底の刻印だけが、写っている——チェルシー・ケラミック
九点のうち一点は、公開画像が器の底だけである。工房の印が押された部分を大きく撮ったもので、色も形も分からない。貫入、光沢釉、粒を貼る技法。一人の収集家が集めた九点で、工房の実験の幅を見る。見えないものは見えないと書く。その上で数字だけを伝える。

蔦のからむ水差し
一点の陶器から始めたい。

縦長の水差しである。
胴が、なだらかに膨らむ。
そして、口が片側へ伸びる。
取っ手は、枝の形をしている。
上部に、小さな動物の姿。
胴には、暗い赤茶の斑が散る。
足は、円い台になる。
取っ手が、枝である
取っ手を見たい。
まっすぐな棒ではない。
節のある枝の形をしている。
そして、そこから葉が伸びる。
葉の付き方
取っ手の葉を見たい。
数枚が、上下に付く。
そして、いずれも厚みがある。
つまり、別に作って貼ったのだろう。
自然を、器に移す
十九世紀後半の陶器には、自然の形が多い。
枝、葉、花、そして動物。
つまり、器を植物や生き物に見立てる。
上部の小さな姿
取っ手の上を見たい。
小さな動物が、口の縁に載る。
蜥蜴のような形である。
もっとも、館の記録に説明はない。
だから、形の説明にとどめる。
口の形
口を見たい。
片側が伸びて、注ぎ口になる。
そして、縁がわずかに反る。
つまり、注ぐための器である。
釉の斑
胴を見たい。
暗い赤茶の斑が、不規則に散る。
そして、明るい部分と混ざる。
つまり、釉薬の流れである。
釉薬という技術
釉薬は、焼くと溶けて硝子の膜になる。
そして、色と艶を与える。
さらに、水を通さなくする。
つまり、装飾であり、実用でもある。
窯の中の条件
窯の中は、場所によって温度が違う。
そして、炎の当たり方も違う。
つまり、置いた位置で結果が変わる。
焼成の偶然
釉薬は、窯の中で溶けて流れる。
そして、その流れは完全には制御できない。
つまり、同じ釉薬でも一点ずつ違う。
偶然を、生かす
偶然の効果を、欠点とみるか、価値とみるか。
この時期の陶器は、後者を選んだ。
つまり、流れや斑を見どころにする。
足の形
足元を見たい。
円い台になり、外へ広がる。
そして、縁に釉薬が溜まる。
つまり、流れて厚くなっている。
陶器という区分
技法欄を見たい。
陶器とある。
つまり、低い温度で焼いた土の器である。
陶器と、炻器
九点の技法欄には、二つの語がある。
陶器と、炻器である。
炻器は、より高い温度で焼く。
そして、硬く、水を通しにくい。
近年の収蔵
二〇一八年という年に注目したい。
つまり、比較的最近の寄贈である。
そして、画像も新しく撮影されている。
九点とも、色があり、細部まで読める。
二〇一八年の寄贈
来歴を見たい。
九点すべてが、同じ人物の寄贈である。
そして、年は二〇一八年。
つまり、まとまった収集が館へ渡った。
一人の収集
同じ人物の名が、九点すべてに並ぶ。
つまり、この分野を集めた収集家である。
そして、その収集が公共の収蔵になった。
当サイトでは、繰り返しこの流れに触れてきた。

三つ葉の模様
二点目は、黄土色である。
胴が、卵形に膨らむ。
そして、首が細く立ち上がる。
胴から首へ、三つ葉の模様が這う。
つまり、葉が浮き彫りになっている。
首の細さ
首を見たい。
細く、まっすぐ立つ。
そして、口がわずかに広がる。
つまり、一輪挿しの形である。
浮き彫りの作り方
模様を浮き上がらせる方法は、いくつかある。
型で押す方法。
あるいは、別に作った粘土を貼る方法。
館の記録は、示していない。
葉の並び
葉を見たい。
下から上へ、茎が伸びる。
そして、途中で葉が分かれる。
つまり、生えている姿である。
葉の色
葉の色を見たい。
地よりわずかに明るい。
つまり、色を変えている。
浮き彫りの形と、色の差。
二つで模様を示している。
一色の釉
釉薬を見たい。
黄土色で、ほぼ一色である。
そして、艶が抑えられている。
つまり、一点目の斑とは対照的である。
形と、模様
一色の釉では、色で見せられない。
だから、形と模様で見せる。
つまり、浮き彫りが主役である。
足の台
足元を見たい。
円い台が、外へ広がる。
そして、色が濃い。
つまり、釉薬が溜まっている。
器の高さ
寸法を見たい。
高さ20.2センチである。
そして、幅は9.5センチ。
つまり、細長い。

