美術史・技法

役割の欄に、七つの言葉がある——十七・十八世紀の銃

銃工、銃身を打つ人、機関を作る人、銃床を作る人、鋼を彫る人、製造所、そして売った人。九点の作者の欄には、名が二つから四つ並ぶ。同じ二人の順序が入れ替わる例もある。分業の記録を読みたい。口径と全長と銃身長が、並んで書かれる。

火打石式銃
ルイ・ジャレ《火打石式銃》メトロポリタン美術館蔵

役割の欄に、七つの言葉がある

銃を九点、記録の欄で並べてみる。

作者の欄には、名が二つか三つ、多いものは四つ並ぶ。

そして、その横の役割の欄に、こういう語が入る。

銃工。銃身を打つ人。機関を作る人。

銃床を作る人。鋼を彫る人。

製造所。そして、売った人。

九点だけで、七種類の語が出てくる。

絵画の記録では、役割の欄が使われることは少ない。

描いた人がいれば、それで足りるからだ。

銃では、それでは足りない。

一挺を作るのに、いくつもの職能が要る。

銃は、四つの部分でできている

銃身。機関。銃床。そして装飾。

このうち、銃身は鋼を巻いて筒にする仕事である。

機関は、火をつける仕掛けを組む仕事だ。

銃床は、木を削って握りと台を作る。

装飾は、金属に彫りを入れ、金や銀を象嵌する。

四つとも、まったく別の技術である。

同じ人が全部を担うことは、まずない。

だから、記録の作者の欄が複数になる。

前の回の記事で、甲冑の記録を見た。

あちらでは、作者の欄はせいぜい二人だった。

銃では、四人並ぶ例がある。

火打石式銃
ルイ・ジャレ彫金、ニコラ・カルトロン銃身、ジョゼフ・ブラション銃床《火打石式銃》1735年。館の記録では、鋼、金、木、銀。全長146.1センチ、銃身の長さ106.5センチ、口径15.7ミリ。番号は1987.274。メトロポリタン美術館蔵。ルイ・ジャレ《火打石式銃》メトロポリタン美術館蔵

長い銃が、横向きに置かれる。

銃床は明るい褐色の木で、虎斑が走る。

木目は、光の当たり方で縞に見える。

その表面に、銀の細い象嵌が広がる。

葉と渦が絡み合う文様である。

床尾は下へ張り出し、厚みがある。

中ほどに、鋼の機関部がある。

そこには金の彫りが密に入る。

引き金の周りを、細い護りが囲む。

そこから右へ、長い銃身が伸びる。

銃身は八角形に見える面を持つ。

全長のうち、七割ほどが銃身である。

三人の名が、三つの仕事に対応する

いま見た一点の作者の欄には、三人の名がある。

鋼を彫る人、銃身を打つ人、銃床を作る人。

装飾、銃身、木部の三つだ。

機関を組んだ人の名は、入っていない。

分からなかったのか、記録が省いたのか。

館は、そこには触れない。

三人分かっている、という事実だけが書かれる。

四つの部分のうち、三つに名が付いた。

残る一つは空いたままである。

空いていることを、こちらで埋めてはいけない。

同じ二人の名が、順序を入れ替えて出る

九点のうち四点は、二人の名が並ぶ。

そのうち二組で、面白いことが起きている。

同じ二人の名が、二点で順序を入れ替えて書かれている。

一方の点では、鋼を彫る人が先。

他方の点では、銃床を作る人が先。

しかも、その二点は番号が連番である。

つまり、同じ日に同じ経路で入っている。

なぜ順序が違うのか。

その品で主となった仕事を先に書いたのかもしれない。

記録を作った人が、別々だったのかもしれない。

館は、理由を書かない。

書かないが、二点を並べれば違いは見える。

一点ずつ見ていては、決して気づけない。

車輪式銃
ダニエル・ザーデラー彫金、ヒエロニムス・ボルストルファー銃床《車輪式銃》1610年から1630年ごろ。館の記録では、鋼、金、果樹の木、象牙、角。全長110.8センチ、銃身の長さ81.1センチ、口径14.2ミリ、重さ3450グラム。番号は14.25.1396。メトロポリタン美術館蔵。ダニエル・ザーデラー《車輪式銃》メトロポリタン美術館蔵

