シャルダンの代表作と特徴——台所の布や皿はなぜ絵になるのか
シャルダンの代表作と特徴を、当サイトで画像まで見られる五点から読む。《白いテーブルクロス》《台所の下働きの女》《シャボン玉》《トランプの城》《日除け帽の自画像》である。色の幅が狭く、背景が空き、人は動作の途中で止まる。館の記録と画像から確かめる。

シャルダンの代表作と特徴を、当サイトで見られる作品からたどる。ジャン・シメオン・シャルダンは、1699年に生まれ1779年に没したフランスの画家である。描いたのは、台所の道具と、家の中にいる人である。

シャルダンの代表作
よく知られているのは《赤えい》と《食前の祈り》である。どちらもルーヴル美術館にあり、画像の扱いが違うため、当サイトでは図版に使えない。本文で名を挙げるにとどめる。
《赤えい》は、1728年に王立絵画彫刻アカデミーへ入ったときに出した二点の一つである。もう一点は《食器棚》で、こちらもルーヴル美術館にある。このときシャルダンは、動物と果物を描く画家として迎えられた。出発点は静物画だった。
《食前の祈り》は1740年の作で、同じ年に画家が国王ルイ十五世へ贈った。対になる《勤勉な母》とともに、いまもルーヴル美術館にある。静物から始めた画家が、十年あまりで家の中の人の絵でも認められたことになる。
一方で、当サイトで画像まで見られる代表作もある。シカゴ美術館にあるのは《白いテーブルクロス》と《日除け帽の自画像》である。ワシントンのナショナル・ギャラリーにあるのは《台所の下働きの女》《シャボン玉》《トランプの城》である。
この五点だけでも、シャルダンの仕事の幅はつかめる。静物画が一点、家の中の人を描いた絵が三点、自分を描いた一点である。制作年は1731年ごろから1776年ごろまで、四十年以上にわたる。以下では、まず生涯の流れを押さえ、そのあと静物、人、自画像の順に見ていく。
シャルダンの作風はどう変わったのか
静物から始め、三十代で人の絵へ移り、五十代で静物へ戻った。最後の十年は、パステルで自分の顔を描いた。四十年あまりの間に、主題が二度大きく入れ替わっている。
シャルダンは1699年にパリで生まれた。ロンドンのナショナル・ギャラリーの解説では、父は大工である。オーバリン大学のアレン記念美術館の記録は、家具職人ジャンの子とする。師はピエール=ジャック・カーズと、ノエル=ニコラ・コワペルだった。
アレン記念美術館の記録では、1724年にパリの聖ルカ・アカデミーへ静物画家として入った。四年後の1728年に王立アカデミーへ迎えられたのは、先に見たとおりである。

このころの一点が《果物、水差し、グラス》である。褐色の陶の水差しを中央に立て、右には桃を籠に盛る。手前には青い李が二つ、紫の李が一つ並ぶ。左のグラスには水が半分ほど入り、足もとに小さな木の実が転がる。
どれも台所にある安い品である。のちの《白いテーブルクロス》の道具立ては、もうここにそろっている。
転機は1733年に来る。アレン記念美術館の記録では、この年から静物に加えて風俗画を描きはじめた。ロンドンのナショナル・ギャラリーの解説は、1730年代のはじめから1750年代のはじめまで、主に風俗画を描いたとする。《シャボン玉》《トランプの城》《台所の下働きの女》は、みなこの時期の作である。
その後、画家はふたたび静物へ戻る。ワシントンには、その時期の一点がある。