貫入のある白
三点目は、白い。
胴が、丸く膨らむ。
そして、口が広く開く。
表面に、細かい罅が一面に走る。
胴に、青い魚の姿がある。
底の近くに、青い帯。
口の広さ
口を見たい。
胴とほぼ同じ幅で開く。
そして、縁が水平である。
つまり、広口の器である。
貫入という現象
表面の罅を見たい。
網の目のように広がる。
つまり、貫入である。
罅の色
罅を見たい。
灰色がかっている。
つまり、汚れが入り込んでいる。
長く使われた跡である。
なぜ、罅が入るか
釉薬と、土の縮み方が違うと、罅が入る。
そして、冷えるときに割れる。
つまり、材料の性質による。
欠点か、装飾か
貫入は、もとは不良とされた。
しかし、意図して作ることもある。
つまり、欠点を装飾に変える。
底の帯
底の近くを見たい。
青い帯が、一周する。
そして、その上に波のような線。
つまり、水を示しているのだろう。
魚の主題に合っている。
青い魚
胴の模様を見たい。
魚が、体をくねらせる。
そして、青い線で描かれる。
つまり、絵付けである。
絵付けの筆
魚の線を見たい。
太さが、場所によって変わる。
そして、一筆で引かれている。
つまり、速い筆である。
迷いのない線が、生き物の動きを作る。
日本の器との関係
十九世紀後半、欧米で東アジアの陶磁が注目された。
そして、貫入や絵付けが取り入れられた。
もっとも、この一点の経緯は記録にない。
だから、当サイトは断定しない。
小さな花瓶
四点目は、九点の中で最も小さい。

高さ10.2センチである。
胴が、下で膨らむ。
そして、首が細く立つ。
色は、上が青、下が暗い。
胴に、緑の草が描かれる。
首と胴の比
形を見たい。
胴が低く、首が長い。
そして、その比が二対一ほどである。
つまり、細長く見える。
一八七六年という年
制作年は、一八七六年である。
九点の中で、最も早い。
そして、幅ではなく一年である。
十センチの器
寸法を見たい。
高さ10.2センチ、幅4.9センチ。
つまり、手のひらに載る。
小さな一輪挿しだろう。
年が、確定する理由
多くは、幅を持って記録される。
つまり、推定である。
この一点だけが、確定している。
何かの記録があるのだろう。
もっとも、館は根拠を示さない。
草の絵付け
胴の模様を見たい。
細い草が、下から伸びる。
そして、緑で描かれる。
つまり、絵付けである。
上の青
口の近くを見たい。
明るい青である。
そして、下へ行くほど暗くなる。
つまり、上下で色が違う。
暗い釉
下部の色を見たい。
暗く、ほとんど黒に近い。
そして、上へ行くほど青くなる。
つまり、色が移り変わる。
一年で、限定される理由
制作年が一年に定まる場合、根拠がある。
器に年が刻まれていることもある。
あるいは、展覧会の記録が残る場合もある。
もっとも、館は根拠を示していない。
小さいものを、作る
小さな器は、作るのが易しいとは限らない。
薄く作れば、割れやすい。
そして、釉薬の量も難しい。
つまり、大きさとは別の難しさがある。