銃床は褐色の木で、太く短い。

床尾は下へ大きく張り出す。

その表面に、白い象嵌が帯状に走る。

象牙か骨を細く切って、埋め込んだものだ。

帯のあいだに、金色の彫りが見える。

機関部は鋼で、円い覆いが付く。

車輪を回して火花を出す仕組みである。

引き金の下に、大きく曲がった護りが下がる。

銃身は細く、右へまっすぐ伸びる。

銃身の上に、細い照準が二か所ある。

全体に、装飾が銃床側に集中している。

車輪式銃
ヒエロニムス・ボルストルファー銃床、ダニエル・ザーデラー彫金《車輪式銃》1610年から1630年ごろ。館の記録では、鋼、金、黒檀と果樹の木、象牙、角。全長107.6センチ、銃身の長さ78.4センチ、口径14.2ミリ、重さ4000グラム。番号は14.25.1397。メトロポリタン美術館蔵。ダニエル・ザーデラー《車輪式銃》メトロポリタン美術館蔵

この一点の公開画像は、白黒である。

しかも、銃床の後部だけを大きく写している。

全体像ではなく、部分の写真だ。

写っている面は、彫りで埋め尽くされる。

葉と巻き髭が、隙間なく絡み合う。

そのあいだに、小さな人物が現れる。

面の上端に、白い帯が走る。

象嵌の帯だろう。

床尾の輪郭が、なだらかに反り返る。

写真の下に、機関部の一部が写る。

古い写真であることが、粒子の粗さから分かる。

白黒の写真が、二点ある

九点のうち二点は、公開画像が白黒である。

いずれも、受入が古い作品だ。

1913年と1916年の受入である。

撮影の時期は分からないが、相当古い。

館は、その写真をそのまま公開している。

すべての作品を撮り直す余裕は、どの館にもない。

十万点を超える収蔵品を、一枚ずつ撮り直すのは難しい。

だから、古い写真が残る。

白黒であれば、木の色も金の色も分からない。

技法の欄に金とあっても、写真では確かめられない。

記録と画像が、たがいを補い合う。

どちらか一方では、足りないことがある。

ミクレット式銃
アントニオ・ギサソラ銃身、フアン・ナバロ機関《ミクレット式銃》1796年。館の記録では、鋼、金、銀、胡桃。全長123.2センチ、銃身の長さ86.4センチ、口径17.3ミリ、重さ2438グラム。番号は16.135。メトロポリタン美術館蔵。アントニオ・ギサソラ《ミクレット式銃》メトロポリタン美術館蔵