《白いマグのある静物》では、白い陶のマグの左に、林檎と梨が寄り集まる。手前には黒い柄のナイフが斜めに置かれ、刃先が奥を向く。四十年近く前の《果物、水差し、グラス》と、並べ方はほとんど変わらない。
違うのは筆である。林檎の赤は短い筆の跡を重ねて置かれ、輪郭が背景ににじむ。品を一つずつ描き分けるより、光の当たった面をまとめてとらえようとしている。
画家はアカデミーの運営でも重んじられた。アレン記念美術館の記録では、1743年に王立アカデミーの評議員となり、1755年から1775年まで会計係を務めた。没したのは1779年12月6日で、場所はルーヴル宮の中の住まいだった。
静物画は何を描いているのか
台所と食卓にある品である。《白いテーブルクロス》には、丸い卓にかけた白い布と、脚つきのグラスに入った赤い酒がある。その脇では、もう一つのグラスが横倒しになっている。銀色の皿には赤い腸詰めの切れがのり、柄の付いたナイフが布の上に置かれる。
右には、ちぎったパンが板にのる。左の床には、木の桶が置かれ、中に青い絵付けの器が見える。品の数は、両手で数えられるほどしかない。
高価な品は並ばない。金の杯も、珍しい貝も、花束も出てこない。食べかけのパンと、使いかけのナイフだけがある。
目を引くのは、むしろ布のほうである。白い布は一色ではない。影の側は灰色から青みへ、光の側は黄みへ寄る。折り目は太い筆で置かれ、角は丸く潰れている。
館の記録では、カンヴァスに油彩で、96.8×123.5センチである。横に長い画面の中央に、白い塊が一つ置かれた絵だといえる。
この横長の形には理由がある。館の解説によれば、絵はもともと暖炉の口をふさぐ衝立だった。床の高さに置くと、卓が暖炉の奥へ引っ込んで見える仕掛けである。見るときは、目の高さを少し下げて、卓の脚と床の境から眺めるとよい。
館の解説は三つの品を挙げる。卓の縁から柄がはみ出すナイフ、倒れたグラス、食べ残しである。これらを17世紀のオランダとフランドルの静物画によく出る道具立てとしている。初期のシャルダンは、北の国の静物画の型を借りながら描いていた。
風俗画の人は何をしているのか
小さな用事をしている。《台所の下働きの女》では、女が椅子にかけ、膝の白い布の上で根菜の皮をむく。足もとには大きな実と根菜が転がり、内側の青い鉢には、切った白い切片が並ぶ。

右には、切り株の台と肉切り包丁、銅の鍋が並ぶ。壁には署名と1738の数字が書かれている。女は手もとを見ていない。顔は横を向き、動作だけが続いている。

《シャボン玉》では、若者が石の窓枠に腕をのせ、細い管で泡をふくらませる。泡は窓枠の縁の下まで垂れ、透けた膜の向こうに石の枠が見える。左のコップには白く濁った液が入り、もう一本の管が差してある。
右下では、小さな子どもが枠の下から顔を出す。上と下には、つる草の葉がかかる。若者は息を止めている。絵の中の時間は、泡が割れるまでの数秒である。
同じ構図の《シャボン玉》は三点が残る。ワシントンのほか、ニューヨークのメトロポリタン美術館とロサンゼルス・カウンティ美術館にある。二点は横長で、ワシントンの一点だけが縦長である。シャルダンは評判のよい構図を何度も描き直しており、風俗画の多くに別の版がある。

《トランプの城》でも、人は手もとだけを見ている。緑の布を張った卓に札を立て、次の一枚を指でつまむ。手前の引き出しは開いたままで、中に札が入っている。背景は灰色の壁で、何も置かれていない。

《気配りの看護人》は、ワシントンにあるもう一点の風俗画である。女が立ったまま、左手の卵を右手の匙でむいている。脇には長い柄の鍋を抱える。顔は伏せられ、視線は手もとに落ちる。
左の小卓には白い布がかかり、水差しと小さなグラスと丸いパン、皿にのったもう一つの卵が並ぶ。《白いテーブルクロス》と同じ品が、ここでは人の脇役に回っている。静物画で確かめた道具を、風俗画の中へそのまま運び込んだことが分かる。
ワシントンの館には、ほかにも風俗画が二点ある。《皿洗いの女》は1738年ごろの作で、《台所の下働きの女》とほぼ同じ大きさである。女は木の桶に身をかがめ、袖をまくって黒い鍋を洗う。足もとには真鍮の鍋が転がり、赤銅の柄杓と火箸が床に散る。ここでも女は、こちらを見ずに手を動かしている。
《幼い女教師》は、館の記録では1740年以降の作である。青い袖の少女が細い棒で本の文字を指し、幼い子がうつむいて紙面を見る。ロンドンのナショナル・ギャラリーの解説は、シャルダンの風俗画が家の中の美徳をたたえると述べる。整頓、勤勉、学び、やさしさである。洗う、むく、教えるという小さな用事は、その一つ一つにあたる。
何がシャルダンらしさなのか
ここまでの絵に共通するものが三つある。色の幅が狭いこと、背景を空けること、人が動作の途中で止まっていることである。
色は、茶と灰と白が中心である。そこへ赤が少しだけ入る。《台所の下働きの女》の赤い裾、《白いテーブルクロス》の赤い酒がそれにあたる。画面の広さに対して、強い色の面積はごくわずかである。
背景はたいてい無地に近い。壁か暗がりがあるだけで、窓も額も棚も描かれない。見る人の目は、行き場がなくなって手もとへ落ちる。品の数が少ないことも、同じように働いている。数えられる量しか置かないので、どれか一つを見続けることになる。
そして、人は誰も見返してこない。顔は横か下を向き、視線は作業の先にある。例外は一点だけで、それが自分を描いた絵である。