肩の張り
形を見たい。
下が細く、肩で膨らむ。
そして、そこから口へ絞られる。
つまり、緊張のある形である。
赤い釉
五点目は、深い赤である。
胴が、下から上へ細くなる。
そして、肩で膨らむ。
口が、短く立ち上がる。
表面に、紫と黄の光沢が混ざる。
金属のような光
表面を見たい。
赤の中に、紫や緑の光が走る。
つまり、玉虫色である。
色の移り変わり
表面の色を追いたい。
赤、紫、そして黄。
つまり、見る角度で変わる。
写真は、その一瞬を捉えている。
光沢釉という技術
この効果は、釉薬に金属を加えて出す。
そして、還元焼成という方法で焼く。
つまり、窯の中の酸素を減らす。
もっとも、館の記録は方法を示さない。
難しい焼成
還元焼成は、制御が難しい。
そして、失敗も多い。
つまり、成功した一点は貴重である。
高さ二十センチ
寸法を見たい。
高さ20.5センチである。
つまり、一点目、二点目とほぼ同じ。
同じ規模の器である。
底の縁
底の近くを見たい。
赤が薄くなり、土の色が見える。
つまり、釉薬が流れて薄くなっている。
焼成の跡である。
釉薬の厚み
表面を見たい。
厚く、艶がある。
そして、口の縁で薄くなる。
つまり、垂れて下へ流れている。
形の単純さ
形を見たい。
飾りが、まったくない。
つまり、釉薬だけで見せる器である。
二点目の浮き彫りとは、正反対である。

底だけが、写る
六点目の画像は、変わっている。
器の全体が写っていない。
そして、底の内側だけが大きく写る。
つまり、印だけの写真である。
印の位置
印の位置を見たい。
底の中央にある。
そして、周囲は釉薬がかかっていない。
つまり、土の色が見える。
刻まれた印
底を見たい。
四つの文字が、菱形に組まれている。
そして、粘土に押し込まれている。
つまり、工房の印である。
底に、釉薬をかけない
底に釉薬をかけない理由がある。
かければ、窯の板に貼り付くからである。
だから、底だけ土のまま焼く。
そして、そこに印を押す。
印という記録
陶器には、作り手の印が押されることが多い。
そして、その印で工房が分かる。
つまり、帰属を決める手がかりである。
なぜ、印を撮るか
館の記録画像には、こうした写真がある。
つまり、研究のための画像である。
そして、それが公開画像として使われている。
見えるものが、少ない
この画像から分かることは限られる。
印の形、土の色、そして轆轤の跡。
つまり、製法の情報である。
器の姿は、分からない
もっとも、この画像からは器の形が分からない。
高さと幅は、記録にある。
高さ12.9センチ、幅6.4センチである。
しかし、色も形も見えない。
端に写る色
画像の左端と上端を見たい。
淡い青緑の面が、わずかに見える。
つまり、器の外側だろう。
だから、青緑の釉薬だと推測できる。
もっとも、断定はしない。
一枚しか、ないこと
館の公開画像は、作品ごとに一枚とは限らない。
複数の角度から撮られることもある。
この一点は、底の一枚だけである。
つまり、選ばれた一枚が印の写真だった。
記録の限界を、書く
当サイトでは、こうした状態をそのまま書く。
見えないものは、見えないと記す。
そして、記録にある数字だけを伝える。
紙の札が貼られた器
七点目には、札がある。

胴が、球のように膨らむ。
そして、首が細く長い。
色は、赤茶と黒が混ざる。
胴の下部に、紙の札が貼られている。
首の長さ
形を見たい。
胴が球で、首が細く長い。
そして、口がわずかに開く。
つまり、一輪挿しの形である。
札という情報
札を見たい。
小さく、四角い。
そして、文字が印刷されている。
もっとも、画像からは読み取れない。
札を、剥がさない
札は、後から貼られたものだろう。
展覧会か、あるいは販売の際の札である。
そして、いまも貼られたままである。
保存の判断
札を剥がすか、残すか。
これは、判断である。
見た目を優先すれば、剥がす。
情報を優先すれば、残す。
館は、後者を選んでいる。
来歴の跡
札は、器の来歴を示す手がかりになる。
つまり、どこを経てきたかが分かる。
だから、剥がさずに残す。
保存の判断である。
一八八六年という年
制作年は、一八八六年である。
つまり、幅ではなく一年である。
四点目と同じく、確定している。
高さ十六センチ
寸法を見たい。
高さ16.2センチ、幅8.1センチ。
つまり、中ほどの大きさである。
赤と黒
色を見たい。
赤茶の中に、黒い部分がある。
そして、首の上部が黒い。
つまり、焼成の際の変化だろう。

