画家を知る

絵本を、壁画にする——モンヴェルのジャンヌ・ダルク

絵本『ジャンヌ・ダルク』で世界に名を成した挿絵画家は、晩年、同じ物語を金箔入りの横長カンヴァス六面で描き直した。物語の順と制作の順のずれ、そして未完に近い最終面。画家の死で閉じられた「壁の大きさの絵本」を通しで読む。

幻視と霊感(ジャンヌ・ダルク連作 I)
ルイ=モーリス・ブーテ=ド=モンヴェル《幻視と霊感(ジャンヌ・ダルク連作 I)》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

木陰で、少女が祈っている

一枚の横長の絵から始めたい。

幻視と霊感(ジャンヌ・ダルク連作 I)
ルイ=モーリス・ブーテ=ド=モンヴェル《幻視と霊感(ジャンヌ・ダルク連作 I)》1907〜09年ごろ。油彩と金箔・画布。縦75.6センチ、横168.9センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ルイ=モーリス・ブーテ=ド=モンヴェル《幻視と霊感(ジャンヌ・ダルク連作 I)》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

横に長い画面である。縦75.6センチに対し、横は168.9センチ。

高さの2倍を超える幅がある。絵本の見開きを思わせる比率である。

実際、この絵の作者は絵本の画家として名を成した人である。

そのことは、後で詳しく述べる。

まずは画面をゆっくり見たい。

画面には、木陰で祈る農家の娘が描かれている。

粗末な身なりの少女が、両手を合わせ、目を閉じている。

木の幹と葉叢が、少女の頭上に静かな陰をつくる。

その傍らの空中に、三人の聖なる姿が現れている。

地に足を着けた娘と、宙に浮かぶ幻。ふたつの世界がひとつの画面にある。

三人は金色の光背を負う。衣も光も、静かに輝いている。

娘のまわりの緑や土の色は、落ち着いて平明である。

だから金色の一角だけが、異界のものとして際立つ。

これがジャンヌ・ダルクである。フランスの村ドンレミの、農家の娘。

伝記によれば、13歳のころから「声」を聞いたと伝えられる。

声の主は大天使ミカエルと二人の聖女だった、と後の証言は語る。

フランスを救えという声である。この絵は、その最初の場面を描く。

長い物語の、最初の頁。連作の第1面は、そういう位置にある。

金箔が、ほんとうに光る

注目したいのは、技法の欄である。「油彩と金箔・画布」とある。

油絵の具だけではない。画面には本物の金箔が貼られている。

聖人たちの光背や衣の輝きは、絵の具で描いた光ではない。

金属の箔が、部屋の照明を実際に反射しているのである。

見る者が動けば、光も動く。中世の祭壇画と同じ仕掛けである。

金地のテンペラ画が、蝋燭の光にきらめいたように。

複製図版では、この効果は伝わりにくい。実物の前でだけ起きることである。

この連作の6面すべてが、油彩と金箔の併用で描かれている。

近代の油彩画は、ふつう金箔を使わない。

光は絵の具で描くもの、というのが写実の約束だからである。

その約束を、この画家はあっさり破っている。

あえて中世の祭壇画の材料に戻った。ここに意図があるはずである。

聖なるものの光は、描くのではなく、貼る。

その割り切りが、この連作の性格をよく表している。

挿絵画家、オルレアンに生まれて

作者を紹介したい。ルイ=モーリス・ブーテ・ド・モンヴェル。

1851年に生まれ、1913年に没したフランスの画家である。

出発点はアカデミックな油彩画家だった。

正統な美術教育を受け、サロンに出品する道を歩んでいる。

しかし彼の名を高くしたのは、大画面の油彩ではない。

子どものための挿絵である。

童謡集や物語の絵本に、彼は柔らかな色摺りの絵を寄せた。

行儀よく並んだ子どもたち、淡い色、澄んだ輪郭線。

その画風は一目で彼のものと分かる個性を持っていた。

