の行を見ると、二人の連名による寄贈である。

いずれも館の設立に関わった人物の名だ。

館の最初期の収蔵品に、アジアの工芸が含まれていたことになる。

そして最も新しい受入は2005年。

百十七年のあいだ、この部門は増え続けている。

部門が違えば、欄の使い方も違う

十点は、同じ館の同じ部門に属する。

しかし、その中で扱う品はまるで違う。

写本の頁、掛軸、屏風、巻物、石の彫刻、陶器、鉄の細工。

紙、絹、砂岩、陶土、鉄。

材料も、大きさも、用途も揃わない。

それでも記録の欄は、同じ形式で書かれる。

作者、題、年、技法、寸法、出所。

欄の名は同じで、中身の書き方だけが変わる。

年の欄に王朝が入るのは、そのうちの一つの変化である。

前の回の記事で、シカゴ美術館の番号の設計を見た。

番号は分野で分かれず、年と通し番号で通されていた。

欄の設計も同じ考え方でできている。

骨格は共通、中身は分野に合わせる。

王朝の名が、読者に渡すもの

年の欄に王朝の名があると、読む側の手がかりが増える。

その王朝を知らなくても、名前を検索できる。

期間が括弧で示されているので、時代の幅も分かる。

1501年から1722年という数字を見れば、二百年の王朝だと分かる。

そのどのあたりかは、後半の年で決まる。

たった一行で、地域と時代と位置が伝わる。

書かなければ、1535年という数字だけが残る。

数字だけでは、地域の文脈は伝わらない。

館の記録は、その文脈を短く添えている。

十点のうち五点にそれがあり、五点にはない。

ない五点は、日本と、十九世紀のインドの作品である。

なぜ書き分けられているのかは、記録には説明がない。

分かるのは、そういう差があるという事実だけである。

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