白黒の写真である。

銃が横向きに、白い地の上に置かれる。

銃床は黒く、後部が下へ深く張り出す。

その輪郭は、鋭い角度で切れ込む。

握りの部分が細く、床尾が幅広い。

機関部は明るく写り、彫りが見える。

引き金の護りが、細く曲がる。

そこから右へ、長い銃身が伸びる。

銃身の中ほどに、明るい帯が一本入る。

銀の帯だろう。

先端近くにも、同じ帯がもう一本ある。

銃身と機関だけが、記録される

いま見た一点の作者の欄には、二人の名がある。

銃身を打つ人と、機関を作る人。

銃床を作った人の名はない。

装飾を担った人の名もない。

四つの部分のうち、二つだけが分かっている。

前に見た一点では、三つ分かっていた。

分かる数は、点によって違う。

理由は、銘の残り方である。

銃身には、打った人の刻印が入ることが多い。

機関の板にも、名が入る。

木の銃床には、まず入らない。

だから、木を削った人の名は残りにくい。

材料の性質が、記録の内容を決めている。

売った人の名が、作者の欄に入る

九点のうち一点は、作者の欄が四人である。

銃身を打つ人。銃工。機関を作る人。

そして四人目が、売った人である。

作ることに関わっていない人の名が、同じ欄にある。

なぜか。

銃には、売った店の名が刻まれることがあるからだ。

刻まれていれば、記録はそれを写す。

写すときに、作者の欄しか置き場所がない。

役割の欄に、売った人と書き添える。

そうして、作者の欄が四人になる。

作者という語の幅が、ここで大きく広がっている。

前の回の記事で、修復した人が作者の欄に入る例を見た。

同じことが、別の方向で起きている。

二連の火打石式散弾銃
レオポール・ベルナール銃身、ニコラ・ノエル・ブーテ銃工ほか《二連の火打石式散弾銃》1818年から1820年ごろ。交換用の雷管式機関と銃身は1860年。館の記録では、鋼、金、胡桃、銀、角。銃の全長120.3センチ。番号は42.50.7。メトロポリタン美術館蔵。ニコラ・ノエル・ブーテ《二連の火打石式散弾銃》メトロポリタン美術館蔵

画像には、複数のものが写る。

上に、銃が一挺、斜めに置かれる。

銃床は金色に輝き、彫りが密に入る。

床尾は下へ張り出し、丸みを帯びる。

機関部にも、金の装飾がある。

その下に、二本の銃身だけが横たわる。

銃身は黒く、根もとに金の飾りが付く。

さらに右下に、小さな部品が二つある。

いずれも、機関の板である。

つまり、交換用の部品が並べて撮られている。

一挺の銃に、二組の部品が付属する。

年の欄に、四十年の差がある

いま見た一点の年の欄は、二つに分かれる。

銃そのものは1818年から1820年ごろ。

交換用の機関と銃身は、1860年。

四十年の差がある。

火をつける仕組みが、そのあいだに変わった。

古い方式の銃を、新しい方式でも使えるようにした。

だから、部品を追加で作った。

作った人も、当然別である。

館の記録は、その事情を年の欄で示す。

一つの年に丸めれば、この履歴は消える。

分けて書くことで、四十年の隔たりが残る。

前の回の記事で、甲冑の修復年について同じことを書いた。

年の欄は、作られた瞬間だけを指さない。

製造所の名が、一人目に来る

九点のうち一点は、作者の欄の一人目が施設の名である。

王立の武器製造所、と書かれる。

二人目に銃工、三人目に銃身を打つ人が続く。

組織が先、個人が後。

これは、その施設の管理下で作られたことを示す。

十八世紀の後半、国営の工場が銃を作っていた。

そこで働く職人の名も、記録に残っている。

組織と個人を、同じ欄に並べる。

順序で、どちらが上位かを示す。

役割の欄には、製造所とだけ書かれる。

具体的に何をしたかは、書かれない。

火打石式拳銃一対
トッレ・アヌンツィアータ王立武器製造所ほか《火打石式拳銃一対》1768年ごろ。館の記録では、鋼、金、胡桃、銀。各全長44.1センチ、各銃身の長さ28.1センチ、口径16ミリ。番号は26.259.5と.6。メトロポリタン美術館蔵。トッレ・アヌンツィアータ王立武器製造所《火打石式拳銃一対》メトロポリタン美術館蔵