平たい水差し
八点目は、横に広い。
高さ12.1センチ、幅15.2センチ。
つまり、幅のほうが大きい。
胴が、上下から押しつぶした形である。
そして、口が短く立つ。
取っ手が、右に付く。
稜線の位置
胴の稜線を見たい。
中ほどで、最も張り出す。
そして、上下へ絞られる。
つまり、水平の線が一本走る。
幾何学的な形
形を見たい。
胴が、二つの円錐を合わせた形である。
そして、稜線がはっきりする。
つまり、幾何学的である。
自然の形と、幾何の形
一点目の枝の取っ手と比べたい。
一点目は、自然の形を模す。
そして、八点目は、幾何の形である。
つまり、正反対の方針である。
一つの工房の中の幅
同じ工房で、両方が作られる。
つまり、方針が一つではない。
そして、時期や作り手で変わる。
取っ手の形
取っ手を見たい。
上端が口の縁に付く。
そして、下端が胴の中ほどに付く。
つまり、弧を描く。
緑の釉
色を見たい。
黄緑がかった色である。
そして、艶が抑えられる。
つまり、光沢の少ない釉薬である。
表面の斑
表面を細かく見たい。
小さな斑が、散っている。
そして、色にむらがある。
つまり、均一ではない。

角のある花瓶
九点目は、断面が角形である。
胴が、下で膨らむ。
そして、首が細く立ち上がる。
口は、四角い。
胴にも、縦の稜線が走る。
色は、淡い黄緑である。
四角い口
口を見たい。
四角である。
そして、角が鋭い。
つまり、円い口とは印象が違う。
稜線という装飾
胴の稜線を見たい。
縦に、いくつも走る。
そして、そこで光が変わる。
つまり、面の切り替えが模様になる。
轆轤で、作れるか
角のある形は、轆轤では作りにくい。
轆轤は、円い形を作る道具だからである。
つまり、型を使ったか、後から削ったか。
館の記録は、示していない。
淡い色
色を見たい。
淡い黄緑である。
そして、艶が抑えられる。
つまり、光沢の少ない釉薬である。
高さ二十四センチ
寸法を見たい。
高さ23.8センチである。
つまり、九点の中で最も高い。
幅の記録がない
もっとも、この一点には幅の記録がない。
高さだけが記される。
つまり、記録の詳しさが揃っていない。
九点の内訳
九点をまとめたい。
花瓶が七点、水差しが二点。
そして、陶器が四点、炻器が五点。
装飾の方法
装飾を分類したい。
浮き彫りが一点。
絵付けが二点。
そして、釉薬だけで見せるものが四点。
さらに、形で見せるものが二点。
同じ寄贈でも、違う
九点は、同じ人物の寄贈である。
しかし、作られた時期も方法も違う。
つまり、収集の幅がそのまま並ぶ。
一つの工房の幅
同じ工房で、これだけの幅がある。
つまり、方針が一つではない。
自然の形、幾何の形、貫入、光沢釉。
いずれも、別の方向である。
実験という性格
十九世紀後半の工房は、実験を重ねた。
新しい釉薬、新しい焼成、新しい形。
つまり、試みが続いている。
芸術としての陶器
この時期、陶器を芸術として作る動きがあった。
つまり、日用品ではなく、鑑賞の対象である。
そして、一点ずつ作る。
量産と、一点物
型で量産する陶器も、同時にあった。
つまり、二つの方向が並行している。
九点は、後者にあたるだろう。
制作年の幅
年代を並べたい。
一八七六年、一八八六年が確定。
そして、他の七点は幅を持つ。
つまり、多くは推定である。
なぜ、年が分からないか
工房の記録が失われれば、年は分からない。
そして、印だけでは年まで特定できない。
だから、活動期間の幅で記す。
一人の収集が、九点を残す
最後に、来歴へ戻りたい。
九点とも、同じ人物の寄贈である。
つまり、一人が集めた。
そして、まとめて館へ渡した。
まとまって、残る意味
一点だけでは、比較ができない。
九点あれば、工房の幅が見える。
浮き彫り、貫入、光沢釉、幾何の形。
つまり、収集の厚みが理解を助ける。
そして、その厚みは一人の目が作ったものである。