絵本によって、モンヴェルは広く知られる存在になったのである。

そして生まれた街が、オルレアンだった。

百年戦争でジャンヌ・ダルクが解放した、まさにその街である。

オルレアンは今も、毎年ジャンヌを記念する祭りで知られる街である。

その街に生まれた画家が、生涯をかけてジャンヌを描いた。

この符合は、しばしば運命的に語られる。

もちろん偶然だろう。だが画家自身がこの偶然を引き受けたことは確かである。

1896年の絵本が、世界へ

1896年、モンヴェルは絵本『ジャンヌ・ダルク』を出版する。

少女の生涯を、色摺りの挿絵と文章でたどる一冊である。

この絵本は国際的な成功を収めた。

色摺り挿絵本の名作として、国境を越えて読まれたのである。

平明な輪郭線。淡く平らな色面。物語を運ぶ、横長の画面構成。

子どもが迷わず読める絵でありながら、大人の目にも品格があった。

一人の少女の生涯を、頁を繰るごとに追っていく。

祈り、旅立ち、戦い、栄光、そして受難。

絵本という小さな器に、悲劇まで含めた生涯が収められていた。

本作の連作は、その約十年後に始まる。

同じ主題を、同じ様式のまま、桁違いの大きさで描き直す試みである。

頁が壁になったら何が起きるか。それがこの記事の関心である。

ジャンヌ・ダルクという、時代の主題

主題についても触れておきたい。

ジャンヌ・ダルクは15世紀の実在の人物である。

百年戦争の末期、フランスの農民の娘が神の声を聞いた。

彼女は王太子シャルルのもとへ赴き、軍を率いて英軍と戦った。

オルレアンを解放し、王太子をランスでの戴冠へ導いた。

だが捕らえられ、異端の裁判にかけられ、19歳で火刑に処された。

この娘の記憶は、19世紀末から20世紀初頭のフランスで燃え上がる。

敗戦と混乱を経た時代のフランスは、国民の物語を求めていた。

救国の乙女ほど、その求めに応える主題はなかっただろう。

国民的な英雄として、彼女は絵画に、彫刻に、書物に繰り返し登場した。

教会もまた彼女を顕彰した。1909年に列福、1920年に列聖である。

つまりモンヴェルが描いていたころ、ジャンヌはまだ聖人ではなかった。

聖人になりつつある人だった。崇敬はまさに高まりの途上にあった。

モンヴェルの絵本と連作は、その熱のただなかで生まれたのである。

問い——絵本の絵は、壁画になれるか

ここで問いを立てたい。

絵本の絵は、壁画になれるか。

挿絵は小さい。手の中の頁で完結する絵である。

壁画は大きい。建築の壁面を引き受け、公共の物語を担う絵である。

両者のあいだには、サイズだけでなく格式の差があるとされてきた。

モンヴェルの連作は、この境界への挑戦だった。

絵本で完成させた平明な様式を、変えない。

そのまま横1.7メートル級のカンヴァス6面に拡大する。

しかも金箔を併用し、祭壇画の威厳をまとわせる。

子どもの絵の文法で、国家的主題の大画面を描く実験である。

6面はいずれも縦75.6センチで揃えられている。

横幅は168.9センチから178.4センチまで、わずかに異なる。

同じ高さの横長画面が、帯のように連なっていく構成である。

壁にめぐらせれば、部屋そのものが一冊の物語になる。

では、その実験は成功したのか。

物語の順に、残る5面を見ていきたい。

宮廷は、柄の洪水である

第2面は、宮廷の場面である。

王太子への直訴(ジャンヌ・ダルク連作 II)
ルイ=モーリス・ブーテ=ド=モンヴェル《王太子への直訴(ジャンヌ・ダルク連作 II)》1906年。油彩と金箔・画布。縦75.6センチ、横170.2センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ルイ=モーリス・ブーテ=ド=モンヴェル《王太子への直訴(ジャンヌ・ダルク連作 II)》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