拳銃が二挺、上下にずらして置かれる。

上の一挺は左を向き、下の一挺は右を向く。

どちらも、握りの先が丸くふくらむ。

その丸みに、銀の飾りが被さる。

銃床の全面に、銀の象嵌が広がる。

葉と花の文様が、隙間なく続く。

機関部の板にも、彫りが入る。

撃鉄が上に立ち、細い曲線を描く。

銃身は黒く、中ほどに銀の帯が回る。

二挺は、装飾も長さも揃っている。

一対として作られたことが、見て分かる。

口径という欄

九点の寸法の欄には、絵画にない項目がある。

口径である。

銃身の内側の直径を、ミリで書く。

九点では、11ミリから17ミリまで散らばる。

弾の大きさが、そのまま用途を示す。

大きければ、大きな獲物を狙う。

小さければ、的を撃つ。

寸法の欄が、用途の手がかりになっている。

ところが一点では、その数字が合わない。

英寸の値と、ミリの値が対応していない。

換算のときに、桁を間違えたのだろう。

記録には、こういう傷が残ることがある。

全長と銃身長が、同じになっている

もう一点、数字の合わない例がある。

全長と、銃身の長さが同じ数字で書かれている。

銃身が全長と同じなら、銃床がないことになる。

写真を見れば、銃床はしっかりある。

写し間違いだろう。

同じ数字を二つの欄に入れてしまった。

前の回の記事でも、同じ種類の傷を見た。

数字は、意味を持たないぶん、間違えても気づかれにくい。

読む側が、比べて気づくしかない。

九点を並べたから、この一点が浮いて見えた。

車輪式銃
エリアス・ベッカー銃床、カスパル・シュペート彫金《車輪式銃》1668年。館の記録では、鋼、金、黒檀、角、骨。銃身の長さ77.6センチ、口径13.9ミリ、重さ3572グラム。番号は29.158.668。メトロポリタン美術館蔵。カスパル・シュペート《車輪式銃》メトロポリタン美術館蔵

銃床は黒く、つやがある。

黒檀を使っていると、技法の欄にある。

その黒い面に、金の象嵌が密に入る。

葉と渦の文様が、床尾いっぱいに広がる。

床尾は下へ張り出し、角が立つ。

機関部にも、金の彫りが施される。

銃身は、銃床より明るい灰色である。

上面に、細い溝が走る。

引き金の護りは、細く長い。

黒と金の対比が、九点でもっとも強い。

同じ二人が、別の年にも組む

いま見た一点の二人は、もう一点でも組んでいる。

そちらは、1640年から1650年ごろの作である。

こちらは、1668年。

二十年ほど離れている。

そして、作者の欄の順序が入れ替わっている。

前に見た組と、まったく同じ現象だ。

九点のうち、この現象が二組で起きている。

偶然とは考えにくい。

複数の記録が、別々の時期に作られたのだろう。

同じ館の中でも、記録の書き方は一様ではない。

車輪式銃
カスパル・シュペート彫金、エリアス・ベッカー銃床《車輪式銃》1640年から1650年ごろ。館の記録では、鋼、金、果樹の木、角、骨。全長106.4センチ、銃身の長さ77.6センチ、口径11.7ミリ、重さ3350グラム。番号は04.3.180。メトロポリタン美術館蔵。カスパル・シュペート《車輪式銃》メトロポリタン美術館蔵

銃床は明るい褐色の木である。

床尾は下へ張り出し、丸く反る。

その表面に、金の象嵌が細かく入る。

花と葉が連なる文様である。

機関部は鋼で、金の彫りが施される。

車輪の覆いが、円く盛り上がる。

引き金の護りが、大きく弧を描く。

銃身は細長く、右へまっすぐ伸びる。

銃身の表面にも、金の線が走る。

全体が細身で、軽く見える。

重さは3350グラム。九点で二番目に軽い。

同じ姓の二人が、並ぶ

九点のうち一点は、作者の欄が二人とも銃工である。

そして、二人の姓が同じである。

親族だろう。

役割の欄には、どちらも銃工とある。

区別が書かれていない。

同じ仕事を、二人で分担したのか。

一方が主で、他方が助手だったのか。

館は、そこを書かない。

前の回の記事で、甲冑師の親子が並ぶ例を見た。

家族で工房を営むのは、珍しくない。

その事情が、作者の欄の姓の一致に出ている。

火打石式銃
マラン・ル・ブルジョワ、ピエール・ル・ブルジョワ《火打石式銃》1620年ごろ。館の記録では、鋼、真鍮、銀、金、胡桃、真珠層。全長140.5センチ、銃身の長さ104.1センチ。番号は1972.223。メトロポリタン美術館蔵。ピエール・ル・ブルジョワ《火打石式銃》メトロポリタン美術館蔵