ここでは、画家がこちらを向く。白い布を頭に巻き、青い縁の日除けを前に出し、丸い眼鏡をかける。首には薄い布を結ぶ。館の記録では1776年ごろで、画家は七十代半ばである。
館の解説では、最後の十年に画家はパステルと自画像へ移った。目の不調が一因で、鉛を含む油絵具による中毒から来たものだという。残るパステルの自画像は十三点ある。
この構図は、1775年のサロンに出した妻の肖像と対で作られた。その一対はルーヴル美術館にある。翌年、画家は二点を描き直し、それがいまシカゴに並ぶ一対である。油彩の静かな筆とは違い、頬や布に色の筋が勢いよく残る。近づいて線の向きを追うと、晩年の手の速さが分かる。
シャルダンの絵は誰が買ったのか
生前から、外国の王侯が買っていた。ワシントンの風俗画のうち二点は、画家から直接買われた。もう一点は、ロシアの女帝の目録に載っていた。
《台所の下働きの女》と《気配りの看護人》の来歴を、館の記録でたどる。二点を画家から手に入れたのは、リヒテンシュタイン侯ヨーゼフ・ヴェンツェルである。侯は1737年から1741年まで、オーストリアの大使としてパリにいた。二点はその家に代々伝わり、少なくとも1948年まで一族の手もとにあった。1950年と1951年にアメリカの財団が買い取り、1952年にワシントンの館へ贈った。
《トランプの城》は、ロシアの女帝エカテリーナ二世の持ち物だった。館の記録では、1774年のエルミタージュの目録に、トランプで家を作る少年の絵として載る。サンクトペテルブルクに百五十年あまりとどまり、1931年に売られて、1937年にワシントンの館へ贈られた。
《白いテーブルクロス》と《シャボン玉》は、十九世紀に同じ人の手もとにあった。パリの収集家ローラン・ラペルリエである。両館の来歴の記録では、遅くとも1860年には二点とも彼が持っていた。ラペルリエは《シャボン玉》を、1860年にパリの展覧会へ貸している。
日除け帽の自画像にも、たどった道がある。館の解説では、妻の肖像と対で描かれた二点は、二百年近く別々の持ち主のもとにあった。いまはシカゴ美術館で、ふたたび一対としてそろっている。
どこで見られるのか
《白いテーブルクロス》と《日除け帽の自画像》はシカゴ美術館にある。館の記録の番号は、それぞれ1944.699と1984.61である。残る三点は、ワシントンのナショナル・ギャラリーにある。
当サイトでは、《シャボン玉》や《台所の下働きの女》のページから画像を開ける。いずれも館が権利の制約なく公開した画像である。クリーヴランド美術館の《鰊のある静物》と《台所道具とポロネギ、魚、卵》も、当サイトで開ける。どちらも1730年代なかばの小さな静物画である。
展示はいつもあるとはかぎらない。とくにパステルは光に弱く、出ている期間が限られる。行く前に、館の展示情報をあたるほうがよい。
《赤えい》《食器棚》《食前の祈り》を見るなら、パリのルーヴル美術館である。
家の中で用事をする人を、同じ時代のオランダの画家と比べるのもよい。フェルメールの代表作では、窓辺の女たちを一点ずつ見ている。ほかの作品はジャン・シメオン・シャルダンの作品一覧から開ける。