村を出たジャンヌは、王太子シャルルの宮廷に着く。

伝承では、王太子は廷臣の中に紛れて娘を試したという。

田舎娘に自分が見分けられるか、という試験である。

娘は迷わず本物の王太子を見抜いた、と伝えられる場面である。

物語の急所であり、絵にする側の腕が試される場面でもある。

見抜く、という目に見えない出来事を、どう描くか。

画面には、着飾った廷臣たちがひしめいている。

その衣装がすさまじい。花模様、幾何学模様、縞、格子。

柄物の布が画面を埋め、まるで壁紙の見本帳のようである。

人物たちは横に並び、奥行きは浅い。

群衆はほとんど文様と化している。

そのなかで、簡素な衣の娘だけが柄を持たない。

柄の洪水の中の無地。それだけで、主役の居場所が分かる。

視線の誘導に、明暗の劇も遠近法の消失点もいらない。

柄と無地の対比だけで、絵は語るべきことを語ってしまう。

装飾こそが語りの手段である。この連作の方法が、ここに凝縮している。

なおこの面には1906年の年記があり、6面で最も早い作である。

物語の第2場面から連作が始まったことは、後で意味を持ってくる。

白い甲冑が、旗の林を進む

第3面で、娘は戦士になる。

甲冑の乙女、馬上に(ジャンヌ・ダルク連作 III)
ルイ=モーリス・ブーテ=ド=モンヴェル《甲冑の乙女、馬上に(ジャンヌ・ダルク連作 III)》1908〜09年ごろ。油彩と金箔・画布。縦75.6センチ、横171.5センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ルイ=モーリス・ブーテ=ド=モンヴェル《甲冑の乙女、馬上に(ジャンヌ・ダルク連作 III)》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

白い甲冑をまとったジャンヌが、馬上にある。

王太子に認められた娘は、軍装を与えられ、兵を率いて進む。

周囲には白と黒の衣の修道士たちが列をなす。

祈りの列と武装の列が、同じ行進のなかに並んでいる。

頭上には旗がひるがえり、槍が林のように立ち並ぶ。

ここでも画面は、垂直の線の反復で組み立てられている。

槍の線、旗竿の線、修道士の立ち姿の線。

行進の律動が、線の律動としてそのまま画面になる。

農家の娘が甲冑を着る。この装いの転換は、物語の転換そのものである。

甲冑が人物の役割を語る仕組みは、衣装としての甲冑で詳しく書いた。

白い甲冑は、ここでは戦いの道具である以上に、清らかさの衣装である。

画面が、渦になる

第4面は、戦闘である。

戦いの混乱(ジャンヌ・ダルク連作 IV)
ルイ=モーリス・ブーテ=ド=モンヴェル《戦いの混乱(ジャンヌ・ダルク連作 IV)》1909〜13年ごろ。油彩と金箔・画布。縦75.6センチ、横172.7センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ルイ=モーリス・ブーテ=ド=モンヴェル《戦いの混乱(ジャンヌ・ダルク連作 IV)》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