銃床の後部が、渦を巻いて終わる。

床尾がくるりと丸まり、中心に円がある。

こういう形は、九点の中でこれだけである。

木の地は暗い褐色で、つやがある。

その面に、白い象嵌が散る。

真珠層を切って埋め込んだものだろう。

機関部は銀色で、彫りが深い。

撃鉄は、獣の首のような形をしている。

銃身は黒く、右へ長く伸びる。

銃身の根もとに、金の飾りが付く。

全体が細長く、優美に見える。

装飾の位置が、九点で共通する

九点の写真を並べて、装飾の場所を見比べてみる。

いずれも、銃床と機関部に装飾が集中する。

銃身は、根もとと先端に少し飾りが入るだけだ。

理由は、機能にある。

銃身は、内側が正確な筒でなければならない。

外から彫れば、厚みが変わる。

厚みが変われば、破裂の危険が増す。

だから、銃身には手を入れにくい。

一方、銃床は木である。

削っても、機能に響かない。

機関部の板も、外側は装飾できる。

技法の欄に並ぶ金や銀は、ほとんどが銃床と機関にある。

材料の一覧を、位置の情報として読み替えられる。

出所の行が、七つに分かれる

九点の出所の行を並べると、七つの経路になる。

基金による購入が四点。

寄贈が三点。

記念の収集からの受入が一点。

複数の基金を合わせた購入が一点。

受入の年は、1904年から1987年まで散らばる。

八十年以上かけて、九点が集まった。

そのうち二点だけが、同じ寄贈者から来ている。

前に見た、順序の入れ替わった二点である。

同じ日に入り、連番を与えられた。

それでも、記録の書き方は揃わなかった。

同じ受入の中でさえ、揺れが起きる。

銃床の材料が、点ごとに違う

九点の技法の欄から、木の名だけを抜き出してみる。

胡桃。果樹の木。黒檀。梨の木。ぶな。

そして、木としか書かれない点もある。

木の名を書く点と、書かない点がある。

書かれているのは、比較的新しい記録だろう。

古い記録では、材料の同定が甘い。

あるいは、調べる機会がなかった。

木の名は、見ただけでは分かりにくい。

顕微鏡で組織を見れば分かる。

そこまでやった作品と、やっていない作品がある。

欄の詳しさは、調査の有無を映している。

作品の性質の差ではない。

一挺に、何人が関わったか

九点の作者の欄に出てくる名は、延べ二十一である。

うち一つは施設の名、一つは売った人の名。

残る十九が、作った人の名である。

一点あたり、二人から四人。

しかし、それでも全員ではない。

鋼を作った人、木を切り出した人。

象嵌の材料を切り出した人。

そのすべてが、記録の外にいる。

記録に残るのは、刻印を打った人だけである。

刻印を打つ資格を持つ人が、作者として残る。

前の回の記事で、鐔について同じことを書いた。

材料が違っても、記録の原理は変わらない。

役割の欄が、記録を細かくする

最後に、役割の欄そのものを考えてみたい。

この欄がなければ、名が並ぶだけである。

三人並んでいても、誰が何をしたか分からない。

役割の欄があるから、分業の形が見える。

そして、欄の語が七種類もあるから、細かく見える。

一方で、語の数が多いと、揺れも生じる。

銃工と機関を作る人は、どう違うのか。

彫る人と装飾する人は、同じ仕事ではないのか。

九点の記録の中でも、その線は揺れている。

揺れているまま、館はそのまま書く。

整理して統一すれば、読みやすくはなる。

そのかわり、元の記録が何と書いていたかが消える。

読みにくさを引き受けるほうが、失うものは少ない。

九点の重さを比べておく。

書かれているのは五点で、2438グラムから4000グラムまで。

重い一点と軽い一点で、一・六倍の差がある。

銃身が長ければ重くなり、装飾が多ければさらに重くなる。

重さの欄は、絵画の記録にはまず現れない。

持ち上げて使う道具だから、重さが意味を持つ。

記録の欄は、その品の使われ方に合わせて増える。

口径も、重さも、銃身の長さもそうである。

欄の顔ぶれを見れば、その品が何であるかが分かる。

作品を見ないうちから、欄の形が語りはじめる。

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