ここまで整然と並んでいた線が、一斉に乱れる。

旗と甲冑と馬体が画面全体でぶつかり合い、渦を巻く。

どこが敵でどこが味方か、すぐには見分けられない。

画面の端から端まで、休む場所のない密度が続く。

題は《戦いの混乱》。混乱そのものが主題なのである。

秩序の第3面と、混乱の第4面。並べると対比は明らかである。

行進は縞だった。戦闘は渦である。

だが乱戦のなかでも、輪郭線は崩れない。

一人一人の兵士は、なお切り紙のようにくっきりと区切られている。

筆は荒れず、色は濁らない。

混乱すら、装飾として統御されているのである。

この第4面には、後で触れるべき事情がある。いったん先へ進む。

輪郭線と、平らな色面

ここで様式を整理したい。

モンヴェルの絵は、はっきりした輪郭線と平らな色面でできている。

陰影は最小限で、人物は型紙のように整理される。

群衆は柄となり、行列は縞となり、戦闘は渦の文様となる。

この様式には、日本の版画の影響が指摘されることがある。

平らな色面と大胆な輪郭は、当時の欧州が学んだ日本の文法だった。

中世の写本挿絵との近さも、しばしば語られる。

金地に人物を並べ、物語を帯状に流す構成は、写本や祭壇画に通じる。

つまりこの様式は、素朴に見えて、二重に由緒正しい。

「装飾的」という言葉は、絵画の世界では貶し言葉にもなる。

深みがない、という意味を込めて使われるからである。

だがモンヴェルにおいて、装飾は語りの文法そのものである。

輪郭で人物を切り出すから、遠目にも場面が読める。

色面を平らに保つから、6面を並べたときに調子が揃う。

群衆を文様にするから、大人数の場面が騒がしくならない。

どの選択も、壁の絵として理にかなっている。

平らであることは、物語を遠くまで、誰にでも届けるための選択だった。

装飾的、という言葉をここでは最上の褒め言葉として使いたい。

金と緋の、戴冠式

第5面は、物語の頂点である。

ランスの戴冠(ジャンヌ・ダルク連作 V)
ルイ=モーリス・ブーテ=ド=モンヴェル《ランスの戴冠(ジャンヌ・ダルク連作 V)》1907年。油彩と金箔・画布。縦75.6センチ、横178.4センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ルイ=モーリス・ブーテ=ド=モンヴェル《ランスの戴冠(ジャンヌ・ダルク連作 V)》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

1429年、ランスの大聖堂で王太子は戴冠し、シャルル7世となった。

ジャンヌの使命が成就した瞬間である。

画面は金と緋に満ちている。

祭服の金、王衣の緋、そして貼られた金箔の輝き。

第1面で幻にだけ宿っていた金色が、ここでは地上の儀式を覆う。

天の光が、王権の光へ受け渡される。色がそう語っている。

6面のうち、この第5面だけがひときわ横に長い。横178.4センチある。

儀式の荘厳を、幅そのもので語ろうとしたのだろう。

大聖堂の内部に、聖職者と貴族が幾重にも並ぶ。

ここでも人の列は、織物の文様のように画面を埋めている。

甲冑姿のジャンヌは旗を掲げて立つ。

戦場の白い甲冑が、ここでは式典の栄光の衣装に変わっている。

なおこの面には1907年の年記がある。この事実も、後の節で効いてくる。

床に、窓の光が落ちる

そして最終面、第6面である。

ジャンヌ・ダルクの裁判(ジャンヌ・ダルク連作 VI)
ルイ=モーリス・ブーテ=ド=モンヴェル《ジャンヌ・ダルクの裁判(ジャンヌ・ダルク連作 VI)》1909〜10年ごろ。油彩と金箔・画布。縦75.6センチ、横171.5センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ルイ=モーリス・ブーテ=ド=モンヴェル《ジャンヌ・ダルクの裁判(ジャンヌ・ダルク連作 VI)》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

栄光の後、ジャンヌは捕らえられ、異端の裁判にかけられた。

画面は一転して静かである。

旗も槍も、金の祭服もない。石造りの裁きの場があるだけである。

裁きの場の床に、窓の光が格子となって落ちている。

高い窓から差す光が、床の上に幾何学の模様を描く。

華やかな柄で埋め尽くされてきた連作の、最後の「柄」がこれである。

人の作った装飾ではなく、光そのものが作る格子。

居並ぶ裁判官たちの前に、小さな青い姿がひとり立つ。

立って抗弁するジャンヌである。

甲冑はすでにない。囚われの身の、簡素な青い衣である。

だが立っている。座した裁判官たちに向かって、一人で。

金と緋の第5面の隣に、この冷たい光の第6面が来る。

祝祭と受難。連作の幅の広さが、この落差に表れている。

大群衆を描いてきた画家が、最後は一人の小ささを描いて閉じた。

火刑の場面は、この連作には描かれていない。

物語は裁きの場で、立つ姿のまま止められている。

描いた順は、物語の順ではない

ここで、制作年の記録を見てみたい。奇妙なことが分かる。

所蔵館の記録によれば、各面の年代は次のとおりである。

第2面が1906年。第5面が1907年。第1面が1907〜09年ごろ。

第3面が1908〜09年ごろ。第6面が1909〜10年ごろ。

そして第4面が1909〜13年ごろ、である。

つまり、描いた順と物語の順は一致していない。

画家はまず宮廷の場面から始め、次に戴冠を描いた。

冒頭の幻視の場面は、その後から着手されたのである。

そして最後まで残ったのが、第4面の戦闘場面だった。

その年代の下限は1913年。モンヴェルの没年である。

画家は死の間際までこの一面と格闘していたと考えられる。

第4面は未完に近い状態にとどまった、とも考えられている。

もっとも複雑な、渦を巻く画面が、もっとも長くかかった。

整然とした装飾の様式で混乱を描くことの難しさが、ここに透けて見える。

絵本なら、戦いの頁も他の頁と同じ大きさで済む。

だが壁の大きさでは、渦は渦として塗り切らねばならない。

拡大の実験がいちばん軋んだ場所が、この第4面だったのだろう。

海を渡った、六枚の壁

この連作は、誰のために描かれたのか。

所蔵記録によれば、注文主はニューヨークのウィリアム・A・クラークである。

アメリカの上院議員を務めた大収集家だった。

フランスの国民的主題が、大西洋の向こうの注文で描かれたことになる。

1896年の絵本の国際的な成功が、この注文の背景にあったのだろう。

絵本のジャンヌは、フランスの外にも読者を持っていたのである。

クラークの没後、記録によれば連作は1926年にコーコラン美術館へ遺贈された。

そして2015年、ワシントンのナショナル・ギャラリーの所蔵となった。

6面が離散せず、今も一つ所で揃って見られる。

連作にとって、これは幸運なことである。

壁のために構想された絵は、ばらばらになった瞬間に意味を失う。

6枚がひと続きの壁であり続けていることが、この作品の生命線である。

見立て——頁を、壁の大きさへ

冒頭の問いに戻りたい。絵本の絵は、壁画になれるか。

当サイトの見立てはこうである。

挿絵と壁画は、じつは同じ仕事をしている。

どちらも「物語を空間に配る」仕事である。

絵本は、物語を頁という小さな空間に配っていく。

壁画は、物語を建築の壁面という大きな空間に配っていく。

頁をめくる代わりに、壁に沿って歩く。違いはそれだけである。

壁に物語を配る絵画の系譜がある。壁のための絵——ピュヴィスで書いた。

モンヴェルがしたのは、頁を壁のサイズに引き伸ばすことだった。

輪郭線と平らな色面という絵本の文法は、拡大しても壊れなかった。

むしろ金箔を得て、祭壇画の威厳さえ帯びた。

子どもの絵と国家的主題が、この6面で接続されたのである。

絵本の絵は、壁画になれるか。答えは、なれる、である。

ただし第4面が示すとおり、その接続は易々とは済まなかった。

画家は最後の一面に命の残りをすべて注ぐことになった。

6面を、通しで読む

最後に、鑑賞の提案をしたい。

この連作は、1面ずつ切り離して見るものではないだろう。

6面を順に、通しで見る。それは読書に似た経験になるはずである。

木陰の祈りで頁を開き、柄の洪水の宮廷をめくる。

旗の林を進み、渦の戦場を抜け、金と緋の戴冠に至る。

そして最後の頁で、冷たい光の床に立つ小さな青い姿に出会う。

読み終えたとき、横1.7メートルの6面は、一冊の絵本だったと分かる。

世界でいちばん大きな絵本。そう呼びたくなる連作である。

子どものために磨かれた平明さは、大画面でこそ真価を発揮した。

誰にでも読める絵は、壁に掛かっても、やはり誰にでも読める。

絵本の画家は、生涯の最後に、壁の大きさの頁を残して逝った。

その頁は今も、めくられるのを待っている。

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